| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

渦巻く滄海 紅き空 【上】

作者:日月
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

九十二 女の意地

どこかしら見下していたのは、確かだった。


色々な面で器用な自分と、不器用なあの子。
要領が良い自分と、敬遠されていたあの子。
誰からも好かれる自信があった自分と、自信の無いあの子。
共に過ごした日々にて、ずっと比較されてきた。
無意識に、あの子と比べられる自分を。
優秀とされてきた自分と比較されるあの子を。
慰める一方で、優越感に浸っていたのかもしれない。

だからだろうか。
あの子に手を差し伸べた理由が同情だとか憐れみだとか、そんなつもりは無いけれど。
それでも、自分を慕ってくる立場に悪い気はしなかった。
あの子は、自分を目標にしているのだと。
自分に憧れて追い駆けているのだろうと勝手に思い込んだ。

けれど、今や逆だ。

劣等感の塊だったあの子がどんどん心身共に成長するのを目の当たりにして、嬉しく思うのと同時に生まれたのは酷い焦燥感。
自分はあの頃と全く変わらないのに、あの子はずっと先を見ている。前へ前へと進んでいる。
その一方で、単なる器用貧乏なだけの自分は、大した取り得のないくノ一に過ぎないのだ。

追い駆けられていたはずが何時の間にか追い越されている。その事実を認めたくは無い。
でも、どうすればよいのか解らない。
努力だとか精進だとかは今まで自分には縁の無いモノだと思っていたのだから。
それに自分は女だ。女というのはか弱い生き物で、男には敵わないモノだ。
そんな甘ったれた言葉を言い訳にして、何もしなかった、そんな愚かな自分が。
どうしようもなく。


…―――――だから、私は。






「あんな奴らを相手に一人って……無茶に決まってんだろ!?」

噛みつくような反論。
主人に賛同して吠える赤丸と、そしてキバを交互に見遣ってから、いのは静かに双眸を閉ざした。

確かに自分は戦闘には向いてない。しかも一つの身体に二つの心という、実質上二人いる敵を相手にどう立ち向かうのか。

「そうね…でもどちらか一人なら、なんとか出来そうな気がするわ」
突然何の前触れもなく、大声で話し出したいのに、キバはぎょっと顔を引き攣らせた。

「おい、いの」
「二人いると言っても身体は一つ。出来る事は限られるわ。私とキバ、どちらかが先へ行くとして、一つの身体ではどちらか一人しか追えない。二兎を追う者は一兎をも得ずって言うじゃない?」
「いの」
「それに、一人…えっと兄のほうはせっかちな性格のようだから、弟は兄の言いなりで動くのかな?でも実力的に弟のほうが強かったら、兄が弟の言う通りにするのかしら。忍びの世界は弱肉強食だしね」
「いの…っ」
「左近と…右近だったかしら。どっちが、」

―――弱いのかしらね?


わざと暗に告げられた言葉は確実に右近・左近の耳にも届いている。
相手を挑発するような物言いはこの状況下では命取りだ。気が触れたとしか思えない、いのの奇行にキバは冷や汗を掻いた。だが、彼女の口は止まらない。

「いのッ!!」
実力行使でいのの口を手で押さえる。キバの手の内で、いのは口許に弧を描いた。
険悪な空気が漂ってくるのがわかる。それも兄弟同士で。


「……左近。てめぇは眠ってろ。コイツらは俺一人で殺す」
「そりゃ無いぜ、兄貴。兄貴こそ休んでてよ。俺が主体になる」
「左近。兄貴の言うことが聞けねぇのか」
「普段寝てる癖に、こういう時だけ兄貴面かよ」
同じ身体で、同じ顔で、同じ声で。兄弟は前髪で覆われていない眼を苛立たしげに眇めた。
「「俺より弱い癖に生意気言ってんじゃねぇっ!!」」

同時に放たれる殺気。
双方の心情が手に取るように伝わってきて、いのは秘かに含み笑う。
(……上手くいった…)

兄弟と言えども、喧嘩する。特に、どちらが弱いかと挑発されれば猶更だ。
右近からの足三本分の蹴りを回避した際、いのの耳は左近の「兄貴はせっかちなんだよ」という言葉を目敏く拾っていた。

せっかちな人間というのは、完璧主義者や神経質、そして競争心が強い。これらは必ず当て嵌まるというわけではないだろうが、大体において一つの共通点を持ち合わせている。
彼らは総じて、負けず嫌いが多い。

そういった人間の心理を衝いて、いのは仲間割れを狙ったのである。
キバと赤丸を先へ行かせる隙を作る為に。



唐突に始まった兄弟喧嘩。
唖然とするキバに目配せすれば、いのの意図を察したのか彼は軽く頷きを返した。右近・左近に気づかれないように、そろり、足音を忍ばせる。

上方を仰げば、目の前に聳えるのは断崖絶壁。
ちょっとした谷間にいる為にシカマルの許へ向かうには、この崖を登らなければならない。
幸い赤丸も目を覚ました事だし、このまま三人でシカマルと合流すべきか。
それとも此処で右近・左近と闘うか。

そんなキバの逡巡は他でもない、いのが一蹴した。
「言ったでしょ」
わざと大きな声で挑発していた時とは一転し、囁く。けれどその小声には、彼女なりの覚悟が窺えた。

「アイツらの相手は私がする。だから、」
―――私に任せて。



いのの言葉を信じ、地を蹴る。俊敏な動きで崖を駆け上る仲間の背中を彼女は見送った。
秘かに抜いた何本かの金糸を指の合間から零れ落としておく。風に吹かれ、キバと赤丸が登って行った崖の傍で散らばったのを見届けた瞬間、彼女は身を捻った。
「……ッ、」

耳元を掠める三本の腕。
慌てて距離を取るいのに、相手が賛辞を送った。
「よくかわせたな……」
「……そう易々殴られるほど、私は安い女じゃなくてよ」
いのの不敵な笑みに、左近がひゅうと口笛を吹いた。

「なかなか言うじゃねぇか。男の後ろに隠れてるだけの臆病者かと思ったぜ」
「おい左近、調子に乗るな。さっさと、さっきの奴を追うぞ」
嘲笑する左近を右近が咎める。寸前の喧嘩がまだ尾を引いているのか、左近の顔が歪んだ。

「兄貴は黙っててくれよ。先にこの女殺してからだろ」
「お前は時間を無駄にし過ぎなんだよ。ちんたらやってる暇はねぇぞ、左近」
やはりまだ、どこかギスギスしている双方の間柄を敏感に感じ取って、いのはじり、と後退した。
キバ達が登って行った崖からわざと遠ざかる。このまま自分を標的にしてくれれば良いのだが、いのにはどこかしら不安があった。

「さっき言ったじゃない。二兎を追う者は一兎をも得ずって。観念して私と闘いなさい」
今にも震えそうになる身体を叱咤して、虚勢を張る。うわべばかりの威勢に気づいたのか、完全に気が緩んでいる右近・左近。
油断している彼らに向かって、いのは素早くクナイを繰り出した。アカデミーにおいて、随一の手裏剣術を誇るくノ一とされてきた彼女のクナイは、しかしながら容易に叩き落とされる。

「…もういい、この女は俺が殺す。お前は先に行け、左近」
「あいよ、兄貴」
間髪容れずに投擲した手裏剣の嵐も、左近・右近の前では無駄に終わる。その上、何事か話し合った両者の身体が、文字通り二つに別れた。

「な…ッ!?」
「どうせ別れてやろうと思っていたところだ。これなら一石二鳥、…だろ?」

『二兎を追う者は一兎をも得ず』という一語に対抗し、わざとらしく告げてくる敵に、いのは二の句が継げなかった。
何故なら、二つの心を持つ一つの肉体が、本来在るべき二つの身体に分離したのだから。
「二人に別れた…!?」
「【双魔の攻】…俺らの血継限界だ」

互いの肉体を分離・結合させる術。一つの肉体を共有出来るという事は、別れる事も可能だという事。
術の説明をする左近と対峙していたいのはハッと我に返る。もう一人の姿が無い。
今さっき、自分を殺すと言っていた右近は何処へ…。


刹那、いのの身体の内から声がした。
「よぉ…誰、捜してんだ?」

視界の端。
自分の肩から生えている右近の顔が彼女をにたりと見つめていた。










「チャクラが流れる経絡系が内臓の各機関に深く絡み合っているのは知ってるな」

得意気に説明し始める右近の話を、いのは青褪めた顔で聞いていた。
「経絡系ってのは各機関を造り出している組織にも、そして組織を造り出している細胞にも、更に細胞の主成分であるたんぱく質にまで複雑多様に絡み合って連結している。俺はチャクラでこれらの細胞やたんぱく質の分解再構成が自由に出来る」

耳元で囁かれる敵の声。右近に促されてキバ達を追おうとする左近の後ろ姿を、彼女は呆然と見送った。

「簡単に言えば、身体を粉々にして敵の体内に入り込み、また元に戻して外に出る事が出来る」
正気に戻ったいのがクナイを取り出す。振り翳されたそのクナイを、悪足掻きとばかりに取り押さえつつ、右近は冷笑を浮かべた。

「俺の細胞はお前の身体の中を自由に泳ぎ回り、お前だけの部分を造る事も出来る。つまりちょっとした融合状態…。肉体の共有ってヤツだ」
「共有…?」
「そうだ。そして俺だけに出来る残酷な殺し方…。お前の細胞部分だけを徐々に削り取ってゆく」

ククッと喉を震わせて、右近は眼を細めた。遠ざかりそうになる意識の片隅で、いのは視線をちらりと真横へ投げた。視界の端に映るのは、鋭く聳え立つ崖。


「云わば、暗殺専門の術だ」
相手の身体に入り込む。その肉体の内臓・器官・組織をバラバラにしてほしくなければ、敵の言いなりになる他無い。反面、右近にとっては身体に入り込む事で攻撃を食らわなくなる。
「大した術ね…」
「だろ?」

谷間を僅かに下った地点。
切り立った岩々が立ち並ぶその場は谷と言ってもまだ浅く、更に底の見えない崖が真横に広がっている。
キバが駆け登った崖とは比べものにならないほどの断崖絶壁。一歩でも踏み外せば其処は奈落の底だ。


思わぬいのの賛辞に、右近は気を良くしたようだった。そして、不意に弟の行方を見遣る。
直後、未だキバを追い駆けていない事実に、右近の機嫌はまたもや低下した。
「おい、何やってるんだ!さっさと…ッ、」
「あ、兄貴……」

動かぬ左近に眉を顰める。入り込んでいるいのの身体を動かして弟の許へ向かおうとした右近は、ふと気付いた。
(やけに大人しいな…)

あれだけ喧しかった女が急に静かになった事を訝しげに思い、右近はいのの顔を覗き込んだ。ぐったりとしているその様は諦めたのか、それとも。
変わった手の組み方をしたまま、無防備に肩を落とす彼女を怪訝に見遣っていた右近は、落ちてきた影に顔を上げた。

何時の間にか、すぐ傍で左近がこちらを見下ろしている。足首に巻き付いている金色の糸に眉を顰め、右近が声を掛けようとした瞬間。



「アンタが暗殺専門なら、私のはスパイ専門なのよね」
いきなり弟の口から放たれた女口調に、右近は眼を剥いた。


「は?左近、お前……」
「アンタのが身体に入り込む術なら、私のは…――」
何時に無く、真剣な眼差しで見下ろす左近の動向に、右近は眼を見開いた。
「まさか、お前…ッ」
「身体を乗っ取るっ!!」




【心転身】の術。
術者が自分の精神を敵に直接ぶつける事により、相手の精神を乗っ取る秘伝忍術。
しかしながらこの術は、放出した精神エネルギーが相手にぶつかり損ねて逸れてしまった場合、数分間は身体に戻れず、またその間、術者の本体は人形と化す諸刃の剣でもある。

だからいのは、中忍予選試合で春野サクラと対戦した際に用いた手を使った。即ち、己の髪にチャクラを流し込み、強固な縄と化した髪糸で相手の足を拘束したのだ。
秘かに抜いていた髪の毛を崖の傍で落としておく。そして敵がキバ達を追おうと崖の傍で地を蹴ろうとした瞬間、足首を縛るように前以て罠を仕掛けておいた。

右近に身体に入り込まれたのは失態だったが、逆にこれを逆手に取る事をいのは咄嗟に考えた。
何故なら【心転身】の術を使っている間、自分の身体はどうせ無防備になる。ならば、右近がいの自身の肉体を支配している際、左近を操ればいい。

つまり現在、左近の身体はいのに乗っ取られている状態なのだ。



「貴様……ッ!!」
此処に来て初めて焦りを見せた右近に、左近、否、いのは笑ってみせた。
「奥の手は最後まで取っておくべきよ」
そう言いながら、足首に絡まる彼女自身の髪を解く。そして、奪い取った左近の身体でいのは相手を突き落とした。

右近が入り込んでいる、いの自身の肉体を。


くノ一ルーキーの中でも抜きんでいる存在。だがそれがどうしたというのか。
そんなもの結局、井の中の蛙でしかない。
だから私は――――。
(形振り構っていられないのよ…っ!!)



真横の、崖底へ。自らの身体を突き落とす。
「女だからって、舐めないでよね…ッ!!」











落ちる。
共に墜落する左近の身体を、右近は信じられないとばかりに見つめた。
「じ、自決、だと…っ!?」

いのは、右近が入り込んでいる自身の身体を突き落とすと同時に、崖から身を投げたのだ。
乗っ取っている左近の身体で。
(チッ、こうなったら…)

身体を乗っ取るという術がどれほどまでか知らないが、このまま女の身体に入り込んだままなら、どの道、墜落死は免れない。
それなら一度肉体に戻ったほうがいい。上手くいけば左近の身体を乗っ取っている女を追い出せるかもしれない。

以上の考えに至った右近は、すぐ傍らで墜ちゆく左近の肉体に向かって手を伸ばした。そのまま、ずるり、と身体に入り込む。
刹那、いのの精神は左近の肉体から弾かれた。



直後、入れ替わった視界に、いのは眼を瞬かせた。身体を見下ろす。
自身の肉体に無事戻った事に安堵すると共に、彼女は歯噛みした。
(く…ッ、やはり二つの精神を同時に乗っ取るのは無理ね…っ)

「おい、左近!起きろ!!」
自分が身体に入り込んだ事により、いのの精神を追い出したと知った右近が左近に呼び掛けているのを尻目に、いのは左近の手から自分の髪の毛を奪い取った。
左近の足首を拘束し、動けなくした髪である。


正直、現在のいののチャクラ残量はほぼ無いに等しい。敵を上手く出し抜かなければいけないという緊張感も相まって体力も限界に近い。加えて、目の前の崖は切り立っているにも拘わらず、なめらかな岩肌故に滑りやすそうだ。その為、繊細なチャクラコントロールが必要となる。
普段のいのならば、このような崖をよじ登るなど造作もないのだが、体力・チャクラ共に限界である今の状況では難しいだろう。だからこそ、自分の身体を支える補助的手段として、先ほどの髪を利用しようと考えたのである。


すぐさま髪にチャクラを流し込み、いのは崖の岩肌に視線を遣った。切り立った岩肌の一つに目をつけ、咄嗟に髪糸を投げる。チャクラを流し込んだ髪の毛はまるで縄の如き丈夫な太糸だ。
ソレを使って、とにかくこの窮地を脱しようとした矢先。


「てめぇだけ助かろうなんざ虫がいいんだよ…ッ」
目を覚ました左近に立ち切られた。










切れた髪の糸。
自分が助かる最後の希望を、いのは目の前で失った。

散りゆく金糸と共に墜ちゆく我が身。
同じように墜落する右近・左近を目の端に捉えながら、彼女は静かに自嘲した。
(やっぱり私は……戦闘に向いてなかった、な……)

後方支援向きの能力故に、いのは陰ながら努力した。
父親から心理学を学び、敵の心を乱す術を教わった。
シカマルが頭脳戦を特技とするならば、自分は心理戦を得意にしようと。

そして今回、仲間の足を引っ張る自身に嫌気が差し、相打ち覚悟で右近・左近との闘いに挑んだ。
ルーキーの中でも群を抜いて優秀とされてきた自分自身の矜持を保ちたかった。



びゅうびゅう、と喚き散らす風の中、いのは空を見上げた。
口許に自嘲を湛えたまま、彼女はゆっくり双眸を閉ざす。直前の視界にて、墨のように真っ黒な鳥が微かに垣間見えた気がした。





刹那、誰かに抱えられる。

墜落死を覚悟していたいのが恐る恐る眼を開ければ、色白の少年が呆れたような顔で彼女を見つめていた。
直後、わざとらしい笑顔を浮かべる。



「君、自殺志望者ですか?」
色白の少年―――サイは、その整った顔に似合わぬ毒舌でいのに微笑みかけた。

 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧