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銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第三十二話 真相(その2)

■グリンメルスハウゼン邸

「閣下。これは間違いの無い事なのでしょうか」
「うむ。間違いないことじゃ」
カストロプ公か。強欲な男だとは聞いていたが父さんと母さんを殺したのはあの男なのか。権力を利用して私腹を肥やす事しか興味の無い男があの事件の真犯人なのか。おそらくこれがグリンメルスハウゼン文書なのだろう。正確にはその一部か。しかし何故これを俺に見せる? 何を考えているのだこの老人は。俺はもう一度手の中にある報告書に眼をやった。

「どうしたのじゃ、准将」
「いえ、閣下、何故これを小官に?」
「卿が復讐を望むのなら手伝ってやろうと思うての」
「手伝う……。それは一体……」
何を言っているのだ、この老人は。カストロプ公は財務尚書なのだ。この老人が何を手伝うと言うのだ?

「フォッフォッフォッ。この老人に何が出来るかと思うているの。しかしそう捨てたものでもないぞ」
グリンメルスハウゼンはそう言うとまた笑った。何だこの老人、俺の背中に冷たいものが走る。
「未だ判らぬかの」
「?」
「卿なら判るかと思うておったのじゃが」

老人は笑いながら話しかけてくる。俺なら判る? 何の事だ? まさかこの老人、そんな事が有るのか。
「貴方は、いや閣下は、皇帝の闇の左手……」
老人は今や哄笑していた。俺は呆然と目の前の老人を見ていた。

 この老人が皇帝の闇の左手、未だに信じられない。俺は一体何を見ていたのだろう。この老人を甘く見てはいけないと判っていたはずだ。それなのに結局俺はラインハルト以上にこの老人を軽視していただけか。

「卿には世話になっているからの。今回の戦いだけではないぞ。サイオキシン麻薬の一件もじゃ」
「サイオキシン麻薬…」
「うむ。何とかせねばならぬと思いながら、証拠がつかめなかった。卿のおかげで一掃出来た」
サイオキシン麻薬か、待てよ、まさかな。

「閣下。ケスラー大佐は閣下の手の者なのですか?」
「フォッフォッフォッ。やはり聡いの」
やはりそうか。カイザーリング艦隊の人間が俺を皇帝の闇の左手だと思ったのもケスラーの差し金か。俺に注意を集中させ、その裏で捜査を進めた。あの暗殺未遂事件もあの男がそう仕向けたか? 護衛をつけるなど手際が良かったはずだ。食えない奴だ。

「悪く思うてくれるな、准将。卿を利用しろと指示したのはわしじゃ、で、どうするかのカストロプ公の事じゃが」
「必要有りません。小官が何もしなくとも、カストロプ公爵家は滅ぶでしょうから」
「滅ぶか」

「貴族とは強大ですが、孤立しては生きていけません。周りから潰されます。そしてカストロプ公爵家は孤立への道を歩んでいる。カストロプ公の職権乱用は、彼個人への不満ではすまず帝国の体制そのものへの不満になりかねない要素を含んでいるのです。軍部、貴族、宮中でもそう思っているはずです。カストロプ公だけがわかっていない。先は長くないでしょう」
「先は長くないか」
「はい」

 カストロプ公が宇宙船の事故で死ぬのは帝国暦487年、今から二年後だ。そしてカストロプ星系の動乱が起こりカストロプ公爵家は滅ぶ。俺はこのカストロプ公の事故死は怪しいと思っている。この時期帝国内では平民たちの間で帝政に対する不満が高まっていたらしいのだ。

カストロプ公の事故死、その後の動乱と滅亡は平民の不満をそらすために行われた可能性が有る。あるいは、カストロプ公爵家はそのためだけに存続を許されていたのかもしれない。十五年も職権乱用をし続け、同じ貴族たちからも非難され続けたカストロプ公が何故財務尚書の地位にあり続けたのか。おかしな話ではないか。そして息子、マクシミリアンはなぜ反逆を起したのか? オーディンからの呼び出しに、行けば殺されると吹き込んだ人間がいなかったか?

 OVA版ではアルテミスの首飾りがカストロプ領に配備されている。アルテミスの首飾りとは簡単に配備できるものなのだろうか。ある程度事前に用意しなければならないはずだ。突発的に反乱を起したマクシミリアンに用意する時間は無かったろう。フェザーンが用意したとしか思えない。アルテミスの首飾りがあったからこそマクシミリアンは反逆に踏み切ったのではないだろうか。

もしOVA版通りに進行するならば、帝国中枢部とフェザーンの共謀の可能性があると思っている。フェザーンにとっては純粋に利益になり、帝国にとってもアルテミスの首飾りの威力を確認することが出来る。マクシミリアンは、いやカストロプ公爵家は嵌められたのだ。

「フォッフォッフォッ。やはり卿は聡いの」
やはりそうか。カストロプ公爵家の命運は決まっているらしい。
「困ったの、卿に何の礼も出来ん」
「では、幾つか教えていただきたい事があります」
「何かの」

「何故、前回の戦いで従軍を希望したのです? 失礼ですが、閣下はボケ老人ではない。あの艦隊の酷さはわかっていたはずです」
「フォッフォッフォッ。ボケ老人とは酷いの」
「申し訳ありません」

「試したのじゃ」
「試した?」
「ミューゼル少将じゃがの。どのような若者か見てみたのじゃ」
皇帝の命令か……。

「あの若者にどこぞの伯爵家を継がせようという話があっての。卿は驚いておらんようじゃな」
「いえ、驚いています。それで、いかがでしたか」

「美しい若者じゃな。能力も意思も覇気も有る。あれほど美しい覇気にみちた眼をわしは見たことが無い。うらやましい事じゃ」
「同感です」
「フォッフォッフォッ。卿とは反対じゃな。卿は覇気も野心も見せぬ。何を考えておるのかの」
「……別に何も考えておりません」
「……そうか」

「今一つお聞きしたい事があります」
「欲張りじゃの、まあ良いわ」
「恐れ入ります。何故、陛下の統治を助けようとはしないのです」
「……」

「閣下は凡庸である事を演じておられる。しかし本当は陛下のお傍で陛下の統治を助ける事が出来るはずです、違いますか」
この老人はボケ老人などではない。何故表に出ないのか。
「……卿はリヒャルト皇太子、クレメンツ皇太子の事件を知っておるかの」
「はい」
「あれはの、わしの所為なのじゃ」
「! まさか」
 
先帝オトフリート五世には三人の男子がいた。皇太子リヒャルト、次子フリードリヒ、末弟クレメンツ。勤勉な皇太子と行動力に恵まれた末弟クレメンツ、その間に挟まれた凡庸なフリードリヒ。やがて皇太子リヒャルトとクレメンツ大公の間で熾烈な後継者争いが生じる。

正確に言えば両者の取り巻きたちによる抗争だった。勝てば権力者への道が開かれ、敗者には没落が待っていた。そして帝国暦452年皇太子リヒャルトは父帝への謀反の罪で死罪、彼の廷臣六十名も処刑された。しかし、新皇太子クレメンツも帝国暦455年故リヒャルト皇太子に冤罪を着せたとして廷臣百七十名が粛清、皇太子自身も”偶然の事故”により爆死した。

「陛下は愚かなお方ではない。いや、むしろ聡明と言ってよいじゃろう。そのお方が凡庸と言われたのは争いを好まなかったため自ら韜晦をなされたためじゃ。じゃが皇太子リヒャルト殿下もクレメンツ大公も、そんな陛下に気付かず愚弄し軽蔑した。許せなんだのは取り巻きたちじゃ。一緒になって陛下を愚弄したのじゃ」
「それで、罠にかけた…」

「罠にかけるもなにも、ちょっと煽っただけじゃ。わしはその頃自分にそのような才があるなど気付いておらなんだ。お二方が滅んだ事で始めて気付いたのじゃ。それまではごく平凡な、いや凡庸な貴族に過ぎなかった」

この老人は四十を過ぎるまで自分の謀略家としての才能に気付かなかったというのか。
「お二方が滅んだ後で、陛下は気付かれた。何者かがお二方を罠にかけたと。そしてわしに気付いた。陛下はの、お怒りにはならなんだ、ただ悲しまれただけじゃ。しかしわしにはその方が辛かった…」

「陛下は何故、今も凡庸な振りをしているのです」
「わしのためじゃ。もし英明さを発揮したらどうなる。皇太子リヒャルト殿下、クレメンツ大公を罠にかけ屠ったのは陛下だと皆思うじゃろう。そして陛下の意を受けて動いたのはわしじゃと思うに違いない。そうなればわしはどうなる。周囲から忌み嫌われ滅びの道をたどるに違いない。大公時代の陛下に従う廷臣はいなかった。わしだけが陛下に従った。陛下にとってわしは臣下であって臣下ではなかった。陛下はわしを守るため、あえて凡庸な振りを続けられたのじゃ」

「…皇帝の闇の左手に任じられたのは…」
「陛下が皇帝になられてからじゃ。勘違いするでないぞ。廷臣たちの罪を暴くためではない。できるだけ政治の犠牲者が出ぬようにするためじゃ。わしが手を下したものは、やむを得ぬものだけじゃ。陛下にも御理解をいただいておる」

 これが真実なのか。何処かで一つ歯車が入れ替わっていれば、フリードリヒ四世は名君として君臨したかもしれない。その傍には忠臣グリンメルスハウゼンがいただろう。そうなればラインハルトはどうなったのだろう。フリードリヒ四世を憎んだろうか。もしかすれば帝国の若き名臣としてフリードリヒ四世を助け、帝国の全盛時代を作り出したのではないだろうか。しかし現実には凡庸な皇帝と凡庸な廷臣、そして若き反逆者がいる。

「卿は貴族になる気は無いか」
「は?」
「卿はリメス男爵家の血を引いている。そうじゃろう」
「ご存知なのですか」

「うむ。リメス男爵家を再興するなら手伝うがどうじゃ」
「御無用に願います」
「ふむ」

「小官は貴族になりたいとも、貴族になる事が名誉だとも考えた事はありません」
「そうか。フォッフォッフォッ、良いぞ、良いぞ、まさか卿がそのような覇気を持っているとは。楽しみじゃの、卿とミューゼル少将、これからどのように生きるのか。フォッフォッフォッ」

 俺はそれを機にグリンメルスハウゼン邸を辞した。貴族になどなる気は無かった。いや貴族どもを叩き潰そうとする俺にはフォンの称号など必要ない。俺の名はエーリッヒ・ヴァレンシュタイン、それ以上でも以下でもない。 


 
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