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機動戦士ガンダムMSV-エクリチュールの囁き-

作者:桃豚(21)
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4話

 基地内の見取り図は事前配布の資料にあったのと、ニューエドワーズに着いた日に下見はしてあったから道に迷うということもなく、クレイは悠々と基地内食堂へと着いた。
 基地内広しということもあって、基地内にも広く食堂が備えられている。そのうちの1つである2番食堂に入ったクレイは、案外空いているな、と思った。
 その収容規模に対して、閑散とした食堂に人はまばらだ。長テーブルに一人で座るサナリィの職員らしき人や、BDUにインナーのタンクトップというラフな出で立ちの人が談笑しているぐらいなものだ。
 配膳のカウンターなどは士官学校でのそれに似た―――というより士官学校がそれに似せているのだろう―――様式のようだ。入口付近に置かれた、数重にも重なるトレーを慣れた動作で抜き取り、配膳カウンターの前へ。
 配膳カウンターの前まで行くと、ラミネート加工された張り紙が数枚。本日の献立と題された紙には、実際の料理の写真が大々的に貼られ、それだけで胃袋が捩じれるのを感じた。
 さっそく料理を受け取る―――といきたいところだが、はたして士官学校の様式をそのまま適用していいものだろうか。
 クレイは、ごく自然な動作で向こう側を見た。
 出入り口が二か所設けられたこの食堂は、現在クレイがいる側と、その反対側の両側から食事を受け取ることができる。カウンターに設けられた配膳口は二か所だ。
 クレイが見たのは、その向こうにあるもう一つの配膳口だ。丁度若いサナリィのスタッフだか事務員だかが朝の新鮮さとは無縁そうな疲れた顔で食事を受け取っているところだった。
 Yシャツにスーツの格好の中年の男がラミネートを見ながら何事か言うと、十数秒程度の時間で食事を受け取り、よろよろとした足取りでテーブルの海の中へ消えていく。
 大して変わらないか―――確認を取ると、クレイは果敢に一歩を踏み出した。
 配膳口の前までいくと、奥の方で料理の下準備をしているらしい女性の内の一人がクレイを見とめ、恰幅の良い身体を揺らした。
「何にしますか?」
 しゃがれた声に白髪の混じった髪。マスクで顔は窺い知れないが、壮年のおばさんといったところか。至って平静な態度でラミネートを流し見る。
 クレイの視線が一点を捉えた。何やら魚の切り身らしきものに土色のソースをぶちまけたようなものが、おどろおどろしく印刷紙の上を占領している。日本の文化に触れる前なら、その料理を蔑みでもって理解したであろうが―――。
「あの、これをお願いします」
「はい? あぁ、はいはい、Bね~」
 陽気な声を上げた彼女が長い箸を取り出し、手元の鍋へ一閃。素早い動作で深底の鍋から、目標を捕獲する。
 白いプレートの上に二つの切り身が鎮座し、その威容に鮮緑の野菜が華やかさを添える。続いて女性がその大柄な見た目と大らかな声色からは想像しがたい俊敏な動きでもって器を取り出し、白い米―――ご飯を盛る。
「お待ちどうさま」
 目を細めた女性が湯気を立ち昇らせる白米と、例の物をカウンター越しにクレイに手渡した。
 腕時計を見やる。今日の臨時演習の開始時刻まではあと6時間。さっさと食べて、一度格納庫に向かわねばという理知的考えも、眼前で匂いを揺らめかせるものの前では無粋な考えだった。
 鼻孔を抜け、大脳古皮質まで貫く匂い。足早に近くのテーブルに腰かけ、フォークを左手に構えた―――。
「よぉ、いいか?」
 聞きなれない―――聞いたことがある声が耳朶を打った。顔を上げて、前の席を見上げると、見慣れない―――されど見たことがある顔があった。
「ノースロップ少尉……でしたよね」
 首を傾げながら、記憶を手繰り寄せて言う。流石にあったばかりの人の名前を、間違えるわけにもいかない。
「ノースロックな、クレイ・ハイデガー」
 応えも聞かぬまま、オーウェン・ノースロックがクレイの前の席に座った。
 身長200超、片腕で72kgある攸人を持ち上げてみせた怪力を実証するかのようながっしりとした体格の割に、どこか物静かさを持った知性的な顔立ちと対照的な燃えるような髪―――といった外見の男は、席に座ると窮屈そうに見えた。
「あ、申し訳ありません……」
「気にするな。よく間違えられる」
 恐縮するクレイには目もくれず、市販品のバターの蓋を開けたオーウェンは、今日の朝食であるパンに一掬い塗る。続いてプレートの上に乗っていた薄緑のレタスやらトマトやらを食パンにはさんでいくのを茫然と眺めていると、「私もいいかしら?」という別な声が肩を叩いた。
 クレイが顔を向ける間もなく、隣の席に腰を下ろした女性が微笑とともに挨拶をする。
 手から滑り落ちるような砂金の髪を短く切りそろえながらも、もみあげを長く伸ばして三つ編みのように編み込む―――という手間がかかっていそうな髪型に目が行く。
「ええと、ローティ少尉?」
「ええ、ジゼル・ローティ」
 にこりと瑞々しい朝光の笑みを一つ。初対面の時も思ったが、優しそうなお姉さんといった印象のジゼルは、その温和な容姿に対してれっきとしたMSパイロット―――クレイのバディを務める人でもある。
「改めて、これからよろしくね」
「こちらこそよろしくお願いします。ノースロックさんも」
 へこりと頭を下げる。おう、とぶっきらぼうにオーウェンが応じると、出来上がったお手製サンドイッチを口に放り込んだ。
「ファーストネームでいいぞ。先任とはいえ同じ階級なんだ」
 口に物を入れている割に、綺麗な発音で言ったオーウェンが顔を上げる。ぽろぽろとレタスの破片がテーブルの上に落ちる。平然とそれを摘まんで口に入れるオーウェンに、「汚いわよ」と窘めたジゼルも、「押しつけはしないけどね」と続けた。
「当分一緒に仕事する仲間なんだし、堅苦しいのはナシにしましょうよ?」
 らんらんとおさげが幽れた。
 少し、困った。クレイは、ハイスクール時代から人を呼ぶときはファミリーネームで呼ぶことが多く、ファーストネームで呼んだことはここ最近で無い。押しつけはしない、という言葉に甘えてもいいが……。
 せっかくの提案なのである。無碍に断るほどの物でもないと思ったクレイは、咳払いをした。
「じゃあお言葉に甘えて……オーウェンさんに、ジゼルさん?」
「呼び捨てでもいいが」
「いや、そこは癖というかなんというか…年上の人にはそうしちゃうんですよね」
 照れ笑いを浮かべた。
 心臓がざわついた。気恥ずかしさとでも言おうか、ぎこちない言い方になってしまったが、ジゼルは柔和な笑みと共に、こじんまりとした拍手をした。
「それじゃあ食べましょうか、クレイ?」
 珠のような声が大脳古皮質の奥に澱のように溜まる―――首を振ったクレイは、努めて眼下の料理に視線を下ろした。
「しかしサバの味噌煮も美味しいわよねぇ。そっちにすればよかったかな」
 棒状の肉塊―――カレーヴルストをフォークで突き刺しながら、羨望の眼差しをクレイの手元にやる。
 サバの味噌煮―――それこそ、クレイの頼んだ品物である。「好きなんですか」と言いながら、フォークをその切り身に突き刺し、丁寧に解体。一口大になったその身を、湯気だったご飯の上に乗せ、合わせて口に運んだ。
 ―――味噌の甘さと絶妙に絡むサバ本体の油加減と旨味。合成タンパクじゃないのか、と思わず顔を上げると、待ってましたとばかりにジゼルが笑みを浮かべる。
「ニューエドワーズの食堂のレベルはかなり高いって評判だからな」
「私なんてこのために666のスカウト了承したんだから」
 どちらかというとクールな印象だったオーウェンも、得意な顔だ。ジゼルは―――それはどうなんだと思いながら、何より驚いたのは合成タンパクで本物と同等の味にしていることだ。
 宇宙世紀0094年、食糧事情は困窮とまでいかずとも、けっして贅沢だとは言えないものだ。大豆やプランクトンから精製した合成タンパクから作り出された食べ物は、見た目こそ普通の肉や魚と変わらないが味は大きく劣る。クレイも士官学校時代はその洗礼を存分に味わったものだが―――同じ品とは思えない出来と言っていい。
「凄いな……」
 思わず呻きながら、次の塊を口に放り込む。同じ味が口を蹂躙した。
「この後は何かする予定はある?」
 次のソーセージを齧りながら、クレイの顔を覗き込む。
「一応、格納庫に行って自分の機体でも見てみようかなと」
 口に含んでいた食べ物を飲み込んでから、応えた。
 朝のブリーフィングでは、何に乗るかはまだ伝えられていない。攸人が乗る機体は、RGZ-93EMP《リゼル》だと伝えられていたが、クレイと、そしてジゼルが乗る機体がなんなのかは不明だ。フェニクスは知っているらしいが、曰く「見てのお楽しみ」らしい。MSマニアなら垂涎のショーだ、とも言っていた。
「なら良かった。この後一緒にいかないって聞こうと思ってたの」
「それは助かります。基地内の大よその配置は覚えたつもりですけど、不安な面もありましたから」
 嬉しい誘いだった。「よかったよかった」と頷いたジゼルは、早くもサンドイッチを平らげて2つ目―――否、3つ目をむしゃむしゃと食べるオーウェンにも、「どう?」と尋ねる。
 数秒の沈黙。黙々とサンドイッチを口に押し込み、ちゃちなガラスのコップに注がれた水で口内の食べものを胃に押し込む。
「俺は《FAZZ》のレポ書かないとだから無理ぽ」
「まだ出していなかったの?」
「ちょっと忙しくて時間が取れなくてな」
 表情一つ変えず、手を眼前でふりふりする。否定の意らしい。
 ―――ぽ?
 不審に顔を顰めていると、すっくと立ち上がったオーウェンの鈍色の瞳がクレイを見据えた。静けさの中に鈍い刃を湛えた重たい瞳が見透かすように刺す。思わずたじろぐと、不意に『見知った』笑みを浮かべた。
 空になった皿を載せたトレーを片手で持ち上げると、空いている手をおもむろに突き出す。握り込まれた拳から、指が一本―――親指がびしっと屹立した。
「楽しみにしている」
 意味深な言葉を吐くや、さっさと返却口へ向かうがたいの良い男。先ほどの視線と笑み、そして今の言葉は一体何だったんだ―――というか食べるの早すぎだろと思っていると、ぱん、という破裂音が鼓膜を叩いた。
「ごちそーさまでした」
 深々と頭を下げる隣人。見れば、皿に盛られていた食パンはいつの間にか姿を消しており、プレートに残っているのはカレーヴルストのケチャップの残骸だけだった。

 司令部本部の建物より数十分。軍務用のオリーブドラブで塗り染められたエレカで市街を抜け、円柱の反対側に存在する周囲数十キロにわたる広大な演習区画に隣接するようにして、第666特務戦技評価試験団付きの格納庫はあった。
「これ、第4世代規格の格納庫ですよね」
 遠くから、白と蒼という清潔感のある色の格納庫を眺めたクレイの感想がこれだった。じりじりと肌を焙る人工太陽の陽光を受けながら、ジゼルを見やったクレイはすぐに目を逸らした。
「まぁ《FAZZ》運用してるし。ウチの部隊で使っている《ゼータプラス》と《ズィートライ》も特殊戦装備でスペース取るからわざわざ4型格納庫使っているのだろうけど」
 手をひらひらと仰ぎながら、しゃんしゃんと歩くジゼルのおさげがひょこひょこと左右に幽れる―――同時に、彼女の胴体で最も柔らかさの属性を持つ部位も、上下に揺れていた。
 下は灰色と緑で構成されたBDUに、上にはタンクトップのインナーオンリー。フライトジャケットは熱いからという理由で腰に巻いてあるのだが、とにかく精神衛生上好ましくない。
 思えば、ブリーフィングと食堂の時にも気づいていたはずなのだが―――女性と二人で並んでいるという状況に、思った以上に慣れていないクレイ少年は、その豊かな双子の小鹿を横目で精いっぱい盗み見ていた。単なる変態である。
 手のひらには収まりそうにないほどの豊饒が視界の中ではしゃぐ都度、良からぬ感情が脳髄の中に澱のように沈殿する。そしてまた、生真面目なクレイ青年はその都度自分の思考に訂正を入れるのである。
 クレイ・ハイデガーという青年は、情けない童貞だった。
「あら、あそこにいるの―――」
 煩悩の化身が指をさす。でかでかと『7』の数字を描いた格納庫の手前に、豆粒のような人影を差しているらしい―――目を細めてみたものの、人相は判別できそうにない。
「小隊長じゃないかしら」
 平然と、ごく当然のことを言うようにジゼルは口にした。
「見えるんですか?」
「ええ、まぁね」
 マジか、と内心呟きながら、クレイは今一度目を凝らしてみた。視力検査では2.0と常人を遥かに超える視力を持っていたが、クレイにはどうにもそれが誰なのかを判断はできない。
 隊長~、と手をぶんぶん振るジゼルを横目で見る。
「どうしたの、笑っちゃって」
 ぽかんとした表情で、ジゼルが言う。何のことかわからず、クレイも数秒沈黙し、ようやく自分が笑っていたらしいと表情の感触で理解した。
「ちょっと思い出し笑いを」
 咄嗟にそんな返答をした。ふーん、と探るような目をしたのも一瞬、いつも通りの柔和な笑みに戻った。
「笑った顔、ちょっとかわいかったよ」
 悪戯っぽい笑みを浮かべた。うんともすんともつかない、返答かも怪しいうめき声を上げるしかできなかったクレイは、顔が赤くなるのを感じるまでもなく理解し、口を噤んでしまった。
「今まで言われたことありませんけどね」
 間の後、精々ひねり出せた声がこれだった。素っ気なく言おうとして、声が上ずった気がしたが、気にしなかった。
「見る目のない女しかいなかったんじゃないの?」
「そうですかね……」
 平気な顔で辛辣なことを言う。格好いいとも言われたことが無いぞ、と思ったが、言ったところで哀しくなるだけで―――というか、辛くなった。泣いた。
 お世辞か、からかいか。どちらかだと思うようにしたクレイは、両手で頬を摘まんだ。変に強張った顔をむにむにと解しながら格納庫の方へ歩いていく。
 数分ほど歩き続ければ、格納庫は目前だ。入口付近で談笑している2人組みを注視すれば、なるほど小隊長だ。
 艶の良い黒髪には白髪の混じりは無く、壮年ながら若若しさを漂わせる男だ。オーウェンほどの体格は無いが、痩身ながら軍服から盛り上がる筋肉の感触と、精悍な顔立ちは実戦を潜り抜けてきたベテランという言葉が似あうだろう。
 男と喋っていたスーツ姿の男がジゼルとクレイを見とめ、男に何か喋る。こちらを振り向いた男が、その深い顔を気さくに破顔させた。
「随分早いな、ハイデガー少尉」
 敬礼しながら、男―――クセノフォン・ブリンガー中尉がその容姿通りの重い声で言う。2人も素早く敬礼を返し、そうして敬礼を解くと、「早く見たかったもので」とクレイも大人らしい、落ち着いた笑みを返した。
「ではこれで失礼します」
「ああ、すまなかったな」
 一礼したスーツ服の男が言うと、どこかへ向かって行ってしまった。
「誰です?」
 隊に縁のある人間ではないらしい―――ジゼルがクセノフォンに尋ねる様を見れば、そう推察できた。
「今回回してもらった機体の開発会社の人だ」
「アナハイムですか? サナリィはまだ本格的にはMS開発に手は出してないですし」
 クレイが口をはさんだ。
 地球連邦軍の運用するMSの開発・生産は、そのほとんどがアナハイム・エレクトロニクス社で行われている。それどころか艦船や家具、果てはペットの販売にまで手を出しているアナハイム・エレクトロニクス社という巨大企業がMS開発・生産の業界で幅を利かせている現状で、他にMS開発を請け負う会社などはごく少数だ。サナリィにおいて小型MSの概念が提唱されたのはつい最近のことで、早くもその概念実証機たるD-50《ロト》と呼ばれる機体が開発されたが、《ロト》はあくまで歩兵科支援の機体の範疇を出ない機体だ。
 というわけで、現行MSの開発を請け負う大企業はアナハイム・エレクトロニクス一択といっても大きな誤謬は生じないだろう。
「まぁなんというか曰くつきって奴さ」
 顔をやや曇らせ、クセノフォンが声を濁らせる。
 表にしたくない事情、ということか。容易に判断したクレイは、顔を顰めた。
「確かに色々黒い噂のあるとこ出の奴だが、性能は折り紙付きだ。単純な戦闘能力なら《ZZガンダム》にだって劣らないと言っていい」
 フォローするクセノフォン。自分で言うからには性能は見聞きしただろう―――なにせ、自分の部隊の小隊長である。信ずるに値するのは言うまでもない。
「まぁ見てみましょうよ。珍しい機体らしいじゃん?」
 特にMSに詳しいわけではないジゼルは、既に何の機体かわかっているがどんな機体なのかはわかっていないらしい。
 ほらほら、と言いながら、ジゼルの手が伸びる。クレイの左手を柔らかく握ると、「じゃあ行きますね、隊長」とぱりっとした敬礼をしてみせた。
「おう、行ってこい」
 砕けた敬礼をするクセノフォンに、クレイも慌てて敬礼を返す。大人びた―――というより、大人の微笑みを浮かべたクセノフォンが視界に入るのもつかの間、ずるずると引きずられるようにして格納庫の中に入っていく。
 格納庫に入れば、日差しがなくなるだけ涼しい物だ。
「いやぁデブさんはいつ見てもゴツイねぇ」
 両手を腰に当て、ジゼルは感慨深そうに溜息を吐いた。
 彼女が『デブさん』などという不名誉な名前で呼んだ機体は、クレイもすぐに見つけられた。
 ガントリーに佇む、暗灰の機体―――MSZ-010C/D《FAZZ》が2機、相見える形で窮屈そうにしていた。
 第一次ネオ・ジオン抗争時に勇名を馳せたジュドー・アーシタという少年が乗った《ZZガンダム》及びその増加装備の技術実証機として生産された《FAZZ》の正式採用モデル。小惑星ペズンで勃発した『ペズンの反乱』の折に実戦投入された機体は、《ZZガンダム》の試験運用のための機体ということもあって装甲材や武装の面などで性能が劣る物だったが、正式採用モデルの《FAZZ》は《ZZガンダム》の性能と謙遜のない物に仕上がっている。重火力による中・遠距離砲撃戦を主任務とする都合、不必要な可変機構は廃止されているが、増加装甲の排除機構を完備している。
 とはいえ、こうした大型機を大量生産するメリットは、現行の地球連邦軍にはない。結局20機ほどが生産されたのち、早くも生産打ち切りとなった機体は、いわゆる『レア物』MSとしてマニアの間では有名だ。
 マニアとまではいかないが、クレイもまたそれなりにMSに興味を抱く人間だ。ハイスクール時代に、サイド6で行われた総合火力演習の際に実物を見たときは感動したものだが―――実際に軍人として、そしてMSパイロットとして改めて相対すると、得も言えぬ感動がある。
 しばらく茫然と眺めていると、「おおうジゼルぅ!」と聞きなれない声が耳朶を打った。視界の中でふらふらと手を振る人影がひょこひょこと跳ねる。
 整備兵用の作業着に身を包み、赤いセミロングの髪をポニーテールに結んだ彼女―――少女といっても誤解がない小柄な女性が呼んでいるらしい。
 ちょこまかとした―――という形容がとても似合う。小走りで向かってきた彼女は、そのままジゼルの胸へ痛烈なダイビングをかました。鈍い音をしながらも、平然とその小さな塊を受け止める。
「おーぅ、いいねいいねぇ。この柔らかさ、癖になるよ」
 その豊かな双丘をまさぐる羨望のクライミングをしながら、野卑な笑みを浮かべる少女。発言だけ聞けば、ただの変態のおっさんでしかない。
「本当紗夜はこうするの好きだねぇ」
「胸、揉まずには居られない! って昔のエロイ人が言ってた」
 呆れた笑みに対して、至って大真面目な顔で彼女は応じる。
 数秒ほどうらやまけしからん行為を続けたあと、満足したらしく、その胸から顔を離した。何の意図か、親指を屹立させてドヤ顔をする一名。ジゼルも同じように親指を立てて応じた。
 いったい何なんだ―――困惑していると、「ところでさぁ」と小さな女性がクレイを一瞥した。
「これが例のパイロット君かね?」
 クレイとジゼルを交互に眺める。「ええ、そうよ」とジゼルが頷くと、クレイは敬礼をしてみせた。
「クレイ・ハイデガー少尉です」
「クレイ・ハイデガーね。あたしは紗夜・スタリオン伍長。よろしくさん」
 紗夜も軽く敬礼すると、手を差し出した。 
 名前からして、攸人と同じ日系人だろうか。スタリオン、ということはハーフかクォーターか。それにしても肌が黒いなと思いながら、クレイも快く手を差し出し、握手に応じた。
「いやぁ、それにしても期待の新人君に会えて嬉しいよ」
 手をぶんぶん上下に振りながら、妙に畏まった演技をする紗夜。「期待の?」と聞けば、元気よく頷いた。
「士官学校出たばっかりなのに教導隊からスカウト受ける攸人のがスゲーとは言われているけど、出たばっかりの新米なのに技能評価試験成績上位に入るってのもスゲーよ。なぁ?」
 話を振られたジゼルも、うんうんと首を縦に振った。
 技能評価試験―――年に2回行われる教導隊への適性試験で、実戦経験豊かなベテランや腕に覚えのあるエースが集い、鎬を削る試練の場。上位に食い込むだけでも、「至難の業」などという陳腐な表現では想像もつかない過酷さで知られる、そんな「戦場」で、クレイはその至難を成し遂げてみせたのである。
 確か―――0088年に、自分と同じような経歴が居たはずだ。名前は確かジョッシュ・オフショー。名門オフショー出の秀才だったと記憶しているが、ペズンの反乱に与したらしい―――あとは言うまでもないことだ。
「自分の腕ですよ―――と言えたらいいですけどね。偶然ですよ」
 自分の努力の賜物―――素直にそう言えるほど、彼は少年ではなかった。無論、努力しなかったわけではないが、この世界は努力『だけ』で達成できるほど単純な世界ではないのだ。
 それでも悪い気はしなかったから、という心理作用もあっての発言だったこともあってか照れたような感じになった。
「謙遜て奴? 腕がいい奴ほどそういうもんさ」
 お道化たように破顔する。フランクな女性、というところはジゼルに似ている。似たもの通し、仲がいいということか。
「ああそうそう、例の機体はもう塗装も終わって後は今日の戦闘を待つばかりだの」
 ぽん、と手のひらを叩き、思い出したように言う。何故クレイがここを訪れたか―――見当をつけるのはたやすいことだった。 
 今クレイが立っているところからは、ガントリーの中にいるであろう例の機体を見ることはできない。
「早速お兄さんの嫁をご覧あれ」
「嫁?」
 やけに芝居がかった大仰な身振りをし、紗夜が奥のガントリーに向かって歩き出す。ジゼルと顔を見合わせ、二人で紗夜の後について歩いていく。
 ―――MSは、大よそ見ただけでどんな機体かわかるものだ。Z計画の機体なのか、それとも今はアナハイム・エレクトロニクスに吸収されたジオニック社の機体なのか、ジオニックと双璧を為したツィマッド社の機体なのか―――。
 ―――クレイは、絶句した。
 驚愕で絶句したのは、人生で初めてだった。呼吸をすることすら困難になる気分になりながら、ガントリーに収まる漆黒の機体を眺めた。
 大柄な体躯は、現在地球連邦軍で主力を務めるRGM-86R《ジムⅢ》や、RGM-89《ジェガン》と比して、特異な出で立ちだった。曲面と直線のデザインが入り混じった様は、ジオン系のMSと地球連邦のMSどちらの印象も感じさせる。バックパックから突き出た2本のビームサーベルグリップに、頭部メインカメラユニットに並列して2つ置かれた瞳は、人間の目を想起させた。
 しかし、ガンダムタイプ特有のそのメインカメラユニットは、従来のガンダムタイプとは似ても似つかないものだった。頭部保護のために覆われた外骨格により突き出た顎は、さながら猛禽の嘴とでも言おうか。切れ上がった血濡れの瞳を見れば、やはりその名称が似合っていそうだ。
「やっぱり有名なの? これ」
 その機体と、明らかに動揺するクレイを見比べたジゼルが不思議そうに言う。クレイが応えるより早く、紗夜が「マイナーってところで有名だな」とやけに誇らしげな表情をした。
「ORX-013SR《ガンダムMk-V》。3機しか生産されなかった機体かな」
 紗夜の言葉が頭蓋で踊る。
 クレイは、我知らず拳を握りしめていた。 
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