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満願成呪の奇夜

作者:海戦型
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第7夜 初陣

 
 ざり、ざり、ざり。

 荒地を踏みしめる二人分の足音だけがやけに大きく耳に響く。

 その周囲は少々の高低差や大地の段差こそ存在するが、比較的平坦な道であるために足場にはそれほど気を取られない。遠目で見れば、ぽつぽつと宵闇を彷徨う小さな灯が揺れているのが見える。片手で数えられる程度の儚い命たちが遠方に微かに立ち上る光の砦を目指していく様は、まるで炎に群がる虫のようだ。

(いや、希望に邁進する若人たちの勇ましい姿と形容しておくか……飛んで火にいるんじゃあんまりにも救いがない)

 大陸の民は別段救いを求めている訳ではない。何故ならば、救いを求めると言うのは他人に縋る行為であって、危機を打破するために動く呪法師たちは縋られる立場だからだ。だから民が本当に安穏な眠りを手に入れるために、トレック達呪法師がないものに縋る訳にはいかない。

 大陸の外から訪れた民は、皆が大陸の民の在り方を見て首を傾げる。

 曰く――何故大陸の人間は『悪魔』の存在を信じている癖に『神』の存在を信じないのか、だそうだ。

 その問いに対する答えは決まっている。大陸の文化に『神』なる存在はいないからだ。

 トレック達はむしろ大陸の外の人間たちが不思議でしょうがなかった。神よ神よとよく言うが、その祈りにはなんの意味もない。現実とは人が直面し、人が動かし、人が変えるもの。現在を変えるためには行動が必須であり、自分を変えられるのも自分だけだ。
 だから大陸の人間の思想からすると秩序や救いの象徴だと語る『神』という存在は単なる妄想の類でしかなく、そんなものに傾倒している外の人間の思想が全く理解できない。彼らのいう全知全能の神がこの世界に本当に存在するのであれば、必死に生き延びてきた先人たちが呪われた戦いを強いられた意味が分からない。そう伝えると、彼らは「貴方がたが神を信仰しないから奇跡が起きない」とのたまうのが信仰者たちの常だった。

(信じれば救われるって、ふざけた理論だよな。大体その神様とやらが世界を創ったんなら、そいつは何故俺達が悪魔に呪われることを是として見逃した?何故人間を殺そうとする呪獣を野放しにしている?そんなものを野放しにさえしなければ、最初から誰も苦しまずに済んでるというのに)

 『欠落』のない普通の人間の中には彼らの言葉に耳を貸す者も少しは存在するが、少なくとも呪法師の中に神の存在を信じている者はいないだろう。一部には彼らの言う神こそが我等にとっての悪魔なのではないか、と大陸の外を敵視する一派も存在するという。

 何にせよ、トレックとギルティーネの元に神の奇跡とやらは訪れない。
 だから己が銃で、剣で、二人は死の運命を打倒しながら前へ進むしかない。
 無意識に、抜身の拳銃のグリップを握る力が強くなる。

 ざり、ざり、ざり、じゃり。

 荒地を踏みしめる足音に、聞き覚えのない音が混ざった。

「――ッ!!」

 瞬間、トレックの心臓を鷲掴みにするような悪寒が駆け巡る。
 決定的で、致命的な、自分たちに向けられた膨大な殺意。そして、まるで全身の血液が逆流するかのような得体の知れない悪寒。トレックの生存本能がありったけの力を振り絞って悲鳴をあげる。

 斜め後ろを附随していたギルティーネもそれを感じたのか、サーベルに手をかけて前に出た。
 瞬間、彼女の纏う空気が(かつ)えた猛獣のように鋭く変容する。彼女の反応と自分の本能を重ねあわせた推論。それは、明確な回答をトレックの脳裏ではじき出した。

 トレックは音のした方角へ、ギルティーネは低く唸り声をあげる狼のように低く腰を落とし、臨戦態勢に突入した。

 じゃり、じゃり。

 人間の足音ではない、もっと大きな何かが大地を踏みしめる音。
 それは段々と近く、そしてその気配を鮮明に感じる距離に縮めていく。
 緊張でからからに乾く喉を何とか動かし、トレックはギルティーネに小さく声をかける。

「……打ち合わせ通り俺がバックス、君はオフェンスだ。いいね?」
「………………」

 その沈黙は、今この瞬間では快諾と取るべきなのだろう。基よりトレックにはそれを確認するほどの時間も余裕も持ち合わせてはいない。これから、15年間ものうのうと過ごしてきた人生の中で初めての、本物の『敵』と遭遇する。その事実が心臓の鼓動を極限まで高めていた。
 砂を踏む音がペトロ・カンテラの照らせる限界範囲のすぐそばで停止し、周囲は微かな風の音を残して無音になる。

 1秒か、10秒か、或いは1分ほど経っただろうか。時間の感覚が曖昧になるほどに一瞬が引き伸ばされ、時間が停止したような錯覚さえ覚え始めたその時――影の中が、蠢いた。

 ずるり。

 それは音もなく、滑るように闇の中から姿を現す。

 其は醜悪にして邪悪。漆黒の世界にて漆黒の衣を纏い、しかして生ける存在に非ず。

 其は古の刻より大陸の英傑を数多にも殺傷せしめ、未だ大陸を闊歩する支配者なり。

 全身が漆黒に変色し、皮膚は爛れ、血走った眼球をはめ込んだ頭蓋はまるで獣。
 肥大化した手足から黄ばんだ爪が剥き出しになり、人間の如く二本の足で立つその図体は3メートル近くある。そのおぞましく醜い出で立ちは、まさしく自然の摂理から外れた存在そのもの。

 そして何よりそいつからは、臭いや体温が――『生命の息吹』が一切感じられない。
 漆黒の獣は、闇の中で不気味に光を反射する(まなこ)を二人に向け、喉を震わせた。

『ル゛ウアアアアアア………アア、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!』

 びりびりと体が後ろに吹き飛ばされそうな咆哮。
 トレックはほとんど無意識に、叫んだ。

「これが………こいつが、『呪獣(ザンヴィー)』………俺達が滅すべき敵ッ!!」

 恐ろしかった。
 逃げたかった。
 この瞬間、トレックは呪法師として最初の選択を迫られた。


 それは彼の身にこれより降りかかる数多の試練と苦難の、最初の一つ。
 選択しないほうが、彼にとっては結果的に幸せだったのかもしれない。
 しかして、彼はこの場を生き残るために二つの本能の内の一つを選択した。


「俺は、お前を殺さなきゃならないんだ……ッ!!」


 闘争本能――前線で戦う呪法師が、戦意という名の灯を消さぬためにくべ続ける薪。
 トレックはまるで訓練通りに銃を構え、まるでそれが定められた運命だったかのように即座に銃爪に指をかけた。

 身体の奥底から湧き上がる呪力が手を通して拳銃の弾丸に注がれる。
 イメージするのは火薬が爆ぜる『熱』と鉛玉の『錬』。
 二つを織り交ぜた力は、灼熱の炎を纏って敵を穿ち、燃やし尽くす。
 
「射抜け!『炎の矢(フレッツァ・リャーマ)』ッ!!」

 引き金を引いた瞬間、強烈なマズルフラッシュと共に拳銃から凄まじい熱量の『炎の矢』が発射され、瞬きをする間もなく呪獣の頭部を貫いた。

『ル゛ウウ、エエェ……!?』

 貫かれた部分からあっという間に呪獣の全身を炎が覆いつくし、その身体がぼろぼろと地面に崩れていく。炎を纏った弾丸にトレックがつめた呪力が、呪獣の全身と反応して互いを喰らいあっているのだ。そして――燃え広がった体がペトロ・カンテラの範囲外を照らし上げた瞬間に、戦闘区域内に複数の呪獣が侵入してくる。

『ル゛ウオ゛オオオオオオオオオオオオッ!!!』
『ウ゛リリリリリ……ルア゛アアアアアアアアアッ!!』
『ヴォアアアアア……イ゛、アアアア…………!!』

 敵が次々に現れる中、トレックは初めて撃ち殺した呪獣の身体が崩れ去る光景を見つめ、確信した。

(――呪法師として、俺は戦える!!)

 気が付けば既にギルティーネは抜刀して、こちらの声を待つように構えている。果たしてそれは指示を飛ばすトレックを品定めしているのか、最初の得物を敢えて譲る為に動かなかったのは分からない。だが、トレックはそのおかげで一つのしがらみを振り払った。
 
「こいつらを叩きのめして速やかに目的地に移動する!敵正面、突破せよッ!!」
「………………!!」

 トレックの腹の底から吐き出された号令とほぼ同時に地を這う猛獣のように駆けだしたギルティーネは、抜き放ったサーベルを指でなぞり、柄に装着された鉄の歯車に付随するワイヤーの先端に括りつけられたリングを指で引く。

 ギャリリリリリッ!!と耳を劈く異音を立てた歯車は大量の火花を撒き散らし、その火花が吸い込まれるように刀身へ流れていく。橙色の灯を宿した刀身が煌めいた、その刹那。

「―――――ッ!!」

 闇を裂くように刃が空間に『線』を引き、なぞられるように呪獣がバラバラに切り裂かれた。

「な………」

 間抜けな事に、その呆気ない結末に最も驚いたのは命じたトレック自身だった。
 ギルティーネが放った肉眼では捉える事も難しいほどの瞬速の剣裁きは、呪獣の首を横一文字、身体を袈裟掛けに十字に断っていた。再生能力を持つ呪獣は、生半可な攻撃では殺しきれずに体が欠損したまま戦う事もある。それを考慮して、呪獣が多用する腕と相手を知覚する顔を正確に切断するのは確かに理想的な撃破方法だ。

 だが、それはあくまで理想であって実践で狙うのは困難だ。そもそも、剣を扱うのが人間である以上、「肉眼で捉えられない速度の斬撃」というのは本人の身体能力が『人間離れ』していなければ不可能だ。
 ぐずぐずに崩れて灯りに融けていく呪獣を感情の籠らない目で見送ったギルティーネは、刀身の光を散らせてトレックの方を見た。ペトロ・カンテラに照らされ闇から浮かび上がるしなやかな肢体から「あの」斬撃を繰り出したと思うと、あり得ない光景を見ているような錯覚を覚える。

 宝石のように美しく透き通ったその瞳が「もっと獲物を寄越せ」と催促する猟犬のように映ったトレックは、身震いした。もしもその牙が自分へ向けられたら――あれが本当に『人喰い』だったら。

(俺は……こんな闇夜の中に消えるのは御免だ)

 無理やり恐怖を抑え込んだトレックは、短く「行くよ」と呟いて歩みを進める。
 ギルティーネは、頷きもせずに斜め後ろを着いてくる。
 その沈黙が、今のトレックには最も不気味だった。
  
 

 
後書き
ミニ補足:
ギルティーネちゃんのサーベルは、形状だけなら刀に近いです。作者イメージ的にこの世界の武器は若干スチームパンクテイストなので、刀にスチームパンクなギアパーツを取り付けて色合いとかに調合性を持たせた感じです。
刃から直接火花を出す構造も考えましたが、刀身に優しくなさそうだったので別に取り付けました。

なお、この世界には所謂日本刀というジャンルはありません。『鉄の都』の鍛冶師の一部が限りなく近いものをサーベルという分類で作っている状態です。  
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