| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

彼に似た星空

作者:おかぴ1129
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

18.謝罪と懇願

 ひどく夢見が悪い状態で、私は目が覚めた。身体に触れてみると、全身が寝汗でびっしょりと濡れている。自分に寝るまでの記憶がまったくないことが驚きだ。霧島に紅茶のレクチャーをしたとこまでは覚えているが、そこから先がまったく思い出せなかった。

 暗がりの部屋の中を見回した。霧島が黒霧島のボトルを枕にして雑魚寝している。反対側では相変わらず鈴谷がケツを上につき上げたうつ伏せの状態で痙攣している。ケツから煙が上がってないところを見ると、そこまで重症ではないようだ。

 それにしても嫌な夢を見た。思い出したくないあの日の夢だ。私たちの帰還が遅れたせいで提督が死に、頭に血が上った私のせいで、比叡と榛名という二人の大切な妹を失ってしまったあの日。私は愛する男性を守ることが出来ず、愛する妹達の命を奪ってしまった。

 冷房が効いてないせいもあるのか、部屋の中は少し蒸し暑い。記憶を辿って行くと少なくとも黒霧島を静かに飲んでいるときは冷房が効いていたはずだが……霧島か鈴谷が気を利かせて、冷房をタイマー設定にしておいたのかもしれない。

 それにしても、寝汗がじっとりと身体にまとわりついて気持ち悪かった。室温が高くなってきたせいもあるだろうが、非常に不快なジメジメとした感覚に全身を襲われていた。

「うう……気持ち悪いデス……」

 私は少し夜風に当たりたくなり、広縁に出た。この旅館の客室は広縁の窓が大きくとられており、そこから外に出ることも出来る。私はその広縁に出て、部屋と広縁を仕切る障子を閉めた。その後広縁の窓を開け、夜風を身体に当てた。

 窓を開けた瞬間、柔らかい冷たさの夜風が私の頬に触れた。この場所は、昼間は非常に暑いが、夜になれば気温がかなり下がる。風が部屋の中を通るようにすれば、もっと部屋の中まで涼しくなるだろう。障子を開けようかとも思ったが、なんとなく霧島と鈴谷を起こしてしまうのではないかと思い、私は障子を開けずに窓の前に立った。心地良い夜風の涼しさが全身を癒やし、私は汗が引いていく心地よさに全身を委ねた。

 窓の向こうは、ちょっとした散歩コースになっている。涼しさを堪能しているうちに幾分目が冴えてしまった私は、このまま窓から出て散歩コースを歩いてみることにした。

 散歩コースは両側を背の高い垣根で挟まれた、ちょっと幅の狭い道だった。足元を照らす程度の弱い光を放つ照明が道に埋まっており、私はその明かりを頼りに、この小道をゆっくりと歩いて行った。

 歩きながら、私はなぜこの地に来たのか考えた。確かにこの地に来ることは、彼との約束だった。私と彼が結ばれたあの日……

『おれの故郷の星もキレイだよ?』
『? そうなんデスカー?』
『そうだぜー。結婚するからには、いつか金剛に見せたいな』
『ワタシも見たいデス! ダーリンの生まれ故郷!!』
『ダーリンは恥ずかしいな…』
『ぇえ〜? 結婚はもう決まったんだから、テートクはダーリンデスヨー?』
『まぁいいか……でさ。夏になると花火大会もあってさ』

 そう言われた。彼と共に、彼が生まれ育った土地が見たかった。彼が言う花火を見て、幼い彼を見守った星空を、彼と一緒に見たかった。

 だがその夢は、あの日に露と消えた。彼は、私の見てないところで消し飛んだ。私が愛した彼は、永遠に私の手の届かないところに行ってしまった。

 そしてそのことに絶望して激昂し我を忘れた私は、無謀な戦闘に姉妹を巻き込み、死なせてしまった。比叡は私をいつも愛してくれていた。やる気が時に空回りして失敗することもあったが、そんなところが比叡の愛嬌でもあった。私は比叡を愛していた。私だけではない。鎮守府の皆が比叡を愛していた。

 それは榛名も同じだった。確かに榛名は戦闘においても頼りになる自慢の妹だったが、それ以上に榛名は暖かく、心優しい娘だった。いつもいつも周囲を気遣い、人のために行動した。私は榛名を愛していた。そして比叡と同様、私だけではなく鎮守府の皆が榛名を愛していた。

 比叡と榛名は二人共、鎮守府の皆を愛し、鎮守府の皆から愛されていた。

 私は、その自慢の愛する妹二人を殺した。

 比叡は私を庇って死んだ。沈む間際は、私に笑顔を向けてくれさえいた。自分の命を奪った姉に、笑顔を見せて沈んでいった。

 榛名は、私の代わりに彼の仇を討って沈んだ。最期は私に謝っていた。私のせいで自分が沈んでしまうことを、私に詫びて沈んでいった。

――金剛お姉様……私は……

――お姉様……すみません……榛名はここまでです……

 私は、彼女たちに謝りたかった。私のせいで沈んでしまったことを、不甲斐ない姉のせいで命を失う羽目になってしまったことを謝りたかった。

 そして提督。

 やっと彼と結ばれた次の日、また会えると信じていたのに、彼は私のいない隙に、私の目の届かないところで死んだ。彼は、私に彼を守らせてくれなかった。まるで私に守らせないことで私を守るように、私のいない場所で死んでいった。

 小道の途中で立ち止まった私の頭の中で、あの日以来何度も私を拘束した疑問と後悔が、再び私の心臓を縛った。なぜ私は、彼を守ることが出来なかったのだろう。なぜ私は、愛する姉妹たちを殺してしまったのだろう。誰か答えて欲しかった。なぜあの日……私を受け入れ、私と結ばれた次の日、彼は私を置いて死んでしまったのだろう。なぜ、私は愛する二人の妹を殺してまで生き残ってしまったのだろう。比叡や榛名ではなく、私が生き残る意味は何だったのだろう……

「比叡……榛名……テートク……逢いたいデス……」

 そう思っただけで歩けなくなった。口に出してしまっただけで、立ち続ける力が失われた。私はその場に膝から崩れ落ちた。愛する妹たちを自らの手にかけた自責の念と、愛する彼を失った悲しみに押しつぶされ、前に進むことが出来なくなった。自責の念が鎖となって縛っているためか、私の心臓は全身に血液を巡らせるためにバクバクと音を立てるほど強く波打った。しかし、心臓をしばる鎖がそれ以上の鼓動を許さず心臓を力づくで締め上げ、結果私の心臓はもがき苦しみ、私の胸は、かきむしり心臓をえぐり出し、毟り掻きたくなるほどの痛みに襲われた。

 私は、比叡と榛名に再び逢いたかった。

 罵倒してくれて構わない。恨まれるのも覚悟の上だ。だから私の元に戻ってきて欲しかった。再び会い、私を睨みつけ、『お姉様のせいで私達は沈んだのに、なぜお姉様は生きているのか』と罵倒して欲しかった。直接言われるのなら、彼女たちの罵倒はどのようなものでも受け入れよう。どれだけ憎まれてもそれを受け入れよう。

 だから戻ってきて欲しかった。戻ってきて、私とまた話をして欲しかった。そのためなら何でもするつもりだった。海軍に戻れというなら戻る。命と引き換えだというのなら喜んで差し出す。だから私の元に戻ってきて欲しかった。

 そして私は、彼にもう一度逢いたかった。

 彼にもう一度会って、彼の声を聞きたかった。彼の手に触れ、彼の胸に身体を委ねたかった。彼の手に、私に触れて欲しかった。髪を撫で、身体に触れ、唇に触れて欲しかった。あの日のように私を抱きしめ、耳元で『愛している』と言って欲しかった。

 彼に、その美しい瞳をもっと見せて欲しかった。あの日の、月明かりに照らされガラス細工のように美しかった横顔を、もっともっと見たかった。見た目は女性のように美しいのに、触ってみると意外と骨ばってゴツゴツした彼の手にもう一度触れたかった。彼の髪を撫で、彼の涙を拭い、彼を抱きしめ、彼とともに歩みたかった。彼と共に喜び、怒り、泣き、笑いたかった。

「もう一度逢わせて……比叡……榛名……テートク……」

――こんごー
  金剛お姉様ー
  お姉様

 不意に、右手にあたたかい感触があった。確かに私は今、誰かに手を握られている。その手は私の右手を握り、私を前方に誘おうと優しく手を引いた。私はその手の感触に逆らうことなく、立ち上がり、再び小道を進んだ。

 手をひかれながらしばらく歩いて行くと、中庭に出た。中庭は開けており、中央には大きな楠の木と池がある。

 そして私はその時、はじめて空を見た。夜空には、今日霧島と鈴谷と3人で見た花火よりも、あの日彼と見た鎮守府よりも美しいたくさんの星々が、まるで宝石のように輝いていた。

「beautiful……」

 周囲に余計な明かりがないせいで星々がよく見えた。星空は、冷たく硬質だが優しい輝きで、私を迎え入れた。周囲に音がないため、キラキラという星の瞬きの音が聞こえてくるようだった。

 彼が私に見せたいと言っていた理由が、今分かった。私は、あの日の鎮守府よりも美しい輝きを放つものを知らなかった。そして彼よりも優しい存在はないと思っていた。だが、それはここにあった。あの日の鎮守府よりも美しく、あの日の彼のように優しい存在がここにあった。

 この星空は彼に似ていた。硬質でも優しい輝きを放つこの星空は、あの日見たガラス細工のように美しい彼とそっくりだった。だから彼は、私にこの星空を私に見せたかったのだ。だから彼は私と一緒に、この星空を見たかったのだ。自分によく似た星空を彼は私に見せたかったのだ。私はここに来て、この星空を実際に見て、やっとそれが理解出来た。

――こっちだよ。
  お姉様ー! こっちですよー!!
  こちらです。お姉様。

 花火の時にも聞こえた声が、今また聞こえた。直感で理解した。今度は空耳なんかじゃない。あの3人がいる。あの3人に逢える。

 私は、導かれるように楠の木の木陰を見た。そこには、見慣れていたはずの、だけど見ただけで胸が一杯になり、喜びで涙が溢れる姿があった。

「あ……ああ……」

 木陰には、比叡、榛名、そして彼がいた。

「比叡……榛名ぁ……テートク……!!」

 私は楠の木の木陰に向かった。最初は力なく少しずつ、しかし木陰に近づくことで3人の姿が鮮明になるにつれ、足早に、そして最後には走って3人の元に向かった。3人は、優しい笑顔で私を見守ってくれた。

「比叡!! 榛名!! 逢いたかったデース!!」

 楠の木の木陰まで来た時、私はこらえきれず比叡と榛名を抱きしめた。

「比叡! 榛名!!」

 二人も笑顔で私を抱きしめてくれた。二人の感触が確かにある。この暖かさはよく覚えている。

『うほぉおおい!! お姉様ぁあああ!!』
『もー…比叡は甘えん坊さんデース……』

 比叡はよく何かにつけ、私に甘えて抱きついてきた。まさにその時に比叡から感じたぬくもりを、今私は感じている。

『ワタシの妹は健気でとてもかわいいデース!!!』
『お、お姉様…榛名、呼吸出来なくてちょっと苦しいです……』

 私は、いつも健気に振る舞う榛名が愛おしくて、よく榛名に抱きついていた。その時に榛名から感じたぬくもりを、今も私は感じていた。

 間違いない。今笑顔で私を抱きしめてくれている二人は、比叡と榛名だった。

「逢いたかったデス比叡……逢いたかったデス榛名……」

 私は、二人から一度離れて顔を見た。二人ともいつもの笑顔をしていた。自分の喉がギュッと押しつぶされ、声が震えた。今声を出せば、私は確実に心のタガが外れて泣いてしまう。声がうまく出せない。だがそれでも、私は二人に伝えなければならない。謝罪しなければならない。

「二人ともごめんなさい……ワタシが……ワタシがあなたたちを殺しまシタ……恨んでもいいデス……死ねというなら死にマス……でも、あなたたち二人に謝りたかったデス……比叡……榛名……本当にごめんなさい」

 そこまで言うと、私の目から涙がとめどなく溢れた。最後の『ごめんなさい』は、潰れた喉と涙声のせいで、すでに自分でも聞き取れないような酷い有り様だった。それでも私は謝罪が出来た。もう叶うことはないと思っていた二人への謝罪が叶った。私は地面に膝を付き、手をついて頭を下げた。これで二人が許してくれるとは思えない。私の罪が消えるとも思えない。しかし二人に謝罪をしたかった。許してくれなくてもいいから、二人に私の謝罪を効いて欲しかった。謝罪を態度で示したかった。

 比叡は頭を下げた私の肩を掴み、上半身を起こしてくれた。そして、私の顔を見てくれた。比叡の顔は微笑んでいた。微笑んだまま、目に涙を浮かべ、比叡は首を横に振っていた。

 私は榛名の顔を見た。榛名もまた微笑んでいた。微笑んだまま、目に涙を浮かべて、小さく何度も頷いていた。

――金剛お姉様……私はお姉様がご無事なら、それで満足です。

――お姉様。榛名は大丈夫です。だからもう、自分を責めないで下さい。

 二人の声が聞こえた。実際に聞こえたのではないかもしれない。しかし私は耳ではなく、彼女たちの声を心で聞いた。あの時、比叡が何を言いたかったのか、やっと分かった。比叡はただ、私のことを最期まで案じてくれていたのだった。そして、こんなにも安心出来て力強い、榛名の大丈夫という言葉を聞いたのははじめてだった。

 今わかった。二人は私を恨んでいなかった。すべては私の思い違いだった。比叡は私を案じているだけだった。榛名も私をただ案じてくれているだけだった。私は、彼女たち二人の本当の気持ちを汲み取ることが出来ず、ただのひとりよがりな己への罪の意識に囚われていただけだった。彼女たちがそんなことを望んでないことは分かった。私は許されていた。はじめから許されていたのだ。私は自身の身体から、重い十字架が消えていくのを感じた。

「ありがとうございマス…比叡……ありがとうございマス…榛名……」

 私達は再び顔を見合った。比叡は涙を浮かべながらも、いつもの叫び声を上げんばかりの満面の笑みで私に抱きついた。榛名もいつもの優しい笑顔で私を抱きしめてくれた。彼が死んだあの日、私が榛名を抱きしめたように、今度は榛名が私を抱きしめてくれた。

 しばらくそうして3人で抱き合ったのち、比叡が私から離れた。榛名が私の肩を支え、私を優しく立たせてくれた。

 立ち上がった私の前にいたのは、優しい微笑みをたたえた彼だった。

「テートク……」

 比叡と榛名は、笑顔で私のそばから離れた。榛名がちょっとだけ悔しそうな顔をしていたのは、私の気のせいなのか、それとも本当に悔しいのか分からなかったが、その後二人は、静かに消えていった。

 彼に似た星空の下で、私は彼と会えた。彼が私の前からいなくなったのはほんの少し前の話のはずなのに、もう何年も会ってなかったような、不思議な懐かしさがあった。

「テートク……あれから鎮守府はなくなったヨ……」

 私は彼の顔をまっすぐ見据えた。彼は私にしか見せない、私が大好きな、あの優しい笑顔をして、私の話を聞いてくれていた。

「テートクのお気に入りの球磨は海軍に残りまシタ。テートクが一番気にしてた木曾もテートクの仇を取るって言って残りまシタ。青葉はジャーナリストになるらしいデス。テートクたちの死に責任を感じてマシタ」

 彼に報告したいことはたくさんあった。話していくうち、涙が溢れてきた。また彼と話が出来るのがうれしかった。彼に事の顛末を伝えることが出来ることがうれしかった。私は涙をこらえることが出来ず、泣きながら、鎮守府のみんながその後どういう道をたどったのか説明した。

 彼は静かに私の話を聞いてくれた。笑顔で見守ってくれた。

「五月雨も最初は酷く落ち込んでたケド……今はテートクが守った子たちを守るために、海軍に残ったヨ。五月雨はワタシと違って強い子ネ」

 不意に彼が、私の頭を撫でてくれた。待ち焦がれた感触だった。初めて撫でられた時の、全身がポワッとし、フワフワと中空を漂うような心地いい感触が私を包み込んだ。

「テートク……テートク……」

 あの日のように、私はもう我慢が出来なかった。私は彼にしがみつき、彼の胸に顔を埋め、子供のように声を上げながら泣いた。

「逢いたかったデス……テートク!!」

 彼は私を抱きしめてくれた。いつかのように優しく、だけどあの時以上に力強く、私の全身をしめつけるように、私の全身に自身の感触を残すかのように、強く強く私を抱きしめてくれた。

「愛してマス。ワタシはあなたを愛してマス」

 彼は笑顔で優しく頷いてくれた。

「大好きですテートク。ダーリン愛してマス」

 彼は苦笑いを浮かべながら、それでも優しく頷いてくれた。

「もっと撫でて……もっとワタシに触れて……ワタシを抱きしめて下サイ」

 彼は笑顔で私の頭を撫でてくれた。髪に優しく触れ、手を握り、さらに力を込めて私を抱きしめてくれた。

 彼の動きの一つ一つに、私の心が喜びで震えた。私の全身が彼を求めた。触れる度、撫でられる度、抱きしめられる度に、私の身体がさらに彼の感触を求めた。彼の手を求め、彼の肌を求め、彼の愛を求めた。彼に強く抱きしめられた痛みすら、狂おしいほどに愛おしく感じた。

 そして彼は、それに応えてくれた。何度も頭を撫でてくれ、その手で私の涙を拭い、頬に触れ、身体を強く抱きしめてくれた。その度に彼への愛が心に溢れた。もっともっとと彼の愛を求めた。理不尽に奪われたあの日以降の時間を取り戻すように、私たちは互いに触れ、互いに愛を確かめ合った。

 もうどれだけの間こうしていただろう。数分かもしれない。数十分かもしれない。時間の感覚すら分からなくなるほど抱きしめられ、彼の愛を一身に受けた後、フと彼の手が止まった。私は彼の胸から顔を上げ、彼の顔を見た。彼は、星空を見上げていた。

「テートク……」

 彼は私を見た。笑顔だった。

「行くんデスカ? ……嫌デス。もっと愛して下サイ」

 心持ち、彼の笑顔が苦笑いになった気がした。微妙な変化だが、私には分かる。彼が今少し困っているのが、私には手に取るように分かる。

「アナタを愛してマス。だから行かないで下サイ。ワタシを置いて行かないで下サイ」

 困らせてもいい。嫌だ。もっと彼を愛したい。もっと彼に愛して欲しい。もっとずっとこうしていたい。だから行かないで下さい。私と一緒にいて下さい。

 彼は再び星空を見上げた。嫌だ。行かないで。私のそばにいて。もっと私に触れて下さい。私のことを愛して下さい。

 聞いて下さい。私はあなたを愛しています。だから行かないで下さい。もう私を離さないで下さい。私の元から離れないで下さい。

 もう、私をひとりにしないで下さい。

 彼はもう一度私を見た、いつか見た、本当に美しい微笑みだった。その微笑みのまま、彼は自分の頬と私の頬をぴったりと合わせた。

――おれは金剛を永遠に愛している
  でも続きは、金剛がおばあちゃんになってからにしよう

 涼しい夜風の感触で目が覚めた。私は広縁の椅子に座って寝ていたようだった。広縁の窓から夜風が吹き込んで、白いカーテンが優しく静かになびいていた。

「テートク……?」

 夢だったのか、それとも私はあの後自分でも知らないうちにここまで戻っていたのかは分からない。でも私は……私の心と身体は、その感覚をリアルに覚えている。比叡と榛名の懐かしい温かさを。そして、愛する男性の、狂おしいほどに待ち焦がれた愛おしい感触とぬくもりを、私の心と体は覚えていた。

 私は自分の頬に触れた、涙の跡が残っていた。私の頬はまだじんわりとしめっており、まだそこまで時間は経ってないようだった。

 広縁と居間を仕切る障子を開けた。相変わらず霧島は黒霧島のボトルを枕にして寝ていた。鈴谷は相変わらずうつぶせだったが、もうケツを突き上げてはいなかった。

「……お姉様」

 フと、霧島がしゃべった。彼女は目を覚ましていたようだ。起き抜けではない、かなりしっかりした発音で私を呼んだ。

「……起きてたんデスカ?」
「いえ……ついさっきまで寝てました。お姉様は?」
「ワタシは、さっきまで広縁で涼んでマシタ」
「そうですか」

 ひどく淡々とした受け答えのように感じた。霧島は元々理知的に会話をする子だが、決して無愛想ではない。非常にウェットで温かく、時に愉快さすら感じる話し方をする子だ。それなのに今、霧島は非常に淡々とした話し方をしている。

「お姉様。夢を見ました」
「夢?」
「はい。比叡お姉様と榛名の夢です」
「……二人は、何か言ってましたカ?」
「金剛お姉様を頼むと」
「そうなんデスネ……」
「……お姉様には?」
「ワタシのことを憎んでないと」
「そうですか……」

 恐らく、霧島は直感で私も二人と会っていたのが分かったのだろう。霧島は黒霧島のボトルを枕にして仰向けに寝転んだまま、天井をずっと見ていたのが分かった。

 その後しばらくの間、私と霧島の間に沈黙が流れた。嫌な沈黙ではない。私と霧島の間に言葉はなかったが、少なくとも昼間の時のような、心に痛い沈黙ではなかった。とても心地のいい、私と霧島の間にだけ許された、とてもフラットな空白だった。

 しばらくして、霧島は上半身を起こした。部屋の中は暗がりだったが、霧島が微笑んでいるのが分かった。

「寝ましょうか。お姉様」
「そうデスネ。明日は帰りますしネ」
「ええ。鈴谷も寝てますしね」

 なんだかこのやりとりだけで、私と霧島はすべてを察しあった気がした。霧島がどう感じているかは知らないが、私は、霧島がすべてを察してくれたと理解した。

 やはり霧島は、私の自慢の妹だ。そして、比叡と榛名も私の自慢の妹だった。

 そして彼は、最期に私を愛してくれた。

 ありがとう比叡。ありがとう榛名。そしてありがとうダーリン。
 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧