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銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第二百八十一話 講和交渉




帝国暦 490年 4月 29日    ハイネセン  ホテル・カプリコーン エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



目の前に男が一人立っている。この男がヨブ・トリューニヒトか。これまで何度かホログラフィで見た事は有る。愛想の良い笑顔をした男だったが今目の前にいるトリューニヒトも笑顔こそ無いが愛想の良さそうな表情、雰囲気を出している。それにスーツ姿にも一分の隙も無い。降伏した国家の元首には見えなかった。手強いな、一筋縄ではいかないようだ。

「トリューニヒト議長、こちらへ」
ソファーへと案内するとトリューニヒトは軽く一礼してソファーに坐った。鬢のあたりに僅かに白髪が有る。結構苦労したんだろう。二人で向き合う形で坐ると直ぐにヴァレリーが飲み物を持ってやってきた。紅茶だ、ココアは甘い匂いが強すぎるからな。お客様をもてなす時は避けているようだ。

ヴァレリーが去りトリューニヒトが紅茶を一口飲んだ。
「メルカッツ元帥より同盟市民に対しては生命の安全、財産の保全を保障すると御約束を頂きました。間違いは無いのでしょうか?」
「勿論です。政府関係者、軍関係者に対しても罪を問う事は有りません。議長閣下も含めてです」
「有難うございます」
トリューニヒトが軽く頭を下げた。ほっとしたような表情をしている。安全が保障されて嬉しいようだ。もしかするとメルカッツが降伏させるために嘘を吐いたとでも思ったかな?

「感謝していますよ、トリューニヒト議長」
「?」
不思議そうな表情をしている。
「議長が軍に降伏を命じてくれた事です。そのおかげで無意味な死傷者を出さずに済みました」
トリューニヒトが微かに笑みを浮かべた。ようやく笑ったな。
「初めてですな、あの判断を褒めてもらったのは」
声が明るい、自嘲ではなかった。うん、御調子者のトリューニヒトが顕現したか。もう少し煽ててやろうかな。

「議長閣下の決断で帝国、同盟合わせて何十万、いや百万以上の将兵が死なずに済みました。今は理解されなくてもいずれはその決断が正しかったのだと理解される日が来ると思います。何よりも彼らの家族が理解し感謝するでしょう」
「有難うございます」
嬉しそうではなかった。複雑そうな表情をしている。味方では無く敵に評価される、素直に喜べないのかな。煽てるのは止めだ、感謝している、それだけで良い。実務に入ろう。

「講和交渉は明日から行いたいと思いますが?」
「こちらは異存有りません」
「最初に言っておきますが現時点で自由惑星同盟という国家を消滅させる気は有りません」
トリューニヒトがじっとこちらを見た。俺の言った言葉を咀嚼している様だ。

「現時点では、ですか」
「そうです」
「……将来的にはどうなるのでしょう」
「三十年後に帝国に併合する事を考えています」
またトリューニヒトが俺をじっと見た。刺す様な視線じゃない、計る様な視線だ。俺を値踏みしている。

「帝国人も同盟人も互いを、互いの国家を良く知りません。現時点で併合しても混乱が生じるだけでしょう。それに帝国は国内において改革の最中です。出来ればしばらくは国内改革に専念したいと思います」
「そのために三十年ですか」
「ええ、三十年かけて統一の準備をする。そう考えて頂きたいと思います」

三十年、やる事は幾らでもある。先ずフェザーンへの遷都、そして通貨の統一、暦の統一。憲法を制定し公法、私法の改訂が必要だ。法を整備し同盟市民から見ても納得出来るものにする必要が有る。それにこれからは直接帝国と同盟が交易を行う。共通の標準を持ち共通の規制、規格を持つ必要が有る。工業製品、技術、食品安全、農業、医療……。国内の整備はまだまだこれからなのだ。

喋る言葉が違っても構わない。政治信条が違っても良い。だが宇宙は一つで統一されているんだという認識は持たせる必要が有る。そしてそれこそが人類の繁栄と安定を支える基盤なのだと実感させられれば不満は有っても受け入れる事は出来るだろう。

「民主共和政は如何なりますか? 同盟市民にとっては最も大きく大切な権利です。地方自治レベルで保障していただければ併合もスムーズにいくと思いますが?」
トリューニヒトは併合に対して反対していない。形だけでもするかと思ったがしないという事は反対する事に意味が無い、無駄だと考えているのだろう。俺に不快感を持たれると思ったのかもしれない。現状把握能力は高いな、それとも迎合能力が高いのか……。

それに結構強かだ。旧同盟領で民主共和政を認めれば帝国領内でも認める事になるだろう。いずれは中央政府でもという声が上がる。狙いは立憲君主制かな、君臨すれども統治せず。議会制民主主義による統治への移行か……。地方自治レベルでは認めても良い、もっとも歯止めは必要だが。しかし中央政府では無理だな。

「大国の統治に民主政体は適さない、そう思いませんか?」
「それは……」
トリューニヒトが絶句した。どうやら知っているらしいな。古代ギリシア、アテネ生まれの歴史家の評価だ。その歴史家の名前は忘れた。だが怖い言葉ではある、忘れる事は出来ない。民主主義発生の地であるアテネをアテネ生まれの歴史家が評したのだ。衆愚政治に余程懲りたのだろう。

「しかし市民の声を統治に反映させる事は必要な筈です。それにこう言ってはなんですが暴政、悪政を起こさせないためにも抑止機能を持つ機関が必要ではありませんか?」
「そのためにも議会制民主主義を取り入れるべきだと?」
「そうです」
思わず笑ってしまった。専制君主政だけが悪政を引き起こすというのか? 議会制民主主義国家だって悪政、暴政は起きている。問題は制度ではない、主権者に有るのだ。何故そこを見ないのか。

「民主共和政では主権者の質よりも量に重きを置きがちです。その事をまだ理解出来ませんか? ゼロは幾ら足してもゼロですよ」
「……」
「残念ですが人類は民主共和政を運用出来るほど政治的に成熟しているとは思えません。成熟しているなら私と議長がこうして話す事も無かった。そうでしょう?」
トリューニヒトが視線を落とした。

主権者の数が多くなればなるほど、主権者は自分の持つ主権の重さを感じなくなる。百人の中の一票と百億人の中の一票、同じ重さだと言えるだろうか? 自分の持つ一票の重みなど大した事は無い、そう思ってしまうだろう。そうなれば主権の行使が程度の差はあれ恣意的になってくる。つまり政治への無関心という恐るべき事態が生じるのだ。そして統治者達は主権者の歓心を得るために主権者に迎合するようになるだろう。そこには統治において最も大切な冷徹さは無い。そう、人類は民主共和政を運用出来るほどには政治的に成熟していないのだ。

「市民の声を統治に反映させる必要性は認めます。しかしその事と民主政体を採る事は別問題でしょう。民主政体を採らずとも市民の声を統治に反映させる事は出来る筈です」
「……」
極端な話を言えば世論調査をするだけでも良いのだ、そのうえで統治に何処まで世論を反映させるか検討する。ゼロの場合も有れば百の場合もあるだろう。そしてその事を判断理由と共に国民に伝えれば良い。国民は自分達の意見を政府が検討している、統治に取り入れていると理解する筈だ。トリューニヒトは視線を下に落としたままだった。



宇宙暦 799年 4月 29日    ハイネセン 最高評議会ビル  ジョアン・レベロ



最高評議会ビルの議長の執務室に三人の男が集まった。トリューニヒト、ホアン、そして私。トリューニヒトは何時もと様子が違う、沈痛な表情を浮かべて椅子に座っている。ヴァレンシュタイン元帥との会談でかなり疲れた様だ。
「如何だった、ヴァレンシュタイン元帥との会談は」
私が問うとトリューニヒトが“うむ”と言った。

「容易ならん相手だ。まだ若いのだな、かなり先を見据えている」
妙な表現だ。“容易ならん相手”というのは分かる。これまで嫌というほど痛い目に有って来た。しかし“まだ若い”、相手を揶揄しているようにも聞こえるが“先を見据えている”、となれば揶揄ではない。ホアンも眉を寄せている、不審に思ったのだろう。

「ヴァレンシュタイン元帥は直ぐには同盟を併合しないと言っていた」
「どういう事かな、トリューニヒト」
「彼は三十年後に同盟を併合すると言ったんだ、ホアン」
「三十年後?」
思わず声が出た。ホアンの顔を見た、彼も訝しんでいる。

「どういう事だ?」
私が問い掛けるとトリューニヒトが大きく息を吐いた。
「今すぐ同盟領を併合しても混乱するだけだと彼は考えている」
「だから三十年の間を置くと?」
「そうだ、その間に帝国は一層の内政改革を行う。そして同盟と帝国の間で交易を始めとして様々な交流を図ろうと考えている」
唸り声が聞こえた。ホアンが唸っている。

「つまりその三十年で同盟市民の帝国への反発を軽減しようというのか」
「そういう事だ。三十年後には帝国の統治を受け入れても問題は無い、そう思わせようとしている」
容易ならん話だ。溜息が出た。
「トリューニヒト、その三十年間、同盟の政治的地位は?」
「保護国」
ホアンが質しトリューニヒトが簡潔に答えた。重苦しい空気が執務室に漂った。

保護国か、つまり自主独立の国ではないという事か。それにしても併合まで三十年をかけるとは……。自分なら待てない、年齢的にも成果を求めてしまうだろう。だがヴァレンシュタイン元帥は待つ。そして帝国の指導者達はそれを受け入れている。余程に信頼されているのだろう。そして帝国は本気だ。ただ征服する事で満足するのではなく本気で宇宙統一を考えている。

「民主共和政はどうなるのかな?」
「三十年は保証される」
「その後は?」
ホアンが問うとトリューニヒトは“分からない”と首を横に振った。
「彼は国民の声を何らかの形で統治に取り入れる事は必要だと考えている。だが民主共和政に対して必ずしも良い感情を持ってはいない」
トリューニヒトの声は沈痛と言って良かった。

「彼はこう言ったよ。大国の統治に民主政体は適さないと」
「それは……」
「そしてこうも言った。人類は民主共和政体を運用出来るほど成熟していないと」
「……」
ホアンと顔を見合わせた。単純に民主共和政が嫌いだというわけでは無い。むしろ熟知しているが故に否定していると思った。それにしても醒めている。

「明日の講和交渉だが君達は遠慮してくれ。私と官僚達だけで行う」
「如何いう事だ? 私達三人で行う筈だぞ」
「レベロの言う通りだ。納得が行かんな」
私とホアンが抗議するとトリューニヒトが笑い出した。こんな時に笑うとは何を考えている!

「礼を言うよ、君達は私にとって真の盟友だ」
「おい、ふざけているのか?」
「ふざけてはいないよ、レベロ。もう一度言う、明日の講和交渉、君達には遠慮してもらいたい」
強い声だった。ホアンと顔を見合わせた。トリューニヒト、何を考えている?

「今回の講和交渉で私の政治生命は終わりだろう。君達をそれに巻き込みたくないんだ」
「……」
「三十年、保護国となった同盟がどう過ごすかで帝国の民主共和政に対する評価が決まるのではないかと私は考えている。安定した繁栄を三十年続ければ帝国も民主共和政を或る程度認める可能性は出て来ると思うんだ。交渉の余地も出て来るだろう。しかし、混乱すればそれは無い」

「よく分からんな、それと明日の交渉に私達が出ない事がどう関係する?」
私が問うとトリューニヒトが“関係は有る”と言った。
「君達に三十年を託したい。特に最初の十年だな、この十年を上手くやり過ごせば同盟市民も落ち着くだろう。その舵取りを頼みたいんだ。私と一緒に失脚して貰っては困る」
「……」
「難しい仕事だが、君達以外に託せる人間が居ない。頼む」
そういうとトリューニヒトは立ち上がって頭を下げた。



宇宙暦 799年 5月 2日    ハイネセン 最高評議会ビル  ジョアン・レベロ



「疲れたかね?」
「ああ、少しね」
ホアンの問いにトリューニヒトが答えた。少しではあるまい、目の下に隈が出来ているのを見ればトリューニヒトがかなり消耗しているのが分かる。三日に及んだ講和交渉はかなり厳しかったのだろう。

「良くやったな、トリューニヒト」
「そう思うか、レベロ」
「ああ、そう思う。この状況下で出来る事は十二分にやったよ。胸を張れ」
トリューニヒトが力の無い笑みを浮かべた。一方的な敗戦、交渉のカードなど何も無い状態での交渉だ。帝国側の提示する条件を受け入れるのが精一杯だったろう。だがその中でトリューニヒトは出来る限りの事をしたと言って良い。

「取り敢えず交渉が妥結した事を喜ぼうじゃないか。決裂するよりはずっと良い」
「そうそう、決裂するよりはずっと良い」
私とホアンが言うとトリューニヒトが“君達は酷い事を言うな”と笑った。ようやく声を上げて笑ったな、トリューニヒト。その方がお前らしくて良い。そして決裂よりもずっとましなのも事実だ。決裂すれば状況は更に悪くなる事は有っても良くなる事は無い。

「明日講和条約の内容を発表する」
「後は同盟評議会での批准だな」
「ああ、なんとか三週間の猶予を貰ったよ」
討議期間は三週間か。トリューニヒトとホアンの会話を聞きながら思った。当初は一週間と帝国側は提示してきた。だが批准には十分な時間が必要だとトリューニヒトが抗議した。帝国側も後々討議の時間も与えなかったと非難されるのは不本意だろうと。ヴァレンシュタインは渋々だが同意したらしい。

「議会は受け入れるかな、トリューニヒト?」
「文句は言うだろうが受け入れるさ。受け入れなければ同盟は即消滅する。受け入れれば三十年は生き延びる事が出来るんだ」
「私も心配はいらないと思う。同盟が無くなれば議員達は失業者だ。給料を貰えなくなる。耳元でその事を囁いてやれば最終的には受け入れるさ」
トリューニヒトが私を見て肩を竦めた。ホアン、相変わらず酷い事を言うな、笑う事も出来ない……。




 
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