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銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第二百五十一話 二重スパイ



帝国暦 489年 5月 10日  オーディン   宇宙艦隊司令部  アントン・フェルナー



時刻は十四時五十五分、約束の時間の五分前だが宇宙艦隊司令部の司令長官室にはエーリッヒの姿は無かった。フィッツシモンズ大佐によると前の打ち合わせが少し延びているのだと言う。俺はエーリッヒの執務机の傍に有るソファーで待機する事にした。

女性下士官が用意してくれたコーヒーを楽しみながら十分程待つと応接室のドアが開いてエーリッヒと士官が四人出てきた。四人がエーリッヒに挨拶をしている。二人には見覚えが無い、だが後の二人はブラウラー大佐とガームリヒ中佐だった。

はて、ブラウラー大佐は統帥本部に居るはずだ。確かフェザーン方面の侵攻計画を策定していると聞いていた。そしてガームリヒ中佐は情報部にいる……。その二人が何故ここに……。どちらか一人と言うなら分かるが一緒と言うのが腑に落ちない。二人はエーリッヒに挨拶を終えると微かに俺に目礼して去って行った。

エーリッヒが俺に笑みを見せた。
「済まない、待たせたようだね。前の打ち合わせが意外にかかった」
「いや、大したことは無い」
エーリッヒがフィッツシモンズ大佐に飲み物の用意を頼むと俺を応接室に誘った。

エーリッヒに続いて応接室に入るとそこにはギュンター・キスリングが居た。エーリッヒはギュンターの隣に座る。妙な感じだ、先程までの名残なのだろうがエーリッヒとギュンターが並んで座っている。このままだと俺が二人の正面に座る事になる。やれやれ面接のようだな。

ギュンターが微かに笑みを浮かべて頷いた。こっちに来い、正面に座れという事だろう。やれやれ、付き合いが長いと話さなくても分かるようになる。二人の正面に座った。

ソファーに座ると応接室のドアが開いて改めて女性下士官が飲み物を出してくれた。エーリッヒにはココア、俺とギュンターにはコーヒー。ココアの香りがとコーヒーの香りが混ざり何とも言えない匂いが応接室に広がった。

「先程ブラウラー大佐とガームリヒ中佐を見た。大佐は統帥本部に、中佐は情報部に居ると思ったが……」
俺が問いかけるとエーリッヒが頷いた。
「その通りだよ、アントン」

俺が疑問を持っていると思ったのだろう。エーリッヒがギュンターに視線を向ける。一瞬だが二人が目で会話した、相変わらず仲が良いようだ。エーリッヒがこちらを向いて話し始めた。

「今統帥本部ではフェザーン方面への侵攻作戦を立案しているんだが不確定要素が幾つか有るんだ……」
「不確定要素……」
俺の問いかけにエーリッヒが渋い表情で頷く。一口ココアを飲んでから言葉を続けた。

「今日打ち合わせをしていたのは帝国がフェザーンに侵攻した時、フェザーンがどういう反応を示すかを確認していた」
「それはフェザーンが帝国に協力的か、それとも非協力的な対応を取るか、そういう事か」
「そういう事だ」

なるほど、フェザーン侵攻は反乱軍制圧作戦の一環として行われる作戦だ。反乱軍の勢力圏へ攻め込むとなればフェザーンはその後方になる。補給物資の調達、その輸送、通信の中継地、そして通路としてどの程度使えるかはフェザーンがどの程度協力的かによる。無視できない問題だ。コーヒーを口に運ぶ、うむ、良い香りだ。

「その度合いによって作戦にも変化が生じる。それで統帥本部の参謀と情報部、そして憲兵隊がここに集まって確認、検討したんだ」
「それで状況は」
俺が問いかけるとギュンターが答えた。

「良くない……。情報部も憲兵隊も独自にフェザーンに人を入れている。お互いの情報を突き合わせてみたが思ったほどフェザーンでは反同盟感情が強くないという結論が出た。見込み違いだった」
ギュンターの発言にエーリッヒが顔を顰めた。珍しい事だ、どうやら見込み違いの度合いはかなり大きいらしい。

「同盟がフェザーンを占領すれば状況からしてフェザーンを搾取すると思ったんだがそれが無い。どうやら彼らはダイエット中らしいよ、甘いものを必死に耐えている」
エーリッヒの言葉に皆が笑った。もっとも笑いを作った当の本人は顔を顰めたままだ。ココアを飲んでも顔が直らない、それは本当にココアか?

「フェザーン解放は侵攻時の大義名分だが、フェザーン人の心に訴える物ではないようだ。他の何かが必要だね、フェザーン人の心に訴える何かが……。これからそれを見つけなければ……」
最後は溜息交じりだ。どうやら笑いごとではないらしい、エーリッヒは相当に参っている、そして疲れてる。

「いっそクーデターが成功していれば良かったんだが……」
「あの主戦派の起こしたやつか」
「うむ」
俺とギュンターの会話にエーリッヒも頷いている。

「主戦派ならフェザーンを搾取してくれた。我々もそれを理由にフェザーンに攻め込めた。フェザーンも我々を歓迎してくれただろう、……上手く行かない……。おまけに同盟とフェザーンは政治的連携を強めようとしている。思ったより厄介な相手だ、ここまで手強いとは思わなかった……」

嘆くエーリッヒを横目にギュンターを見た、彼も憂欝そうな表情をしている。政治的連携か……、両者が帝国を敵として協力体制を結ぶという事だろうが確かに厄介ではあるな……。コーヒーを一口飲んだ、話題の所為かな、少し苦い様な気がする。

僅かな沈黙の後、大きく息を吐くとエーリッヒが首を横に振った。
「嘆いていても仕方がないな、そちらの話を聞こう。卿の要望通り、ギュンター・キスリングもいる」

エーリッヒの言葉にギュンターがニヤリと笑った。悪徳コンビだな、この二人には随分と痛い目にあった。最初は士官学校、最後は内乱か……。これからコーヒーがますます苦くなるな……。
「地球に送っていた諜報員が戻ってくる」
「何時かな」
「あと二週間もすればオーディンに着くだろう」
エーリッヒとギュンターがチラっと視線を交わした。

「地球に送り込んだ諜報員は三人。今回戻って来るのは一人だけだ。彼らには、地球教徒がキュンメル事件に関与した事を教えてある。たまたま関与した人物が地球教徒だったのか、それとも地球教が教団として関与しているのか、それを確認するようにと命じてある」
「……」
エーリッヒもギュンターも無言だ。ただ表情は厳しい。こちらをじっと見ている。

「彼からの連絡では詳細はオーディンに戻ってから報告するが特に地球教に不審な点は無かったと言っている。そして他の二人はまだ残って調査を続けていると……」
エーリッヒがまたギュンターと視線を交わした。

「問題は無いと?」
「そうだ」
「後の二人はまだ残って調査している?」
「そうだ」

エーリッヒが眉を寄せて考え込んでいる。
「……どう思う、ギュンター。取り込まれたかな」
「おそらく……、後の二人は情報源としてこちらの情報を搾り取られている、そんなところだろうな。得るべき情報が無くなればこっちへ帰すだろう、二重スパイとしてな……」
「こちらもその可能性が高い、そう見ている」
エーリッヒが大きく息を吐いた。

「申し訳ない、卿の心配が現実になってしまったようだ」
「いや、止めなかったのは私だ。私はその危険性が高いと知っていてそれの実行を許した。責任は私に有る」
俺の言葉にエーリッヒが首を横に振った。いかんな、またこいつに荷を背負わせてしまう。

「地球に送った三人だが広域捜査局第六課の最高責任者が私だと知っているかな」
「正直、分からない。知っていた可能性は否定できない」
俺の言葉にエーリッヒが頷いた。

「知らない可能性も有る、そういう事かな、アントン」
「そう思うがこの場合知っていたと考えた方が良い、卿の身が危険だ」
エーリッヒが溜息を吐いた。いかんな、ますますこいつに負担をかけてしまう……。身が縮む思いだ。

「私じゃない、ルーゲ司法尚書の身辺警護が要る、早急にだ」
なるほど、そっちが有ったか。広域捜査局は司法尚書の管轄下だった。
「卿の言うとおりだ、早急に警備を付けよう。卿にも……」
「私の方は大丈夫だ。すでに憲兵隊が付いている」
「そうか」
ギュンターが任せろと言うように頷いた。

「それで、他には」
「俺とアンスバッハ准将はこの際彼を利用してみようかと考えている」
「……」
「今現在、広域捜査局第六課はオーディンの地球教の支部を監視している。彼からは地球教に不審な点は無かったと報告が有った。だから支部の監視を解こうかと思っているんだ……」

エーリッヒが何度か頷いている。
「なるほど、地球教は自分達が監視されている事を知っている。その監視を解く、その後を憲兵隊に密かに監視させるという事か、ギュンターを呼んでほしいと言ったのはそれが理由だな」
「そのとおりだ。こちらの監視が解かれたとなれば彼は地球教と接触する筈だ。そこから地球教を探れるだろうと思うんだ」

地球教がこちらの諜報員を二重スパイとして利用しようとしている。ならばこちらも同じ事をするだけだ。彼を信じている振りをして相手を罠にかける。どちらがより相手を騙したかを競う事になるだろう。

エーリッヒがギュンターに視線を向けた。
「ギュンター、私は良いと思うが卿の意見は」
「地球教を押さえるのは急務だ。喜んでやらせてもらう。だが一つだけ問題が有る」

問題? エーリッヒを見たがどうやら心当たりが無いらしい。
「命令系統をはっきりしておきたい。憲兵隊と広域捜査局第六課、どちらが上に立つかだ。面子とかの問題じゃないぞ、そっちとの共同作業になるからな、はっきりしておかないと後々厄介な問題が起きかねない」

「確かにそうだな」
俺の言葉にエーリッヒも頷く。
「アントン、広域捜査局第六課が指揮を執ってくれ」
「良いのか、それで」

ギュンターを選ぶだろうと思った。第六課の前身は社会秩序維持局だ。エーリッヒにとっては憲兵隊の方が信用できるはずだ。
「地球教の問題は広域捜査局第六課が受け持つ、そう決めたはずだ。それにギュンターも憲兵隊も暇じゃない、これ以上は過重労働だ。」

ギュンターに視線を向けると苦笑を浮かべている。
「良いのか?」
「エーリッヒの言うとおりだ。そちらに任せるよ」
「分かった」

「ギュンター、支部の監視だが卿は直接関わらないでくれ。信頼できる人間を選んでアントンに報せて欲しい」
「分かった」
「頼むよ、卿は仕事の抱え過ぎだ」
「分かったよ、卿に言われるとはな」

ギュンターが苦笑している。打ち合わせが終わると雑談になった。今度久しぶりにナイトハルトも入れて四人で飲もうという話になったが、皆忙しい。何時そんな事が出来るか……。

司令長官室を出るとギュンターに少し話をしようと宇宙艦隊司令部のサロンに誘った。席に座りコーヒーを頼む、正直あまり飲みたいとは思わなかったが何もなければ手持無沙汰だ。

「忙しいのか?」
「まあ色々と有る。フェザーンにも人を入れているが国内もな、ちょっと面倒な事が起きている」
「国内?」
俺の問いかけにギュンターが頷いた。

「汚職の摘発だ」
「汚職?」
「ああ、サイオキシン麻薬事件並みの体制で取り掛かっているよ」
唖然とした。あの事件は憲兵隊の総力を挙げた事件だったはずだ。それと同じ? そんな汚職事件が有るのか?

「冗談だろう」
「冗談じゃない、とんでもない状況になっている」
ギュンターが溜息を吐いた。憂欝そうな表情だ、嘘ではない。しかし、汚職?

「内乱前は汚職の大部分は貴族がらみだった。ところがその貴族が没落した。これまで指を咥えて見ていた連中が今度は自分達が美味い汁を吸う番だと張り切りだしたのさ」
「しかし、それだけで憲兵隊の総力を挙げるほどの状態になるのか?」
ギュンターが今度は肩を竦めた。

「元々この件について最初に気付いたのはエーリッヒなんだ」
「そうなのか」
「内乱で鹵獲した艦の売却について不正が無いか調べてくれと言われてな、それで調べたら……」
ギュンターが肩を竦めた。

「芋蔓式に不正が見つかったよ。同じ人間がいくつもの不正に関わっていたからな。賄賂を渡して不当に安く買った艦を解体して部品を軍や運輸省、工部省に新品として売りつけた。もちろん買う方も分かって買っている。皆ぐるになって不正をしていた」
「……貴族の後釜か……」
呆れた、犯罪も悪人も身分は関係ないか……、思わず溜息を吐いた。

「まあそんなところだ。それがきっかけで軍、政府で汚職の捜査が始まったんだ。とんでもない騒ぎだよ、改革派の尚書達は激怒している。連中に不正をさせるために改革をしてるんじゃないってね……」
「……」

「悪い事に辺境星域の開発も始まった。開発が始まれば利権も生まれる、甘い汁が吸えると手ぐすね引いて待っている連中が多いのさ」
「それで卿らが?」
ギュンターが頷く。コーヒーを一口飲んで妙な顔をした。俺も飲んだ、なるほど、司令長官室のものに比べればかなり落ちる。

「不味いな、ギュンター」
「うむ、不味い。というよりエーリッヒの所が美味すぎるんだろう、贅沢しすぎじゃないのか」
「そのようだな。あいつはコーヒーを飲まんから分からんのさ」
「なるほど、一度捜査するか。不正があるかもしれない」
顔を見合わせて苦笑した。もう一口飲む、やはり不味い。

「辺境星域の貴族達もこの件を知ってかなり心配している。自分達が食い物にされるんじゃないかとね」
「なるほど……」

なるほど、状況は分かった。それにしてもエーリッヒの奴、良く見つけたものだ。サイオキシン麻薬、今回の汚職、あいつ一体幾つ目が有るんだ? それとも鼻か? 軍人なんかより警察の方が向いてたんじゃないか。

しかし妙だな、広域捜査局ではそんな汚職の話は聞いた事がない。事実なら第二課辺りが動いても良さそうなものだ。それに保安省も動いていない。軍はともかく省庁に対しては動けるはずだが……。



 
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