| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

機動戦士ガンダムMSV-エクリチュールの囁き-

作者:桃豚(21)
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

51話

 閃光が伸び、倦んだ太陽が爆散する。
 タイホウがただの一撃の砲撃で轟沈したという報告は、反対側のE戦域にもレーザー通信を介して即座に伝わった。
 艦艇が沈んだ。格納庫が誘爆し、即座に沈んだ―――数千人の人間が、たった一瞬に宇宙の塵と同じ了解の存在と化したのだ。
 全身の神経が痙攣した。人が大量に死んだ。人がいっぱい、死んだ―――。
 脳髄のどこかを流れる血脈が勢いよく破裂し、神経に過電流が流れてのたうち回る。胃をせり上がった嘔吐感そのままに、慌ててヘルメットの右側についているバイザーのスイッチを押し込み、バイザーが音も無く開くのと同時に虚空目掛けて勢いよく胃液をぶちまけた。
 頭がずきずきした。榴弾でも食らった頭蓋骨の内側が剥離し、その破片がぷにぷにの脳みそを無残に目茶目茶にしてしまったようだ―――。
(タイホウがやられた!? どうして!?)
(《ドーベン・ウルフ》―――!?)
 ローカルで行われた無線通信の声も、どこか遠くで聞こえているようだった。硝子が砕けたような音が殷々と蝸牛を揺さぶり、気が遠くなっていく―――。
(こちらビーク02、ゲシュペンスト、オーダー聞こえているか!?)
(こちらゲシュペンスト、どうした!)
(敵襲だ、試験部隊は―――)
 ぷつりとミノフスキー粒子の干渉を受けた無線が切れた。それと同時に、遥か遠方に派手な爆光が広がった。
 幻などではない。
クレイは確かに、そのCGで補正された黒の世界に浮かんだ球状の炎の中に、単眼を宿した悪鬼がこちらを睨みつけたのを確かに見た。
 実際の相対距離はほとんど数十キロ先である。だが、秒速数キロで物体が移動する永久(とこしえ)の闇の世界では、その隔たりはほとんど目の前でしかなかった。
 異形の機影が爆発的な閃光を迸らせる。相対距離をあっという間に縮める勢いで急激に肉迫する機影に、たじろぐ暇は無かった。
 《FAZZ》がバックパックのミサイルポッドのハッチを展開。無数のミサイルをばら撒き、光の尾を引いたミサイルがピラニアさながらに宇宙を泳ぎ、敵機に殺到する。一発一発がMSを葬るのに余りあるミサイル群の数は10を上回る。ミサイルが敵機に接近するや近接信管が作動、連鎖的に無数の爆光が膨れ上がる。
 常闇に咲く大輪の花火。一見して綺麗とさえ見える光景だったが、あくまでそれは風情を伴った場合だ。眼前で膨れ上がった花々は、どれもが敵の殺傷だけを意思する禍々しく大仰な葬華だった。
 しかし、クレイ・ハイデガーは、確実に敵を屠ったであろうその光景に寒気を覚えた。
 あれは、この程度では死なない。視神経が痙攣し、脳内に写し出したあの幻影―――。
 クレイのその予感を嗤うように、けたましく接近警報の音が耳朶を打つ。《ガンダムMk-V》のセンサーが捉える。
 機体がいち早く自機のライブラリーを参照し、接近する機影を即座に割り出す。
 AMX-102《ズサ》が3。
 MS-14J―――。
(《ゲルググ》―――!?)
 データリンクで繋がった情報に驚愕を滲ませた声を出す琳霞。その声の意味を理解する暇も無く、ガス雲を切り裂いたMS-14J《リゲルグ》の眼光がクレイを射竦める。
 自分を見た。気のせいでもなんでもなく、あのブレードアンテナを屹立させる灰色の《リゲルグ》の猛禽の如き瞳は、確かにクレイを映した。
(隊長!)
(わかってる! 07、08は狙撃だ! 05、フォックス1!)
(06、フォックス1!)
 バックパックに残存した最後のミサイルに加えて胸部の装甲も吹き飛ばし、計30発以上のAMA-13Sシュライクがたった数機のMSを殺傷するためだけに翼を広げ、その鋭利な嘴を《リゲルグ》に向ける。
 《ズサ》が迎撃のミサイルを撃ち放ち、2機の《リゲルグ》は減速することなく吶喊。アサルトライフルで撃ち落とし、突破困難と見るや片方の《リゲルグ》は背負ったブースターユニットを切り離した。MSから切り離され、重しを喪い、水を得た魚のように速度を増したブースターユニットの接近に伴ってミサイルの近接信管が作動、連動して爆破していく。推進剤を鱈腹積んだユニットが一際大きな爆発を起こす。
 赫焉の中を突っ切るようにして、肩そして背中に背負ったブースターユニットが生み出す大出力を踏み台にした大鷲の如きマシーンが迫る―――。
 呼吸が荒い。自分のことなのにわざわざ生体データを確認し、定まらない視線のままオールビューモニターに映った敵機目掛けてN-B.R.Dの照準を合わせる。
 全ての過程をぶつぶつ口に出して反復し、無心のままにトリガーに重なるスイッチに指を重ねる―――。
 MSのセンサーと連動し、ライブラリーに該当する敵機の装甲材を即座に判断。相対距離からあの《リゲルグ》を確実に貫く最適の解を切り出したN-B.R.Dの砲口が唸りを上げた。
 《FAZZ》の連装砲《ハイザック》の十字砲火を横ロールで躱したその瞬間目掛けて、《ガンダムMk-V》が肩から懸架した巨大な砲のトリガーを人差し指で引き絞る。
 バレルを駆け抜け、銃口の偏向機を経て超圧縮・加速したメガ粒子砲の光軸が奔る。通常のそれより圧倒的な速度のビームは、されど回避機動をとった《リゲルグ》の足を掠めただけだった。
「クソ、照準がぶれて!」
 試作兵器だからなどという言い訳をしている自分になおのこと腹が立つ。
 冷却その他諸々を綜合した次弾装填の時間が右脇の追加ディスプレイに表示される。見慣れたそのタイムラグに咽喉が鳴り、心臓が喚くように鳴り響く。数字が1つ繰り下がる―――1秒の時を刻むその外的時間の経過が酷くのろく感じる。
 大脳古皮質が悲鳴をあげ、内側から鼓膜を突き上げるように心臓が脈打ち脳みそに血流を送り込む。
 全身にミサイルを積み込んだ《ズサ》はそれだけで脅威だ。その対応に《FAZZ》が手間取った隙に《リゲルグ》2機が急激に肉迫する。ブースターユニットを装備したままの《リゲルグ》がシールド裏から対になったビームサーベルを発振させた。
 片方だけに巨大な蟹の鋏をもたげる様は、望潮だった。浜辺に居る小さな甲殻類との差異を挙げれば、片や数センチほどの無害な鋏に対して、《リゲルグ》のその得物は数万度に達するということだ。触れれば何物も両断する刃、触れれば一瞬で蒸発する、刃―――。
 死。頭の中の有機を一色に塗りつぶす闇に悲鳴をあげる。
 けたましくなる警報音、騒ぎ立てる心臓音。次弾の装填までの残り時間は限りなく長く、次の瞬間には―――。
 《リゲルグ》が右腕を振りぬく寸前、間に入るようにした《ガンダムMk-V》がハイパービームサーベルを上段から振り下ろす。唾ぜり合いの瞬間に灰色の《ハイザック》がビームライフルを撃ち放ち、回避軌道をとった《リゲルグ》目掛けてブレードアンテナを掲げた《ハイザック》がサーベルで切りかかる。シールドで防がれるのも構わず、スラスターを全開にした《ハイザック》が推力の力も借りて《リゲルグ》を突き飛ばした。
(07と共に後退しろ! あの敵は俺たちで殺る!)
「隊長!?」
(早くしろ! お前の装備で敵う相手じゃない!)
 通信ウィンドウに映ったクセノフォンの顔はいつになく険しい―――その意味を理解し、クレイは背筋が凍えるのを今更に感じた。
 クレイがすぐに錯乱しなかったのは、一重に義務感が働いたからだった。強敵ならそれこそ数が必要と判断しかけたクレイは、しかしすぐにクセノフォンの声の意味するところの内実を理解した。
 それでも、ただ逃げるだけなんて―――歯を食いしばり、口を開けかけたのに合わせるようにして琳霞のウィンドウがディスプレイにフォーカスされた。
(いいから早く行け! あんたのやらなきゃいけないことはここでウダウダしてること!?)
「しかし―――!」
(あんたは連邦の軍人で、その玩具を死んでも守るのが任務なんでしょ! お頭で理解できたなら煩わせるな!)
 隣で弾倉(マガジン)を破棄し、予備弾倉(サブマグ)を装填した灰白色の《ハイザック》の単眼がぎょろりと睨みつける。
「中尉は!?」
(あたしがしなきゃいけないことはあんたを死なないようにすること! ここで敵を食い止めるってこと―――それがあたしの任務。アンタたちのとこには絶対に行かさないさ)
 操縦桿が軋むほどに握る。悔しさか、あるいは恐怖か―――それを吟味している暇はミリほどの存在も許されていなかった。
 ジゼルの鋭い声が耳朶を打つ。
 機体を即座に反転。通信ウィンドウの向こうで、彼女はただ不敵な笑みを作って応えた。
 スロットルを全開に。残りの推進剤の量その他もろもろ全て把握し、クレイはフットペダルを破壊する勢いで踏み込んだ。
 爆発的な閃光を迸らせた《ガンダムMk-V》の背後で、白の《ハイザック》の背は、行け、とだけ語っていた。
 ※
 真紅の《ガンダムMk-V》が後方へそれていく。その姿を見送る暇は、無かった。
「《FAZZ》は下がれ! 格闘戦に持ち込まれたらデカブツじゃ対応できないぞ!」
 鋭い声を迸らせる。
 ライフルの筒先から奔ったビームをシールドで防ぎ、ビームソードをぎらつかせる《リゲルグ》が相対距離を皆無にする
《ハイザック》が上段からビームサーベルを振り落し、《リゲルグ》が横なぎにビームアックスを払う。サーベルの接触と同時に防眩フィルターでも防ぎきれないほどの干渉光が迸り、琳霞の視界を鮮烈の白に塗りつぶす。その白い海原の向こうで毒々しいまでに単眼を閃かせる、《ゲルググ》の、凛然、とした、禍々しい、顔―――。
 出力差で弾き飛ばされた瞬間に、負荷Gをかみ殺しながらその勢いのままに《ハイザック》の左脚を瞬時に振り上げる。弧を描いた一撃が《リゲルグ》の右腕に直撃し、アサルトライフルを吹き飛ばしていった。
 そのままビームライフルの照準を《リゲルグ》に重ね―――。
 あ、と―――やけに呆気なく―――思った。
 視界の中、《FAZZ》の火砲を躱しながら、腰から引き抜いシュツルム・ファウストを掲げた《リゲルグ》の姿が在った。
 琳霞がそれを防げたのは必然的に偶然だった。咄嗟に《ハイザック》の身をよじらせ、左腕の曲面で構成されるシールドで何とか防御したのだ。
 だが、所詮悪あがきだった。射出されシールドに弾頭が直撃―――超高圧力に晒され、液体に擬態した金属が超高速で噴射、冷然とした物理法則による物の支配性がシールドに易々と風穴を穿つ。弾頭はそのまま爆破し、シールドごと左腕を根本から捥ぎ取っていった。
 途方もない衝撃がコクピットの中を襲った。ショックアブソーバーが気休めにしか感じられないほどの振動の中、琳霞は腹部に鋭利な疼痛が走ったのを知覚した。
 さらに背中を玄翁で打っ叩くような衝撃に、彼女は何か液体を吐き出した。デブリに叩き付けられた―――ディスプレイに機体損傷のビープ音が響き渡る。ヘルメットの中を赤い液が舞う中、漠然とした思考が頭の中に薄く広がっていく。
 腹の中から口へとせり上がってくる温い液を飲み込み、腹に何かの破片が突き刺さって血塗れになっているのを目視で確認する。視界が赤い―――眼底が破壊されて出血でもしているのだろう。
 サイド3出身の彼女は、赤く染まった視界の中で《リゲルグ》が《ハイザック》を串刺しにし、クレイとジゼルが逃れていった方へと視線を向けるのを、見た。
 任務だから、と喋った自分の声が索莫と頭の中で響く。ここから先には行かさないと語ったその言葉を信頼し、背を向けていったあの機体の姿が網膜にちらつく。
 偉そうに任務だとか語って、この様では格好がつかない。
 臓腑からこみ上げてくる激情と恐れ。口の中に溜まったぬるぬるした液を飲み込む。
「ムカつくんだよお前ら―――ゲルググなんて使いやがって」
 機体のステータスに視線を流す。不幸中の幸いか、岩塊にバックパックを叩き付けられた割には、《ハイザック》のスラスターは生きていた。案外、悪い機体じゃない。MS-06の設計思想を継承している、ってことか。今すぐにでも帰還しなければならないほどの致命傷を受けながらも、主の命令に従順に振る舞うその誠実さを今更に感謝し、ちょっとだけ申し訳なさを感じながら、歯を食いしばってスロットルを全開にする。
「お前らなんかに―――!」
 スラスターの光を爆発させ、ブースターユニットを背負ったその背中目掛けてビームライフルの銃口を向ける。
「―――好き勝手にさせておくかぁ!」
 《ハイザック》がトリガーに指を重ねる。そうしてその黒々した銃口が狂ったように雄叫びを上げ、数千度の光の銃弾が《リゲルグ》を撃ちぬき―――。
 聴神経に雷が奔った。劈くような何かの音が頭蓋を揺らし、彼女は酷く冷静に、1秒後には事態を把握した。機体の損傷、人間でいう所の腹部に致命的な損傷。オールビューモニターのすぐ下で、ビームサーベルが《ハイザック》の胴体を貫いていた。
 もう一機の《リゲルグ》がビームライフルの銃口付近に装備したバヨネットを発振させ、《ハイザック》を串刺しにしたのだ。
 モニター越しに背後に視線をやる。モノアイを妖しく輝かせる《ゲルググ》の顔が網膜に焼き付き、琳霞はせき込みながら血を吐き出した。口から飛び出した血がバイザーにべっとりと張り付き、琳霞の視界を赤単色に染め上げていく。
 バヨネットの牙を突き刺したまま、アサルトライフルはその黒々とした口から狂ったように咆哮を上げ、ぎらつく純白の閃光がコクピットに群れを成して殺到した。
 数千度に達する光は、人間を蒸発させることなど容易いことだ。
 耐熱限界を超え、ノーマルスーツが一瞬で焼け焦げる。
 家族の顔。
 フェニクスの顔。
 ―――男の顔。
 別に好きでもなんでもない男の顔。どこかぎこちなく、それでも精一杯に笑みを浮かべた男の、顔。
 ―――ちくしょ……。
 目元から溢れた液体は、じゅっ、という音と共に、彼女の存在ごと原初的存在へと還元された。
 ※
 脳みそが破裂した。
 不意に起こったその冷たい灼熱の不快感に意識が流され、脳髄のどこかに激痛を感じたクレイは、視界に入ったディスプレイの情報を数学的情報の羅列としか理解できなかった。
 遥か後方―――レーダーに映ったブリップがまるで最初から無かったかのように消失していた。
 振り返る。
 全天周囲モニター越しの宇宙には思い出したように閃光が膨れ上がっていた。
 思考能力がぼろぼろと削げ落ち、状況を理解することが出来なかった。否、そうすることを何かが妨害していた。
 琳霞の顔が過る。酒に酔ったあの顔が、そよそよと泳ぐ夜風に黒髪と金のリボンを靡かせ、人懐っこく笑った、アジア系の顔―――。
 理解したい。理解しなければならない。その度にずきずきと頭のどこかが軋みを上げ、その度に何かが剥離していく。
 手を伸ばした。伸ばした先に、何かが触れた。
 黒く淀んだ澱のような汚泥の感触。
 彼女は、死んだ。
 何かが、そう言葉でクレイに囁いた―――。
 接近警報。異様な速度で肉迫する機体が1―――《リゲルグ》。
 首を回し、オールビューモニター越しに映った凡色の機体を眺めやる。蒼い宇宙の中で、《リゲルグ》の単眼が怪しくクレイを睨みつける。
 逃がさない。お前も、今の奴と同じように粗びき肉にでもしてやろう―――。頭蓋に突き刺さった敵の思念が分節化され、明確な殺意となって翻訳される。
 己の存在をかき消されることへの根源的原初的恐怖。あの《リゲルグ》の殺意が集約されていき、そうしてその志向が己を捉えて―――。
 クレイ・ハイデガーは絶叫した。狂気的とすら呼べるほどの叫喚、吐瀉物の代わりに胃から這い上がってきた胃液、涎、涙、糞尿、穴と言う穴から液体やら何やらが垂れ流されていることすら分別が付かず、N-B.R.Dのトリガーを引きまくり、在るはずのないシールドビームキャノンやらビームカノンのトリガーを滅茶苦茶に引き続ける。
 死という絶対的な現象への恐怖が有機的結合の持続を単一に染め上げていく。死にたくない、助けて、嫌だと咽頭を響かせ、撃てもしないビーム砲のトリガーを引く。その度に鼓膜を突き刺すような警報の音がコクピットの中を湛え、誰かの無線通信が紛れ込み、クレイの悲鳴と排泄物の汚臭とが混ざり合ってぐちゃぐちゃのハルモニアと化していた。
 ぷち、と何かが突き刺さる。遠隔操作で打ち込まれた鎮静用の薬物の注射―――。
 ぶちんと鋼鉄のワイヤーが切断されるように意識を失う中、クレイが最後に見たのはジゼルの《ガンダムMk-V》の背中と―――。
 ―――蒼い宇宙を背にし、美しく燃える蒼い大翼をはためかせたヴァルキュリアの威容だった。 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

感想を書く

この話の感想を書きましょう!




 
 
全て感想を見る:感想一覧