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銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第二百五十二話 暴君が生まれる時



帝国暦 489年 5月 10日  オーディン   宇宙艦隊司令部  アントン・フェルナー



「無駄だぞ」
「ん?」
「保安省も広域捜査局もこの件については関与出来ない」
「……そうなのか」
ギュンターがニヤニヤ笑っている。いかんな、読まれたか……。最近妙に鋭くなった。

「理由は二つある。一つは汚職に関わっている省庁が問題だ。主として運輸、工部、自治……、分かるだろう?」
「旧内務省か……」
俺の答えにギュンターが頷いた。もう笑ってはいない。

「保安省も広域捜査局も旧内務省だ。馴れ合いになると心配している人間達が居る」
「大体想像はつくな、辺境星域だろう」
「それもある。彼らは旧内務省に良い感情を持っていない。それでエーリッヒに保安省も広域捜査局も使わないでくれと要請した」

内務省は他を圧する巨大省庁だった。それだけに有力貴族は内務省との友好関係を何よりも重視した。そして内務省も有力貴族との友好関係を重視した。お互いに協力する事で力を高めたのだ。その分しわ寄せを受けたのが平民、下級貴族、そして辺境の貴族達だった。エーリッヒの両親が殺された事件で警察は碌な調査をしなかった事は良い例だ。

「エーリッヒは辺境星域開発の責任者だからな、彼らの意見を無下には出来ない、そういう事か」
ギュンターが違うと言うように首を横に振った。
「それだけじゃない、事態はもっと深刻だ。確かに辺境星域開発の件もあるが本来なら抗議するはずのルーゲ司法尚書、ブルックドルフ保安尚書も同意している。この捜査には保安省も広域捜査局も関わらない、いやそれどころじゃない状況になっている……」
ギュンターが首を横に振った。司法省、保安省に何かが起きている……。

「どういう事だ」
「今二人は過去、内務省管轄下の警察組織で起きた冤罪事件、不正事件等を極秘に調べさせている。改革が進むにつれ平民達からそういう要求が上がっているんだ。疑わしい事件の再調査を行い名誉回復、補償を行う、それに合わせて不正にかかわった職員も処罰しようとしているんだがはっきり言って酷いらしい。汚職捜査など任せられないと言っているようだ」

唖然とした。どう考えてもまともな話には思えない。
「冗談、だよな」
恐る恐る、半信半疑で尋ねるとギュンターが首を横に振った。それでも信じられずにいるとギュンターが無表情に言葉を続けた。

「保安省内部の監察と司法省から人を出して再調査と不正の摘発を行う事になっている。何処まで出来るかは分からないが、少なくとも今後の汚職を防ぐ事には効果が有るだろう……。冗談なら良かったんだがな、アントン……」

同感だ、冗談なら良かった。それにしても内務省管轄下の警察組織? いずれはウチにも来ると言う事か……。俺やアンスバッハ准将は直接は関係ないが、周りは……、やれやれだな。

「内務省は財務、法務、軍務を除く殆どの行政を一手に握っていた。警察も握っていたからその気になれば何でも出来た、不正をする事も握りつぶす事も……。これで不正が起きないと言ったら信じるか? 不正を起こす奴と不正を握りつぶす奴、現場はともかく上層部は繋がっていた。皆一緒になって甘い汁を吸っていたんだ。それが内務省だ」
ギュンターが冷笑を浮かべている。

「内乱時、内務省がエーリッヒに敵対したのもそれが一因としてある。平民の権利なんて拡大して見ろ、不正がしにくくなる、甘い汁が吸えなくなる、そう思ったのさ」
「……酷い話だな」
「酷い話だ」

ギュンターが頷く。コーヒーを一口飲み顔を顰めた。釣られたわけではないが俺も一口飲んだ、やはり不味い。話題が酷いんだ、せめてコーヒーだけは美味いのが欲しかった。

「ギュンター、不味いな」
「ああ、不味い」
「もう一杯いこう、……今からでも遅くない、司令長官室から貰ってくるか……」
「悪くないな、それ」
顔を見合わせて笑う。ウェイトレスを呼んでコーヒーを追加注文した。

「内乱が終結し内務省は解体され幾つかの省庁に分かれた。しかし人間が入れ替わったわけじゃない。繋がりは維持された。しかし改革が進むにつれ平民の意識も変わった。これまでのように不正に泣き寝入りはしなくなった。時代が変わり社会も変わり人の意識も変わった。それに対応できる奴は良いんだが……」
「対応できない奴が居るというわけか」
「ああ、不正をする事に慣れてしまった奴がね」

ギュンターが俺に視線を向けた。
「分かっただろう、広域捜査局も保安省も使えないという理由が。昔の繋がりで不正を揉み消しかねない」
「……保安省は分かる。しかし社会秩序維持局は広域捜査局に移行する時にかなり人間を選別したと聞いている。酷い奴は排除したはずだが……」

社会秩序維持局は内乱においてもっともエーリッヒに敵対した組織だ。当然だが内乱後の処罰は厳しかった。本来社会秩序維持局は内務省内部でも最も力の有るポストだ。初代局長を内務尚書エルンスト・フォン・ファルストロング伯爵が兼任した事でも分かる。

社会秩序維持局の局長を経て内務次官というのは内務省内での出世コースの一つだ。本来なら保安省内部に残るべき組織だったが名前まで広域捜査局に変えられて司法省に移管された。しかもその時当然のように人員も削減されている。広域捜査局は司法省では外様なのだ。常に冷たい目にさらされている。

「周囲はそう見ていない、昔の印象が強すぎるからな。アントン、社会秩序維持局が平民達を弾圧するためにルドルフ大帝が作った組織だという事を忘れてもらっては困るな」
「なるほど」

一度貼られたレッテルを外すのは容易じゃないってことだな。とんでもない所に異動したな、或いはだからこそエーリッヒは外部から俺とアンスバッハ准将を入れたのか……。溜息が出そうだ。ウェイトレスが新しいコーヒーを持ってきた。一口飲む、やはり不味い。ギュンターを見た、彼が俺を見て笑っている。思わずこっちも苦笑が漏れた。暫く二人で笑った後、ギュンターが話し始めた。

「理由の第二は汚職に軍が関わっている事だ」
「まあそうだろうな、軍を警察が調べるなんて無理だ、戦争になりかねない。だからと言って軍と省庁を別々の組織に調べさせる事は非効率だからな」
ギュンターが俺の言葉に頷きながらコーヒーを飲んだ。不味そうな表情をしている。

「汚職の主力は兵站統括部だ」
「本当か?」
「ああ」
「しかし、昔と違って今は優秀な奴が結構配属されているんじゃないのか? 汚職も随分と減ったと聞いたぞ」

昔は落ちこぼれが配属されていた。しかしエーリッヒが頭角を現すにつれそれも変わったはずだ。徐々に徐々にだが士官候補生の意識も変わり進んで兵站統括部を配属先に希望する優秀な生徒も出てきたと聞いている。

ギュンターが苦い表情で俺に視線を向けた。何を言っている、そんな顔だな。
「あそこに出来る奴が配属されるようになったのはここ三、四年の事だ。人数も少なく階級も低い。兵站統括部全体でみればとんでもない奴の方が遥かに偉くて多いんだ」
「なるほど、それもそうか……」

「辺境星域の開発には兵站統括部を活用するとエーリッヒは決めている。その兵站統括部で汚職が蔓延している」
「頭の痛い事だな」
ギュンターが溜息を吐いた。呆れた様な表情で俺を見ている。

「頭が痛い? とんでもない、激怒しているよ」
「……」
「エーリッヒが兵站統括部に居る時は彼を怖れて目立った汚職は無かったんだ。皆無とは言わないが少なくとも騒ぎになる様な汚職は無かった。だからエーリッヒは兵站統括部を辺境開発に使う事に不安は感じていなかった……」
ギュンターが首を横に振っている。

「ところが彼が兵站統括部を去ってから汚職が増えだした。最初は恐る恐るだろうが反乱軍との戦い、そして内乱と長期にわたってエーリッヒがオーディンを留守にした……」
「チャンスと見たんだな」
ギュンターが頷く。

「その通りだ。怖い猫が居なくなって薄汚い鼠が増えたのさ。兵站統括部出身者としては昔の仲間に赤っ恥かかされたようなものだし、辺境星域の開発責任者としては裏切られた様な気持だろう」
「元々その手の不正が嫌いだしな」

「ああ、この腐敗を一掃しない限り辺境開発なんてやっても意味がない、官僚達のサイドビジネスを助長するだけだと言い切っている。国家の最優先課題だってな。ルーゲ司法尚書、ブルックドルフ保安尚書が捜査は自分達がやると言ったって納得しなかっただろう」

溜息が出た。こっちが地球教であたふたしてる間にオーディンはとんでもない事になっている。それにしても……。
「怒っているか……、少し疲れているように見えたがな」
「疲れてもいるさ」
ボソッとした口調だった。

「ずっと戦ってきた、新しい帝国を造るためにな。軍人も、改革派の政治家達も皆奴が引っ張ってきた。誰かに弱みを見せる事など出来ない、ただ先頭に立って引っ張ってきたんだ。そして今ようやく新しい国造りが始まろうとしている、ようやくだ。それなのに周囲にはあいつの足を引っ張る連中ばかりいる……。これで平静でいられるか?」
「……いや、難しいだろうな」

ボソボソとした口調だが声には怒りが有った。ギュンターはずっとエーリッヒの傍にいた。俺やナイトハルトよりも身近なところからエーリッヒを見てきている。だから思い入れが有るのだろう。

「あいつが言っていたよ。国家としての制度、体制が疲弊している、歪んでいるんだと思っていた。だからそれを是正すれば良いと思っていた。でももしかすると人間そのものが疲弊しているのかもしれないってな……」
「それは……」

良くないな、エーリッヒが人間に対して絶望しているのだとすれば良くない、いや危険だ。
「ギュンター、あいつ、絶望しているのか?」
「……」
「危険だぞ、分かっているのか? エーリッヒは国家の指導者なんだ。その指導者が絶望すれば統治にも影響が出る。絶望の怒りは国民に向けられるだろう。エーリッヒを暴君にするつもりか!」
気が付けば身を乗り出し押し殺した声で囁いていた。

「安心していい、そうはならない」
「しかし」
「あいつに聞いたんだ。絶望しているのかってな」
「……」
ギュンターの顔が歪んでいる。哀しいのか、それとも苦しいのか……。

「そんな事は許されない、そう言っていたよ」
「……」
「自分はこれまで二千万人近い人間を殺した。これからもその数字は増えるだろう。後戻りも逃げ出すことも投げ出すことも出来ない。前へ進み銀河を統一して戦争の無い世界を作るしかないんだ、とね……」
「……」

「そしてこうも言っていた。自分が殺した人間達は絶望を抱いて死んでいった。自分は生きている、生きている以上、絶望を抱くことなど許されないと……」
「ギュンター……」
哀しいんじゃない、苦しいのでもない。ただ切ないのだ。帝国最大の実力者がもがき、苦しみ、それでも懸命に絶望から目を逸らし希望を見ようとしている……。

「エーリッヒを見ていてルドルフ大帝の事を考えたよ。大帝の忠臣、エルンスト・フォン・ファルストロング伯爵の事もね」
「どういう事だ」
俺の問いかけにギュンターは少し口籠った。視線を逸らし考える風情をしている。

「似ていると思った。麻薬、犯罪、汚職、大帝が向き合った問題もエーリッヒが向き合った問題も同じだ」
「なるほど、となると卿は忠臣エルンスト・フォン・ファルストロング伯爵か」
俺の声には皮肉が混じっていただろう。だがギュンターは何の反応も示さない。俺の方を見る事もしない。

「大帝は強権をもって犯罪を撲滅した。その大帝を助けたのが内務尚書ファルストロング伯爵だ。彼は劣悪遺伝子排除法が制定されてからは社会秩序維持局の局長を兼務して四十億もの人間を弾圧した」
「……それで? 何が言いたい」
ギュンターが俺を見た。

「何故そんな事が出来たと思う? 出世欲だと思うか? 或いは異常者だった?」
「……」
「卿はさっきエーリッヒは絶望しているのかと聞いたな」
「ああ」
「エーリッヒは絶望していない。しかしルドルフ大帝は人類の愚かさに絶望していたのだと俺は思う」
「……」

「ファルストロング伯爵は内務尚書だった。当時の人類社会の問題である麻薬、犯罪、汚職の撲滅を任されたんだ、不正の許せない生真面目で職務熱心な男だったんだと思う。大帝の右腕となってそれを撲滅していくなかで人類の愚かさを、それに絶望する大帝の姿を一番身近で見ていたのは彼だったはずだ」
「……」
そして今エーリッヒの一番傍で人類の愚かさを見ているのはギュンター・キスリング……。

「銀河帝国の皇帝が帝国臣民の愚かさに絶望している。ファルストロング伯爵は大帝に共感したんじゃないかな。大帝以上に人類の愚かさに絶望し、その愚かさを憎悪した。……彼は出世したかったのでもなければ異常者でもなかった、ただ大帝と同じ絶望を知ってしまった……」

「ファルストロング伯爵がテロで死んだ時、大帝は二万人以上の人間を容疑者として処刑した。酷い話だ、しかし大帝にとってファルストロング伯爵は臣下じゃなかったんだと思う。自分の絶望を知っている理解者だった、大帝にとっては同じ絶望を知った仲間だったんだ。その仲間が愚か者どもに殺された……」

「卿の言う通りだ。もしエーリッヒがルドルフ大帝になっていたら、俺はエルンスト・フォン・ファルストロング伯爵になっていただろう、何の後悔もせずにね。そして何億という人間を殺したに違いない」
「ギュンター……」
俺の呟きにギュンターが笑みを見せた。

「だがエーリッヒはルドルフ大帝にはならない、だから俺もギュンター・キスリングのままでいられる……」
「……」
「アントン、俺はその事に感謝しているよ」
綺麗な笑顔だった、誇りと歓びに満ちた笑顔だった……。














 
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