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俺の四畳半が最近安らげない件

作者:たにゃお
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血の滴る

ぱちゃ、ぱちゃ、という水の滴る音で目が覚めた。両肩と背中が冷えている。最近まで残暑いつ終わんだよ…などと思っていたが、終わってみると寒くなるのもあっという間だ。俺は軽く伸びをして、音のする場所を確かめる。


俺の四畳半のど真ん中に、赤い液体が滴っていた。


咄嗟に天井を見ると、明らかに上の部屋から滴っている。
…血かな?これ血だろうか?
血なのかよく似ている別の液体なのか早急に確認しなけりゃいけないんだが、その勇気が出ない。あと起きたばかりで頭がはっきりしない。
まてまて落ち着け俺。上の住人はもしや美術関係の人か役者志望とかじゃないか?ここに滴り落ちているのは絵具的な何かとか、ドラマで使う血糊袋という……


思考を緩くほぐそうとした瞬間『ガガガガン』とドアをノックする音がして、内臓ごとせり上がった。


怖すぎて吐きそうになってるのをぐっと堪えた。ほぐそうとした思考はもうキュッと、おにぎりみたいにキュッとまとまってしまった。んもう怖い、怖すぎて他の事考えらんない。だって俺の生活圏であんな怖いノックする奴いないもの。しかもノック超小刻みだし、絶対これすごい焦っている感じだし。
声を殺していると、やがてノックが止んだ。…そう、俺居ないから。居ないから帰って?必死に祈りながら部屋の隅で丸くなっていると。


カキ、キキキ…パコ、パコ…


―――ってドアの郵便受けがパコパコ云いだした!!
やっべぇこれ本当に『中に人は絶対に居ないか』確認してるわ。背中がぞくりとした。…これ、俺見つかったらどうなるの?無難で穏便な関係築くつもりの相手に、コレはやらないよね…。
俺、口封じとかで殺されるんじゃね?
郵便受けはまだパコパコ云っている。まだ部屋の中を確認出来ていないのだろう。幸い俺は玄関側の部屋の隅に居たので恐らく、郵便受けからは死角になっているはずだ。ゲロとか悲鳴とか出そうになるのをぐっと堪え、俺は全ての気配を押し殺した。今の仕事より向いてるガテン系の仕事ありそうな勢いで、完全に気配を消した。
やがて、パコパコ音が消え、足音が遠ざかって行った。…居ないとみなしたのか?
ほう…と息を吐いて吸い込んだ瞬間、俺は再び固まった。


―――居ないとみなしたのではなく、完全に居ないことを確認することにした、としたら…?


ドアは通りに面しているから、破るのは現実的じゃない。
だから裏側のベランダにでも侵入して、そこから部屋に押し入り…
そこまで想像した時点で気が狂いそうになった。俺の部屋は2階だから、健康な成人男子でも侵入にはひと手間掛かる。逃げるチャンスがあるとしたらその短い時間だけだ。
だけど万一外で鉢合わせたら…さあ逃げよう、と腰を上げてドアに向かった瞬間、奴がベランダに侵入してきたら…郵便受けパコパコするような奴だ、きっと地の果てまで追ってくる。俺は咄嗟に押入れに逃げ込んだ。…逃げ込んでしまった。逃げ込んだが最後、かじかんだ思考はもう『逃げ出す』事になど及ばない。俺はただ背中を丸めて、細く開いた隙間から四畳半を伺いながら、パニック寸前の状態で声を殺して震えていた。
さっきのさっきまで『もしかして絵具かも』とか『演劇の小道具かも』とか淡い期待を抱いていたけれどもうそんな余地はない。
落ちてきた赤い液体は、フローリングで赤黒く凝固し始めたのだ。
これはもう間違いなく血!もうね、切ないくらい血ィ!どうしようもなく血なのだ!!
『は…破水…しちゃった…』とかも考えたけど、こんな貧乏アパートに妊婦いたら相当目立つと思うし、そもそもお産の血は羊水とか混じってて、こんなネットリタイプじゃないと思う!よく知らんけど!!
お願いだ、来ないでくれ、思い過ごしであってくれ…何度繰り返したか分からない。細く開いてる押入れの襖を閉める度胸もなく、ただ喉がヒリヒリするのを堪えてじっとしていると。



ベランダに、人型の影が差した。



きっ来た―――!!こっこれでもう上で殺人方向のやばい事が起こってたのは決定だな!?
心音が外に漏れ聞こえるんじゃないかってレベルにバクンバクンし始めた。影が差しただけでも怖いのに、そいつの影は背伸びをするようにぐいっと伸びると、ゆらゆらと左右に蠢き始めた。
俺の部屋を伺っているんだ……。
やがて影はぴたりと動きを止めると、すっと屈んだ。その直後、かつ、かつ、とガラスに何かを叩きつけるような音がした。
……ひぃ、ガラス割って入ってくる気だ!!
頭の先からすう…と血の気が引いた。
かしょ…とガラスが地味に割れる音がした。きっとガムテでも貼って派手に割れないように細工したのだろう。やがてドアロックが回る音と、誰かが入ってくる気配。額を、背中を、脇下を、滂沱の冷や汗が流れ落ちた。


みしり、みしり、みしり…永遠に続くかのような、侵入者の徘徊音。奴は一通りそこら辺をウロウロすると、俺の目と鼻の先を通って風呂、トイレの方に歩いて行った。空気が動いて鼻を掠めただけで、尿が漏れそうなほどの身震いが全身を襲う。部屋の奥の充電器に差しっぱなしになっている携帯をぼんやり見ながら、じわじわ後悔の念が沸いて来た。

携帯持ったまま、押入れに逃げ込めばよかった。

そうすればあいつがベランダから入り込むのに苦戦している間に警察を呼べたのに。歯ぎしり出る程悔やまれるが、もう時間は戻らない。


――チロリロリロリン、チロリロリロリン


突然俺の携帯が大音量で鳴り始めた。ビックゥと心臓を掴みあげられたように押入れの中で孤独に跳ね上がる俺。そして奴は慌てて取って返した。…あっぶねぇ…携帯持って隠れてたら今頃俺は…。
「……っくりしたぁ……」
案外と高い声が、目と鼻の先で聞こえた。既に3年は寿命が縮まっていると思うが、更に俺の生きる時間をキュッと圧縮する、犯人の肉声。心臓のバクバク音が漏れ聞こえるんじゃないかと、必死に胸の辺りを押さえる。何やってんだ俺。
そいつは暫く鳴り続ける携帯を眺めていたが、着信音が途切れた瞬間、妙にそわそわし出した。
―――そうか。こいつの中で、俺は携帯を家に置いて外出している事になっている。
ということは俺は遠くには行っていないと踏んだのだ。近所のコンビニにでも出ていて、ちょっとしたら帰ってくるかもしれないと。奴はガバリと血溜まりの上に伏せると、ずっと手に持っていた汚いタオルだか雑巾で床を拭き始めた。猛烈な勢いで。どうやら家主が居ないなら証拠隠滅してやろうと侵入したっぽい。…あれ?
こいつ何か、すごい気ぃ弱くね?
あの荒々しいノックをしてきた奴と同一人物とは思えない程のヘタレっぷりだ。もうこいつ、一刻も早く血痕消して逃げ帰ることしか頭になさそうだ。ふぅ…と小さく息をついた。


その瞬間、『ガガガガガン!!』という荒々しいノックが響き渡った。


ひっひぃ!とか叫んであたふたと周りを見回す犯人。…ていうか…あれ!?ノックしてきた奴と侵入者、まさかの別人!?
「月丘さん、開けますからね!?」
大家の声だ。大声のあと、カチリと鍵が回る音がして、大家と…誰だ、見た事ある気がするんだが?
「前原さんから連絡があったんですよ!?なんか天井に赤いシミが浮いてるって!!」
……あぁ思い出した、下の住人だ!
どうやら血が俺の部屋を貫通して1階の住人とこにも届いてたのだ。まじかよ床薄すぎじゃねぇのか?
「…あれ?藤本さん?」
「ひっ!!」


―――大家と犯人と1階の住人が鉢合わせた!俺の部屋で!!


「何であなたがこの部屋に?…あ!ガラス割ったのか!?」
大家が早速見とがめて詰め寄った。
「あ、あわわわわわ」
犯人は尻をついてあとじさった。
「なにその雑巾!ちょっとあんた、何しに入ったんですか!?」
「こっ…これはその…」
「あんた…まさか…」
「月丘さんを殺したのか!?」


―――話がおかしな方向に!!!!


「え!?いや!?こっ殺してない、いや殺したけど殺しては」
「殺したんだろ!?どこに隠した!?」
「違う!殺したのはこの部屋の人じゃなくて!!」
「この部屋の人じゃなくて誰かを殺したんだな!?何故月丘さんの部屋で!?」
本当だよそれじゃ意味わかんねぇよ。
「違うんです!!ここじゃないんです!!」
「じゃあ何でここに血痕があるんだよ!!」
下の住人…前原というのか?筋肉質で浅黒い男が怒号をあげた。…あー、ああいうノックしそうな面構えだ。天井に血の染みを見つけた瞬間、この部屋に駆けつけたんだろう。なんと正しい男だ。ビビりまくって押入れに逃げ込んでこんな妙な状況になっている我が身につまされる。
前原は藤本を睨み付けながら、布団をめくったりトイレを覗いたりし始めた。
「何処に隠したんだぁ?死体はどこに!!」
「ここかあ!?」


―――押入れがスパァン!と開け放たれた。


「……じゃじゃじゃじゃーん」
何か云わなきゃ…と咄嗟に考えて絞り出した、渾身の言葉だった。
大家と前原と藤本が、超絶無表情に俺を見つめている。…一応、少し両手を上げてぴろぴろ動かして楽しげな感じにもしてみたが、場の空気は微動だにしない。…俺は。


俺はそっと、襖を閉じた。


外で3人が何事もなかったように事情を説明したり警察呼んだりしている間、俺は体育座りで暗闇に蹲っていた。
―――俺はこのまま、貝になりたい。

 
 

 
後書き
次回更新予定は、年明けです。
良いお年を。 
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