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竜門珠希は『普通』になれない

作者:水音
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第1章:ぼっちな姫は逆ハーレムの女王になる
  なお珠希はBluesである

 
前書き
 

*注:ちょっとばかり暴力的・差別的言動が含まれています。
   作者の考えではありませんので、ご容赦ください。

  

 
 


「……あ、星河くん発見」
「はあっ!?」

 ここは私立稜陽高校の校舎内、2階から3階に上る階段の踊り場。
 窓の外を指差す珠希にダッシュで駆け寄った昴はそこに自分の視線を送る。

 そして次の瞬間、昴の視界には5人の男子に囲まれ、武道場の陰に連れ込まれようとしている大切な幼なじみの後ろ姿が見えた。


 ……この女、よく見えたな。
 後に高校生活最初となる身体検査で視力1.5を叩きだすことになる昴は、クラス内でも“ぼっち”の少女の視力の良さに驚きながらも、身体は自然と階段を駆け下りようとしていた。

「ちょ、昴くん! 今から追いかけるの?」
「たりめーだ!!」

 見るからにあれは脅迫と恐喝の前兆だ。過去にも同じような目に遭っているからわかる。暴力が嫌いで、その行使も望まない星河が無事でいられるわけがない。そしてそれは何より昴にとっては人生の汚点といっても過言ではなかった。

 愛息を傷つけられて星河の親や親類が黙っているわけはないが、そんな大人の世界の事情や方法などどうでもいい。昴が星河を守ろうとするのも決して義理とか使命感からではない。大切な親友だからだ。ただそれだけだ。

「俺が星河を守る! 珠希(オマエ)は先に屋上行ってろ!」
「待って昴くんっ!」

 踊り場の窓の前に立つ“ぼっち”少女にそう言って、昴は星河の後を追いかけようとしたが、それは珠希の声によって制止されてしまった。

「っ! なんだ竜も……んっ!?」

 珠希に制止され苛立った声で返す昴だが、次の瞬間、その苛立ちも言葉も、思考そのものが綺麗にどこかへと吹き飛んでしまった。

「今からじゃ間に合わないよ」
「ちょ、竜門。お前……」

 振り返った昴の眼前、締められていた窓を開けた珠希は窓枠上部を手で掴み、スカートだというのに窓枠の下に片足を掛けていた。まるでアクション映画の飛び降りシーンでもするかのような珠希の体勢に、その恰好はパンツ見えるぞ、などというツッコミは浮かばなかった。


「あたしが行く。昴くんは先生呼んできて」
「ちょ……っ! おま、ここ2か……っ!!」

「それじゃお願いっ」

 そう言うと、昴の声にも振り向かず珠希の身体は窓の外へと消えてしまった。

「……あのバカ!」

 急いで踊り場まで駆け上がり、昴は窓の下を覗く。2階と3階の踊り場、高さにして7mから8m近い高さから何の装備もなしに地面に飛び降りればよくて打撲、悪くて骨折だ。
 このときばかりは星河よりも珠希の身を案じた昴だったが、踊り場の外には学食向けの食材の納品でもあったのか、大型トラックが停まっていた。

「あの女、トラックの荷台に飛び降りやがったのか……」

 アクション映画のワンシーンで歩道橋や立体交差を使って移動するトラックの荷台にジャンプする主人公がいたりする。それよりは安全に見えるだろうが、それでも一般的な日常生活を送る10代が、しかも女子高生がすることかといえば、誰もがしないと答えるだろうし、男である昴でも決断・実行するには勇気がいる。


「――って、こんなことしてる場合じゃねえ」

 視界の端、星河の後を追いかけていく珠希を捉え、昴も今ここで驚嘆してる場合ではないと急いで階段を下りていった。



  ☆  ☆  ☆



 あー、なんでこんな役回り引き受けちゃったかなぁ。


 星河と、星河を逃すまいと囲うように連れて行く3年生男子の後を追いかけながら珠希は心中でボヤいた。

 踊り場の窓の外、校舎の搬入口に大型トラックが停まっていたのを見て、今から1階まで下りてちゃ間に合わないし、4、5mくらいならイケるかな――と恰好つけて飛び降りてみたものの、つい2ヶ月前に買い揃えたばかりの新しい制服はトラックの荷台の屋根の汚れに塗れてしまい、高さ2mはあるトラックの荷台からアスファルトに飛び降りたときの足の痺れはまだ取れない。しかも荷台から地面に降りたとき、ちょうど搬入口から出てきたトラックの運転手とばっちり目が合った気がした。


 まあ、そんなことよりも今は――。

 生憎と珠希はただ走るのが苦手である。
 正確に言えば苦手になった、というべきなのだろう。中学3年の夏休み前までは妹の結月にも劣るほど、悪い意味で走るのに不自由しなかった体型だったはずなのだが、怒涛の二次性徴を迎えた夏休みが明けると、下着、シャツ、制服、体操着――とにかくあらゆるトップスがキツくなった。そして同じ女子陣からのやっかみの視線と男子からのいやらしい視線がイタくなった。
 今も本気でダッシュをかけると軽く痛い。足以外の、上半身のどこかが。採寸とってくれたお姉さんと相談して上着(ブレザー)は大きめのを買ったつもりなのに。


 たとえ感触がマシュマロでも大きいとその分重くなるんだよ。当たり前じゃん。基本的に脂肪の塊に何を期待してんだと小一時間ry――とはいうものの、本気を出せば100mを高校総体(インターハイ)に出場できる速さで駆け抜ける脚力が珠希にはある。
 大事なことだからもう一度言うが、本気を出せば、だ。


 そして少しばかり本気を出した珠希は、背後から声をかけた。

「星河くんっ!」

「え? あっ、珠希さ……」
「何だお前」
「見たことねえ顔だな」
「新入生か。そのリボンの色は」

 珠希の声に気付いた星河が振り向くと、それを遮るように一緒にいた男子生徒たちも振り返り、まるで品定めするような視線を珠希に向けてきた。

「一年にしちゃあ随分と育ちがいいんじゃね?」
「だな」
「てか、かなり可愛くね?」
「まさかコイツのカノジョとか?」


 おおぅ、なんて見事なチンピラキャラのテンプレ台詞。
 これは選択ミスったらリアルにエロ漫画的展開じゃん。


 とりあえず上級生男子たちの言葉と珠希の発想に否定すべき点とツッコミを入れるべき点があるのはひとまずおいておくとして――まさか入学早々こんな場面に出くわすと思っていなかった珠希はとりあえず、できるだけ穏便に事を運ぼうと軽く深呼吸した。
 曲りも何も相手は上級生、先輩である。一応、顔は立てなければ。既に社会人の上下関係、悪く言えば社畜思考が根付いてしまっていることも忘れ、珠希は初対面の人向けの対応で切り出した。

「あの、そこの……星河くんをどこに連れていくつもりなんですか?」
「んあ? そんなことお前に関係あるのかよ」
「ええ。一応、彼と一緒にお昼を食べようと約束してたので」
「おうおう。カレと一緒に、だってよ」
「マジかよ。むっちゃ青春してるわ」


 ……あれ? ここって一応それなりに偏差値高かったはずだよね?
 何がどうしてこんな口汚い言葉を吐かれなきゃならないんだろう。

 てか青春するにしてもあなたたちは邪魔なんですよ。
 それにどうせあなたたちのは「青春」じゃなくて「性春」なんでしょ?


 そのエロ同人的思考はerg原画家を務める職業病なのか、自分自身の思考回路にまったく違和感を抱かないこのガチオタ○女(バージン)は心中でツッコミを連発する。


「……で、俺らの分のメシ持ってこうとしたコイツに何の用?」
「俺らの分、って何か予約制でもあるんですか?」

「んなのあるわけねーじゃん」
「おいおい、この娘も新入生だから仕方ねーって」
「確かに。それだわ」

 リーダー格らしい男子生徒に真っ向から尋ね返すと、周囲の取り巻きが下卑た笑い方で囃し立てた。ネットで文字化したらきっと草が生えまくっていてまったく会話が進んでいないのが容易に予測できる。

 下品に笑っている上級生男子を前に珠希は今までの会話を総合し、こうなるまでに至った状況――昼食を買いに星河が購買に行き、そこで買ったパンかおにぎりに対して、この上級生たちがいちゃもんをつけて――を予測する。


「つまり、星河くんに非はないと?」
「あ? だからコイツは俺らの分の飯を持って行ったわけよ」
「しかも俺たちが買おうとしてたやつを買っていきやがってよぉ」

「だからその点について星河くんに非はないですよね? 常識的に考えて」
「何だお前、一年だからって調子乗ってんのか?」
「女だからって、容赦しねえぞ」

 常識が通じない人間が最も頭にくる単語――「常識的」に――という単語を殊更強調して持ち出してきた珠希に、ついに上級生たちも下品に笑っている余裕がなくなったのか、威嚇を始めた。


「もう結構です。人間の言語が通じない人に話はありません」

 これだから――。
 ふぅ、と小さく溜め息をついた珠希は、自分の体温が急激に下がっていく感覚を捉える。

 こんなだから珠希の異性を見る目は厳しくなる。ある程度の年齢になると、生まれつきの長女体質と小心者な性格のせいで寄りついてくるのはモテることとヤることしか頭にない下半身でモノを考えるチャラ男か、ストーカーじみた蛇のように執念深いガリ男ばかりだった。

 だからといって、流されるままでいないのが竜門珠希という少女だ。



「は? てめぇ今なんて言った!?」

「マジふざけ――ってぇっ!?」

 上級生男子の一人が珠希を軽く突き飛ばそうと腕を伸ばす。が、刹那その男子の視界はぐるりと回転し、身体は地面に叩きつけられていた。それが合気道や護身術にある一手だと気付いた者はおらず、当の投げられた男子本人は自分の身に何が起きたのかもわかっていなかった。ただ一人を除いて。

 突然のことにしんと静まるその場を支配していたのはたった一人の新入生の少女。
 足元に転がる上級生男子を前に、その少女はゆっくりと左足を上げ――スカートの中が見える直前でその足を男子の鳩尾めがけて振り下ろし、柔らかい素材でできているはずの内履きの踵を撃ち込まれた痛みに呻く男子を蹂躙しながら越えると、穏やかな笑みさえ浮かべて告げた。

「女でも容赦しないなら、こっちも目上だろうと容赦しませんよ?」

 この上級生男子たちは当然知るわけなかったが、集団の中ではとにかく空気でいようとする小心者少女の堪忍袋の緒が切れようものならどうなるかを知る人たちの証言は共通している。
 ――あの()は本気で怒らせるとヤバい。いつか死人が出る、と。

 普段はおとなしく目立たないと思っていた人がキレると人格が変わったように攻撃的な言動を取るというのは昨今の事件で聞かれる証言だが、珠希の場合、寒気がするほど物腰が低くなったこのような状態が最も危険である。



「じゃ……、二人目」
「ぐふっ……!」

 上級生男子たちがたじろいだ瞬間、それを見逃さず珠希は最も近くにいた上級生男子の懐に一瞬で潜り込み、軽く鳩尾に左肘で一撃。よろめいたところをすかさず握り締めた右手で顎を下から突き上げると、白目を剥いてその上級生男子はノックアウトされてしまった。

「……次、三人目」
「っ! いってぇぇっ!?」

 すぐに別の、近くにいた上級生男子に狙いを定めると、珠希は先んじて膝のやや上を足の裏で蹴飛ばす。

「が……ぁっ」

 膝を曲がってはいけない方向に曲げられる衝撃に上級生男子の身体が前のめりになったところで、顔面に膝を――いや訂正、膝を上げたらつい(・・)顔面に入ってしまっただけだ。狙いを外さないように後頭部の髪の毛を掴んだのも思わず(・・・)振り払おうとしたら掴んでしまっただけだ。意図してやったわけではない。鼻骨が折れたような感触がニーソ越しにも伝わり、実際おびただしい量の鼻血が流れてきたようだが。

 顎も鼻も正中線上にある鍛えようのない箇所だ。正確には顎の裏と鼻の下なのだが、そこを的確に狙える腕はまだ衰えていない珠希が、鼻血に呻く上級生男子の無防備な背中に踵落としを食らわせたところ、彼は河岸に打ち上げられた鮪のごとく大きく仰け反ったかと思うと気を失ってしまった。

「この女ぁ……っ!」

 あっという間に三人もやられて焦ったのか、サブリーダー格らしい一人が右拳を振り上げて迫ってきた。
 その迫力はなかなか、普通の女子であれば萎縮してしまうものだったが、意識のスイッチが完全に戦闘状態になっている珠希には、隙だらけで後先考えず突進してきた野良犬のごとくいかにもいなしようがあった。
 足場は柔らかめの土の地面と具合が悪かったものの、突進してきた男子の懐に潜り込むと同時に、珠希はその右腕を奪い、一本背負いの要領で大きく相手の身体を跳ねあげた。もちろん柔道で習うように相手を案じて奪った袖を引っ張ってあげたりはしない。

 これは喧嘩だ。
 武術にはルールが、戦争にはクラスター禁止条約などがあれど、実のところ喧嘩と恋愛と戦争にそれほど厳格な規定はないに等しい。

 基本一対一(タイマン)? 二股? 捕虜の人権? そんなのは他の人や組織にバレなければいい話だ。良心の呵責など唾棄して黙っていればバレないことがこの世にいくらでもある以上、バレないように立ち回るのも社会的に生き残るひとつの術である。野生のヒラタケやムキタケと間違えてツキヨタケを摘んできてもその悪意を証明されない限り、不運な間違いによる食中毒だ。稀に死んだ事例もあるが。

 ましてや今の主流は法に管理・支配されている戦争ではなく欲に忠実で無法なテロリズムである。AK-47(カラシニコフ)付属の偉大で過激な原理主義(かみさま)の経典など、ブ○クオフに売ったところで1G(ゴールド)にもなりやしない。むしろグ○コや某アイドルのCDみたいにおまけ(・・・)が目当てになっていて、本体はヤ○オクでも売れないとなると使い勝手の悪さはいよいよ馬の糞にも劣る。
 同じマンチェスターのライバルクラブを語るノ○ルに負けないくらいFuc○in’(Fワード)を連呼できる自信すらある。まったくF○ckin’ Wonderful(クソ素晴らしい)現実さまさまだ。

 そんな馬の糞を生み出すだけの行為に、何を容赦・躊躇する意味があるのか。
 人権団体や宗教家の分厚い欲の皮が貼りついた面は憤怒に染まるだろうなと思いつつも、論争相手が28なら寝起きでも論破できる偏差値70越えの武闘派ガチオタ少女の(物理的)攻撃の手は緩まない。

「――ってぇっ!!?」

 受け身を取り損ねた――珠希が取らせなかった、ともいう――上級生男子は腰から地面に落ちたが、珠希はさらに背負い投げたときに掴んでいた右腕を捻り、その男子をうつ伏せにさせると、肩甲骨のある辺りに足を置いた。


「さて、名前は存知あげませんけど――先輩。彼のこの右腕と星河くんの身の安全を引き換えにしていただけないでしょうか?」

 リーダー格の上級生男子に向け、下からライトを当てた翁の面にも似た不気味な笑みを浮かべた珠希は、物腰低くサブリーダー格の男子の右肩の関節を外す手前の状況で交渉を迫る。

「てめえ。このクソ女……」
「何か勘違いされているようですね。先輩に拒否権はないんですよ」

 リーダー格の男子が拒否の姿勢を見せようとした瞬間、珠希は締め上げる力を強め、足元で転がるサブリーダー格が痛みに呻く声を聞かせる。
 しかし珠希が行っているのはあくまで交渉(・・)だ。本来は相手の意見も尊重しつつ、基本的にWin‐Winになる妥協点を見出すための行為であるはずのそれは今、交渉の名を借りた脅迫となっていた。

 義務や責任を負わない輩ですら権利をうるさく叫ぶこのご時世、同人作家もやり、実質的な同人サークル主宰者でもあるだけあって、民法や刑法などの法律・条例にも造詣がある頭がフル回転し、天性の運動神経の良さを基礎に道場と警察官仕込みの体術をもって圧倒的武力にて制圧――それが中学時代、親友に「普段はアカエイ、キレるとキロネックス」、「美少女のフリしたインテリ893」とまで言わしめた珠希のやり方である。
 なお、事後になって珠希が自分のしでかした事の大きさに悶絶死するまでがお約束だ。


 でもアカエイも毒針持ってるじゃん、とは誰もツッコんでくれるな。
 さもなくば学名の由来に偽りなしの殺人者の手(キロネックス)が飛んd……


 幼少期、件の女児わいせつの被害に遭いかけた日以降、珠希の両親は仮に今度何かあっても自分の身を少しでも自分で守れるよう、護身術も教えてくれる近所の空手道場に珠希を通わせることにした。それまでひとり絵を描いたり、兄と一緒にゲームしたりアニメを観たりするのが好きだったインドア少女は当然拒否するが、道場で一番強くなったら辞めてもいいという言質を両親から取ると、目覚ましい速さで技を覚え、近い年齢の男子を相手にしても勝利を重ねるようになっていった。
 理由はもちろん道場通いするくらいだったら絵を描いてアニメを観てゲームをしたかったからに他ならないのだが、当時から空気を読んでいた珠希は口が裂けてもそんなことは言わなかった。
 しかも気づけば道場に通う同世代の女子の中では向かうところ敵無しとなった珠希は、ここで両親から得た言質を盾にして、空手の全国大会直前に道場をあっさり辞め、再びインドアに戻ってしまった。

 すると中学時代、今度は婦女暴行犯に襲われたものの、逆に撃退して犯人を捕まえたことがきっかけで知り合った女性警官たちの奨めもあり、改めて今度はもっと本格的に護身術や柔術を教え込まれ、段位取得までしてしまった。今でも彼女たちとは仲が良く、暇があれば相手をしてもらったりしているくらいだ。


「……クソっ」
「てめえ。顔覚えたからな……っ」

 背後に無数のキロネックスでも漂わせているかのように威圧する小心者少女(仮)に、リーダー格の上級生男子は短く舌打ちをすると、痛みに悶絶していたり気を失ったりしている仲間たちを置き去りにしてその場から立ち去ってしまった。

 右肩を外す寸前まで持って行ったサブリーダー格の男子も、珠希が軽く力を抜いて解放してやると、すぐさま起き上がり、右肩を押さえてそそくさと逃げ去りながらも、見送る珠希に向けてしっかりと捨て台詞は吐いていった。


「あちゃー。これはやりすぎたかなぁ……」

 汗ひとつかいていない涼しい顔を歪めながら、小心者少女(嘘)はそう呟く。
 そこらにいるような一般人を相手に一対一(タイマン)してもそうそう負けることはない小心者少女(武闘派)だが、実際問題、顔を覚えられると後々まで面倒臭さや厄介事にストーキングされること間違いなしだ。しかも火の手が拡大すると家族や親類、親友たちとにまで延焼してしまう。

 でもお前親友ろくにできてないじゃん、とかツッコんだら負け確だ。
 ぼっちの怨嗟に塗れたタマキロネックスが獲物狩りにいくぞ、たぶん。


 しかし、そんな小心者少女(偽)は冷静さを取り戻してきた中で忘れていたことがあったのを思い出した。


「あ、あの……」
「……ひゃ、ひゃいっ」

 上級生男子を返り討ちにした本来の目的に深く関わっているはずの人物から、背後から声をかけられた珠希は思い切り裏返った声で返してしまった。


「珠希……さん?」
「……な、なに、かな……? 星河くん」


 ……ヤバい。これはマジでヤバいんだけど。うわどうしよう。どう言い訳したら……いや言い訳しても実際こうなっちゃったんだしでも何か言っとかないとめっちゃ誤解されるよねこの状況的にもてかこれってあれだよね、逆にあたしが星河くんの好感度的に死亡フラグ立てちゃった感あるんですけど――。


 何がヤバいかは一目瞭然だ。
 この隠れ武闘派ガチオタ少女は高校入学からまだ一週間ほどしか経っていないにもかかわらず、知り合って数日の同級生男子を前に思い切り上級生相手に喧嘩を売り、勝ってしまった。
 イコール今後の珠希の学校生活は、退屈な日常から始まる少しばかり甘酸っぱいラブストーリーから、この学校を支配する番長を決めるべく血で血を洗う学園硬派喧嘩漫画にチェンジしてしまった可能性もありありだった。
 そもそもそんな学校生活がどこの誰に需要があるっていうんだ?


 先程ようやくクールダウンしたばかりの頭を再度フル回転させ、星河に対して釈明の言葉を探す珠希だったが、ここで少女漫画の恋人役(ヒーロー)のごとくイジメられかけた主人公(ヒロイン)を救った後の一言みたいな気の利いた台詞など出てきやしなかった。
 むしろこの現状的にはヒロインが栗色髪の星河(ショタ)で赤茶髪の珠希(ガチオタ)がヒーローときている。世も末だ、本当に。

 そしてこういうことを考えている珠希は本当に汚れきっている。なぜかと問われれば、誰もが口を揃えて自業自得だと答えるのだが。

 でもあたしまだ○女だし、男性経験ないし、という珠希側の言い訳は当然、通用しない。ここで大事なのは肉体の純潔ではなく、思考回路の健常性だ。
 思い返せば地球外から来たとかいうインなんとかも契約後に言ってたじゃないか。穢れを溜めきった魔法少女は――って。とはいえ珠希は未だ一度もQBと契約したことはないし、三十路までチャンスがなければそこらの野良犬相手にしてでも童……じゃなくて処○捨ててやるつもりだ。

 一方で現実に目を向けても今さら「つい勢いで……きゃはっ♡」などというkawaiiゴマカシは当然、通用しない。P(ハニー)を前にしたおにぎり娘(ミキ○キ)じゃないんだから。
 こうなりゃ地球上のどこかの学園都市に落ちてきたインなんとかさんみたく星河くんも都合よく記憶ぶっ飛ばさないかなぁ……と末恐ろしいことを頭の片隅で願った珠希だったが、このままでは拳と拳で友情やら将来やら生き様を語り合う硬派喧嘩漫画に突如現れた女番長(スケバン)(死語)まっしぐらである。

 ここ底辺校じゃないのに。
 むしろ偏差値70以上ないと受からないよって言われた進学校なのに。


「……っあ、あのねっ、星河くん。これは……」


 ……ぅああぁぁぁぁっっっ!
 これはもう完ッ璧に、完ッ璧に星河くんに嫌われたぁぁぁぁぁっ!!!

 言葉を失い、完全に現状の空気に飲み込まれてしまっている星河を前に、珠希は心中で思い切り叫んだ。

 まあでもこれはさすがに無理もないよねー、などと適当感満載で慰めてくれる中学時代の親友たちもいない現状、ましてやまだスクールカーストの制度からも除外され、半ぼっち扱いされている珠希の身からすれば子はもう死亡宣告にも等しいものだ。
 ましてや、知り合うきっかけは何であれ――できたら思い出したくもないが――星河はせっかくできた最初の友達である。そんな彼から嫌われたとなれば珠希はこの世の終わりがごとく地面に手と膝を付き、綺麗に「orz」の人文字を作れる自信があった。


「これは……その、なんていうか……」

 ――事実、何とも言い訳しようがないのがこの現実である。

 残念ながらこの隠れ武闘派ガチオタ小心者少女は息を吐くように嘘をつける体質でも民族でも人種でもない。見苦しい言い訳するくらいなら腹を括り、きっぱりはっきり怒られることを望むタイプだが、せめて、せめて高校生になって初めてできた友達にだけは嫌われたくないのが本心である。

 ヤバい泣きたい逃げたい死にたい。
 てかいっそここで死んどきたいレベルなんだけど!?

 自分の呼びかけに対して反応を返してくれず、呆然と立つだけの星河に対し、ついにプチパニックに陥った珠希が思考のデフレスパイラルにハマり始めたとき、不意に背後から地面を踏みしめる音が聞こえた。


「――っ!?」
「何やってんだお前ら?」

 他人の気配と音に振り返ると同時に星河をかばうように身構える珠希の前に姿を見せたのは、一人の男子生徒。先程逃げていった3年生男子がラスボスでも召喚したのかと思ったが、尻尾巻いて逃げていった3年生男子たちとは違い、この男子生徒は制服をちゃんと着こなしており、何より襟元のバッチが2年であることを示していた。

「いえ、ちょっと……」

 時間を稼ごうと曖昧に言葉を濁した珠希だが、突如現れた2年男子の視界から星河を隠そうと構えながら、早く昴が教師を呼んできてくれないかと思った。多少ではあるが、護身術をはじめとした体術・武術を習得する際に自然と身に着いていた相手の実力を測る力が珠希の脳内でアラームを発している。
 この2年男子は間違いなく、自分でも敵わないくらい強い、と。

 身長は昴と同じくらい、若干伸びた短い黒髪に、じっと珠希と星河を見据える鋭い目つき。制服の下がどれだけ鍛えられているのかまでは推測できないものの、観察しているだけでも珠希は自分の力量不足を思い知らされるだけだった。


「……これ、お前らがやったのか?」

 足元で気を失っている三人の3年男子に視線を送ると、その2年男子は尋ねてきた。

「あたしがやりましたけど、何か?」
「お前が? へぇ……」

 珠希が素直に答えると、2年男子はどこか納得したような、感心したような言葉を漏らす。
 一般的に考えて女性1人が男性3人に喧嘩して勝てるはずがないと思われるのは仕方ないが、むしろ珠希の背後に隠れているなよなよした男子にこそ3人の男性相手に喧嘩して勝てるわけがないとこの2年男子は感じたようだった。

 だがそれはそれで説明の手間が省けてありがたいと思うと同時に、珠希の、この2年男子の実力の目測は間違っていないことを確信させる。


 すると、2年男子は大きく息を吐いて身体から力を抜いた。

「まあいい。お前らは早く消えろ」
「えっ? でも……」
「どうせこの3年の奴らが先に手ぇ出してきたんだろ? こいつらのガラの悪さは教師も知ってるから何とでも言い訳できる」

 明らかに敵対するどころか、むしろ珠希と星河をかばうような提案を示してくれた2年男子。目測はさておき、予想外の展開になった珠希は戸惑いを隠せなかったが、見ず知らずの2年男子はまるで一部始終見ていたかのように推測をしていた。
 実際、珠希が不利にならないよう真実を加工・編集して一連の流れをかいつまめばこの男子生徒の言うとおりである。

「で、でもそれじゃあ――」
「それに、こいつらとしてもまさか1年の女子にブチのめされましたなんて恥ずかしくて言えないだろ」

 2年男子のこの発言内容に対して、何をそんなに恥ずかしがる必要とかあるんだろう、と珠希は首を傾げたくなった。
 男より強い女なんてどの時代、どこの国にもいる。なお、ここで言う“強さ”とは武力に限らず、深謀遠慮をめぐらせられる頭の回転と大胆不敵なまでの決断力・実行力・行動力のことだ。ハニートラップに頼らずして馬鹿な男を思いのままその掌で転がすくらいの気概だ。

「まあ、新入生相手に絡んでったこのバカたちの責任のほうがデカいしな」

 状況をざっと見ただけの2年男子はそう言ってくれたものの、実のところ、もっとも責任を負うべきなのは空手と柔道の有段者のくせにその技術を喧嘩に使った珠希だった。過剰防衛に関しては逆に珠希が暴行罪に問われる違法行為である。

 しかも高校に提出した履歴書に珠希は黒帯であることを書いていない。
 釈明すると決して詐称ではない。空手と柔道の段位が進学校のどこに必要なのかとチラッと思ったりはしたが、中学時代に進路指導の担当教師から受けるよう言われた漢検(2級)と英検(2級)と、ついでにTOEIC(850点)の結果と点数を書いたら記入欄が埋まってしまったためだ。決してわざとではない。あくまで文字を大きく見やすく書いたためだ。

 ――それくらい学力あってどうしてもっと上を目指さないのかといえば、理由は単純明快。珠希がいなくなると珠希の家庭は間違いなく崩壊するからである。何より基本的に小心者のこの長女が赤の他人に囲まれて生活できるわけがなく、いっそ留学して背水の陣に追い込んで裸一貫から始めさせたほうがいいレベルである。


「っつーことで、お前らはいい加減ここから消えとけ」
「――っ、……はい」

 邪険とまではいかなくても、今度も相手は曲りも何も先輩である。ここまで言われてしまえばあとは引き下がるしかなかった。しかもここで不要な意地を張り、差し出された助け舟にケチをつける真似をするのも失礼だった。

「い、行こう。星河くん」
「……えっ?」
「ほら、早く」
「あ……。う、うん……」

 特に深い意味もないまま差し出した珠希の手を、最初はどこか躊躇いつつも、星河は人ごみにはぐれないようにぎゅっと握ってきた。そんな星河の行為に、あれほどの事をした自分がまだ完全に拒絶されていないのだと安堵しながら、珠希はそこから足早に立ち去ることにしたが――。

「ちょっと待て。聞き忘れたことがある」
「……何ですか?」
「そこの女子、名前は?」
「あたしですか?」

 先程までしつこく早く消えろと言ってきた2年男子から、場所が場所ならナンパの手口のひとつにありそうでなさそうな質問を投げかけられた珠希はわずかに目を細め、呼び止めてまで自分の名前を尋ねてきた2年男子の真意を探ろうとする。
 警戒心をあからさまに示した行為ではあるが、珠希を油断させようとするのが目的であれば、その警戒心を解こうと工作を仕掛けてくるのが世の常だ。兵法にも記されるくらい甘言は人を騙し、唆し、迷路に迷い込ませる最大の餌である。

 だが、この2年男子の反応は違っていた。

「むしろこの場にお前以外の女子がいるのか?」

 この場にいるのは、珠希、星河、質問者の2年男子だけだ。足元には珠希ロネックスがブチのめした名も知らぬ3年男子3人が転がっているが、冗談を吐くでもなく、視線をまっすぐ珠希に向けて問いかけてくるこの2年男子に少なくとも悪意はなさそうだと感じた珠希は、この場を取り繕ってくれるであろう恩義に応えるべく、素直に答えた。

「……珠希。竜門珠希です」

「竜門……、珠希」
「それじゃ、あたしたちはこれで」

 簡潔に、端的に、できるだけ感情を排除してそう言い残すと、珠希は自分の名前を反芻する2年男子から視線を外し、自分の手を握る星河の手を握り返してその場を後にした。
 同い年の異性を相手にこの手を離すまいと握ったのはもう10年くらいぶりであることも、握り締めた星河の手の温度が若干自分よりも冷たいことにも気づかず、そして――。

「……竜門珠希? まさか、あのとき(・・・・)の――?」

 その場に一人残った2年男子がひとりごちた言葉も、耳に届かないまま。




 
 

 
後書き
 

   タマキロネックス


 オーストラリアウンバチクラゲモドキ(珠希ロネックス、Tama-chironex)は、ヒト科オタ属武闘派種に属する、美少女のフリをした異次元の生命体。よく竜門家に出入りしているため、通称は竜門珠希。特に親しい親友からは「美少女のフリをしたインテリ893」とも呼ばれる。



  *分布
 神奈川県横浜市のとある閑静な住宅街に頻繁に出没。周囲の商店街や近所の駅前だけでなく、休日・祝祭日には秋葉原や神田、渋谷や池袋などにも出没する。また、夏と冬には3日間だけ東京湾海岸にあるイベント会場(東京ビッ○サイト)にも出現したという目撃談もある。


  *特徴
 体長はおよそ160cmほど。赤茶けたセミロングの髪を持ち、遠目から目を引く美しさを持っている。
 昼夜問わず活動するらしいが、人間が発見した瞬間に姿を消してしまうため、その生態は長い間謎とされている。

 基本的に大人しい性格で、こちらから手を出さなければ逃げ出すなどして害はないものの、捕獲などを目的にひとたびこちらが攻撃態勢に入ろうものなら強力な毒(一撃)を持った触手(手足)で反撃に転じるようで、その被害は他種の毒クラゲと間違われていると説く学者もいる。

 その毒がキロネックスのように強烈なことから、この名前が付いたとされる。

 被害者は年に数人。主にその美しい外見の虜になって捕獲しようとした男性が多い。
 運が良ければ警察官からの注意・指導で済むが、運が悪いと睾丸摘出や懲役刑に処された人までいる。


  *対策
 基本的に小心者のため、こちらに敵意がなければ問題はない。
 また、一度仲良くなればいろいろと甲斐甲斐しくお世話をしてくれることもあるが、裏切りに対しては容赦ない報復が待っているので、そのつもりで。

  
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