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機動戦士ガンダムMSV-エクリチュールの囁き-

作者:桃豚(21)
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84話

 黒白の常闇赤い双眸を静かに揺らし死んだように四肢を伸ばしたまま遥か天高い深海の中揺籃の赤子のように不定の表情のままに揺蕩っていた意識が途切れるここがどこなのか自分が何のためにいるのかそんな自明の理由すら()くした漆黒の巨躯は当てもない視線をどんよりと彷徨わせたいやそれは違うなと巨人はないしはその胎の中の人間は思った自分が何のためにいるのかそれだけは身体(しんたい)はわかっているだからそのために黒い巨人ないし白い少女はただ、それの到着を、待っ、て―――。
 巨人と少女は何の変化も無い汚泥のような世界で何かが律動したのを知覚した目あるいは耳あるいは鼻あるいは―――とにかくそれは確かに何かの鼓動を感じたのだ鼓膜を叩く接近警報の音少女はぶちりぶちりと持続しないあるいはぐちゃぐちゃになった世界感覚の中彼女の知覚の先端に何を明敏に捉えた。
 閃珖の翼を異様に広げた白と黒の機影―――MSA-0011X。
 その姿を捉えるや死んだようにぴくりとも動かなかった漆黒の巨人が身動ぎするバーニアのちろちろとした炎を焚いて白い巨人の方向上方6時の方向へと反転する白亜の巨人も黒い巨人との相対距離を把握し主脚を前に降り出すとともにスラスターを逆噴射させた数km/秒の速度から数km/時へと一気に減速し黒い巨人の前でぴたりと静止する白亜の巨人の面持は漆黒の巨人と似て凛然としたものだった孔が穿たれた様な2つの眼が《巨人=少女》を見据えると白い巨人はだらりと四肢をだらけさせた。
 腹部の黒くコーティングされたハッチが持ち上がる。誰も乗っていないコクピットからは全天周囲モニターの光が、どこか、寂しく、瞬いていた。
 奇妙な光景だった。既に、世界に定位し安らっている存在の中に、暗く蠢くミクロコスモスが覗いている。観ているだけでそこに吸い込まれてしまいそうだ―――。
 何かが轢断する音が鳴る。最初は微かに、しかし、すぐにその断絶する音が連続し、意識が途切れ途切れになる。
 黒い巨人の真っ赤なコクピットハッチが開く。
 そうだ《彼女=私》は行くのだ少女は己の意思を実存を守るために行くのだと巨人は時間の断絶の中、朧に思ったそのために彼女は世界へと超越するためにその実存開明の記号に到来に手を伸ばしたのだ。
 意識が次第に消えていく。先ほどまで存在していた汎-私が消滅し、あの黒い実存の孔の中へと流出していく。
 コクピットから少女-彼女が這いだし、その赤い目に白亜の巨人を満たす。
 少女は《ゼータプラス》のコクピットハッチを蹴ると、真っ直ぐに《Sガンダム》のハッチに取りつく。縁の部分に手をかけて身体の移動を止め、機体の装甲を蹴りながら、鉄棒でもするかのようにしながらコクピットの中へと足先から滑り込んだ。
 滑り込んだ勢いをコクピット周りの計器を掴みながら殺し、自然な動作でシートに身体をすっぽりと納める。身体の小さな少女が座って丁度のサイズに作られたシート、そしてパイロットスーツ越しに感じる操縦桿は、彼女の身体によく馴染んだ。敢えて意識しようと思わなければそれが意識上に昇ることすらない道具の存在を自分の掌の中に、身体に感じながら、少女は眼前に開けた実際の宇宙空間を束の間眺めた後、サイドコンソールを2、3操作して《Sガンダム》のコクピットハッチを閉めた。
 ハッチの閉鎖とともにCG補正された宇宙が広がる。わざわざCG補正をかけるのは、実在の宇宙は距離感覚が取りがたく、そして地球上で視認することに特化した人間の肉眼には適していない空間が空け開かれているからだった。人間は、ヒトのパースペクティヴでは虚無にしか見えない空間に留まることに耐えられないのだ。
 待っててね。
 少女は内心で、呟く。そうして開明して、少女は《Sガンダム》の前で死体となった《ゼータプラス》を一目した。
 コクピットを開き、生々しく赤い双眸を光らせている漆黒の《ゼータプラス》。今まで、ずっと己の愛機だった機体。つい先ほどまで己自身だった機体。幾許かの寂しさを覚えたが、少女は操縦桿を握りしめた。
 スロットルをゆっくり開く。コクピットの中に、ほんの僅かな知覚すらできない振動が走り、少女の身体を小刻みに揺さぶる。吐く息は温く、白い肌はしっとりと湿っていた。
 思惟はあるいは永遠の時間性を伴った瞬間ほどしかなかった。AMBAC機動とバーニアの噴射で反転した《Sガンダム》は、《ゼータプラス》の機影が遠ざかっていくのを確認すると、その巨大な背部ブースターユニットから大出力の青白い炎を迸らせた。
 白い神話が、星の大地を征く―――。
 ※
 振り下ろされるビームアックスの狙いは正確にして迅速。斜め上から両断する勢いで振り下ろされる光の刃を、さらに上回る速度でハルバードの切っ先を突き出すことで受け止める。光の刃を形成する力場同士が激突と同時にスパークを迸らせ、弾けたメガ粒子の飛沫が(せき)()の塗料を融解させ、ガンダリウムの装甲を焼く。
 《ドライセン》が左腕の3連装ビームガトリングを指向する―――その瞬間のイマージュが視神経を痙攣させ、軋んだ神経の振動が脳髄を硬化させるかのような頭痛を閃かせる。脳細胞が挽き潰されるような鋭鈍痛に声が漏れそうになるのを歯で噛み砕き、操縦桿が拉げるくらいに握ったクレイは、その瞬間の到来より早く、半ば反射的にバックパックのビームキャノンを前面に倒した。背部バックパックのビームサーベルのグリップ先端のメガ粒子砲の砲口が至近の《ドライセン》を捉え、メガ粒子の砲弾を吐き出す。2柱の閃光は《ドライセン》の左腕を貫き、それでも察知した《ドライセン》はスラスターを一気に逆噴射させて胴体への一撃を回避。《ガンダムMk-Ⅴ》から距離を取り、そうして右腕の3連装のガトリング砲を構えた瞬間だった。
 まるで何かの襲撃に怯えるかのように《ドライセン》が身を竦める―――そうして、次の瞬間には上と左方から襲来したメガ粒子の光軸が《ドライセン》を交点にして、常闇に十字を描いていた。
(クレイ、大丈夫か?)
 ディスプレイ上の中央に通信ウィンドウが映るのに合わせて、逆さになった《リゼル》が視界の前をふわふわと流れていく。
「あぁ、大丈夫だ―――援護、感謝する」
 インコム1基がバックパックに収容される。その報告がディスプレイに表示されるのを一瞬だけ視線を流して確認した。
 通信ウィンドウの向こうの黒い髪の男の顔に、クレイは微かな驚きを覚えた。
 心配げな顔、そうとも言える。苦痛、そうとも言える。悔恨、そうとも言える。侮蔑、そうとも言える。その男の顔はそのどれでもあって、だがそのどれかに同定するには違和感のある顔だ。
 彼はそういう表情をする男ではなかった。もっと、はっきりとした感情を表現する男だった。そう、もっと―――。
 ずきりと頭蓋の中身が軋む。何か忘れている気がするが、クレイは何を忘れているのかよくわからなかった。
(小隊各機、全機無事だな)
 頭の端で引っかかるものを感じながら、無線越しに鼓膜を叩いたフェニクスに声に意識を集中させた。
 ウィンドウに映るフェニクスはいつも通り表情一つ変えていない―――己の目の前でエレアが連れ去られたというのに。
 フェニクスがエレアをどう思っているか。フェニクスが任務中エレアと接する際は誰と接するのと変わらないが、エレアの普段の言葉の端から窺い知ることは、できる。
(04、損傷有りません)
「こちら08、同じく損害無し」
 どこかに感じる鈍痛も、フェニクスに比べれば大したことはない。
 宇宙空間に死体のように漂う《ドライセン》が視界の隅に流れる。パイロットを喪失してもなお単眼を閃かせ続けるガンダリウム合金の塊。クレイは顔色1つ変えずに視線を逸らした。
(あの……フランドール中尉の指定座標はまだ?)
(―――サイコモニターも機能していない。さっきのあのΖ系の機体にサイコミュのコントロールを強制的に奪われたらしいな)
 その口調は酷く他人事のようだ。機内カメラに映るフェニクスの表情は変化というものを遥かに忘却したかのように不変の様相を帯びていた。
(ふん、それにしてもこれでは何と戦っているのかわからんな)
 冷めた声で言うフェニクス。彼女の灰色の《ゼータプラス》の前には、頭部ユニットを綺麗に喪失した《リックディアス》が四肢をだらけさせていた。
(サイド4もまだ新造されたばかりとはいえ、こう警備がザルではな。いや―――)
 フェニクスが何かを口走った瞬間、クレイは背骨の中の液で満たされた場所に、沸騰した白濁液を流し込まれるような、激痛と不快がぐちゃぐちゃに混ざり合った感覚が身体中に広がっていく錯覚を覚えた。背骨から這い上がった煮沸液が脳髄に逆流し、人間の重要な器官が熱で死んでいく恐怖と痛撃の絶頂。絶叫が口から出なかったのは、強靭な意志でもなんでもなかった。ただ、己の身体が拉げるほどに強張り、声を上げるどころではなかっただけだった。
 先ほどからだ。大地が波打つような、理性的意思が吹き飛んでしまいそうなほどの混濁した感情が、全身の神経を凌辱していく感覚が自我意識を飲み込んでいく。その癖理性的意識―――いや、もっと根源的な存在が星光のもとに照らされていく、私の実存の鋭敏化の感覚という両極が同時に己の持続を支配していく、逆ベクトルの脱-自我が断続的に生起する。
 頭蓋の一番奥が、身体の皮膚が痙攣する。ブローカ野とウェルニッケ野が肥大化し、誰かが何かがそれが声を囁く。
 知っている。この迫りくる圧迫を、クレイは知っている―――。
「来る―――」
(あ? なんだ、何か言ったか?)
「敵が、奴が、来る―――」
(敵ってレーダーはミノフスキー粒子で―――!?)
 レーダーが接近警報を打ち鳴らす。操縦桿を握りつぶすように持ちながら、クレイはCG補正された常闇の向こうに蒼い瞳を向けた。
漆のような宇宙(そら)の向こう、光の翼が閃く。真空でも雄々しく果敢なく翼を撃つ音が耳朶を打ち、真空が震えた。
 神経が痙攣する。レーダーが捉えるより早く、己を指向する刺すような意思の志向を感じたクレイは、それが攻撃であると理解した。
遥か漆黒の果てで何かが閃く。亜光速の閃光の迸りは鋭利な光の槍が《ガンダムMk-Ⅴ》を貫き、炎の球を膨れ上がらせて―――。
 頭蓋の最奥と皮相で膨れ上がったその幻想に嘔吐感がせり上がりながらも、クレイはフットペダルを踏み込み、スラスターを逆噴射させた。ほぼ同時に、視界の果てで星光とは異なった鋭い閃きが蠕動する。遥か漆黒の果て、亜光速で閃いたメガ粒子の槍が回避挙動を取った《ガンダムMk-Ⅴ》を掠めた。
 《ガンダムMk-Ⅴ》の計器が敵を捕らえる。
 機種特定不明―――しかし、先ほど遭遇した機体と同機種であることを認識し、クレイは操縦桿を握りしめた。
 スラスターの光が弾ける。全天周囲モニターの向こう、常闇の真空で静止した白い機体の双眸が、ただクレイだけを見据えた。
 左腕が喪失していた。右手に持ったビームライフルは、先ほど持っていたロングバレルのビームライフルではなく、ネオ・ジオンのビームライフルになっていた。それでも、その白い神話の威容は微か程にも損なわれず、クレイの視界の先で存在していた。
(やぁ諸君、相変わらずだね)
音声通信だけのオープン回線での無線通信だった。クレイは、そのミノフスキー粒子に干渉され、雑音塗れの声に聞き覚えがあったが、それが誰の声なのかはわからなかった。
だが、わかることはある。クレイ・ハイデガーにとって、あの白い『ガンダム』は撃ち滅ぼすべき敵である、ということだ。
(やはり中佐か! エレアをどこへ―――!)
 操縦桿を握りしめる。歯が砕けるほどに歯噛みし、ただあの『ガンダム』の殺戮だけを専心し―――。
(大尉にはしばし黙っていて貰おう―――私はそこの『人形』と話があるのでな)
 ロックオン警報が耳朶を打った。前方からではない。ロックオンレーザーは、後方から―――。
 ディスプレイに背後の映像が表示される。小さく開いたウィンドウの向こうで、青白い《リゼル》がビームライフルを構えていた。
(動くな。ビームライフルがコクピットを狙っているぞ)
「お、お前―――!?」
 見知った声―――でもやはり、それはどこか聞き覚えのない声色だった。その声はいつも穏やかで闊達で、素直さを感じさせる声だった。だが、その声がただ低く、何かに押し潰されてしまったかのような声色となって、クレイの鼓膜を揺らしたのだ。ただ、クレイは、何故その男の声に聞き覚えがあるのか、よくわからなかった。
(さて、久しぶりだな? クレイ・ハイデガー少尉)
 男の声が自分の名前を呼ぶ。
「あんた、なんで俺の名前を知っているんだ?」
 言いながら、クレイは何か違和感を覚えた。クレイはその男の声に聞き覚えがあった。つまり、その男は自分を知っているのだ。名前を知っているなど、道理であろう。
 だがそもそも、どうして自分はその声に聞き覚えを感じているのだろう?
(そうか―――そこまで行ったか)
「何を、言っている?」
 ずきりと頭のどこかが軋む。それを聞いてはいけない、と何かが叫ぶ。心臓が拍動するように脳髄が、脊髄が脈打ち、それ以上考えるなと悲鳴をあげる。
 (何、そう難しいことではない)無線通信の向こう、微かに微笑を含んだ声が脳を揺さぶる。
 男の声が―――何故か愉悦を含んでいるようなだが、何故か、むしろ愉悦などよりも、確かに怒気を孕んだ声、クレイの耳の奥の蝸牛を揺らし、リンパ液に波を起こし、聴覚神経に奇妙な孕みを持った声となって、クレイの脳髄に突き刺さる。
(貴様は、ただ、最初から誰かのお人形だったというだけの、話だ)
 何か。
 何か、硝子が地面に落ちて粉々に砕けたかのような音が、頭の中で鳴り響いた。 
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