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藤崎京之介怪異譚

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外伝「鈍色のキャンパス」
  VI.Menuett

 
前書き


 一条の光さえ見いだせない闇が踊る。

 アウフタクトで始まるこの曲は耳障りで、とても音楽とは思えない。

 だが…それは紛れもない音楽なのだ…。


 

 

 学内は騒然としていた。
「椎名教授、一体何があったんですか?」
 俺はオルガンを宮下教授と大西教授に任せ、田邊君と共に大ホールを出ていた。その時、椎名教授が偶然通り掛かったため、俺は教授を呼び止めて問ったのだった。
「私にもよく分からんのだ。私は弦楽器の手入れをしていたのだが、突然端から弦が切れてしまってな…今から足りない弦を買いに行くところなんだよ。私が気付いた時には、もうこの有り様でね。」
「弦が…端から?」
「練習用の弦楽器の大半は切れてしまった。こんなことは今まで一度も無かったんだが…。」
 そう椎名教授が話してくれたと思ったら、今度はピアノの有川教授とフルートの庄司教授が血相を変えて走ってきた。
「どうされたんですか?」
 椎名教授は慌てて二人を呼び止めた。この二人の教授が廊下を走るなんて、普通では考えられないからだ…。
 呼び止められた二人は困惑した表情を見せ、椎名教授へと答えを返した。
「ピアノの弦が全て切れたのよ…。練習用のスピネットからコンサート用のグランドピアノまで…。替えの弦が全く足りないから、これから調律師の草岡さんに連絡するところなのよ…。」
「こっちはフルートからオーボエまで…木管の殆んどに罅が入っちゃってて…。これから理事長のとこへ相談しに行くの。まさか…椎名教授も何か…?」
 問い返された椎名教授は溜め息を洩らし、「実は…そうなんです…。」と答えたのだった。
 教授達が互いにどうしたものかと考えている最中も、周囲はバタバタと誰かしら走り回っていた。恐らく…大半の楽器に異常が見付かっているのだろう…。
 そんな中、俺の後ろに着いていた田邊君が口を開いた。
「僕が意見するのもどうかと思ったんですが、一旦全員外へ出た方が宜しいのでは?管楽器に罅が入ったり弦が切れたりなんて…もしかしたら外圧と内圧のバランスが崩れてるのかも知れません。普通では有り得ないことですが、もしそうだとしたら人にも建物にも影響が出ますので。」
 それを聞くや、三人の教授は目を丸くした。どうみても小学生な子供が、学者の様なことを言っているのだから…。
「君…一体誰だね?」
 椎名教授がそう問うと、田邊君は一歩前に出て言った。
「失礼しました。僕は田邊陸と申します。父が建設業を営んでおりまして、つい口を出してしまいました。」
 田邊君がそう自己紹介すると、その場にいた全員が顔を強張らせた。
「まさか…あの田邊建設の…?」
「はい。父をご存知でしたか。」
「ご存知も何も…この大学は先代の田邊社長が天宮グループと一緒に建てたんだ。」
 そう…田邊建設は六代続く歴史ある建設業者だ。現在社長の修一氏もかなり名の知れた人物で、先に出た天宮グループと組んで幾つかのプロジェクトを立ち上げている。
 まさか…その子息がこんなとこに来てるなんて、誰も想像してなかった…。
「田邊君…なぜそれを最初に言ってくれなかったんだい…?」
 俺が溜め息混じりに問うと、田邊君は済まなそうに返してきた。
「申し訳ありません。父の名を出すと、必ず相手の態度が変わるので…あまり言いたくはないんです。勿論、両親を愛してはいますが、親の七光りで何かを得たくはないんです。」
 田邊君の態度に、一同は目を丸くした。慌てふためく俺達よりも、この目の前の子供の方が大人に見えたからだ…。
 彼がどんな風に育てられたのかは分からない。ただ、この歳で自立心があるのは、親がそう育てたからだろう。単に甘やかすのでなく、かといって厳し過ぎず…これが難しいのだ。
 田邊君の両親に面識はなく、無論どんな人物かも噂程度にしか知らない。だが、田邊君の両親は彼を大切に思っているであろうことは伝わる。しかし、ここでそんなことを考えている余裕はないのだ。
「彼の言う通り、一先ず学内から人を出しましょう。何かあってからでは遅いですし…。」
 有川教授が椎名教授へそう言うと、椎名教授は少し考えてから口を開いた。
「そうですね…。では、私は理事長の所へ話に行きますから、有川教授は許可が降り次第、学内放送で指示を出して下さい。庄司教授は他の教授達にこのことを伝えて協力を求めて下さい。」
 椎名教授がそう告げると、二人の教授は共に「分かりました。」と返し、直ぐ様その場を離れたのだった。
 二人が去ってから、椎名教授は俺達へと振り返って言った。
「藤崎君、君は田邊君を連れて直ぐに出なさい。放送が入れば慌ただしくなるから。」
「分かりました。ですが一旦サークルの方へ行き、全員で外へ出るようにします。」
「そうか…では急いでくれ。私はこれから理事長室に行くから。」
 そう言うや、椎名教授は足早に立ち去ったため、俺と田邊君はサークルへと向かったら。
 暫くしてそこに着くと、そこには七人の仲間が顔を揃えていた。だが、やはりいつもと様子が違っていた。
「京、困ったことになってんだよ…。」
 俺が入るや、開口一番にそう言ったのは鈴木だ。その手にしていたのはヴァイオリンだが、その四本の弦は全て切れているようだった。
「分かってるよ。弦は切れて管には罅が入ってるんだろ?」
「…何で分かるんだ?」
 鈴木は俺の言葉に首を傾げた。
「ここだけじゃなく、学内中それで騒がしくなってるからな。」
 俺はそう鈴木に返すと、今度は皆を見回してから言った。
「皆、建物自体に問題が起きてる可能性もあるって話だから、全員外へ出るよう言われてる。そろそろ学内放送が入るだろうから、早く出る用意をしてくれ。」
 そう俺が言うと、皆は互いに顔を見合せ、早々に支度を整えた。
 俺達はその場を離れると、直ぐに中央棟に続く渡り廊下へと向かった。そこから外へ出るには、中央棟からエレベーターを使って降りた方が早いのだ。
 そうして歩いている時、河内は田邊君を見て彼へと話掛けた。
「君…田邊建設の御子息じゃないか?」
「はい、そうですが…よくご存知ですね。」
「いや、以前テレビでね。一度父親と一緒に出てただろ?それで見覚えがあったんだ。」
「あれは成り行き上、仕方無く…。」
 この二人は何とも暢気な…。他の奴らはとっくに先へと行ってるってのに、俺らは未だ渡り廊下の出前だ…。
 まぁ、田邊君の速度に合わせてるのもあるが、全員してそそくさと歩けば、周囲に要らぬ不安を与えかねないってのもある。
 辺りを見ていると、楽器に不備が出て困っている様子は窺えるが、それ以外はどうということはない。
「河内、田邊君。そろそろいいかな?」
「ん?何がだ?別にこれといって急ぐことはないんだろ?」
 俺の言葉に、河内が不思議そうに聞いてきた。
「いや、そろそろ学内放送が入ると思ってね。玄関に押し寄せた人波に巻き込まれると、田邊君が危ないから。」
「それもそうだな…。」
 そうして渡り廊下の出前から速度を早めた。普段なら何人もの学生が行き来している筈だが、今日は人の気配がなかった…。恐らく、楽器の不備で皆が四苦八苦しているのだろう。
 あまり気にすることなく渡り廊下へと入るや、俺は妙な違和感に襲われた。何だか胸苦しいような…。
 半ばまで来たとき、その違和感は奇妙な音と共に正体を現した。
「何だ…これ…!?」
「京、どうかしたか?」
 俺は河内に見たものを言おうとした刹那、それは一気に広がった。
 俺が見たのは…床の亀裂だったのだ。河内は田邊君と話ながら歩いてたため、それを見落としてしまったのだ…。
「河内!」
 亀裂は瞬く間に広がり、あろうことか渡り廊下を崩落させた。
 だが、その一瞬…河内は隣にいた田邊君を俺へと突き飛ばし、俺はその衝撃で彼と共に亀裂の外側へと転がったのだった。
 それはまるで白昼夢でも見ているようだった…。俺の目の前には…もはや渡り廊下はなく、もうもうと土煙の立つ上には青空さえ覗いていた。
「河内…河内!?」
 俺は我に返ってそう叫んだが、もう河内の声を聞くことは出来なかった…。



 
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