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銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第二百五話 キフォイザー星域の会戦(その3)

帝国暦 488年  1月31日  1:30 リッテンハイム艦隊旗艦オストマルク  クラウス・フォン・ザッカート


目の前のスクリーンにヒルデスハイム伯の艦隊が敵の予備部隊に崩されていく様子が映っている。艦隊はまだ陣形を留めているがそれも時間の問題だろう。

ヒルデスハイム伯は敵との接触後、三十分ともたず戦死した。元々兵力も錬度も違うのだ、当然の結果と言えるだろう。だからもう少し待てと言ったのだ、愚か者が!

艦橋は凍りつきそうな空気に包まれている。皆負けた事が、負けつつある事が分かっている、先程までの優勢があっという間に崩れようとしている。ノルデンもラーゲルも蒼白になって沈黙している。

「ザッカート」
「はっ」
リッテンハイム侯が俺に話しかけてきた。侯の表情には微かに笑みがある。

「これまでだな、或いは勝てるか、とも思ったが所詮は夢であった……」
「……」
「だが、夢を見る事が出来ただけでも良しとすべきか……」
「侯……」

「ノルデン少将、各艦隊司令官と通信を繋げ」
ノルデンが各艦隊と連絡を取り始めた。そしてスクリーンに緊張した表情のクライスト、ヴァルテンベルク、そして蒼白になったヘルダー子爵、ホージンガー男爵が映った。

「これまでだ、間も無くヒルデスハイム伯の艦隊は壊滅するだろう。そうなれば敵の予備部隊が後ろに回り込むのは間違いない。そうなる前に撤退する」
『撤退ですか、しかし簡単には行きますまい』
クライスト大将が困惑した声を出す。ヴァルテンベルクが厳しい表情で頷いた。ヘルダー子爵、ホージンガー男爵は無言のままだ。

「私が最後尾を務める。クライスト、ヴァルテンベルク、卿らはヘルダー子爵、ホージンガー男爵を助けてガイエスブルク要塞に撤退せよ」
『お待ちください、それは小官が務めます。侯はガイエスブルク要塞にお退きください』

「駄目だ、ヴァルテンベルク大将。それではホージンガー男爵が孤立する、敵の追撃を防ぎきれん。卿はホージンガー男爵を助けて撤退せよ」
『しかし、それでは侯が』

言いかけるヴァルテンベルク大将を侯が一喝した。
「聞け! 私の艦隊が一番兵力が多い、それに敵中奥深くにある。私が最後尾を務めるのが妥当だ。それに総司令官たるもの、攻める時は先頭に、退く時には最後尾を務めるべきであろう」

『閣下……』
ヴァルテンベルク大将が絶句した。クライスト、ヘルダー子爵、ホージンガー男爵は何かに撃たれたかのように硬直している。

「この戦いは本当なら勝てる戦いだった。ヒルデスハイム伯の身勝手な愚行さえ無ければ勝てたのだ。卿らはガイエスブルク要塞に戻り、もう一度力を合わせて戦うのだ。そして勝て!」

『……ヴァルテンベルク大将、侯の指示に従おう』
『クライスト……。分かりました、サビーネ様にお伝えする事は有りませんか』
「無用だ、ヴァルテンベルク大将。あれとは既に別れを済ませてある」
『!』

「全軍、撤退せよ!」
『はっ」
スクリーンに映る男達が全員侯に対して敬礼した。これから撤退戦が始まる。これからが本当の戦だ。


帝国暦 488年  1月31日  2:00 ルッツ艦隊旗艦 スキールニル  コルネリアス・ルッツ


勝った。こちらの予備が敵の予備を粉砕しつつある。シュタインメッツ少将の采配は見事だ。このまま行けば敵の後背に出るのも間近だろう。艦橋の空気は先程までとは一変している。表情も皆明るい、フロイライン・マリーンドルフの顔にも笑みがある。

「閣下、敵は撤退し始めました」
「うむ。参謀長、全軍に命令。反撃せよ」
「はっ。全軍に命令、反撃せよ」
ヴェーラー参謀長の言葉にオペレータ達が攻撃命令を出し始めた。

敵の両翼が少しずつ後退を始める。それと同時にミッターマイヤー、ミュラー艦隊が前進を始めた。だがこちらは動けない……。戦術コンピュータのモニターは貴族連合軍の両翼が後退をし始め、中央の艦隊が敵中に踏みとどまる、いや更に前進しようとしている状況を示している。

「閣下、これは」
困惑した表情でヴェーラー参謀長が問いかけて来た。何が起きているかは分かっている、ヴェーラー参謀長も判っているはずだ。だが自分の目で見ても信じられない。

「リッテンハイム侯自ら殿を務めるらしい。どうやら死ぬ気の様だな」
「死ぬ気? リッテンハイム侯がですか」
フロイライン・マリーンドルフが愕然とした表情でモニターを見ている。

「そうだ。敵の両翼は後退しつつあるが、リッテンハイム侯の本隊はむしろ前進しようとしている。こちらとしてはリッテンハイム侯に対応するためにはワーレン、ロイエンタールの支援が必要だ。つまり撤退する敵の両翼、四個艦隊を追うのはミッターマイヤー、ミュラーの二個艦隊になる」

フロイライン・マリーンドルフが戦術コンピュータのモニターを見ながら頷いている。
「つまり、効果的な追撃は出来ないと?」
「その通りだ」
「ですが、予備がミュラー提督に合流すれば」

「彼らが合流する頃には敵も合流するだろう。ミッターマイヤー提督が合流して兵力はようやく互角だ」
「ならば……」
彼女の言いたい事は分かる。互角ならば追撃するべきだと言うのだろう。だが今回はそれが出来ない。

「リッテンハイム侯は死ぬ気だ。艦隊の一部を分けてミュラー達の後ろを突かせるという事もありえる。そうなれば彼らは前後から攻撃を受けて大損害を受けるだろう。最悪の場合、勝利をひっくり返されかねない」
「!」

フロイライン・マリーンドルフが驚愕の表情で俺を見た。考えすぎかもしれない。しかしリッテンハイム侯は死ぬ気だ。今の侯ならどんな非常識な事でもやってのけるだろう。油断は出来ない。

「分かるかな、フロイライン。効果的な追撃は出来ない、してはならないのだ。ならば最初からリッテンハイム侯の包囲殲滅を狙うべきだろう。そしてそれこそがリッテンハイム侯の目論見だ。自らが犠牲となり四個艦隊を逃がそうとしている」

フロイライン・マリーンドルフが頷いた。戦闘には勝ちつつある、だが最後までリッテンハイム侯にしてやられたようだ。苦い勝利だ、こんな苦い勝利を味わうことも有るのか……。



帝国暦 488年  1月31日  3:00 リッテンハイム艦隊旗艦オストマルク  クラウス・フォン・ザッカート



「敵予備部隊、我が軍の後背を塞ぎます」
「そうか、ザッカート、一部隊を後方の防御にまわせ」
「はっ」

オペレータの緊迫した声が艦橋に響いた。これで我が軍は前後左右を全て敵に塞がれた事になった。状況は良くない、味方は既に二万隻を割り一万五千隻ほどになっている。だが指揮官席に座るリッテンハイム侯は動じる事も無く戦況を見、艦隊に指示を出している。

敵の総司令官、コルネリアス・ルッツは撤退する味方を追わず、こちらに戦力を集中してきた。もし味方を追撃するようなら乾坤一擲、こちらの一隊をもって敵の後ろを突き崩してやったのだが。そうなれば勝利の女神はどちらの腕を取るか未だ分からなかったはずだ。

派手さは無いが堅実で隙の無い用兵をする男だ。出来る事と出来ない事を見極めて出来る事を確実に行う、こういう男は手強い。総司令官に任命されたのもその堅実さを買われたのだろう。

「ザッカート、ノルデンとラーゲルは無事逃げたかな」
包囲される直前の事だが、リッテンハイム侯はノルデン少将、ラーゲル大将を艦から退去させた。顔面蒼白になって震えている二人にうんざりしたらしい。侯の二人に対する言葉は“興醒めだから出て行け”というものだった。

「さて、運が良ければ逃げたでしょうが」
「運が良ければか? この戦に加わったのだ、余り運は良さそうには見えぬな」
そう言うとリッテンハイム侯は笑い出した。全く同感だ、戦死したか、捕虜になったかだろう。

「ところでザッカート、味方はもう十分に逃げたか?」
「後三十分と言いたい所ですが、欲を言えばさらに一時間は欲しい所です」
俺の答えにリッテンハイム侯はまた笑い出した。

「一時間か? そいつは有り難いな。負け戦の楽しさがようやく分かってきたところだ。後二時間でも構わんぞ」

見事だ! 思わず笑い声が出た。八万隻、四倍以上の大軍に囲まれているのだ。後一時間持たせる事が至難の事だとは侯自身も分かっているだろう。その上でその言葉を言うか!

「惜しいですな、侯」
「ん、何がだ?」
「侯が軍人としての道を歩んでおられれば、天晴れ名将となられたでしょうに」

俺の言葉にリッテンハイム侯は少し驚いたような表情を見せたが直ぐ破顔した。
「卿に褒められるのは初めてだな。ますます負け戦が楽しくなってきたわ」

嬉しそうなリッテンハイム侯を見ながら思った。この内乱が始まるまでは正直主君としては物足りなかった。だが今なら迷う事無く忠誠を誓える。共に生きるのには不満な主君だったが、共に死ぬには不足の無い主君か、大神オーディンも味な事をするではないか!

リッテンハイム侯が楽しそうに指揮を執っている。俺が口を出すまでも無い、的確な指示だ。

五十年前、妻と出会った。爵位もない貧乏貴族、食うために軍人になった俺と男爵家の末娘、つりあう筈の無い男女だった。だが愛し合い、離れられぬと思ったとき、選ぶ道は死しかなかった。あの時、先代のリッテンハイム侯に偶然出会わなければ、俺達は心中していただろう。

先代リッテンハイム侯のとりなしにより俺達は一緒になる事が出来た。それからはがむしゃらに仕事をした。妻に相応しい男になるために、先代リッテンハイム侯の好意にこたえるために。そして二十八歳で将官になり、三十歳になる前に少将になった。ようやく妻にも楽をさせてやれる。人前に出ても恥ずかしい思いをさせずにすむ……。

そんな時に妻が病気になった。不治の病だった。俺は軍を退役し、彼女に残された時間を共に過ごした。それしか俺に出来る事は無かった。彼女の最後の言葉は“ごめんなさい”、“有難う”だった。

何故謝る? 謝るのは俺の方だ、お前に不自由な思いをさせ続けた。何故礼を言う? 礼を言うのも俺の方だ、お前が居たから俺はここまで這い上がる事が出来た。お前が居たから今の俺がある。

妻が死んだ後はリッテンハイム侯爵家に仕えた。妻を失った俺に残っているのはリッテンハイム侯爵家への恩返しだけだった。それだけが俺が生き続ける理由だった。それが無ければ俺は妻の後を追っていただろう。先代リッテンハイム侯は何も言わず俺を受け入れた……。

突然オストマルクに衝撃が走った。激しい震動に足をとられ横転する。強かに腰を打った。年寄りには結構きつい。
「左舷被弾」
オペレータが叫ぶように報告する姿が見えた。

「ザッカート! 大事無いか」
「何のこれしき、戦はこれからですぞ。寝てなどおれませんわ」
立ち上がりながら返した俺の答にリッテンハイム侯は大きな笑い声を上げた。

「その通りだ、ザッカート。これからが本当の勝負よ、奴らが根負けするまで戦ってやるわ」
意気軒昂に話す侯に俺は頷いた。その通りだ、その覚悟無くして負け戦は出来ん。

「被害状況を報告しろ、どうなっている」
「左舷に被弾しましたが、エンジン出力、航行、戦闘、いずれも支障ありません。それと各艦より司令部の安否を問う通信が入っております」
俺の問いにオペレータが答えた。大丈夫だ、まだ戦える。

オペレータの答えを聞いたリッテンハイム侯が指揮官席から立ち上がった。
「全艦に命令! ウィルヘルム・フォン・リッテンハイム三世は健在なり、怯むな、反撃せよ! 撤退する味方を援護するのだ!」



帝国暦 488年  1月31日  4:00 ルッツ艦隊旗艦 スキールニル  コルネリアス・ルッツ



リッテンハイム侯は頑強に抵抗している。既に侯の艦隊は一万隻を割っているが戦意は全く衰えていない。見事としか言いようが無い。味方を逃がすためとは言え此処まで戦う事は簡単なことではない。俺がその立場なら何処まで戦えたか……。

「参謀長、リッテンハイム侯との間に通信を開いてくれ」
「降伏を勧告されますか」
俺が頷くとヴェーラー参謀長はオペレータに敵との間に回線を繋ぐように命じた。

正面のスクリーンにリッテンハイム侯が映った。負傷しているらしい、頭部に包帯を巻いている。だが表情には笑みが、そして目には強い光が有る。簡単に降伏する男の表情ではない。気が重くなった。

「別働隊総司令官、コルネリアス・ルッツ大将です」
『うむ、ウィルヘルム・フォン・リッテンハイム侯爵だ』
「降伏していただきたい。そちらの味方は十分に距離を稼いだ。我等がこれから追撃しても追いつく事は出来ません。これ以上の戦は無用でしょう」
俺の言葉に侯はさして感銘を受けた様子は無かった。やはり簡単に降伏はしないようだ。

『卿の言う通りではあるが降伏は出来ぬな』
「何故です」
『一旦反逆した以上、頂点に立つか然らずんば死かだ。その覚悟は出来ている。降伏して生き延びるなど、卿は私を侮辱しているのか?』
「……」

そんなつもりは無い、しかしこれ以上の戦闘は無益なのだ。付き合わされるこちらの身にもなってもらいたい。殲滅戦など何処かで降伏してもらわなければ気が重いだけだ。スキールニルの艦橋の雰囲気は重苦しいものになっている。まるでこちらが負けているかのようだ。

『それに私は戦争を楽しんでいるのだ、降伏は出来ぬ。ルッツ提督、もう少し付き合ってもらおうか』
「しかし、それでは無駄に将兵が死ぬ事になりますぞ。将兵を救うのも指揮官の務めでは有りませんか」

俺の言葉にリッテンハイム侯は笑みを見せた。何処か困ったような、そして誇らしげな笑顔。
『部下達にはこれ以上私の道楽に付き合う必要は無い、降伏しろと言ったのだがな。皆最後まで付き合うと言い張る、困った事だ』
「馬鹿な……」

俺の言葉を聞いたリッテンハイム侯が悪戯を思いついたような表情を見せた。
『戦を止める方法が有るぞ、ルッツ提督』
「それは……」
『卿が降伏するのだ。そうなれば戦は終わる、考えてみるのだな』
リッテンハイム侯は笑い声を上げた。侯だけではない、敵の艦橋では皆が笑っている。

通信が切れた。スクリーンは何も映さなくなっている。やりきれない思いが胸に溢れる。何故こんな苦い勝利が有るのか。俺は本当に勝ったのか、もしかすると本当は負けているのではないのか。

「閣下」
フロイライン・マリーンドルフが気遣わしげな視線を俺に向けている。だがその視線でさえ煩わしかった。どうして放って置いてくれないのか。あえてその視線にも問いにも答えず何も映さないスクリーンだけを見ていた……。


戦闘は更に二時間続いた。リッテンハイム侯は戦死、降伏した艦は無かった。文字通り、リッテンハイム侯の艦隊は全滅した。キフォイザー星域の会戦は我が軍の勝利で終わった。


 
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