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機動戦士ガンダムMSV-エクリチュールの囁き-

作者:桃豚(21)
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17話

 燦々と燈る星の光、柔らかく降りる丸い月光。森閑を湛えた黒い森には虫の音の一つも無く、風の音すらも沈黙を保っていた。
 全くの無音。音という概念すら消失した様は、生命の存在性すら許さぬ常闇の空を想起させた。
―――静謐というにはあまりにも冷たい漆黒の森の中、星光を蓄えたようにぽっかりと円状に何もない空間があった。新芽が萌えたばかりの背の低い草に覆われた空き地の中央にだけ、背の低い若樹が聳える。
 昼であれば青々とした葉を元気よく空に伸ばし、明るい照りを受けて大樹へと健やかに育っていく樹。その樹の、根本。
 くちゃくちゃと響く淫水の()
 情欲をかき混ぜる青い嬌声。
 心臓が溶鉱炉のように灼熱する。
 熱に浮かされて脳細胞は既に死滅してしまったのに、それでも頽廃的破滅的に女の肉を貪る彼。
 そんな男女の秘め事を、『私』は風景画を眺める眼差しで目にしていた。
 彼は己であるところの私だった。
 横たわる白い肢体に覆いかぶさるようにして、その肉を食らう雄。彼が身じろぎするたびに白い少女が甘ったるいよがり声が無音の世界を犯す。
 嗚呼、これはセックスなんだな。
 彼から遊離した『私』は、明らかに興奮しながらも冷静に断じた。だから、これがまぐわりなんだという判断が誤っていることにもすぐ気が付いた。
 淫な声に混ざる拒絶の声。喜悦に溺れながらも彼の手を逃れようともがく少女の姿を目にし、眼前の生殖行為が正当なものではないのだなとわかった。
 これは強姦しているんだ。だって銀髪の少女は嫌がっているもの。彼女は『私』の物ではなくて違う誰かの物なんだもの。
 嗤っていた。顔に触れなくてもわかる。彼が嗤い、彼であるところの己である自分も同じように、悦楽と嗜虐に歪んだ神聖な笑み。
 道徳?
 倫理?
 ―――快楽。
白い少女を組み伏し、背後から少女の肉に己を突き刺す。もう抵抗することもしなくなった少女の腰を片手で抱き込み、空いたもう片っぽの手で存外に大きな『にく』を味わう。
 何の不満があろうか。何の不満もない。
 もとより『私』は―――。
  果てた。
 死んだ。
 彼女が、彼が、己が白濁に染まる。
 臓物が散らばるように、絵の具を撒くように。
 白の中に白を―――。
                  ※
 絶叫。
 咽喉よ裂けよと言わんばかりの慟哭で意識を取り戻したクレイは、その声の主が自分であると気が付くのに幾許かの時間がかかった。
 酸素を求める水槽の小魚のように、口元を強張らせて空気を求める。にもかかわらず咽喉やら肺を動かす機能が痙攣し、肝心な酸素がちっとも吸えない。
 ただ呼吸をする、という生命活動の初歩的動作をするのに四苦八苦すること十数秒。ようやっと呼吸が落ち着き始める。
 定期的なリズムをとる時計の秒針の音。
 整いきらない息はまだ荒く熱っぽい。
 心の臓器が内側から鼓膜を叩く。
 違う違う違う。今のは夢だ。所詮稚気が生み出した戯言。真に受ける必要は―――。
 眼球の中で瞬く映像。
 悶える白。
 飛び散る白。
 愉悦の顔―――。
 やめろ、と叫ぶ。それはもう認めた。人はヒトである限りの呪縛から解放されえない、生得的行動だ。認めたからそれ以上突き付けるな。
 心は拒絶する。それでもいつもより早く拍動する心臓の音が蝸牛のリンパ液をぐらぐらと揺らす。
恐る恐る。ハーフパンツに手を入れ―――ぬるりとした感触が肌を伝った。
 咽喉に絡まりつくようなつんとする生臭さが鼻の粘膜をつく。
―――頭痛がする。後頭部に熱したアルコールを垂らされ脳細胞が死滅し委縮していくような酷い頭痛だ。全身も怠い。吐き気もする気がする。
 着替えなければ。
 思えば全身も汗まみれだったら下着も夢精でぐしょぐしょだった。ふらふらとベッドから立ち上がると、なおのこと鈍い頭痛で地面の感触を失った。もたつき、音を立ててベッドに尻もちをつく。どうやら眩暈もするらしい―――今日が待機任務中でよかった、と肩を下ろす。流石にこう頭痛が酷くては、MSに乗ろうなどという言葉は稚児の戯言も甚だしい。ブリーフィングに出た後に医務室にでも行くのが賢明だろう。
 脳全体が脈を打つような感覚が落ち着くまで数分。なるべく頭痛が酷くならないように、そろそろとデスクまで地べたを這いつくばって行き、重たい身体に鞭打つ。椅子を支えにしてなんとか虚脱な我が肉を立たせると、テーブルの上へと目を凝らす。
 碌に電気もつけず、相変わらず資料が散乱する中で、クレイはすぐに頭痛薬の入った手のひらサイズの白いケースを見つけた。水無しでも服用可能な点は、頭痛持ちのクレイにはいざというとき有難い。白い錠剤を3粒ほども口の中に放り込むと、飲み込みながら全裸になり、カゴの中へと服を押し込む。
ひやりとした空気が肌を撫でる。『ニューエドワーズ』は年中比較的温暖な気候に設定されているが、流石に夜ともなると冷え込む。そんな冷たさのせいか、薬のせいか―――薬のせいならプラシーボだろう―――頭に夜霧でも掛っていたかのような判然としない気分も幾分マシになった気がする。デスクの隣に聳えるロッカーから衣服を一式取り出すと、素早く身に着ける。
 とりあえず一息。ベッドに寝転がり、まだ起床時間まで4時間はあることを確認すると、腕を瞼の上に乗せた。
 ようやくいつも通りになった呼吸の音がメトロノームのように規則正しく音を刻む。
 瞼の裏は黒一色。実際の色はともかく、光絶たれた世界は黒に沈んでいた。
 そんな黒と黒と黒だけが在る世界の中に、ポッと光が灯る。まるで映画館のように、黒の中に映像が立ち上がっていく。
 夢の映像―――。
 白い女は見間違えるはずもない彼女だった。行為者としての自分を映していたルビー色の瞳とポーセリン・ドールの滑らかな手触りの生々しさをどうして違えようか。とはいえしかし、その明晰さをこそクレイを懊悩へと落とすのだ。
 あの時見たエレアのあの笑顔。あれを何よりも尊い至宝の一と思いなしたのは単なる早撮りでしかないのだ。尊さはある。至宝、というほどに惹かれる笑みだったのは間違いない。だがそれは唯一の宝物(ほうもつ)ではなかったのだ。きっとそれは、エレアの主観としてはクレイが友人に見せるのと一寸ほど価値の違いもない笑みにすぎないのだろう。何もクレイだったから見せたのではない。
なのに舞い上がっちゃってまぁ―――これがもう少し振られた経験がなかったら、非を彼女に求める愚劣を犯すところだ。得てして女性経験が貧相な男は、笑み一つを好意と勘違いしてしまいがちである。
 別に振られたわけでもない。ただ0地点へと引き戻されただけ―――。
 いや、とすぐ考えを改めた。0地点に戻ったのではない。0地点が終点なのだ。もとより恋愛、というものは極めて合理性を求められる科学的所作であるというのはあながち間違ってはいないのだ。無論稀、という変数は存在するが、往々にして女の子にモテるには相応の理由が必要なのだ。理由をつぶさに挙げる必要はない。そもそもクレイは、MSパイロットとしての技量や知の探究にこそ心血を注いだ代わりに、そうした努力を終ぞしたことがない男なのだ。
 そうした現実に気づいたのは2年も前。そうした生を選択してしまった己への後悔も、もう2年前に済ませた。後悔にもまして、己が生へと誇りを持ったのも同じ時期。
 なればこそ、クレイ・ハイデガーの為すべきことは決まっているではないか。
 ばしばしと頬を叩く。乾いた空気のせいもあって、頬を打つ痛みは自分の加減よりも強いが、むしろ願ってもいないことだった。
 頭痛はまだ居座ったままだ。流石にシミュレーターの使用は出来そうにないが―――。
―――やれることはあるはずだ。薬のせいもあってか、急速に意識に雲がかかっていくのを感じたクレイは、何の抵抗もなく眠気に身を浸した。
                         ※
 口笛の音が耳朶を打つ。
 早朝8時をやや回った時間、ブリーフィングルームへ向かう攸人はひやりとする冷気に身を震わせた。日頃摂氏23度から26度に気温設定されているニューエドワーズにあって、今日の気温は20度と19度の間をふらつく。寒々、というほどでもなければないが、温暖に慣れた身としては身に堪える。フライトジャケットは着てくるべきだった、とシャツ一枚の我が身の浅慮を悔やんだ。
 暖房も碌に聞いていない廊下を歩き、エレベーターを降りること数分。いつものブリーフィングルームについたのは予定時刻の20分前。大分早く着いたが、おそらく―――。
 ドアノブを回し、部屋内へと入る。
 がらんとした部屋の中、ぽつねんと座る男が一人。俯いた男の前髪がだらりと垂れ、顔色はうかがい知れない。本でも読んでいるのだろう。ドアを閉めながら、よおと声を上げた。
「ん?―――あぁお前か」
 今気づいた、という風に目を丸くしたクレイが顔を緩める。
 あ、こいつ怒ってるな―――。
 挨拶の言葉を一言、顔を緩めたクレイの素振りで攸人はそんなことを気づいた。
 クレイがわかりやすい男だから、ではない。士官学校からこのかた、この気難しくも高邁を是とする友人と長く付き合うからこそ知れる感情の機微だ。現状に叛逆せんとする決然の意を、普段とさほど変わらない身振りで挨拶するハイデガーの名の男から悟った。
 しかし何があったんだろう? 攸人の知る限り、クレイの近辺に変わったことはさしてないし、変わったことはむしろ良いことなハズなのだが。
「今日はなんか寒いな~わざわざこんなことしなくていいのに」
気象(おえ)管理局(らいさん)も仕事だからな。なるべく自然状態に近づけるってことだろ」
 顔を挙げもせずに一言。そりゃそうだけどさ、と言いながらクレイの隣に腰を下ろした。
「なぁ」
 なんだ、と応じるクレイの視線は下―――やはり本を注視していた。
「お前、なんかあった?」
 音もなく静かに、浅黒い肌の男が顔を上げる。鈍色の目はきょとんとして―――違う、
 クレイの咽喉元が蠢動する。
「―――いや、特にはないが。なんだ?」
 言うクレイの声も(おもて)も平素は差異ない。
「あぁそう」
 特に意味もなさそうな会話。攸人が会話を続けないと見るや、興味をなくしたように鼻を鳴らし、再び本へと埋没していった。
 どうやら攸人の直観は間違っていないらしい。この敬虔な学徒が直面した難問はいかにぞや?
 覚えず、口角が上がる。この男はそうでなくてはならない。俺のような男とは違う。
 ―――この世界に意味も見いだせない俺なぞとは。
不意に、ドアノブの回る音で攸人は顔を上げた。
 金髪の大男―――セーフティの外された狙撃銃のごときオーウェンの目がこちらを捉える。
「随分早いな。感心することだ」
「まぁ俺は気まぐれみたいなもので」
 ちらと一瞥―――する前に、隣の男がすっくと立ち上がる。その運動に沿うようにしてクレイの顔を伺った。
「ノースロップ少尉、少々お話が」
「なんだいきなり……まぁ構わないが」
 電灯の怜悧な光に撫でつけられたクレイの顔色は一目ではうかがい知れない。
 クレイ・ハイデガー。凡百の有象無象の中の一人。
 あぁそういえば―――一礼して腰を下ろすクレイを意識した攸人は、昨日のことを思い浮かべた。
 雪の結晶。触れてしまえば溶けてしまいそうなあの少女の笑み。視神経が思い出したように、昨日奔った電流の同電流を流す。あの笑みは誰のものであったか。嬉々として攸人を連れまわした彼女の志向性は何を何者に向かっていたか。
 ニューエドワーズか―――中々楽しませてくれる。
 いつもと変わらぬ顔つきで、神裂攸人は裂けるような笑みを胸中に浮かべた。 
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