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小才子アルフ~悪魔のようなあいつの一生~

作者:菊池信輝
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第六話 仮面舞踏会だよミューゼル退治 その②

 
前書き
第六話です。
少年時代って難しいですね。頭で考えるより先に体が、心が反応して動いちゃいますから。
 

 
 「…なんということだ…」
 公式の記録に記されたセバスティアン・フォン・ミューゼルの惰弱ぶりは他人事ながら、事前に分かっていても憤りを禁じえないほどのものだった。
 武勲を立てて名誉にあずかったことがなく、少佐で退役し中佐への名誉進級で軍人生活を終わったことはいい。大佐への昇進を果たせず退役していく士官はいくらでもいる。
 問題は当主として、経営者としての部分そして父親としての部分だ。
 会社の経営はすでに楽なものでないのを通り越してはっきりと傾き、荘園は今年の初めには人手に渡り残る資産は古い屋敷だけ。しかも抵当権が複数付いている。
 さらにひどいことに手放したその荘園は妻クラリベルの結婚の持参金だった。騎士の誇りがある男なら、まず手放しはしない。父親としても長女アンネローゼのために婚約者を見つけてやることも嫡男ラインハルトの将来を考えて運動することもせずにいる。
 増えていくのは借金と酒量、過ぎていくのは時間だけ。
 予想を超えた醜態に最初は演技だった怒りは、書庫を出てホールへと歩を進める一歩ごとに大きくなり、ついには本物の激怒と化していた。
 「だから言わないことじゃない。彼の惰弱は平民にも陰で嘲笑われるほどなんだ。とても君のお手本になる男じゃない」
 「今回ばかりは君の忠告に従うべきだったな。アルノルトの助言がなかったら、僕は机に頭を打ち付けて自決していたかもしれない」 
 「君の家は経済的に余裕があることだし、ガントラム博士やダインハート隊長のように学問の道に進むのはどうだろう。アルフレットならきっと大成できるよ」
 「…ああ」
 ウェルナー・フォン・ガントラム博士は新型の核融合炉の開発で勲章を受章した物理学者、ダインハート隊長ことフリードリッヒ・フォン・ダインハートは辺境惑星の探検で知られる地理学者、いずれも『大帝の騎士』の家柄の当主だ。名前が虚弱で陰性の性格の輩の趣味の方面で聞き覚えがあるような気がする以外は、家格も本人の経歴も申し分ない。
 ブルーノの心からの勧めに俺は衝撃を受けた顔を隠すこともせずに頷いた。
 原作のグリルパルツァーもこんな感じで学問の道に進んだのだろうか?ふとそんな思考が浮かんだが、衝撃と本気の怒りに消耗した俺には好奇心を糧に頭脳を回転させる余裕などなかった。
 「リースリング先生は平民教育の主導者だ。君ならその道に進んでも名を成すことは間違いないだろう」
 「もう分かったって!」
 怒りをなだめようとしてか、俺が怒り狂って硬直している間に調べたと思しき名前を次々と挙げては同意を求めてくるブルーノを突き放すだけの精神的余裕を回復できたのはアルノルトと合流し、車に乗り込む直前のことだった。
 本気の怒りを『本気で怒っているフリ』に、『本気で怒っている演技』に移行させミューゼル潰しの作戦を練り上げるのは、ブルーノが俺の名前で借りてくれた偉人伝数冊に目を通し、天才フリューゲルの活躍するフットボール映画を見終わって屋敷に帰りついた時にもまだ不可能だった。
 実行に移せたのは家宰様──ロイエンタール男爵の勧めで翌日から一週間をブルーノの実家──クナップシュタイン男爵家の分家であるブルーノの実家は帝国騎士としても豊かな部類であり、荘園も持っている──の別荘で過ごしてからであった。
 そして、俺は気づいていなかった。
 少年期独特の熱血と正義感は俺の中に数日楽しく過ごしただけでは消えないほどの怒りを、制御することなど到底不可能な本物の怒りを刻み込んでいた。
 本物の怒り、俺自身の計画さえも捻じ曲げるほどの怒りを。

 
 「驚きました。大帝の騎士の家がここまで落ちぶれていようとは。正直、がっかりです」
 登山とフットボールと釣りの日々を終えて屋敷に帰り、休養を勧めてくれた家宰様のところに挨拶に──ミューゼル家への憎しみを植え付けに──出向いたときも、俺の中に本気の怒りのかけらは残っていたようだ。俺は自分がブルーノはもちろん、家宰様の従者のヘスラーがのけぞるほどの声を出したことに驚いていた。
 「驚くほどのことではないよ、アルフレット君。騎士の血は名門の血には及ばない。零落する者がいてもおかしくはないさ。惜しい事ではあるがね」
 思わず大声を出してしまった俺に家宰様は軽く笑って言った。
 「…しかし…あの惰弱はひどすぎます」
 怒りに続いて口をついて出てきた反論の言葉にも、俺は驚愕を禁じえなかった。これも少年時代に特有の衝動なのか。あるいは悪魔の悪戯か。
 「…家宰さまのお力で救うことはできないものでしょうか。家宰さまもかつては同じ『大帝の騎士』、騎士の誼で」
 考える間にも、俺の口は灼熱する心の命じるままに言葉を紡ぎだしていた。
 少年特有の同情心が湧きあがってくるのを感じて、俺は慌てて心に制動をかけようとした。まずい。これでは憎しみではなく同情を植え付けてしまう。話の方向性を変えなければ。だが、後ろ暗い企みの力では少年の体に流れる熱い血を、正義感を止めることはできなかった。
 「君にはミューゼル家に肩入れする理由はないはずだがね…」
 「亡きご先代が、ご令嬢がお気の毒です」
 またしても声を大きくして、俺は言っていた。
 「セバスティアンの息子に決闘を申し込まれそうなことを言う…正直言って難しいな。セバスティアンとは古い知り合いではあるが、彼はおよそ経済人として向いているとは言えなかった。もっと堅実な生き方を選ぶべき男だった」
 「……」
 正義感と同情心の赴くままに言葉を吐き出した後、呼吸を整えながら俺は自分の言葉の引き起こした現象を前に愕然としていた。取り返しのつかないことを言ってしまった。
 動揺を押し殺そうと懸命の努力を続ける俺の前で、家宰様は少年の純粋な心に心動かされたという表情でしばらく沈黙していた。
 「援助は申し出てみよう。受け入れるかはセバスティアン次第だが」
 俺とブルーノに微笑みかけた家宰様の口から出てきた言葉は、俺の計画の崩壊を意味するものだった。
 俺の馬鹿。
 敵を援助するのは馬鹿のすることだぞ、情にほだされて敵を助ければ、生きのびた敵はいつかお前を殺しにやってくる…。
 家宰様の温かい微笑みとブルーノのしょうがないなという笑顔を前に、俺は感情を制御することに失敗した自分の弱さを責め続けた。
 『失望の痛みと激情に』うつむいたままの俺に、家宰様は温かく言葉をかけてくれた。
 「『大帝の騎士』だけでなく新進の帝国騎士にも、模範とすべき人物は多くいる。フォン・ワイツやフォン・シェーンコップは君のいいお手本になるだろう。私などより遥かにね」
 「フォン・ワイツはリヒテンラーデ閣下の秘書官だ。フォン・シェーンコップはベーネミュンデ館の執事」
 家宰様の言葉も、ブルーノの解説も救いにならなかったのはもちろん言うまでもない。
 そいつら結局、ラインハルトに殺されてるじゃないか。
 保険を、第二計画に落とした当初の人生計画を発動すべきだろうか…。
 後ろ向きの考えが頭をよぎる。
 「ありがとうございます、家宰様」
 『痛みの癒えぬ』俺はブルーノに倣ってそう言うのがやっとだった。
 『青春だねえ、うんうん』
 窓の外に酒瓶からウイスキーをラッパ飲みするタキシード姿の悪魔を見つけても、怒りの視線を投げつける気力もなかった。
 
 

 
後書き
潰すはずの相手に同情してしまったアルフ、計画は崩れたぞさあどうする。 
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