| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

猫又

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
< 前ページ 目次
 

1部分:第一章


第一章

                      猫又
 片桐沙世はごく普通の女の子だ。街の中学校に通う本当に普通の女の子だ。
 頭も顔も普通。背も体型も何もかも普通。平凡そのものの女の子だ。ぱっとしないと言えばぱっとしない。そういう女の子だ。
 だが誰にも一つは変わったところがある。それは彼女自身にはない場合もある。彼女の場合はそうであった。その変わったものというのは。家の飼い猫にあった。
「ふうん、大変だったんだね」
 これまた何の変哲もない普通の中学生の女の子の部屋。ショートボブの沙世はピンクと白のトレーナーにベージュのキュロット、白いソックスという格好だ。問題はその沙世の側にいる猫にあった。
 虎縞の猫である。それ自体は普通だ。だがその猫は。何と二本足で立ち、そして人間の言葉を話しているのだ。これがどうして普通であろうか。
「けれど何とか乗り切ったんだろう?」
「大変だったのよ」
 沙世はその普通でない猫と平気な顔で話をしていた。ごく自然に。
「まあ皆で何とかしたからいいけれど」
「やっぱり持つべきものは友達だってことだな」
 猫はその話を聞いたうえで満足気に頷く。
「いい話だ」
「まあ終わったからそう思えるわね」
 沙世もそれに頷いていた。
「トラだってそう思うでしょ?」
「勿論」
 トラと呼ばれたその普通でない猫もそれに応える。
「やってる時は何時でもそうだよ」
「そうなのよねえ。終わってからほっとしてね」
 沙世とトラは話を続ける。
「後で大変だったなあって思って振り返って」
「俺なんかそんな思い出一杯あるぜ」
 トラは笑って述べた。
「長生きしてるからな」
 尻尾を振りながら言う。見れば尻尾が二本ある。猫又だ。
「どれだけ生きてたっけ」
「二百年さ。子供の頃に嬢ちゃんの御先祖様に拾われてな」
 にこにこと笑っている。その顔はやけに猫らしいが何処か人間のそれも連想させた。
「それからずっとさ」
「そうだったわよね」
「親父さんもそれこそ赤ん坊の頃から知ってるしな」
「パパもそうなんだ」
「お袋さんがはじめて家に来た時なんてな。すっごい可愛かったからな」
「それよく言うね」
 沙世の母親のことである。トラは二人の馴れ初めも知っているのだ。
「嬢ちゃんそっくりだったんだぜ」
「写真見たらそうよね」
「本当にな。結婚してすぐこうして話したら驚いたの何のって」
「私が逆に猫が喋らないって聞いて驚いたわよ」
「ははは、そうだろな」
 トラはまた笑った。
「普通猫って人間の言葉話さないからな」
「普通はね。あんた猫又だから」
「猫又だってちゃんとした猫だぜ」
 トラは反論する。
「ちょっと魔力があって尻尾が二本あるだけでな」
「それを妖怪って言うのよ」
「人間は悲しいねえ」
 前足をまるで人間のそれの様に組んで嘆いてみせる。
「それだけで猫を妖怪呼ばわりなんだからな」
「二百年前は普通の猫だったんでしょ?」
「可愛い子猫だったさ」
「それがこんなのになっちゃって」
「やれやれ、嬢ちゃんまで」
 今度は前足をすくませる。そのまま人間の動きである。
「そんなこと言ってくれちゃって」
「けれどお話が出来るのは有り難いわ」
「そうだろ、何しろ二百年も生きてるからな」
 胸を大きくふんぞりかえらせる。
「何でも知ってるぜ。聞いてくれよ」
「阪神今度優勝するのは何時?」
「そんなのは神様に聞いてくれ」
「知らないじゃない」
「それは予言とかだろ。それにあのチームだけは何時優勝するかわかったもんじゃないよ」
「冷たいわね、ファンなのに」
「あのチームのファンってのはな、嬢ちゃん」
 何処からともなく煙草と灰皿を取り出す。前足の爪から火を出して点けるとまず吸って煙を吐き出す。
「達観が必要なんだよ。何時勝っても負けてもな。喜ばなくちゃいけねえんだよ」
「わからないわね」
「西武ファンにはわからん話さ」
「松坂君が阪神に来たらどう?」
「ピッチャーはいいんだよ、阪神は」
 ずっと阪神を見てきた猫の言葉である。その言葉には果てしない重みがあった。阪神という球団が伝統的に投手のチームであることを彼は熟知しているのだ。
「点が取れないと負けなんだ、野球は」
「ダイナマイト打線見てきたっていつも言ってるのに」
「そんなの毎日に潰されたさ」
 これも見てきたから知っているのだ。二リーグに分裂した時に選手を多量に引き抜かれているのだ。これで阪神は大きく衰退している。
「私が生まれる前の日本一は?」
「遠い夢の話さ」
 胡坐をかいて語る。
「もうな。あんな夢は見れないさ」
「これからも?」
「ああ」
 彼は語る。
「いや、見れるかな。同じ位いいのは」
「それは何?」
「嬢ちゃんに恋人が出来ることだな」
 彼は笑ってこう答えた。
「これでもその日を待ってるんだぜ」
「だってそれは」
 だが沙世はこれにはバツの悪い顔をした。
「私まだ興味ないし」
「言うねえ、もういい年頃なのに」
 トラは何処かおっさん臭い口調になっていた。どうやら阪神の話から地が出ているらしい。
「昔だったら嬢ちゃんの歳には嫁に行ってたんだぜ」
「けれど本当にいないから」
 幾ら言ってもそれは変わりはしないのだ。恋人というのは言ってすぐできるものではない。何時出来るかわからないものなのである。
「困ったもんだ。老い先短いこの身で嬢ちゃんの花嫁姿を見れねえなんて」
 煙草を右の前足にとって溜息混じりに言う。
「唯一の心残りだねえ、また」
「何よ、阪神の日本一をもう一回見たいっていつも言ってるのに」
「うっ」
 沙世に突っ込まれて言葉を詰まらせる。
「それに後何百年も生きるんでしょ、猫又って」
「ま、まあそうだけどよ」
 言われてしまってはどうしようもない。
「だからそのうち見られるわよ。安心してよ」
「いや、安心は」
 とても出来なかった。どうしても沙世のそっちへの疎さが気になるのだ。だがそれを言っても何にもならないのも自分で嫌になる程わかってもいた。
(まあいいか)
 トラは心の中で呟いた。煙草を前足に持ちながら。
(いざとなりゃこの俺が何とかしてやるか)
 そんなことを考えていた。だが沙世は相変わらずで何の変化もない。トラは阪神の勝ち負けに一喜一憂しながらそんな彼女を見守っていた。
 そうした日が続いていた。ある朝。教室でぼんやりとホームルームを聞いていた沙世に突然異変が舞い降りてきた。
「転校生だぞ」
 担任の桐生先生がいきなり言い出した。
「えっ!?」
「転校生って!?先生」
「転校生って言ったら転校生だ」
 沙世のクラスの担任の桐生先生はかなり強引な先生として知られている。野球部の顧問で自分で応援歌を作り卒業写真で部員全員でポーズを決めたり何でも気合で済ませようとする。そうしたいかした先生であり生徒からの評判は実にいい。また違った意味で。
「わかったな」
「何でいきなり言うんですか!?」
 生徒達の意見は続く。
「面白いだろ」
「面白いって」
「いきなり言った方がな。それでその転校生だ」
「またあの先生は」
 沙世はそんな先生を見ていささか呆れ顔であった。いつものこととはいえこうした悪戯に呆れさせられたり困ったりしているのもまた事実だからだ。
 
< 前ページ 目次
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧