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機動戦士ガンダムMSV-エクリチュールの囁き-

作者:桃豚(21)
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55話

 異様だった。
 無線からは部下の狂ったような絶叫が迸り、その部下が相対している敵もまたぴくりとも動かずに機能不全に陥っていた。装甲の継ぎ目からは変わらずに蒼い炎が横溢し、黒い宇宙空間を侵食しているように見えた。
 部下がプルートに必死に呼びかける声を鼓膜に響かせながら、マクスウェルはこの眼前の事態を好機と捉えてしまう己の冷然としすぎた合理的思考に反吐が出る思いを味わった。
 目標はあの《ゼータプラス》を―――正確にはあの《ゼータプラス》のパイロットを捕獲することである。気を急いだ間抜けのせいで以前は失敗し、そして今の戦闘に至るというわけだ。
 紙一重の戦いだった。一瞬でも判断が違っていれば、あの《ゼータプラス》の凶刃の餌食になっていた。だが、今はその敵も沈黙している。これを好機と捉えずなんというのか。それもまた、事実なのである。
(大尉、あの機体を捕獲するなら今では?)
 部下の1人もまた同じことを考えていたらしい―――通信ウィンドウに映った男の顔は、眉間に皺を寄せて苦渋に満ち満ちていた。
「あぁ。05、06は03を見ていてくれ。04、バックアップを」
 マクスウェルは務めて平然と口にした。了解の応答を聞き、フットペダルを踏み込む。推進剤の残量は心許ない。予定ポイントに隠れている母艦まで果たして持つかどうか―――味方機の機体ステータスに視線をやりかけた時だった。
 不意に攻撃警報音が鳴り響き、身構えるのもつかの間突き上げるようにしたメガ粒子の光軸が機体を掠めた。
 首を回し、オールビューモニター越しに下へと視線を移した。
 接近警報とともにもう1射。明らかに敵意的でないそのビームが《リゲルグ》と漆黒の《ゼータプラス》の間を駆け抜ける。
 灰色の《ゼータプラス》が巨大なビームランチャーを掲げ、MS形態のまま漆黒の《ゼータプラス》を庇うように立ちふさがる。
 マクスウェルは息を飲んだ。その《ゼータプラス》が左腕に抱える物体。四肢を両断され、切断面から弱弱しいスパークを瞬かせた《リゲルグ》の遺骸だった。
 まさか―――脳裏に立ち込めたどす黒い黒雲を払うようにディスプレイに通信ウィンドウが立ち上がる。
 連邦軍のノーマルスーツ。知らない顔だった。
(こちらは地球連邦軍ニューエドワーズ基地所属のフェニクス・カルナップだ。貴官らと取引したい)
 言いながら、画面の中で灰色の《ゼータプラス》がビームランチャーを降ろす。
 フェニクス―――どこかで聞いた名前だ、と思った。わざわざネオ・ジオンの無線コードに合わせてきたことに眉を顰めながら、マクスウェルも応えた。
「こちらはネオ・ジオン軍のマクスウェル・ボードマン大尉だ。地球連邦政府はテロリストと取引はしないのではなかったか?」
(そういう様式で語ることにいつまでも安寧を感じているから、人間はいつまでも殺し合っているんだよ。違うか?)
 表情も変えず、フェニクスと名乗った連邦の大尉は吐き捨てるように言った。
(私の要求は黒い《ゼータプラス》から手を引けということだけだ。交換条件に貴官らの仲間を釈放しよう)
 ぐいと左腕に抱えたままの《リゲルグ》を掲げる。破壊されたモノアイには光は燈っていなかった。
(隊長ーやられちゃいました……)
「エイリィ! 大丈夫なのか?」
(まぁなんとか……)
 気まり悪そうな声だった。だが、酷い怪我をしているわけではない―――ほっとしながら、その感情を表に出さないように唾を飲み込んだ。
「我々がその《リゲルグ》及びそのパイロットの生命を放棄し、貴官を撃墜すると言ったら?」
(構わんよ。ただ死人がこの《リゲルグ》のパイロットと私だけでなく、貴官ら5人も含めた7人に増えるだけだ)
「なに―――?」
(あの《ゼータプラス》が装備するサイコミュシステムを完全開放すれば、貴官ら5人を撃墜するのに5分とかからないというだけのことだ。貴官らが不穏当な行動を起こした場合は私が外部操作で強制的にサイコミュシステムを作動させる。ちなみに私が撃墜されたその時点でも発動するようにセットされている。システムを作動させれば彼女も絶命するだろうが―――まぁ、貴官らの物になるよりはマシだろうな)
 相変わらず表情を変えないフェニクスは、さも当然のように声に出した。
 嘘だ、と思った。仮にそれが本当なら、さっさとそのサイコミュシステムを解放させて殲滅すればいいだけの話である。
 あるいはこうして連邦政府の規定に反してまで交渉するほどにリスクが高い行為なのだろう。
 戦力比5:2。正確には、4:2。普通に戦闘すれば勝てる相手であるが―――。
 灰色の《ゼータプラス》をまじまじと見つめる。機体性能差があるとはいえ、エイリィ相手にほぼ無傷で完封する腕だ。このフェニクスというパイロットも、並みの熟練ではない。
 そして、あの黒い《ゼータプラス》。蒼炎もすっかり消え失せ、パイロットが気絶でもしているかのようにゆらゆらと四肢をなえさせていた。
フラッシュバックする光景―――。
(私は貴官の賢明で迅速な判断を期待する。あと5分もすれば前線に出張っていた戦力が増援として向かってくるぞ? 貴官らとてあまり時間がないのだろう)
 舌打ちした。その程度の推測が出来ないほど、敵は馬鹿ではない―――。唇を固く結んだマクスウェルは、静かに肯いた。
「了解した。貴官の要求を呑もう」
(良い答えだ―――これは貴官らの賢明さに対する私からの誠意と思ってくれ)
 アンダースローの要領で《ゼータプラス》が《リゲルグ》の残骸を放り投げる。その瞬間に死んだように漂っていた黒い《ゼータプラス》を抱えた灰色の《ゼータプラス》が正面を向いたままスラストリバースし、相対距離を引き離していく。
(うーすみません……私のせいで)
 機内のカメラでも壊れているのか、エイリィの顔色はうかがえなかった。
「構わん。貴様というリターンの大きさを評価しただけだ」
 エイリィの謝罪の声に再び声を返しながら、マクスウェルは流れ着いた《リゲルグ》を両腕で抱える。ごつん、という鈍い音と衝撃とともに、マクスウェルはやはりほっとするものを感じた。
 甘い、のだろう。だがその甘さがエイリィを死なせずに済んだのだったら、悪くはない。だが、散った部下も、いる。瞑目し、再び目を見開いたマクスウェルは声を固くした。
「アーレ・ヴォルフ、帰投するぞ。目標エリアまでは無線を封鎖しろ」
 猛禽の翼の如き肩からスラスターを迸らせた《リゲルグ》を先頭に、6機のMSが音も無く星海を泳いで行った。
                    ※
「そうですか―――」
 オペレーターの報告に、アヴァンティーヌはヘルメットのバイザーを開けた。
 ECOSによる敵拠点の制圧完了の報告に、ブリッジ全体に安堵の色が伝播していく。流石精鋭というだけはある―――その浸透に際し、恐らく彼らに認識された生命体全てが屠殺されたであろう。彼らが投入された理由にビスト財団が絡んでいるというだけで、その一見無為な殺戮も合理的帰結と判断される。だが、今はそんな事実はどうでもいいことだ。
 ただ、触れてはならぬものに触れてしまった。だから、主の裁きの元に斃れた。それだけの、ことである。アヴァンティーヌはフランス出身の血脈の人間だが、祖父は敬虔なユダヤ教の信徒だった。素振りは見せず、心の中だけでアヴァンティーヌは厳粛なる主への祈りを捧げた。
「警戒レベルを第二種警戒態勢のまま維持。警戒は怠るな」
 参謀の鋭い声が飛ぶ。了解の声と共に復唱する声が上がるのを耳にしながら、黒髪に白いものが混じり始めた50歳の艦長は、遼遠に墓標のように浮かぶやわらかな残骸を遠く眺めた。 
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