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機動戦士ガンダムMSV-エクリチュールの囁き-

作者:桃豚(21)
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6話

 全天(オール)周囲(ビュー)モニター式のコクピットは、文字通りコクピットの全方位にモニターを配置し、視認性を少しでも向上させようと言う意図を持つ管制ユニットである。メリットの多いコクピット様式で、79年代のRX-78NT-1《アレックス》や、RX-78GP03《ステイメン》などに試験的に搭載され、有用性が認められたたことがきっかけとなり、第2世代MSの水準の指標となった優秀な装備である―――の、だが。
 「《百式改》とかに乗った時も思ったけど」手すりを手で撫でながら、眼前で口を開けるコクピットに呆れを含んだ視線を投げる。「―――重力下でこれ乗るの大変なんだよな」
 《ガンダムMk-Ⅴ》の特異な顔を見上げると、ノーマルスーツに身を包んだクレイは気の抜けた声を上げた。
 ガントリーの前にかかったキャットウォークには、クレイの他に、整備用のユニフォームを着込んだ金髪の青年が1人居た。「まぁ確かに乗りづらいよな」と柵に寄りかかりながら賛同するヴィセンテ・グレイ軍曹は、クレイとジゼルの《ガンダムMk-Ⅴ》の機付き長を務める男だ。フランクさと下品さが眩しいアメリカ大陸生まれの青年は、クレイと同い年という若さながら整備士として卓越した技量を持つ。別機種同時運用という悪手な上に、オーガスタ研究所独自開発機たる《ガンダムMk-Ⅴ》の整備ノウハウなどありはしない。その上、準サイコミュシステム―――いわゆるインコムシステムと呼ばれるサイコミュデバイス搭載機と、性能はともかく整備士への負担は馬鹿にならない。
 そんな厄介者を嬉々として整備するヴィセンテを見る限り、腕に心配はないと見ていい。横目で一瞥すれば、《ガンダムMk-V》を見上げるヴィセンテの鼻筋の通った表情には晴れがましさすら感じる。
 厄介であるが故に―――という、ことなのだろう。視線を《ガンダムMk-V》に戻せば、天井から照らされる人工の光を受ける漆黒が艶やかに反照していた。
「今回は陸戦想定だからインコムは無しだろうが……ま、お前の腕なら大丈夫だろ」
 困惑顔のクレイにヴィセンテが歯をのぞかせる。
「見てきたようなことを言いますね?」
「だって教導隊と試験部隊を混ぜた部隊の人間だぜ?」ヴィセンテの左腕がクレイの背中を叩く。「 腕は良くて当たり前だろう?」
 人のよさそうな笑みは、どこかとある専任少尉の一人と、攸人のそれに似ていた。気恥ずかしさも覚えながら、そりゃ確かにと納得したように肩を落とした。
「じゃ、頼んだぜ」
 気さくに右手を上げて手を振るヴィセンテに、クレイも親指を立てた。解放されたコクピットハッチから内部に潜り込み、しばし間抜けそうに口を開けるコクピットハッチを眺める。
 全天周囲モニターはシートに座りづらい―――《NT-1》のテストパイロットが、雑誌のインタビューに応じた時に言ったらしい。無重力下ならともかく、1G下では、シートに座るまでに曲面のコクピット底面を歩き、そしてシートの台座たる支持アームをよじ登るというなんとも原始的な動作が求められる。
 溜息を吐く。同時に、クレイはノーマルスーツのヘルメットを被った。
 意を決してそろそろと足を踏み出し―――クレイは、当然の如く滑った。動転する視界の中に一瞬気を取られている拍子に、後頭部を強かに打ち付けた―――が、後頭部にダイレクトな痛みが来ることは無かった。鈍い音とともに脳髄を揺さぶられる感触と鈍い痛みを感じ、顔を顰めながらも、内心ほっとする。
「ヘルメットが無ければやばかったな……」
 それでも鈍く痛む頭をヘルメット越しに抑えながら、倒れた体勢のままずるずると支持アームへ滑っていく。パッと見なんとも非科学的な光景であるが、それが最善と言うなら仕方ない。
 やっとの思いでシートに身を下ろすと、クレイは操縦桿を握り込んだ。
 前面に設えられたHUDに映る機体ステータスをチェック。ヴィセンテのチェックがあるから大丈夫だとは思うが、それを全面的に信頼して自分の仕事をしないというのは問題外だ。
 ディスプレイを手でなぞる。全天周囲モニターの調子も問題はない。異常なし、と判断すると、示し合わせたように無線通信のコール用にプリセットされた音が耳朶を打つ。みょうちきりんな音とともに通信ウィンドウが多目的ディスプレイに小さく立ち上がる。操縦桿の操作で回線を開くと、機内カメラには既にヘルメットを被ったジゼルの姿が映った。
(ゲシュペンスト07、準備できたよ)
 ジゼルの声に合わせるようにして、正面ガントリーに収まるもう1機の《ガンダムMk-V》のデュアルアイが閃く。 
 漆黒を主体に、淡い蒼と明灰で構成された幾何学模様の迷彩―――スプリッター迷彩に塗り染められたクレイの2番機と異なり、ジゼルの乗る《ガンダムMk-V》は、ダークイエローにダークレッド、ダークグリーンで構成された陸戦迷彩を施されていた。
 ダークマター覆う宙間戦闘かつミノフスキー粒子散布下の有視界戦闘が主舞台の戦場にあって、視認性は重要なウェイトを占める。そんな中、ジゼルの乗る《ガンダムMk-Ⅴ》の塗装は目立つばかりだが、この場合むしろジゼルの迷彩は目立つために施されていた。
「ゲシュペンスト08、こちらも完了」
(CP了解。ガントリー解放します、整備兵は退避してください)
 クレイも無線越しに連絡すると、《ゲシュペンスト》のCP将校を務める女性の硬い声が返る。
 がこん、という金属同士が軋む音と共に振動が生じる。《ガンダムMk-Ⅴ》の前面に掛っていたキャットウォークが真ん中から割れ、前面に向かって折れていく。その光景を見届けると、
(ガントリー解放確認。第2小隊第2分隊、出撃してください)
(了解。ゲシュペンスト07、《G-V》出るよ)
「ゲシュペンスト08、同じく《G-V》で行きます」
 陸戦迷彩の《Mk-V》がまずガントリーの中より這い出る。そのデカい図体らしい、のっそりとした歩みで牢獄の中から出るのを見届けると、クレイも《ガンダムMk-Ⅴ》に主脚歩行を促した。
 ※
 廃棄された市街―――という位置づけで、わざわざ拵えられた欺瞞の都市には人っ子一人いない。演習区画のうちの一つであるこの市街に民間人が入り込むことなどはほぼありえず、軍属の人間にしても使用中の演習区画に入る間抜けはいないだろう。そもそも廃棄寸前のコロニーを転用しているだけのコロニー内に住人がいることは恐らく、無い。
 畢竟、この演習用戦域を腹に抱えたコロニーに居るのはクレイとジゼル、そして第1小隊第2分隊の機体のみである。
 クレイは、《Mk-Ⅴ》の武装を今一度確認した。市街地戦闘ということもあり、標準装備であるビームスマートガンではなく、取り回しに優れる小型のビームライフルに、シールドは近接戦闘を主眼に置いた82式近接装攻殻改―――G.A.W.S-82改を装備する。
 全天周囲モニターに映る光景に視線を巡らせ―――狭い、とクレイは思った。連邦軍における数少ない第4世代機である《Mk-V》は、重火力でこそないものの、その大柄な機体にそぐわない高機動がウリで、近接格闘戦性能とインコムを駆使した砲撃戦能力により戦域を支配する。
 広大な宇宙こそ《ガンダムMk-V》の想定戦域であり、市街地などという箱庭は窮屈そのものだ―――。
(ねぇ、そういえば紗夜が言ってたんだけど)
「なんですか?」
 ジゼルからの無線通信の回線が開く。欺瞞的に散布された幻影のミノフスキー粒子により、音声はややノイズが入っているが近接での無線通信ということもあって問題なく聞こえる。
(《ズィートライ》のペットネーム、《リゼル》になったんだって)
「へーそうなんだ。というか。《リゼル》ってなんです?」
(なんだっけ。なんちゃらエスコートリーダーの略なんだって)
 今一度、クレイは相槌を打った―――ジゼルなりの、気遣いなのだろう。HUDに投影されたバイタルステータスを見ると、知らず知らずのうちに緊張気味になっていた。
 高々、演習なのに―――。
(じゃあ予定通りに動くけど、本当にいいの?)
「ええ、やれますよ」
 返す言葉が少しだけ上ずる。
 心配そうな、というより疑るような声色だったが、それも当然のことではある。クレイの腕は確かに数値という形で証明されても、コンバットプルーフのなされたものではない。それを僅かでも証明するためにも、クレイはいつもの声色に努めようとしたのだが。
(ま、実戦てわけじゃないしね。存分にやってちょうだいな)
 微笑を一つ。通信ウィンドウを閉じ、主脚歩行だけで後方に下がるジゼルの《ガンダムMk-Ⅴ》を横目で見ながら、クレイはフットペダルを踏み込んだ。
 大型MAクラスのジェネレーターを積んだ《ガンダムMk-Ⅴ》のスラスター推力は馬鹿にならない。軽くスラスターを焚いただけでも爆発的な蒼炎を吐き出し、波動とともに漆黒のガンダムが市街の路を突っ切る。ミノフスキー粒子散布下、且つ周囲に設置された音声欺瞞装置により有視界に頼らざるを得ない状況。ワザと激しくバーニアを焚き、前面から圧し掛かる負荷Gを受けながらも。立ち並ぶビル群を抜け―――。
 ロックオン警報がクレイの耳朶を叩いた。同時に立ち上がる攻撃警報のウィンドウを見るまでもなく、クレイはロックオンレーザーの方角を把握、即座にそちらへ視線をやった。
 遠方数キロ、ビルの上で膝立ちする機影―――RGZ-93EMP《リゼル》がビームライフルの黒い銃口を冷徹にこちらに向けていた。
 《リゼル》がメガ粒子の矢を放つのと、クレイが《ガンダムMk-Ⅴ》に急制動を掛けたのはほぼ同時。
 大出力のバーニア光が花弁のように四方に散らばり、バックステップで躱す挙動を取る。しかし、さらにクレイは左腕のシールドを機体に掲げた。
 回避機動に合わせるように追従した銃口から、研ぎ澄まされた閃光が屹立。正確にコクピットを狙った幻影の粒子光は、されど掲げられたシールドに吸い込まれるようにして直撃した。シールド表面の爆薬が起動し、爆炎光を唸らせる。減衰しきれないメガ粒子は対ビーム被膜が吸収―――本体はほぼ無傷だと確認する。左腕にも不調は無いことも把握し、クレイは次のロックオン警報と、機体の接近警報のざわめきを頭蓋の奥で知覚した。
 直上より機影1―――《ガンダムMk-Ⅴ》の頭部がクレイと同じように上部を向き、人工太陽の閃光を受けたその白亜の機影を認知する。同じく《リゼル》―――Zガンダムタイプ特有のフェイスタイプを持ったデュアルアイが《Mk-Ⅴ》を捉える。
 ロングバレルのビームライフルの銃口から粒子束を発振させる白亜の巨人。相対距離を一瞬で縮める急降下をしかける《リゼル》目掛けて右腕のビームライフルとバックパックのビームカノンを指向する。立て続けに3門の砲口から唸りを上げた光軸が立ち上がり、明灰色の《リゼル》を襲う―――が、双眸をぎらつかせた《リゼル》は右腕のシールドで直撃弾を防ぐ以外は意にも介さずにクレイの私領域を侵略した。
 けたましく鳴る接近警報の悲鳴。
 視界の中を犯す《リゼル》。
 サーベルを抜くのは間に合わない。
 逡巡が掠める。
 薙刀の要領で振りかぶる《リゼル》目がけ、クレイは咄嗟にビームライフルを投げ捨てた。
 数百キロもある塊を食らえば、機体そのものにダメージが無くても中のパイロットはある程度揺さぶられる。嫌った《リゼル》がロングビームサーベルでビームライフルを薙ぎ払う隙を突き、《Mk-V》はバックパックからサーベルを引き抜いた。
 Iフィールドの力場を利用し、メガ粒子を刃状に形成する―――言わばそれは、蛇口に風船をかぶせたようなものだ。
 通常の物より一際大型のサーベルグリップから大出力のメガ粒子の刃を形成。力場が固定され、完全に剣と化すのを確認すると、コクピット内のフットペダルを踏み込んだ。
 炎を焚いた巨躯が加速し、巨体に不似合な速度で相対距離を皆無にする。
 クロスレンジ内。照準レティクルが近接戦闘用に切り替わり、がら空きになった胴体目がけてビームサーベルを振り下ろした。
 間に合わない―――クレイの予測は、しかしあっさりと破られた。逆噴射のバーニアを噴射と同時にビームライフルを破棄、素早くサーベルを抜いた《リゼル》は、機械(マシーン)がやっているとは思えないほどの流麗な動作でもって、《Mk-V》の光刃に合わせるようにして発振した蒼の刃を掬い上げる。接触し、Iフィールドが干渉する日輪の如き閃光が迸り、防眩フィルターでも殺しきれない光がクレイの視界を刺した。
(《ガンダムMk-V》のパイロット、例の新人君だな?)
 HUDに通信ウィンドウが立ち上がり、見知った顔が映る。眼前で切り結ぶ《リゼル》のパイロット―――ヴィルケイ・エコネ少尉の、品位に欠けた品性を湛えた笑みがクレイを挑発する。
「エコネ少尉!? 演習中の通信は―――」
(堅いこと言うなよ、俺とおまえの仲だろうが。さぁ、俺と踊ろうぜ!)
 バーニアを逆噴射した《リゼル》が鍔迫り合いから抜け出し、上空に退避すると同時に左腕のシールドビームキャノンを指向する様を認識―――刹那の逡巡と共に、意を決したクレイはフットペダルを踏み込んだ。
 サーベルの発振を抑え バックパックに納刀。続いて流れるようにG.A.W.S-82の裏に装備してあった武装を引き抜く。
 《リゼル》のビームキャノンが咆哮を上げる。ビームライフルのソレに比べれば出力こそ劣るものの、数千度に達するメガ粒子の塊はガンダリウムコンポジットの身体を容易に貫き得る―――が、クレイは臆せずその閃光に猪突した。全身に装備された姿勢制御バーニアを駆使し、迫りくる光軸を紙一重でいなす。高温で機体表面が焦げる感触すら味わった。
 ぎょっと身動ぎする《リゼル》。
 相対距離は寸前。
 沸騰寸前の脳髄が獲物を見定める―――だが、冷徹に本命は別と理解する脳髄が《Mk-V》に胸部コクピットブロックにシールドを掲げるのと、攻撃警報が鳴り響いたのは同時だった。視界の隅で桃色の閃光が閃き、漆黒の《Mk-V》目がけて灼熱の光軸が屹立する。必中の技量によって放たれたメガ粒子の閃光は、確かに《Mk-V》を一撃で屠殺するはずだった―――が、クレイに意志によってせりあがった左腕のシールドがその閃光を受け止め、シールド前面の爆薬が作動した。衝撃と共に閃光が迸るがクレイは平然とそれを無視。残りの指向性爆薬の数が2であることを確認すると、眼前で確かに動揺を見せる《リゼル》めがけて右腕に保持した長柄の武装のビーム刃を発振させた。
 シールド懸架時は折りたたまれていたそれが展開、片刃の斧状にメガ粒子を、そして柄の先端部分からもビーム刃を発振させたそれ―――ハイパービームジャベリンの爆発的な閃光が発振されると、クレイは振り上げる要領でそのビームジャベリンを《リゼル》の胴に狙いを合わせた。
 残光の尾を引いたメガ粒子の刃が空を焼く。咄嗟に防御のビームサーベルでその一撃を受け止め、干渉光が爆ぜる。このまま押し切る―――クレイの思考とは裏腹に、しかし決然と瞳を光らせた《リゼル》がバーニアを爆発させた。超至近での加速―――体当たりと理解したクレイが咄嗟に《Mk-V》に回避挙動を取らせたものの、遅すぎる反応だった。虚位に潜り込むようにして決行された体当たりがもろに直撃。数十トンある鉄塊が衝突し、その衝撃でシートの上で跳ねながらも、クレイは冷静だった。コロニーの大地に吸い寄せられながらもバーニアを焚き、減速しながらもビームカノンを指向。《リゼル》が左腕のビームキャノンを指向する隙を与えず、立て続けに2射放つ。正確でこそなかったが、それでも直撃コースに放ったメガ粒子の光軸を慌てて回避する《リゼル》―――だが、クレイは追い打ちをかけるように鳴る接近警報に舌打ちした。 
 11時の方角から敵機―――《リゼル》1。激動の視界の中で、その露軍迷彩と呼ばれる青と明青でカラーリングされた2つ目のMSがビームライフルをクレイに指向するのを知覚し、
ぞっとしたクレイは歯を食いしばった。
 穿たれた光軸をクレイは寸前でシールドを掲げる。直撃しな、クレイはけたましい音が鳴るのを聞いた。爆薬が起動する音に混じり、クラッシャブルストラクチャーと爆砕ボルトが起動する警告音が鼓膜を刺す。金属が破砕する甲高く鈍い音が視界を掠め、衝撃がクレイの身体を無思慮に打ち付ける。
 シールドの対ビーム被膜が擦り切れ、不要と判断したシールドを切り離したのだ。
 もう受けられない―――全身の毛孔が震える感触を味わいながらも分析するクレイの脳内で、無線通信が開く音がのたうった。
(やっぱお前はそう簡単にやらせてはくれないよな!)
 通信ウィンドウが立ち上がり、見知った顔―――何度も、厭と言うほど相対した顔がクレイの前で鋭い笑みを浮かべた。
 視界の中で、蒼で塗られた《リゼル》がビームライフルを懸架し、サーベルを引き抜く。
 神裂攸人―――何度とも刃を交えた相手。
 いつだって勝てなかった相手。
 逡巡の後、クレイも乾いた唇を舐めた。
「当たり前だろ―――お前の良いようにはさせないんだからな!」
 クレイが吠える。応じるようにデュアルアイを鋭利にした《Mk-V》が両手でビームジャベリンを保持し、攸人の乗る蒼白の《リゼル》へと斬りかかっていく―――。
 ※
 コクピットの中にこだまする口笛の音。ところどころつっかえつっかえになって、そうして時折音じゃなくて息しか出なかったりしながらアップテンポで刻まれるその音を聞きながら、ジゼルは己が《Mk-V》を起動させた。
「そろそろお兄さんをお助けしないとね」
 すんすんと鼻を鳴らし鳴らし、陽気に独り言を言いながら、全天周囲モニターが点灯するのを確認すると、ジゼルは即座に眼前の光景を把持する。
 高度数十メートル、メガ粒子の閃光とバーニアの閃きが立て続けに唸り、張り紙の空を彩る。
「ヴィルケイと新入りの天才君相手にやるっていってだけど」
 平然と言ってみせたクレイの顔を思い浮かべる。戦闘開始から3分―――MS戦闘はほとんど4分で片が付くと言われる中、2対1でやり合ってる割には善戦している。勿論、ひたすら防御に回っているからやられていないだけで、あと数分もすれば―――素人でもわかることだ。
 それでも、口だけではない―――経歴は伊達ではないということか。
 ジゼルは幽かに猥雑を孕んだ笑みをしてみせた。舌なめずりと共に、ビルの上で膝立ちさせていた陸軍迷彩の《Mk-V》が身じろぎする。
「頑張った子にはご褒美を上げないとね」
 操縦桿を握り込む。
 反応した《Mk-V》が右腕のビームライフルを構える。
「《ジェガン》のライフル慣れてないから上手く行けるかな」
 全天周囲モニター、ジゼルから見て右手に映るちょこなんとした黒い銃器をぼんやりと眺めてみる。改めてその装備に文句の1つも言いたくなるが……市街地線で取り回しを考えれば文句も言えまい。それに、その程度の壁を前にして根を上げるような程の腕ではない。
 鼻歌を朗々と―――時折音程を外し―――歌い上げながら、ジゼルは照準レティクルに白亜の《リゼル》を収めた。
 ※
《Mk-V》の強さはそのパワーにある―――強引にビームジャベリンを叩きおろし、威力を殺しきれない蒼白の《リゼル》がよろめく―――が、隙とはならない。間隙を貫くように下方から突撃を仕掛ける白亜の《リゼル》が腕部グレネードを放つ。幽かに後退して回避すれば、攸人の《リゼル》との間に割って入り、ビームサーベルを逆袈裟に振り抜く。
 あわや槍部でその斬撃を受け止めたクレイは、全身から汗を噴き出しながら、知らず笑っていた。
 ―――エースパイロットを孤高の存在とする論調があるが、それはほぼ誤りである。ただ孤独でワンマンアーミーを貫くのは単なる腕自慢の間抜けだ。
 真のエースパイロットは、僚機を絶対に墜とさせない。
 眼前で鍔迫り合いを演ずる白亜に橙色を引いた《リゼル》―――ヴィルケイという男は、出会って数分しかも出会った時間も数分というだけの男である。されど、確実にクレイはこの男の腕を認識した。
 《リゼル》のデュアルアイが悪戯っぽく笑う―――身構えたクレイは、次の瞬間ぎょっとした。
 バーニアを爆発させると同時にビームサーベルを強引に切り上げる。不意の一撃に突き飛ばされる形になった《Mk-V》がよろめく最中、その脇腹目がけ、白亜の《リゼル》が身体を捩り、回し蹴りを叩き込んだのだ。
 コロニー内は中心部に行けば確かに重力が薄い。それでもクレイたちが現在斬り合っているのは地上から数十メートル―――無重力と言うにはあまりに重たい世界で、18m以上ある巨体に踵落としを見舞わせたのだ。
 ある種神業にも等しいその一撃を、しかしクレイは礼賛を持って感嘆する暇など無かった。数百キロの鉄塊で殴打されたような激震に、悲鳴を上げる余裕すらない。
 眼球が揺さぶられる―――流転する世界にあって、クレイは操縦桿を離す愚こそ犯かさなかったものの、それでも掴んでいるので精一杯だった。
 白亜の《リゼル》がシールドの切っ先を―――ビームキャノンの照準を合わせる。
 黒々した冷たい咆哮が迸る刹那―――ヴィルケイの《リゼル》が狼狽したのを、クレイは幻視()て―――。
 不意に戦場を犯したメガ粒子の光軸が《リゼル》の左腕を貫く。
 幻影のメガ粒子が《リゼル》の装甲を融解し、血肉の内蔵フレームを蒸発させる。
(ありゃ……外しちゃった)
 ジゼルの声が鼓膜をくすぐる。ほっとするのと同時に苦い気分にもなったが、それはそれだとすぐに思考を切り替えた。
(何発か援護したら餌を潰すから)
「了解―――手はず通り、感謝しますよ!」
(どういたしまして!)
 吹き飛ばされた《リゼル》の腕部がクレイの脇を通り過ぎたところで、クレイは渦の中より脱した。完全に操縦桿を握り直し、その瞳に映る手負いの《リゼル》目がけてビームカノンの口を重ねる。
 立て続けに襲い掛かる遠距離からの狙撃に気を取られながらも、それでも白亜の《リゼル》はクレイの挙動に反応してみせた。ロックオンと同時に砲撃したにもかかわらず、その《リゼル》は屹立したメガ粒子の閃光を紙一重で回避してみせる―――舌打ちがヘルメットの中で響く。
 数度目の狙撃が《リゼル》を掠めたのが、合図だった。
 未だ無傷の、攸人の《リゼル》が1秒とかからずに変形した。ムーバブルフレームが成すその瞬間的な可変と共に、大出力のバーニアを焚いた蒼白の《リゼル》が廃市街目がけて急降下―――同時に、ビームサーベルを構えた白亜の《リゼル》がクレイ目がけて猪突をしけた。
 攸人の《リゼル》が狙うのは、ジゼルの《Mk-V》。狙撃に優れるジゼルを早めに叩き潰さなければ、苦戦は必至と見定め、無傷の攸人を行かせるのは合理である。
 クレイは、ここで逡巡―――だが、予想以上の速さで肉迫する《リゼル》相手に、ビームカノンを撃つかどうかの逡巡は、イコール撃つ暇など無いと同義であった。
 間合いに飛び込んだ《リゼル》がビームサーベルを振るう。剣閃に合わせるようにビームジャベリを重ねたクレイは、予想外の威力に錯乱した。出力で勝る《Mk-V》が一瞬拮抗したかと思うと、次の瞬間には弾き飛ばされていた。
 錐もみしながら、クレイはフットペダルを踏み込む。バーニア炎を急激に巻き上げ、廃市街の中へ降り立つ―――クレイは、まっすぐ伸びる通路の先に、白亜の《リゼル》が降り立つのを見とめた。
(よお、さすがに良い腕してんじゃねーか)
 無線通信―――相変わらず軽そうな笑みを浮かべたヴィルケイの声が耳朶を打った。
(流石に2ː1で落とせなかったのには驚いたぜ)
「あと数十してればやられていましたよ」
 クレイは、そういいながら自機のステータスをチェックした。
 数分間、重力下で飛び回っては強引な着地を繰り返したせいで、機体の全領域にある程度のダメージを負っていた。流石に赤いマーカーが点灯するなんて沙汰には陥っていないが、左腕に至っては、黄色のマーカーが点灯していた。模擬戦でここまで機体を傷めつけるのもそう多くはないだろう。後で始末書とか書かせられないよなと思いながら、ヴィルケイの《リゼル》を見やった。
 左腕を抉られている以外は新品同様―――しかも、あの左腕の損傷もあくまでCG補正によってそう見えるに過ぎない。
 《リゼル》がサーベルを構える。メガ粒子の刃が先ほどよりも高出力で発進され、Iフィールドで制御しきれないメガ粒子の刃の輪郭が幽らめく。
 須臾を満たす残響。
 先に動いたのは、《リゼル》だった。
 クレイが動くより先に、白亜の《リゼル》が裂帛の気合でもって近接の間合いに飛び込む。
 クレイも、ビームジャベリンを構え―――なかった。《リゼル》がバーニアを焚くのを見計らい、反射的な速度でビームジャベリンを逆手に持ち変える。後退の勢いのまま、《Mk-V》が右腕を振り上げ、内部フレームが流れるような動作でビームジャベリンを投擲した。
 人間の動きを完全になぞるムーバブルフレームが成すその血肉を宿した一閃を追うかの如く、スラストリバースした《Mk-V》が右腕でサーベルを引き抜く。
 Iフィールドの力場によって灼熱の刃が形成されるまでは一瞬。逆負荷のGに身体を滅多打ちにされながらも、クレイは唇が千切れるかのごとく噛みしめ、眼球を前に固定し続けた。スローモーションにすら見える世界の中で、粒子ビームの刃が発振されたジャベリンを、その白の《リゼル》はサーベルで掬い上げるようにして切り払う。柄の部分を両断されたハイパービームジャベリンが束の間宙を舞う―――クレイは、強ばり引きつった笑みが浮かぶのを知覚した。
 掬い上げるようにして腕を振りぬいた《リゼル》の胴は完全にがら空き。
 彼我距離は測るまでもなく《Mk-V》のクロスレンジ内。
 勝った―――と、クレイの頭蓋にその言葉が閃いた刹那、その閃光を打ち消すがごとく激震が見舞った。右からの激震―――何、と理解するより早く、立て続けに今度は上方から脳天を叩き割られるような衝撃が脳髄をシェイクした。
 ハムノイズの音が数秒鼓膜を弄る―――頭が揺さぶられる感触がクレイを嘲笑う最中、無線通信の回線が開いたのを知らせる音が鳴った。
(CPよりゲシュペンスト08、胸部コクピットブロックに損傷、大破と認む)
 CP将校のひんやりした声を理解するのに数秒。コクピットシートに固定されたままでうつ伏せになるという気分の悪くなりそうな格好のまま、クレイは後ろを見やった。
 左腕を損傷したままの、白亜の《リゼル》が発振されていないビームサーベルのグリップを逆手に構える様が目に入った。
(惜しかったな~もうちょっとだったぜ)
 外部音声マイクで発せられた声の様たるは鷹揚そのものだった。
(やっぱりアムロ・レイ中佐のMS肉弾戦は有用だったね~。俺あのDVD昨日も見てたんだぜ? あそこであの蹴りがなけりゃ―――あ?)
 饒舌になったヴィルケイがそこまで言いかけた時だった。
 白亜の《リゼル》の胴体を、メガ粒子の閃光が貫き、爆炎を上げた。
(―――ゲシュペンスト03、胸部コクピットブロックに被弾、大破と認む)
 先ほどと同じように―――否、オペレーターの声は多分に呆れているように聞こえた。
 爆炎が晴れた中から、「新品同様」の《リゼル》がゆっくりと姿を現す。
(ごめんごめん、もうちょっと早く04を始末する算段だったんだけど予想外に時間喰っちゃった)
 悪戯っぽい笑みを浮かべたジゼルの姿が通信ウィンドウに浮かび上がる。
 一応、勝ったらしい―――得も言えぬ安堵を抱えたクレイは溜息を吐きながらも、「次はもうちょっと早く頼みますよ」と同じような笑みを返した。
(了解了解。次は頑張るよ)
(つかユウト! お前何かってにやられてんだよ!?)
(格闘戦に持ち込めば勝てるとか思ってたら瞬殺されました)
 2人が楽しげで親しみ深い言い争いを始めるのを脱力しながら聞いたクレイは、CP将校の状況終了の声を聴くまで身体をだらけさせた。 
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