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機動戦士ガンダムMSV-エクリチュールの囁き-

作者:桃豚(21)
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61話

 UC.0079年、一年戦争当時。
 彼女の父親は地球に出兵して戦死して、母親はどこかで軍の仕事に就いていた。まだ12歳ほどの少女は、産まれて1年経ったばかりの赤子の世話をしていたのだ。
 雪の日だった。あまり裕福でもなく暖房をつけるのももったいなくて、部屋の中でももこもこの防寒着を着ていたのをなんとなく覚えている。
 遠くで音がした。重く響くような音。そして避難勧告が出て、慌てて妹を抱えてどこかのシェルターに向かう最中だった。
 巨人が視界を掠めた。十字架のような刻印を頭部に刻んだ巨人―――MS-09《ドム》と、白亜に染められた気高い騎士―――MS-07B3《グフ》の戦闘。
 そこで、その真っ白い薔薇のような《グフ》の威容に見惚れてしまったのがいけなかった。《グフ》が《ドム》の右腕を切り飛ばし、留めをささんとしたのを呆然と眺めていた時、少女でしかなかった彼女を爆風が襲ったのだ。
 なんの爆破かは、知らない。ただ、その爆破はMSを破壊し得る兵装で、12歳の少女を吹き飛ばすにはあまりある威力だったということだけは明白だった。
 彼女が単に打ち身で済んだのは、奇蹟でしかなかった。しかし、その奇蹟の代償に、腕に抱えていた妹は遠くで生命としての条件を強奪され、ものとなって転がっていた。
 彼女は悲しさを感じなかったし、泣きもしなかった。何かを感じたらしかったが、何を感じたかもよくわからなかった。妹が大事そうに抱えていた熊のぬいぐるみを恐る恐る拾い上げたことは覚えている。
 大丈夫か、と誰かが駆け寄ってきた。金色のメッシュが入った長い黒髪の―――少女、だった。
 20代になったかならないかほどの、綺麗な女の人だった。12歳の少女の小さな身体を抱きしめる女性の顔は、今でも覚えている。
 助けられなかった命があることに顔を歪め、目の前の小さな命を守れたことの安堵に微笑を浮かべる。どうしてそんな顔を浮かべるのだろう。少女には全くそれがわからなかった。ただ、少女の身体を握りしめる彼女の腕の力は酷く強くて、場違いにも痛いなぁ、と思っただけだった。
 行こう、とその黒髪の女性が言った。死んだ妹の亡骸に構っている暇がないことを合理的に判断して、彼女はただ首を縦に振った。
 サーベル同士がぶつかり合い、鼻を突くようなオゾン臭が立ち込めていた。
 女性の腕の中、彼女が見た光景は白い《グフ》と《ゲルググ》のような機体が決死の斬りあいをしている姿だった。
 一年戦争が終結したのはそれからすぐだ。母親も死亡したことを知り、彼女は別なサイドの血縁者を頼ることにした。別なサイドへ行く連絡船に乗っている時、彼女の乗る連絡船はジオンの残党に襲われて、彼女はまるで中世の賊の獲物さながらに略奪された。
 彼女の運命を大きく変えたのは、彼女のMSの操縦技能が卓絶していた点だった。彼女は言われるがままにMSパイロットになった。一方当然、というべきか、エイリィは14歳で異性と関係を持つことになった。仕方がないという言葉で片付けて良い問題かは知らないが、とにかく日に何人かの男に抱かれた。彼女にとっては仕方がない問題でどうでしようもない問題だった。そこに居なければ彼女は生きていく術など知らなかったし、別に、彼女は自分を抱いた男に憎悪など抱く気も無かった。あの日妹を屠殺した《グフ》だかなんだか、あるいはあのクーデターを引き起こした人間にも、憎悪を抱いていなかった。各々に事情があったのだ。事実を精緻に鑑みて理性的に判断すれば、それを責めたてても、しょうがないではないか。
 そうしてMSの戦闘をして食って寝てセックスしての生活をしている中で、自分の胎の中に子どもが出来た。親が誰かは、知らなかった。なんとなく戦闘が激化していた時期だったし、彼女の素質を無為にするのを嫌った上の人間は堕胎を命令し、彼女も特に頓着も無くそれに従った。
 どこぞの藪医者に、彼女は任された。1日ほど入院してから手術することになり、彼女は黄ばんだシーツの脂臭さに包まれながら一晩過ごした。
 次の日、彼女は腹痛で目が覚めた。
 彼女は、患衣の股間の部分が赤く染まっているのを見つけた。ぎょっとして青竹色の患服をはだけさせたとき、彼女は自分の股間の付近、黄ばんだ汚いシーツの上に何か白い蛋白の小さな塊が転がっているのを、見てしまった。
 手のひらに乗せても、酷く小さく神聖なそれ。弱弱しくも尊厳の可能性を抱いていた―――否、むしろその没落したそれの姿はまさに尊厳それ自体の煌めきを黒々と解き放っていた―――それが、彼女を非難するように、死んでいた。
 その白い物質がなんであるかを理解した時、彼女は全身の筋肉を緊張させて、声を上げて泣いた。12歳の少女のように弱弱しい声を上げ、ただひたすら口を目一杯に開いて瞳孔をあらん限りに引き裂いて哀哭していた。どういう感情が彼女に稺い大声を上げさせたのか、彼女はまったくわからなかった。悲しかったのかもしれないし、誰かを憎んだのかもしれない。ただ1つだけ言えることは、彼女は今でも時折その居場所を失った《意味喪失的出来事の永劫回帰》という現象に対し、いつもどうしていいかわからなくなってしまうということだ。
 彼女はそれ以来、男とするときはコンドームをつけさせるようにしたし、体格の小さい女の子とも自分と同じくらいの体格の女とも関係を持つようにした。
 ある日、彼女は少女に出会った。小さな身体で、栗色の髪の毛の少女だった。
 似てるな、と思った。
 どちらに?
 どちらにせよ錯覚でしかなかったのだろう。記憶の中の妹の姿など思い出せもしなかったし、己の娘だか息子なぞそもそも人間の形を成していなかった。でも、似ていたのである―――。
 何故か、黒い髪の女性の顔が、浮かんだ。どこか凛然とし、己の為さなければならない義務を自覚していたあの女性。
 あんな風になりたいな、と、彼女は唐突に思った。どうしてなろうと思ったかはわからない。思い出したあの女性の正義を滲ませた顔が、とてつもなく綺麗だったことを思い出したからだった―――。
 ※
 エイリィ・ネルソンは、瞼が重力に従って降りようとする中、うっすらと意識を取り戻した。
 ちょっとだけ、寝たらしい。本当はもうちょっと深い眠りにつくはずだったのに―――。
 大きな口を開けて、欠伸を一つ。全身の筋肉を強張らせ、弛緩。欠伸と一緒に目もとの涙を拭ったエイリィは、脱力しながらベッドに横になった。
 体内時計は、さっきプルートが悪夢に魘されて再び安眠した時から2時間と経っていないことを告げている。一応正確な時間を知ろうと枕元に置いた目覚まし時計に手を伸ばしたら、彼女の手に何かもこもこのものが触れた。
 熊のぬいぐるみだった。攸人に買ってもらったそれは、安物らしくちょっと肌触りが良くない。
 久しぶりだな、とエイリィは淡白に思考していた。
 熊の色のない視線を見返す。
 そうしたのは、心の中の―――そうして身体に及んだこの不定のざわつきのせいでしかない。身体が強張り、下腹部がぎりぎりと捩れる。冷や汗が汗腺から滲み出し、嘔吐感が股間から咽喉元へと這い上がっていく感覚を知覚して、エイリィは口元を抑えた。
 息が荒い。吐息は酷く温く、視界は朧で焦点がはっきりしない。
 目を瞑る。
 網膜に反射する光景。血塗れになって破壊された道路に転がっていた妹と、小汚いシーツの上で死に絶えた自分の子ども。
 プルートが無事に任務を終えたのも、1週間ほどの精神不安から立ち直ったのも、全ては彼女の資質の話だ。お守りとして渡した熊のぬいぐるみに宿った妹の念と、そして―――子どもの念が救ってくれたなどというのは、ロマンチストな発想に過ぎない。そういう発想ができるほどに、人生の限界に辿りついていない。
 大きく息を吸う。鼻から盛大に吐き出した空気は既に冷え、全身の強張りももう、不快な残滓を残すばかりだ―――。
 ―――でも、そういうセンチメンタルなロマンチストは嫌いじゃない、とも思う。科学など所詮はポスト神としては出来損ないでしかないのだ。ロマンくらいは語ったって、いい。
 ふと右腕に違和感があった。エイリィの腕を枕にしたプルートが寝返りを打ったのだ。どこか苦しそうな寝言に、エイリィは胸がぎゅっと痛くなるのを感じながら、耳を近づける。
 「水が少なすぎるよ……」プルートの声は、苦しそうというより酷く不満げだった。薄暗くてもわかるくらいにぎゅっと眉間に皺を寄せている。
 バスに浸かれないことへの不満だろうか。そう言えば前にシャワーをまともに浴びたのは1月以上前な気がする。思わずエイリィは上手く顔が動かないながらに笑って、彼女の身体をもっと身近に、彼女の足に自分の足を絡めて、引き寄せた。
 プルート・シュティルナー。プルシリーズの中の規格外品。
 今、エイリィの腕の中で確かに息をして己として在る少女は、確かに重かった。その腕に感じる重さ、物理的には50kgを超えるくらいの重さ。その感覚を何故己は感じるのか、その合理的理由はエイリィには、わからなかったけれど―――。
 エイリィは、彼女の小さな口に自分の唇を重ねた。
 まるで母親がするような、子どもが母親のまだ瑞々しい乳房に吸い付くような、ただ唇だけを重ねるだけの口づけ。
 おやすみなさい。
 プルートの腕がエイリィの背に回る。幼い子どもが母親にしがみつくような抱擁。エイリィは引きつったような微笑を浮かべて、彼女の小さく温かい身体(しんたい)を感じながら、強く抱きしめた。 
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