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銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第二百三十七話 重臣として

帝国暦 489年 2月 4日  オーディン 新無憂宮 オイゲン・リヒター



「宜しいのですか、司令長官に辺境星域の開発を押し付けてしまって」
「仕方あるまい、彼らが望むのだからの」
他人事のようだ、本当にそう思っているのか? 私は発言者を見たが相手はしらっとした表情をしている。

「そうは言っても……」
「仕事を取られた事が不満か?」
「……」
堪らず言葉を続けた私にリヒテンラーデ侯は皮肉な笑みを浮かべて反問した。嫌な事を言うご老人だ、まるで私が司令長官に不満が有るかのような言い方をする。

「はぐらかさないでください、リヒターはそういう意味で言っているのでは有りません。当初の話では司令長官を多少忙しくさせろ、そういうことでした。こちらとしても辺境星域の視察を頼める人は他にいませんでしたから話に乗りましたが、こういう事になるとは思ってもいなかったのです。なし崩しに辺境星域の貴族達の要望を受け入れることになりましたがそれで良いのかと我らは尋ねています」

ブラッケが生真面目な口調でリヒテンラーデ侯に答えた。侯は私達を見ながら面白くもなさそうに鼻を鳴らす。
「まったく、面白みの無い男達じゃの。少しはヴァレンシュタインを見習え、あれはからかいがいが有るぞ。そうであろう、ゲルラッハ子爵?」

侯の問いかけにゲルラッハ子爵は困ったような表情で私達を見た。そして溜息を吐いてリヒテンラーデ侯に答える。
「その様な事を仰られるのは侯だけです。私にはとても……」
リヒテンラーデ侯がまた鼻を鳴らした。
「どうも卿らは、困ったものじゃの……」

新無憂宮の南苑の一室、薄暗い部屋に私達―――国務尚書リヒテンラーデ侯、財務尚書ゲルラッハ子爵、民生尚書ブラッケ、自治尚書である私―――がいる。リヒテンラーデ侯に辺境星域の件で話が有ると訴えると此処に連れてこられた。適当に椅子を持ち寄って座っているが何とも陰気な部屋だ。

「軍から、主として艦隊司令官達からですが苦情が来ております、司令長官の負担を増やすような事は止めてくれと。司法省、保安省、憲兵隊からもです、司令長官に権限を与えればそれだけテロの危険性が高まると……」

私の言葉にリヒテンラーデ侯、ゲルラッハ子爵が渋い表情をした。キュンメル男爵が司令長官を殺そうとした事を思い出したのだろう。それに続く者がいないとは誰も言い切れないのだ。

「そうは言っても今辺境を開発できるのは彼以外にはいないのも事実だ。辺境星域の貴族達は政府の人間など誰も信じてはいない」
ゲルラッハ子爵が憮然とした表情で呟く。その言葉に今度は私とブラッケの表情が渋くなった。気まずい空気が部屋を支配する。

「厄介なことよの」
リヒテンラーデ侯の言葉に全員が頷いた。まったく厄介な事だ。辺境星域の開発、それを行う上で最初に手をつけたのは実態調査だった。正しい情報無しには何も出来ない。この事は十月十五日の勅令が発布された後、直ちに実行されたのだが、はかばかしい結果が上がらなかった。

門閥貴族達が協力しないことは分かる。しかしそれ以外の貴族達、辺境に居着いている在地領主達もこちらには非協力的だった。当初我々はその事をこちらに協力することで門閥貴族達に睨まれる事を恐れてのことだと思っていた。

しかし内乱終結後も状況は余り変わらない。こちらの要求にも何処か懐疑的で協力要請には消極的な態度が目立つ。そして何より気になるのは各省庁の官僚達の間にも辺境星域の開発に消極的な態度が見えることだった。

何が起きていたのかが判明したのは最近になってからの事だ。リヒテンラーデ侯を問い詰めようやく分かった。これまで政府が辺境星域を無視してきたことが大きく響いている。我々は今そのツケを払わされようとしているのだ。

貴族達が非協力的、官僚達も消極的、本当なら自分の目で辺境を視察し、現地の貴族達と話したいところだが、やらなければならないことは他にも有る。オーディンを離れることは出来ない。そんな状況だったから司令長官に辺境の視察をお願いしたのだが、まさかこんなことになるとは思ってもいなかった……。

「止むを得ないことでは有る。辺境の貴族達は我ら旧来からの政治家など信じてはおらぬ。卿らのこともだ、改革派、開明派として知られていても本当に官僚達を動かす事が出来るか、彼らは疑っているのだ」

思わず顔を顰めた、私だけではない、ブラッケもゲルラッハ子爵も発言者のリヒテンラーデ侯も顔を顰めている。確かに侯の言う通りなのだ。辺境に関しての官僚達の反応は嫌になるほど鈍い。彼らを使って辺境星域を開発するのは容易なことではないだろう。

「しかし、それは司令長官も同じでしょう。内政家としての実績などありませんし、各省庁に対する影響力だとて我々以上に有るとは思えません。貴族達は一体何を考えているのか……」

ブラッケが小首を傾げながら呟くように吐いた。そんなブラッケをリヒテンラーデ侯が哀れむような視線で見て首を振った。
「分かっておらぬの、確かにヴァレンシュタインには内政家としての実績は無い。しかし、あの男はやると言った事は必ずやるからの」
「……」

「十月十五日の勅令発布の折、改革に反対するものは叩き潰すと言った。その通り門閥貴族は潰された。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯も陛下の女婿であるにもかかわらず潰されたのじゃ。辺境星域の貴族達にとっては信じられぬことであろう」
リヒテンラーデ侯が何処か感慨深げに話すとゲルラッハ子爵が神妙な表情で頷いた。

「貴族達はの、ヴァレンシュタインの内政家としての実績を信じたのではない、あの男そのものを信じたのじゃ。あの男なら言った事は必ずやるだろうと……、それに卿らを抜擢し改革を唱えたのもあの男だと皆分かっている……」
「こうなるのは必然ですか?」

私の問いかけにリヒテンラーデ侯が頷いた。
「あの男がバラ園で撃たれたとき、卿らはカストロプより戻ってきたの、あの時何を考えた?」

ブラッケが私を見た。そして多少口篭もりながら答えた。
「……それは、司令長官に万一のことが有れば改革はどうなるのかと思いました」
その通りだ、あのときの不安は忘れようが無い。司令長官に万一の事が有った場合、改革がどうなるのか、リヒテンラーデ侯には、ゲルラッハ子爵には改革を継続する意思はあるのか? その不安だけが私達の心を支配した。

「そうであろう、あの男こそが改革の推進者だと卿らは思っていた。その思いは卿らだけのものではない。辺境の貴族達も同じ思いなのだ……。このままヴァレンシュタインに辺境星域を任せる。卿らはあの男の指示に従え。帝国政府が本気で辺境星域を開発しようとしていると皆が理解するはずじゃ」

「官僚達もですか?」
「官僚達もだ」
何処か皮肉を帯びたブラッケの問いにリヒテンラーデ侯は重々しく頷いた。そしてブラッケに冷笑を浴びせた。

「どうやらあの男の事を一番分かっておらぬのは卿らのようじゃの」
「そんな事は」
抗議するブラッケを無視して侯は言葉を続けた。

「内務省は分割されかつての力は失われた。宮内省は典礼省を取り込んだとは言っているが内実は宮内省の人間と典礼省の人間でポストの奪い合いよ。役に立たぬと判断された人間は左遷されつつある。あの男を怒らせるとどうなるか? 官僚達が一番身に染みて分かっているはずじゃ」
「……」

リヒテンラーデ侯の言葉に何も言えずにいると侯は微かに笑って言葉を続けた。
「まあ良い機会じゃ、いずれヴァレンシュタインにはこちら側に来てもらうからの。ここで実績を付けて貰うとするか」
「こちら側?」
こちら側とは政治家にということだろうか? 問いかけた私にリヒテンラーデ侯が頷いた。

「今のままでは拙いのじゃ。今のまま進めば帝国の政治は歪みかねん」
歪む? どういうことなのか? 思わずブラッケを見た、しかし彼も訝しげな表情でこちらを見返してくる。そしてリヒテンラーデ侯とゲルラッハ子爵は沈鬱と言って良い表情だ。

「リヒテンラーデ侯、それは改革が帝国の政治を歪めるという事でしょうか?」
ブラッケが何処か憤然とした表情で問いかけたが侯は首を振って否定した。
「そうではない、改革とは無関係なところで問題は起きている……。いや、関係が無いとは言えぬか……。問題はの、軍と政府の力関係が逆転することじゃ」

軍と政府の力関係が逆転する……、軍の力が政府の力を凌駕するという事だろうか、だからヴァレンシュタイン司令長官を政治家にする……。つまり司令長官の力で軍を抑えようとしている? 或いはヴァレンシュタイン司令長官の力が大きすぎると二人は見ているのだろうか。軍から引き離して司令長官の力を抑えようとしている? 権力争いとも思えるが、そうなのか? どうも腑に落ちない……。

「卿らも知っておろうが、ヴァレンシュタインは数年後にはフェザーンを降し反乱軍を降伏させるつもりじゃ。そうなった時、何が帝国に起きるか……、卿らは考えた事があるか?」
「……」

どういう意味だろう? 侯は必ずしも肯定的には見ていない。改革が進み宇宙が平和になるが、その一方で問題が有る、生じると見ている。しかし一体何が有るというのか……。ブラッケを見たが彼も困惑している。

私達が沈黙しているとゲルラッハ子爵が後を継いだ。
「門閥貴族、フェザーンは滅び、同盟は保護国と化す。軍の、いやヴァレンシュタイン司令長官の勢威はかつて無いほど大きいものになる。官僚達もその威に服しているのだ、対抗勢力は無いと言って良いだろう」
「……」

話の内容よりもその口調と表情が私には驚きだった。ノロノロと何処かぼやくと言うよりは呻くような口調だった。そして表情には精気が感じられない、絶望しているのではないかと思えるほどだ。

「我々が何らかの政治的決断をしようとした時、常にヴァレンシュタイン司令長官の意向を推し量るようになる。そして軍の中にもそれを利用しようとする人間が現れるかもしれない。そうなれば帝国の政治は軍が動かす事になるだろう。侯が心配しておられるのはそういうことだ」

「しかし司令長官は軍の力を利用して権力を私物化するような方とも思えませんし、司令長官の勢威を利用しようとする者を許すとも思えませんが?」
杞憂だ、この二人が考えているのは杞憂としか思えない。そう思って私が反論するとリヒテンラーデ侯がこちらをジロリと見た。

「そんな事は分かっておる。問題は軍が政治を動かす事が常態化すると言うことじゃ。あれが生きている間は良いかもしれん。しかしその後はどうなる? 何かにつけて帝国の政治は武断的な色合いを帯びよう。そうならぬように今から手を打たねばならぬのじゃ」
「……」

「今はまだ私が生きているから良い。しかし……、ゲルラッハ子爵、私の死後卿が国務尚書になったとしてあの男から圧迫感を感じずに政(まつりごと)を執れるかの?」
リヒテンラーデ侯の問いかけにゲルラッハ子爵は溜息を吐いて答えた。
「とても無理です。何かにつけて司令長官の事を慮るでしょう」

「そうじゃろうの」
リヒテンラーデ侯は私とブラッケを見ながら答えた。分かったか、と言いたいのかもしれない。私は司令長官から圧迫感など感じなかった。それは最初からヴァレンシュタイン司令長官を改革の後ろ盾と考えていたからだろう。

改革ではなく帝国の政治全体を考えた場合はどうだろう、やはり圧迫感を感じるだろうか? いや圧迫感ではなく、むしろ彼に縋ったかもしれない。……なるほど、軍が政治を動かす事が常態化するか……、有り得ない話ではない。

私は、おそらくブラッケもだろうが、改革を行いこの国の不条理を正す事に主眼を置いていた。しかし目の前の二人は帝国という国の在り様を考えていた、そこが彼らと私達との違いなのだろう……。

「ヴァレンシュタインは帝国軍三長官の一人とはいえ、序列で言えば軍では第三位の地位にある。本来なら尚書である卿らのほうが地位は上、帝国の重臣なのじゃが、その卿らが軍の一高官に遠慮をする。正しい姿とは言えぬ……」
リヒテンラーデ侯が首を振りながら呟く。

「司令長官にどのような地位を用意するのです?」
ブラッケの質問にリヒテンラーデ侯が薄く笑いを浮かべた。
「帝国宰相、と言ったところかの」
「!」

リヒテンラーデ侯の言葉に驚愕が走った。ブラッケがこちらを見ながらリヒテンラーデ侯に途惑いがちに問いかけた。
「しかし、宜しいのですか?」
「別に私は構わん。あれが後を引き受けてくれれば楽ができるからの」

そういうことではない、帝国宰相! この一世紀、帝国宰相が置かれた事は無い。皇帝オトフリート三世が皇太子時代に帝国宰相を務めたのが最後だ。それ以後は臣下が皇帝の先例に倣うことを避け国務尚書が帝国宰相代理として政府を率いている。その慣例を破る事になる。

驚いている私達をリヒテンラーデ侯は笑みを浮かべながら見ていたが、その笑みを収めると低く凄みのある声を出した。
「国務尚書ではいかぬのじゃ。国務尚書はあくまで帝国宰相の代理でしかない。基本的には無任所の尚書、言わば軍務尚書と同格よ。あの男には帝国宰相としてこの国の文武の頂点に立って貰わねばならん」

「あの男の望むところではないかもしれん、しかしもう引き返せぬのじゃ……。卿らも心するがよい、国家の重臣となった以上、改革を行なう事だけがその任ではないぞ。国家の行く末を考えてこそ政治家じゃ。それこそが政(まつりごと)を執るという事でもある。それが出来ねば官僚となんら変わるところは無い、その事を忘れるな……」
「……」

「ヴァレンシュタインにはそれができる。だから皆があの男を頼るのじゃ。あの男の本質は軍人ではない、政治家じゃ。にもかかわらず、今現在は軍の一高官に過ぎぬ……。力量ある人物が地位を得ぬ事の恐ろしさが分かったか?」
「……」

リヒテンラーデ侯の言葉に私もブラッケも頷く事しか出来ない。今更ながら目の前の老人が国務尚書として帝国の舵を取ってきたのだと思い知らされた。圧倒的なまでの威圧感だ。

「本人に野心が有れば謀反を考えるじゃろう、野心が無ければ不必要に周囲に影響を与えかねぬ。こうも力を持ってしまえば、それは国家の不安定要因でしかないのじゃ。困った事にあれはその辺りが良く分かっておらぬ」
「……」
嘆くような口調だ。侯は司令長官の行く末を危ぶんでいる。そしてその事を悲しんでいる……。この人は司令長官が好きなのだろう。

「あれを国家に役立てるためには帝国宰相にするしかない。そのためにも辺境星域の開発に失敗は許されぬ。良いな、必ず成功させるのじゃ。さすれば誰もがあの男こそ帝国宰相に相応しいと納得するであろう。それこそが帝国の繁栄と安定を守る事になる、頼んだぞ」
「はっ」

自然と頭が下がった。国家とは、政治とは何なのか、国家の重臣としての見識とは何なのかを目の前で教えられた。私もブラッケも侯から見ればまだまだひよこに過ぎないのだ。この老人から何時か認められる時が来るのだろうか?



 
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