| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

至誠一貫

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

第一部
第六章 ~交州牧篇~
  八十一 ~神医、再び~

 夜が明け、番禺(ばんゆ)の被害状況が入ってきた。
 どうやら、炎を大きく見せて注意を惹き付ける事が目的だったらしく、火勢の割には被害は少なかったようだ。
 ……とは申せ、死傷者が出ている以上、軽んじる訳にはいかぬ。
 庶人への手当は、既に士燮が動いていた。
 介入すべきところは見当たらぬ以上、任せるより他にない。
 それよりも、黒幕を突き止める事が我らの使命であろう。
「生き残りはなし、か」
「はっ。自ら命を絶った者はおりませぬが、負傷した後に息を引き取った者が多く……無念です」
「申し訳ありませぬ、主。火を付けて廻った者共も、今一歩のところで取り逃がしました」
 項垂れる疾風(徐晃)と星。
「やむを得まい。お前達が責めを感じる事はない」
「…………」
「これだけの規模、これだけの手際からすれば、相手も雑魚ではあるまい。寧ろ、油断していたのは私であろう」
「それは違います!」
「まぁまぁ、少し落ち着いたらどうですか、疾風。あなたらしくもない」
「しかしな、稟。歳三殿からこのような事が起こらぬよう、全てをお任せいただいたのは私だぞ?」
「ええ。ですが、起こってしまった事は仕方ありません。それに、いろいろと不審な点が多いのです」
 そう言って、稟は愛里(徐庶)と鈴々を見る。
「確かに。普段の私なら、もっと早くに不穏な空気に気づけた筈なんです」
「うー、頭が痛いのだ……。鈴々、こんな事今までなかったのだ」
「……私も、起こされるまで全く目が覚めませんでした。申し訳ありません」
 兵らにも糺したが、やはり深い眠りに落ちていた、との答えばかりであった。
「何者かが、城内の皆を眠らせたのは確かなようですね」
「ああ。だが、殿や山吹(糜竺)ら、私は何事もなかった。これはどういう事なのだ?」
「風と愛紗ちゃんはお兄さんと一緒でしたからねー」
 ふむ。
 眠り薬を嗅がされたという可能性もあるが、それならば何らかの臭いがある筈。
 だが、稟や朱里ならともかく、鈴々や愛里までも気付かぬ訳がない。
 それに、城内くまなく細工を施すのなら、私を避ける理由はなかろう。
 ……と、なれば。
「星、疾風。昨夜だが、夕食は何処で取った?」
「は。城下の飯店にて、メンマを肴に一杯やっていましたな」
「私は、調査で城下にいましたから。星とは別の店で済ませました」
「……鈴々、朱里、稟は、城内の食堂だな?」
「勿論なのだ」
 朱里と稟も頷いた。
 ……やはり、そういう事か。
「疾風。手遅れやも知れぬが、昨夜厨房にいた者を至急洗え。恐らく、下手人が紛れ込んでいたのであろう」
「はっ、直ちに!」
「歳三さん、まさか……身元は十分に確かめている筈です」
「その通りだ、山吹。だが、その身元を保証した者も含めて疑わしいとなれば……話は別だ」
「そうですわね。私は食事はそもそも頂いていませんし、歳三様方は確か、山吹さんの手料理を召し上がったとか」
「どうやら、間違いなさそうですね。……それから、わからない事はまだあります」
「風が狙われた事だな、稟?」
「はい。仮に黒幕が北にいる方々だとすると、狙うは歳三様の筈です。なのに、風ばかりに狙いを定めたのは間違いありません」
「むー。風は恨みを買うような真似はしてないのですけどねー」
 不機嫌そうに、飴をなめる風。
「とにかく、徹底的に調べよ。相手が誰であろうと、赦す訳にはいかぬ。良いな?」
「御意!」
 皆が、思い思いに調査に出て行く。
「朱里。済まぬが、愛紗の方を引き続き頼むぞ」
「はい。……ただ、解毒薬だけでは厳しいかも知れません」
 愛紗の容態は幾分落ち着いたものの、昏睡状態が続いていた。
 洛陽ならば腕利きの医師も手配できようが、この地ではそこまで望むのは酷であろう。
「やはり、華佗を探し出すより他あるまい」
「華佗さん、ですか?」
「そうだ。五斗米道の医師で、氣を以て治療を行う者だ。稟も、それでかなり体調が良くなった事もある」
「……わかりました。水鏡先生にもお願いしてみます。あの御方は、各地に顔が利きますから」
「頼む。その間、これ以上容態が悪化せぬよう、何とか頑張ってみてくれ」
「御意です」
 朱里は疲れた素振りも見せず、気丈に笑って見せた。

 昼過ぎに、士燮が姿を見せた。
「土方様、宜しいですか?」
「うむ。私も、お前と話がしたいと思っていたところだ」
「では、失礼します」
 私は書簡を脇に寄せ、机越しに士燮と対面した。
「まず、早朝の火災ですが。家屋の全焼が二十軒、半焼が五十二軒でした」
「……死者が出たと聞いたが」
「はい。三名が死亡、数十名が手当を受けている状態です」
 報告する士燮の表情は、硬い。
「関羽様は、未だに意識が戻らないと伺いましたが」
「そうだ。今のところ、朱里の解毒薬で一命は取り留めた。だが、予断を許さぬ状態でもある」
「……そうですか。実はその件で、お知らせしたい事があります」
「聞こう」
「……では。関羽様が受けた毒ですが……。この国には殆ど出回っていない毒草から作られた物でした」
「どういう事だ? 下手人は、異民族だと申すか?」
「いえ。彼らは漢語を正しく話せませんし、肌の色も異なります。ですが、私が調べた限りでは、死体は何れもこの国の人間ばかりでした」
 わからぬな。
 毒は異国の物、だが扱ったのはこの国の者という訳か。
「些か、私にも気になる事がありまして。この一件、私も調査に加えていただけませんか?」
「しかし、既に皆が調査に走り回っているところだ。その上、何を調べると申すか?」
「そ、それは……」
 言い淀む士燮。
「ならば、私から訊ねるが。この一件、交州の者が絡んでいるのではないか?」
「……土方様。何故、そのようにお考えに?」
「まず、諸事の手際があまりにも鮮やか過ぎていた。これは、番禺の城内外に通じていなければ至難の業であろう」
「……はい」
「それに、殆どの者があれだけの騒ぎにも関わらず目覚めなかった。夕食に何か盛ったとして、それとて手引きする者が不可欠だ」
「それだけですか?」
「いや。それに私ではなく風を狙った襲撃というのも、どうにも解せぬ。それも、何か関わりがある筈だ」
「…………」
 士燮は暫し、視線を宙に巡らせた。
 そして、意を決したように切り出した。
「土方様。……では、胸襟を開いて話します」
 言葉を一旦切って、士燮は続ける。
「ただ、これからお話する事はまだ確証を掴めずにいる事です。はっきりするまで、土方様の胸の内に収めておいていただけますか?」
「そのような事、私に話して良いのか?」
「……土方様は、不用意にべらべらと他人に漏らしてしまうような御方ではないでしょうから。それは、私が確信しています」
「良かろう。私とて、約束を違えるのは好まぬ」
「ありがとうございます」
 士燮は一礼してから、声を潜める。
「実は、今回の事……我が一族が絡んでいると私は見ております」
「……そうか」
「はい。あまり、驚かれないのですね?」
 意外そうな士燮。
「あくまでも可能性だが、そう仮定すれば辻褄が合う。そう考えたまでだ」
「なるほど。ふふ、やはり土方様は恐ろしい御方です」
「怒らぬのか? 取りようによっては、士燮自身も疑っているとも見られかねぬが」
「仕方がありません。その前提ならば、私が黒幕であれば全て説明がつきますから」
「だが、お前は無関係であろう?」
「さて、どうでしょうか」
「ふっ。そこまで平然としている者を疑え、と申す方が難しいのではないか?」
 得心がいったようで、士燮は大きく頷く。
「しかし、私を敵に回して何の利がある? そこがわからぬのだ」
「それは、南方貿易が関係していると見ています」
「ふむ、貿易か」
「そうです。土方様もご存じの通り、南方貿易は多大な利をもたらします。諸侯がこの地を狙う最大の理由でもありますが」
「それはわかる。だが、私はそれを取り上げるつもりなどない。無論、その為に庶人を犠牲にする事がなければ、だが」
「流石にそれはないと思います。……ただ、貿易額を過少申告して、差額を懐に入れる。それならばどうでしょうか?」
 私腹を肥やすという訳か。
 勧善懲悪の芝居ならば、さしずめ斬られる悪役という立場とも言える。
「だが、上に立つ者全てが清廉潔白で居られるとは限るまい。目に余る程でなければ、目くじらを立てるつもりはない」
「意外ですね。土方様はもっと厳格な御方かと思っていましたが」
「私とて、余人には話せぬ事もしてきたのだ。そこまで私は身綺麗な人物ではない」
「……そうですか。ただ、妹達がそれを弁えているかどうか」
 士燮は、大きく溜息をつく。
「有り体に申し上げて、あの娘達は土方様を恐れています。ご自身も勿論ですが、軍としての練度も驚くばかり。そして、将は綺羅星の如くですし」
「ならば、何故私が交州入りした時点で行動を起こさなかったのだ? あの時ならば長距離移動があり、兵も疲弊していた」
「そこです。土方様を甘く見ていたか、若しくは他の理由があったのか。そこはまだ、何とも申し上げられません」
「では、風を襲った理由もそこにある、そう見ているのだな?」
「はい。必ずや、突き止めて見せます」
 士燮は一礼する。
「それから、関羽様の事ですが。凄腕の医師をお捜しとか」
「耳が早いな。華佗と申す、五斗米道の医師だ。病人が居ると聞けば駆けつけている故、所在がはっきりせぬのだ」
「わかりました。そちらの方も、私がお手伝いします」
「頼む。下手人も突き止めねばならぬが、今は愛紗の事が最優先だ」
「ええ」
 どうやら、胸襟を開いて、というのは嘘ではなかったようだな。
 だが、士一族が本当の黒幕かどうか。
 ……まだまだ、隠された事実があるのだろう。

 その後数日間、愛紗の意識は戻らぬままだ。
「う、うう……」
 その額に、汗が滲んでいる。
「解毒薬は効いている筈なんですけど……」
「朱里、お前のせいではない。気に病むな」
「はい……」
 責任を感じているのか、朱里の表情は曇ったままだ。
 それに、隠しきれぬ疲労が浮かんでいる。
「それよりも少し休め。お前まで倒れては本末転倒だ」
「いえ、大丈夫です」
「無理をするな。お前にも役目があるのだ、ここは私に任せて休め」
「……わかりました」
 そう言って席を立った朱里だが、足下がふらついている。
「全く大丈夫には見えぬぞ」
「い、いえ。ちょっと立ち眩みを起こしただけで……はわわわ」
 倒れかかったその身体を、咄嗟に支えた。
「あ……す、すみません……」
「一人で歩けぬ程疲労困憊しているのなら、そう申せ。部屋まで連れて行こう」
 朱里は何か言いたそうであったが、私は構わず背負った。
「はわわわわっ! ご、ご主人様?」
「不服か?」
「い、いえ……」
「ならば良い。行くぞ」
 部屋を出たところで、鈴々に出くわした。
「あれ? お兄ちゃんに朱里なのだ」
「鈴々か。暫し、愛紗の傍についていてやってくれぬか?」
「合点なのだ。鈴々も、愛紗の事が心配で見に来たのだ」
「そうか。お前ならば安心だ、頼むぞ」
「応なのだ」
 普段は口煩い姉と、天真爛漫な妹……そんな風情の二人。
 だが、あの絆の強さは真の姉妹以上のものがあろう。
「では、参るぞ朱里」
「は、はいっ! 宜しくお願いしましゅ!……あう」
 ふっ、また噛んだか。
「朱里よ」
「はい……」
「お前はそれだけ諸事に通じ、誰もが認める才を持っている。もう少し、自信を持ったらどうだ?」
「あう……。す、すみません……」
「別に謝れとは申しておらぬ。お前を仲間に迎えて良かったと、今も思っているのだ」
 朱里の吐息が、首筋に当たる。
 息づかいが、やや荒い気がするが。
「ご主人様」
「何だ」
「私、本当にお役に立てていますか?……率直にお聞かせ下さい」
「申したであろう。お前がいたからこそ、我らもこうしていられるのだ」
「……本当、ですか?」
「偽りは申さぬ。それとも、私が信じられぬか?」
「そ、そんな事ありましぇん!」
「ならば、そのまま受け取れば良い」
「……ありがとうございます、ご主人様」
 朱里の手に、力が籠もった。
「……あの」
「何だ?」
「は、はい……。ご主人様に、一つ」
 と、その時。
「あ、土方様!」
 士燮が、急ぎ足で此方へとやって来た。
「如何致した?」
「はい! 華佗と申す医師、見つかりました」
「真か。ならば直ちに連れて来てくれぬか?」
「もう手配を行いました」
 これで、愛紗も助かろう。
「朱里。後は何も心配要らぬ。ゆるりと休むが良かろう」
「……は、はい……」
 何故か、気落ちしたような返事だな。


 程なく、華佗が姿を見せた。
 卑弥呼や貂蝉はおらぬが、恐らく城下で待っているのであろう。
「久しぶりだな、土方」
「うむ。早速だが、愛紗を頼む」
「任せておけ。患者は何処だ?」
「こっちだ」
 華佗は少し診察して、
「うむ。毒が内臓を蝕んでいるな」
「助かるか?」
「……とにかく、全力を尽くそう。すまんが、外してくれるか?」
「わかった。何かあれば、外にいる兵士に声をかけるが良い」
「ああ、そうしよう。鈴々、出るぞ」
「大丈夫なのか、お兄ちゃん?」
「華佗の腕ならば私が保証する。この国で、愛紗を救えるのはこの者しかおるまい」
「わかったのだ」
 不安げな鈴々だが、私の言葉に頷いてくれた。

「士燮。この通りだ、礼を申す」
 頭を下げた私に、士燮は戸惑いの色を隠せぬようだ。
「い、いえ。私はただ、華佗という医師を探し出したまで。頭をお上げ下さい」
「いや。お前が華佗を連れて来なければ、愛紗は手遅れになったやも知れぬのだ」
「……そうですか。では、お礼として受け取りましょう」
「ありがとうなのだ、お姉ちゃん!」
「お、お姉ちゃん?」
「にゃ? だって鈴々から見たら、士燮はお姉ちゃんなのだ」
「お姉ちゃん、お姉ちゃん……」
 何故か、士燮は呆然としている。
「で、ではこれで私は失礼します!」
 と、慌てて踵を返すと、駆けていった。
「お兄ちゃん。鈴々、何か悪い事言ったか?」
「いや。……何であろうな、あれは」
 鈴々は首を傾げている。
 私にも、あの態度は理解出来た訳ではないが、な。
「さて。愛紗の治療が済むまで、何か腹に入れておくか」
「ごはんか?」
「そうだ。今日は私が出そう、好きなだけ食べるが良い」
「本当か? じゃお兄ちゃん、すぐに行くのだ!」
 パッと鈴々の顔が輝いたかと思うと、私の手を引いて走り出そうとする。
「こ、これ。慌てずとも良い」
「へへーん、そうは行かないのだ!」
 鈴々に引き摺られるような格好で、私は城下へと向かった。
 手痛い出費になるやも知れぬが、たまには良かろう。 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

感想を書く

この話の感想を書きましょう!




 
 
全て感想を見る:感想一覧