| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

ローゼンリッター回想録 ~血塗られた薔薇と青春~

作者:akamine0806
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

第10章 エル・ファシル掃討作戦 後編 ④ 虐殺の先にあったもの

 宇宙歴793年 4月22日
エル・ファシル掃討作戦派遣軍総司令官 マック・エベンス大将はエル・ファシル掃討作戦で最大の激戦地の一つであり、最後の帝国軍抵抗拠点であった北部大陸第2中枢都市ベルクホーフで掃討作戦終了を宣言した。
ローゼンリッター連隊は殊勲部隊の一つとしてその宣言式典に装甲服着用の上参加を命じられた。
我々がいた南部大陸から北部大陸までは航空機で約12時間であった。
しかし、ベルクホーフ付近の大型機離発着可能航空基地は同盟軍と帝国軍の血を血で洗う激戦によって使用不可能となってしまっていた。
そのため、船で行く羽目になってしまった。
同盟軍は独自の水上作戦部隊を持っていない。
そういったこともあり、民間の惑星内水上輸送網に頼らざるを得なかった。

ここで同盟軍の軍事編成の少しふれておきたい。
同盟軍部隊の基本編成は宇宙艦隊を基盤としている。
この宇宙艦隊の下には宇宙作戦部隊および地上作戦部隊が置かれる。
そのため艦隊司令官は生粋の戦艦乗りでも軍歴の約3分の1は地上作戦部隊での勤務が必修とされる。

今からは地上作戦部隊を主にして書きたいと思う。
地上作戦部隊は艦隊・分艦隊・戦隊に置かれている。
艦隊(司令官:中将)の地上作戦部隊の作戦単位は師団である。
ただし、この師団は通常、遠征陸戦師団と呼ばれ3個遠征陸戦旅団の地上部隊と宇宙部隊を持つ。通常の師団は5個旅団で1個師団であるため遠征陸戦師団はそれと比して小規模である。そのため師団長は少将が務める。
艦隊の次の作戦単位である分艦隊(司令官:少将)には遠征陸戦旅団が置かれる。
これも同じく通常の旅団と異なり通常は5個連隊編成を取るが4個連隊編成となっている。
そのため、遠征陸戦旅団司令官は准将となっている。
分艦隊の次の作戦単位の戦隊(司令官:准将)には遠征陸戦連隊戦闘団がおかれる
この地上作戦部隊は旅団以下の作戦単位でこれのみが自立した作戦を行える
例えば、戦隊が中心となった任務部隊が編成された時など戦隊で作戦行動を起こす時にこれは一番効力を発揮する。
遠征陸戦連隊戦闘団は3個遠征陸戦大隊を中心として宇宙・航空部隊も持つため指揮官は中佐が任命される。
通常の連隊長は大佐であるがその指揮下には5個大隊がいるのでこういう編成となっている。
それ以下の作戦単位の群・隊には常備陸戦部隊はない
臨時陸戦隊として数個遠征陸戦大隊が付与されるが、そういう場合は惑星奪還作戦や奪取作戦、海賊掃討作戦の時であり主に予備役部隊が投入される。
また、艦隊直轄の地上作戦部隊として艦隊特別陸戦隊と特殊強襲揚陸白兵戦連隊がある。
艦隊特別陸戦隊は3個連隊編成で司令官は准将が務める。
この部隊の特色は即応展開部隊であること。
艦隊特別陸戦隊は24時間待機即応体制を持ち、地上戦発生の際は艦隊の緊急展開部隊の一部隊として派兵される。
そういった任務の性質上1個艦隊には3個艦隊特別陸戦隊が配備されローテーションで即応体制をとる。
特殊強襲揚陸白兵戦連隊は書いて字の通り特殊作戦部隊である。
艦隊の司令部を直接押さえる強襲揚陸作戦をはじめ地上作戦部隊の中で最も精強であることを常に求められる。
ローゼンリッター連隊はこの部隊である。
この部隊は単体で敵地長期投入が可能とされるため4個遠征陸戦大隊が中心として宇宙・航空部隊を持つので指揮官は大佐である。
これらの地上作戦部隊にはそれぞれ陸戦部隊を主として、航空作戦部隊をと宇宙作戦部隊を持つ。
しかし、水上作戦部隊は持っていない。
約1世紀前の編成にはあったのだが、宇宙艦艇が水上での作戦(強襲上陸・海上輸送等)は代替可能とされたため宇宙歴684年の軍制改革で水上部隊は陸戦部隊に取り込まれていった。
そのため、海から陸をたたく強襲揚陸だけに関して言えば水上強襲揚陸支援隊がある。
しかし、そういった作戦はほとんど起きないためほとんど民生支援部隊として活躍していた。

民間輸送船舶で2日かかって到着した。
船の中でニコールとはほぼ毎日テレビ電話で話せた。
ニコールは4月21日に軍医特修課程を修了し、ハイネセン第2衛生軍医士官学校を次席で卒業した。
晴れて彼女は軍医中尉に任官した。
所属はハイネセン同盟軍中央病院救命救急室長付だそうだ。
軍中央病院は軍病院の中でも押しも押されぬエリート軍医が集中するところであった。
掃討作戦派遣部隊は7日後に一部治安維持兵力を残してエル・ファシルを離れることになっていた。
第2攻撃任務群(司令官 アル・サレム中将)と第1攻撃任務群(司令官 ヒュー・エリック中将)は最も最初に派遣されていたため引き揚げ第1陣となっていた。
エル・ファシル掃討作戦派遣軍の名で派遣された部隊は20個師団、14個旅団、2個艦隊にも及んだ。
戦死・行方不明者は約6万4000名
民間人の被害はその約2倍とされた。
一方、帝国軍は10個歩兵師団、7個山岳師団、12個擲弾装甲兵師団のほとんどが壊滅。
帝国軍は部隊が全滅するまで激しく抵抗を続けた。
総司令官コーネル・フォン・マンシュタイン大将はベルクホーフにある山岳基地内で最期を遂げた。
大将は司令部要員の安全を同盟軍に保障させてから自殺したそうである。
大将の遺体はそこを包囲していた第101山岳師団によって回収された。

掃討作戦派遣軍総司令部はベルクホーフにあった。
そこには同盟・帝国相互交戦規定第91条に基づき降伏した捕虜送還者が収容されていた。
彼らの扱いは捕虜ではあるがある程度の自由は許されていた。
当然面会もである。
そういうこともあり、式典前日に私はマースト・フォン・シュナイダー帝国軍中佐に会いに行った。
彼は航空基地攻略作戦時に捕虜にした士官である。
私はどうしても彼のことが気になってしょうがなかった。
というのも、死んだ父に非常に似ているからであった。
可能性として、生き別れた兄である可能性が高かったのだ。

4月21日 第3捕虜収容所
警備兵にIDを見せて収容所の面会室に通される。
面会室といってもテーブルとイスがあり、コーヒーメイカーがあり、メモ帳などもある部屋だった。
私の向かいに座ったのはマースト・フォン・シュナイダー中佐であった。
中佐は敬礼して
「久しぶりですね。
エーリッヒ・フォン・シュナイダー中尉」
と流暢な同盟語で返してきた。
私も敬礼を返した。
面会時間は30分と決められていたので単刀直入に話に入った。
「中佐。
さっそくですが、あなたのお父様はエルビィン・フォン・シュナイダー帝国軍准将ですか?」
と聞いた。
彼は一瞬顔をひきつらせたがすぐに、微笑みながら
「少し違いますね。
父は帝国軍准将ではなく帝国軍中将です。
エルビィン・フォン・シュナイダー帝国軍中将です。」
私はもはや抑えられなかった。
涙があふれてあふれてどうしようもなかった
すると、中佐は
「中尉。
私はずっと君に逢いたかった。
今こうして敵味方になっているが、あえて本当に良かった。」
と涙ぐみながら言ってきた。
私は
「本当に貴官は私の兄なのですね?」
と聞いたら中佐は
「そうだ。私は君の兄だ。」
と返してきた。
その後、死んだ父の話や兄が帝国軍に連れ去られたのちの話などを話してくれた。
面会時間はあっという間に過ぎ、警備兵の1等兵が呼びに来るまで我々は兄弟であった。
現実はそう甘くはなかった。
兄の服装は帝国軍中佐の軍服であり、私も同盟軍中尉の制服である。
お互いに敬礼をして、帝国語で互いの武運と幸運を祈り、その場ではわかれた。
いろいろと複雑な心境のまま私は宿舎に向かった。

翌日 ベルクホーフ駐屯地にて掃討作戦終了宣言がなされた。
壇上に体格の良い初老の男性将官が立つ。
彼はエル・ファシル掃討作戦派遣軍総司令官マック・エベンス大将
エベンス大将は同盟軍内では彼ほど治安維持作戦に長けた者はいないと称されるほどの士官である。
士官学校卒業後、憲兵士官としてキャリアをスタートした彼は第1艦隊憲兵隊の中で汚職・集団暴行等の不正を摘発・防止することに成功し、また陸戦憲兵隊勤務時には奪還した惑星における治安維持作戦で奪還後わずか1週間で治安を回復するなどなど憲兵士官としては超一流であった。
また、陸戦士官としても勇猛果敢であるらしく大尉であったときには所属司令部が帝国軍特殊部隊によって攻撃されて、警備部隊が慌てふためく中自らトマホークを持って巧みな指揮統率でそれを包囲・撃滅し、中佐の時には歩兵大隊指揮官、大佐の時には第199装甲白兵戦連隊戦闘団指揮官を務めいずれでもそれなりの戦果を挙げていた。
しかし、大将の手法は見方によっては賛否が分かれたものだった。
確かに、短期に作戦は終了するのだが作戦対象外のものまで影響が及ぶのだ。
今回では、民間人であった。
民間人への民生支援も迅速に行われたが、エベンス大将の前の総司令官であったハンナ・ルーシ大将が後方支援士官出身ということもあり結構民生支援を厚くやっていたのを半減させたり、民間人地区の警備体制をきつくしすぎたこと、行政体制が崩壊していると判断した行政には軍司令部から政治担当士官を送り込むなど、民主主義を考慮に入れないことをやってのけたために民間人からは反発が出ていた。
もともと、エル・ファシル自体がリベラルな考えを持つ人々が多くこういった軍が軍事以外に干渉してくるのを非常に嫌がった。
特に問題だったのが、避難民の一時居住場所であった。
仮設住宅自体の数は問題ないのだが、居住スペースがなかった。
そのため、軍はエベンス大将の命令で旧スラム街を強制的に撤去し、そこに作られた仮設住宅に一般の避難民もスラムの人々も住まわせようとした。
これに猛反発を示した一般避難民の代表の一部が暴徒化し、総司令部を襲撃してきた。
当然これをやり過ごした大将は自ら出向き、自ら彼らを説得した。
それでも、不満を持つ一部は大将でも思いつかない方向に走った。
それは
帝国残党軍への協力である。
気がふれたのか、それともたんる軍への反発なのか、帝国軍工作員の仕業なのかはいまだに不明であるが、その仮設住宅地区でのテロが横行した。
これを知った大将は徹底的な治安作戦に出た。
一軒一軒の仮設住宅に抜き打ち調査に入り、帝国軍との関係性のあるものは即行で収容所へ送られ拷問こそなかったといわれるものの徹底した取り調べを受けた。
この取り調べをもとに大将はエル・ファシル出身の民間人と予備役兵で編成される「第1エル・ファシル予備役軽歩兵連隊」とそれを訓練した特殊部隊による掃討作戦を展開し、そこでは捕虜を取ることない徹底した掃討作戦という名の虐殺が行われた。
そういうこともあり、都市部に潜む帝国軍も激しく抵抗したが作戦開始からわずか1か月後には治安は収束した。
この一連の治安作戦での同盟軍特殊部隊と「第1エル・ファシル予備役軽歩連隊」の戦死者72名に対し帝国軍は700人以上、帝国軍に協力した民間人が400人以上殺害されたといわれている。
この徹底さは民間人の過激左派の反発を一層招くもととなり、「エル・ファシル急進左派集団」と憲兵隊にマークされているテロ組織の公表した暗殺者リストの中の1位にエベンス大将は入っていた。
それを見た大将は一笑に付し、記者会見で
「いつでもかかってこい。いつでも相手してやる。」
と豪語したため一層事態は深刻になっていた。

そういったこともありベルクホーフ駐屯地は厳戒態勢であった。
大将は何も見ずに演説を始めた。
彼は部下たちからの信認は非常に篤い。
指揮統率能力・作戦立案能力・部下の面倒見がよいこともそうだが何よりも演説が短いのである。
最短記録は第22方面軍憲兵隊司令就任時の演説で2分31秒であったという。

しかし、もっと短い記録を持つ人物がいる。
それは第20機甲師団 師団長代理 ジョンソン・ダールキスト准将である。
それも、0秒
第5戦車中隊指揮官代理のカレン・ヨハスン少尉と士官学校2期上の師団後方支援幕僚であったマレン・ジョンソン大尉から聞いた話によると
ダールキスト准将は師団が担当戦区の掃討作戦を完了したのちに師団観閲式を行ったそうである。
師団に所属するのは第122装甲軽歩兵旅団、123,124,125そして第126機甲旅団であった。
しかし、広々とした観閲式演習場には約2個旅団程度の隊員しかいなかった。
それにカレン少尉の所属する第126機甲旅団に至っては1個連隊もいなかった。
当然観閲式の際は穴だらけで明らかにおかしいに決まっていた。
第126機甲旅団長代理であった第12戦車連隊指揮官 アレク・マッカートニー大佐は
「あの禿鷹野郎にそれを見せてやれ。」
と言ってわざわざ通常通りの並び方をさせた。
ほかの旅団もそれに同意し、当日の入場行進後の整列は異様であったとカレン少尉は話していた。
新聞になっていたので写真を見たが、それはまあという悲惨さであった。
虫食い状態の騒ぎではなかった
戦車を装備しているとはいえ、全員徒歩での入場だったが明らかに穴が開きすぎなのだ。
これを見たダールキスト准将は怒り狂って、師団参謀長代理 ムスタファ・レーム大佐に「何事か」と食らいついた。
もともとレーム大佐は第123機甲旅団第9戦車連隊指揮官であったが、第9戦車連隊の隊員が約1個中隊で行進していくのを見て
「この場にいない隊員は全員戦死しました。」
と自分の率いた連隊員たちのの背中を見送りながら涙をこらえて返したそうだ。
それに言葉を失った、准将はそのあとの観閲式進行役に命じて演説を取り消そうとしたが、進行役はあえてそれを無視したらしい。
もうめちゃくちゃだ。
壇上に上がった准将は恐怖で震える手で敬礼をしながら師団の恨みを一身に受けて何もしゃべらずに降りてしまった。

そんなことを思い出しながら壇上で大将が話し始める。
「ここに今日集まった将兵諸君!・・・」
とはじまったが噂通りで、ものの1分だったがかなり中身の濃いことを言って演説は終わった。
そこから、殊勲部隊表彰等ののちに退場行進をして式典は終了となった。
しかし、そこであの事件は起きた。
我々は待機室となっていた小屋で装甲服を脱ごうとしたまさにその時だった!
いきなり、警報音とともに
「敵襲!敵襲!
ただちに全警備部隊は駐屯地司令部へ迎え!
繰り返す…」
といった感じだった。
その場でヴァーンシャッフェ大佐とシェーンコップ中佐が直にすぐ手前にいた第3中隊2個小隊と第1中隊2個小隊で現場に向かった。
司令部はそこから10分程度歩いたところにあった。
そこへ着くと周囲は警備歩兵部隊が装甲車を盾に包囲していた。
ヴァーンシャッフェ大佐の命令で私は第3小隊を伴って司令部建屋西側へ回ることとなった。
包囲していたのは第9艦隊第902戦術航空団第197警備大隊であった。
指揮官はラスコー・グリューネマン少佐
少佐から状況をその場で説明された

まず、式典終了後司令部幕僚を伴って司令部に帰ってきた大将を報道陣が取り囲んだそうだ。
まあこれはいつものことで特別警戒していなかったそうだ。
しかし、報道陣の中に明らかに様子のおかしいやつが一人いた。
そいつは同盟軍大尉の服装をしていた。
しかし、明らかに顔に緊張がみなぎりポケットに突っ込まれた手は明らかに何かを握っており、目線は大将を刺殺さんばかりに睨み付けていた。
警備兵の一人が気付いて両サイドから1名ずつ接近したところそいつはいきなりポケットからM-769ブラスターを取り出して
「銀河帝国万歳!」
と言って大将に向かって放ったそうだ。
警備兵は反射的にそいつを射殺したが、報道陣の中にいた2,3人が同じくブラスターを出して大将を羽交い絞めにして人質にしてしまったのだ。
第1射目は外れたものの、大将を人質にした奴らは周囲にいた司令部幕僚を6人も打ち殺しやがった。
その中にはこのエル・ファシル掃討作戦において「北部大陸の英雄」と言われたエル・ファシル掃討作戦派遣軍参謀長ロバート・シューリーマン中将、その右腕と称されたエル・ファシル掃討作戦派遣軍作戦部長ローザ・ロス大佐、後方支援部長グレン・マリネスク准将がいた。
大将を羽交い絞めにする奴らと警備兵との間で緊迫した空気が流れたときだった
報道陣の奴ら全員がブラスターを抜いて威嚇しながら大将を盾に司令部内にいた司令部要員30名を盾に立てこもったのだ!
つまり報道陣というのは全くの仮面であったのだ。
基地警備部隊の気が緩んでいたとしか考えられない失態であった。
立てこもる奴らの要求は帝国領への安全な帰還。それだけである。
特殊作戦コマンドは現在掃討作戦が完了し、民事支援作戦と並行した治安維持作戦がいまだに続く東部大陸と南部大陸にいる。
そのため、特殊作戦技能認定を持つ部隊はローゼンリッターしかいなかった。
であるから、我々に期待された任務は当然人質の奪還と状況打開であった。

包囲開始から10分後
ヴァーンシャッフェ大佐は強行突入を命じた。
作戦は単純そのもので1階の窓ガラスから割って入って、突入 人質の確保を行うだけであった。
シェーンコップ中佐は
「もっと、穏やかに、鮮やかにやりましょう
人質に危害が加わる可能性がありますし、
ただの突入では何とも芸がないですな。」
といったのに対して大佐は怒り狂って、中佐を現場総指揮において自分は駐屯地警備指揮に行ってしまったという。
なんと無責任なことか
と思わずにはいられなかったが、中佐は自分のトマホークを見ながら
「人には向き不向きがあるからなあ」
と意味ありげなにやにやをしていた。
そういうとブルームハルト大尉のほうを向いて
「用意は?」
大尉はにやにやしながら
「もちろん。」
と言って上を指差した。

それから5分後
我々はUH-90中型ヘリの中にいた
近接する第103航空基地から第3中隊と第1中隊の合計15名の自由降下資格を持った隊員たちが選抜されそこから離陸した。
シェーンコップ中佐が
「降下開始!」
といった瞬間に一斉に降下口に走って一気に身を投げだした!
装甲服が風を切る
落下傘開傘はぎりぎりまで待つ
あらかじめの打ち合わせで開傘高度は決める余裕がなかったので各自の裁量で開くことになっていた。
私は着地まで余裕を持たせなくても降下できる自信があったので結構遅めに開いた。
開傘レバーを思いっきり引くとかなりの衝撃でパラシュートが開く
約20m斜め前にはブルームハルト大尉がいた。
調節用のひもを引きながら徐々に目標である「司令部屋上」へ接近する。
その時は西風が強く、結構あおられた
そのため降下した15名のうち2名は着地を断念せざるを得なかった。
それでも、13名は何とか着地した。
私は3番目に着地したのでパラシュートを外して警戒に当たる
屋上の扉では工兵チームが爆破の用意をしていた。
我々の突入と同時にグリューネマン少佐の指揮する大隊とローゼンリッターが突入する。
シェーンコップ中佐が少佐と通信しながらタイミングを計る。
着地してからたったの5分程度であったがかなり長く感じられた。
そして
「突入開始!」
とシェーンコップ中佐が言った瞬間に扉が吹き飛ばされた
ネルソン・アンドロポフ准尉を先頭に一気に階段を駆け下りる。
大将が人質にとられているのは3階の駐屯地司令室という見当はついていたので途中の5,4階には目もくれずに突入する。
3階の扉の前でアンドロポフ准尉が扉をけ破るなりスタンドグレネードを投擲する。
爆発が収まるなり、シェーンコップ中佐とアンドロポフ准尉を先頭に一気に侵入する。
私もそのあとに続いた
シェーンコップ中佐は一気に5人の擲弾装甲兵の間に割って入って一瞬のうちに全員を切り倒した。
それを横目で見ながら私も駐屯地司令室へ向かう通路に立ちはだかる擲弾装甲兵を右に左になぎ倒す。
5人目を倒したところで目の前に一人の擲弾装甲兵が立ちはだかった。
奴の足元にはアンドロポフ准尉とエルンスト・ハイネ軍曹の無残に切り殺された死体が転がっていた。
アンドロポフ准尉・ハイネ軍曹ともに上級白兵戦資格を持つ兵士だった。
奴からは異常な殺気が漂いただならぬ予感がした。
後ろからシェーンコップ中佐がぬっと、前にでてきて前を見ながら言った
「奴は俺に任せろ。
その間に回り込め。
大将救出の功はくれてやる。」
私は何か言おうとしたが、中佐は奴へ一気に切り込んでいき壮絶な白兵戦が繰り広げられていた。
私は3名の兵士を引き抜いて別の通路から向かった。
どうやら一連の白兵戦でこの階にいた敵の侵入部隊は壊滅したらしく、駐屯地司令室まではすんなりと行けた。
司令室の扉は閉まっていた。
いきなりあけて何かあってもいけないのでチューブカメラを下からとおして中をうかがう。
中には大将とその隣に1名の若い兵士と銃を持った擲弾装甲兵が2人いた。
正攻法で攻める以外に方法がなかったので、実行に移した。
扉に爆発物はついていないことは分かっていたので、思いっきり扉を蹴破った
そして、ロイシュナー軍曹がスタンドグレネードを投擲
中で爆発音
そのまま私はブラスターを引き抜いて突入した。
中に入ると擲弾装甲兵たちはまぶしさのあまり周囲が見えないままトマホークを振り回していた。
私は早打ちでそれに射撃を加え、大将の隣にいた若い兵士の頭部を打ち抜いて制圧を完了した。
大将は
「ご苦労。」
とひとこといったまま疲れた顔をしていた。
我々は大将の身柄を確保して、シェーンコップ中佐のところへ急いだ。
中佐のところへ行くと、肩から斜め右へトマホークで切り裂かれた後のある擲弾装甲兵が転がっていた。
中佐は私を見て
「どうやら奴らが、例の残虐事件をやってたらしい。」
と言ってコンバットナイフを見せた。
そのコンバットナイフの持ち手には横一列に50個近い規則的に並んだ傷痕がついていた。
よくわからなかったが、隣にいたリンツ大尉が捕虜1名を見ながら
「こいつらは同盟軍捕虜に虐待を加えて楽しんでたんだそうだ
こいつが白状した
そのコンバットナイフの傷はこいつらがそれで殺した同盟兵の数だ」
と言って、奴をにらみつける。
大尉は加えて
「その1つにお前の友人の中佐も入ってる」
といった瞬間にヒロキ・ルブルック中佐(戦死後2階級昇進)の顔が浮かんだ
しばらくの沈黙ののち私は
「そうですか」
とつぶやいてシェーンコップ中佐に大将確保を申告した。
あまりルブルック中佐のことは思い出したくなかった
その後、下の階を制圧していたグリューネマン少佐の部隊と合流後、私にとってのエル・ファシル掃討作戦の最後の流血は終わった。
それから1週間後、エル・ファシル掃討作戦派遣軍は撤退を開始した。
この後の治安回復・維持作戦は第101空中強襲師団・第199機甲師団・第188.183山岳師団・第91後方支援集団と第9方面軍後方支援集団を基幹とするエル・ファシル治安維持軍が担うこととなった。

私の兄であるマースト・フォン・シュナイダー帝国軍中佐はフェザーン経由で帝国へ帰った。
帰り際に兄は
「今度会うときはおそらく戦場だ。
その時まで達者でな。
それと」
と言ってポケットからごそごそとあるペンダントを渡してくれた。
見ると、そこには父と母そして幼かった頃の兄と赤ん坊の私がいた。
兄は
「俺にはもう一個これがある。
お前にこれをやる。
シュナイダー。必ず生き残ろう。
生き残ってこの不毛な戦争を終わらせよう。
それまで生き残るんだ。父さんと母さんのためにもな。」
と言って敬礼をしてきた。
私も敬礼を返して兄はこちらを振り返ることなくシャトルへ向かった。
私たちは5月7日にハイネセンに到着した。
到着ロビーには軍・民問わずいろんな人々が帰りを待っていた。
私は大将の救出作戦ののちに第1級戦功勲章を授与され、先にもらったブロンズスター勲章とエル・ファシル掃討作戦従軍章を胸につけてシャトルを降りた。
第3中隊もここから2週間休暇に入る。
つかの間の休息になるのかそれとも緊急招集を食らって消えるほど軟な休暇なのかは検討がつかなかったがとにもかくにも休暇であった。
ニコール軍医中尉はハイネセン勤務なので少しは一緒にいられそうだ。
到着ロビーを出るなりニコールを探す。
きょろきょろ見渡すとニコールを見つけた。
向こうも探しているようだった。
そのまま人ごみをかき分けて直進していく
向こうも気づいたようだ。
そのまま、一気に現実を忘れるためニコールのもとへ走った。
 
こうして私にとっても同盟軍にとってもつらく血みどろなエル・ファシル掃討作戦は終わった。
宇宙歴793年5月7日のことである 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧