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悪夢

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1部分:第一章


第一章

                     悪夢 
 それはとても怖い夢だった。うなされて仕方ない夢だった。
 恐ろしい、どんな姿かさえわからないとてつもない化け物に追い掛けられる夢だった。追いつかれるところでふと目が覚める。悪い夢を見た時のいつものパターンであった。
 健也は目が覚めるとまずは起き上がって自分の周りを見回した。お父さんとお母さんは気持ちよく寝ていた。
「お母さん」
 声をかけても返事はない。
「お父さん」
 同じだった。やっぱり返事はない。
 起きると急に喉が渇いていた。しかし部屋の外に出るのが怖い。
「何か」
 外にいるような気がしたのだ。夢に出て来たあの化け物が。彼はそれを考えただけで怖くなった。
 それでも喉の渇きは我慢できるものではなかった。彼は仕方なくお茶が置かれている台所へ向かった。布団から這い出てそのまま部屋を出た。そこだった。
 廊下は薄暗い。前は闇の中に消えよくは見えない。大きくない筈の家の廊下がいやに大きく見えた。それは夜の闇のせいであろうか。
「まさかとは思うけれど」
 彼はビクビクしながら前を進んでいく。物音一つしない廊下は本当に不気味である。
 その物音一つしないのがかえって怖かった。若しかするとあの化け物が息を顰めて近付いているのかも、そう思ったその時であった。
 後から不意に音がした。慌てて振り返るとあの化け物が後ろにいた。そして彼の方にやって来る。
「うわっ、出た!」
 健也は化け物の姿を見て慌てて前へ駆け出す。逃げる為だ。家の中だというのにどうして化け物がいるのかまでは考えてはいられなかった。彼はとりあえず逃げ出した。逃げ出さずにはいられなかったのだ。
 だが駆けても駆けても廊下はそのままだ。先が見えることはない。それにどれだけ速く駆けても化け物はやって来る。遂にはその手が彼を捕まえようとした。その時だった。
 不意に目が覚めた。それもまた夢だったのだ。彼はまた布団から身体を起こしたのであった。
「あれっ!?」
 さっき目が覚めたのと同じ場所であった。お父さんとお母さんの間にいる。見れば二人はやはり気持ちよく眠っている。さっきと全く同じであった。
 だが一つ違っていたことがあった。今度はおしっこがしたくなっていたのだ。喉の渇きよりも辛いものである。彼はまたしても仕方なく布団を出て部屋を出た。今度はトイレに行く為だ。
 廊下はまた何処まで続いているかわからない程長く見えた。また後から化け物がやって来るんじゃないかと思った。しかし今度は違っていた。
 何と今度は前からやって来たのだ。姿は相変わらずよく見えないが確かにあの化け物だ。その姿を見た彼は驚いて化け物に背中を向けて逃げ出す。だが化け物はそんな彼を追いかけてきた。これもまた夢と同じであった。
「全く何なんだよ」
 彼は必死で駆けながら心の中で叫んだ。
「寝ても起きても化け物が追い掛けて来るなんて。どういうことなんだよ」
 それが彼にはわからなかった。だが実際に化け物が家にいて後ろから追い掛けて来るのだ。これは本当のことであった。それは彼が今実際に追い掛けられているからわかることであった。
「どれが夢でどれが本当なんだよ」
 健也にはそれがわからなくなってきていた。
「寝ても起きても化け物が来るなんて」
 また化け物に追いつかれそうになる。
「こんなのが続くなんて。嫌だよ」
 そう思っている間にも化け物の手が襲い掛かって来る。そこでまた意識が途切れた。
 今度目が覚めたのは白い部屋の中であった。布団ではなくベッドの上にいたのであった。
「あれ!?」
「お父さん、お母さん、よかったですね」
 若い女の人の優しい声が耳に入ってきた。
「目を覚ましましたよ」
「ええ、本当に」
 見れば自分の側にお父さんとお母さんが立っていた。嬉しそうで、それでいて泣きそうな顔をしていた。
「本当にもう、この子は」
「心配ばかりかけて」
「どうしたの、お父さんもお母さんも」
 健也はそんな両親の顔を見るのははじめてだった。キョトンとした顔で尋ねる。
「健也君」
 さっきの優しい声が自分に語り掛けてくれた。見れば若くて奇麗な看護婦さんであった。彼のすぐ側に立っていた。
「貴方、車に撥ねられたのよ」
「車に!?」
「そうよ、それで今までずっと寝たままだったのよ」
「そうだったの」
「そう。一週間もね」
「一週間」
「心配したのよ、本当に」
 お母さんが声をかけてきた。
「何時まで経っても目を覚まさないから」
「そうだ。怪我はあまりなかったから安心していたのに」
 お父さんも言う。
「ずっとこのままなんじゃないかって思って」
 見ればお母さんはうっすらと泣いていた。
「お母さん・・・・・・」
「健也君、皆本当に心配していたのよ」
「うん」
 彼にもそれが本当によくわかった。
「御免なさい」
 ぺこりと頭を下げて謝る。本当に心から申し訳なかったのだ。こんな気持ちになったのははじめてと言ってもよかった。それ程申し訳ない気持ちになっていたのだ。

 
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