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乱世の確率事象改変

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虎と龍の舞う終端


 人は強大な敵に立ち向かう者に憧れる。圧倒的な力の差を前にしても臆さず、何かの為に戦おうとするその姿に奮い立たされる。
 その背に憧れ、追い駆け、着いて行こうと感じ始める者のなんと多い事。故に彼女……雪蓮は王としての姿を皆に見せ、英雄としての自分を高め続けた。そうすることで、人々が生きる希望を持てるから、と。
 孫呉の精兵達は彼女の力強さに憧憬を覚えた。我が王のなんたる誇り高き様よ、天下無双を相手に怯まず臆さず、ついには勝利に手を届かせんとしたのだ。
 皆の心は此れまで以上に湧き立ち、最高潮に達していた。

 だから気付かない、気付けない。
 ほんの些細な、それでいて濃密な異質な殺気は……高揚した場に流されてしまう。

 ギリギリと弓の弦を引く一人の男は目に涙を浮かべていた。ぼやけそうになる視界を何度も凝らして矢の照準をしっかりと合わせた。
 戦場に溶け込んでいたその男は昔の戦を知っていた。遥か昔、龍と虎が争った時分のこと。一度目の戦争を経験していた。
 彼の主は賢き龍。高貴な血筋と並び立つ者の居ない頭脳で荊州を安寧へと導いた英雄。病に侵されていながらも戦を嫌い、かの董卓連合でさえ大地の安定の為と居残った。
 彼がどれだけ安心した事だろうか。どれだけ有り難かっただろうか。どれだけ……感謝していたことだろうか。
 いつ死ぬか分からぬ戦に、いつでも覚悟を以って向かう。その度に家族を悲哀に沈めて……それでも守れることが誇りだと言い、家族も送り出してくれる。

 兵士になどならなければ良かったと後悔したこともあった。それでも戦ってきたのは一重に愛する大地の平穏の為。
 賢き龍は死んだ。病床に伏した身体で無理をして、帝に身の潔白を証明しに行き、世の平穏を願う忠臣として死んだのだ。
 龍の護衛についていた男とも友達だった。それほど戦に出ていなかったのだから、古くからの兵士は自然と仲も深まるモノ。それに、昔の戦も経験した仲であった。

 昔のことが無くとも、この男は虎が憎かった。
 聞いている。知っている。分かっている。
 護衛の男の家族には、極秘で情報が与えられていたのだ。龍の亡骸と男達の屍を葬った後に、護衛の男の家族に挨拶に向かった。
 悲哀の底に居るその家族達に心を痛め、ぽつりぽつりと語られる話に衝撃を受けた。

 曰く、龍は虎に殺された。殺される事が分かっていながら都に向かった。天下無双を残したのはこの地を守る為。人食い虎は子供であろうと龍の留守に荊州を攻めぬ道理は無く、万が一があっても大地を守る為。それでも……長くから護衛した兵士二人と龍は死地に向かった。

 嗚呼、と家族は泣いていた。
 愛する地で死ぬことも出来ず、娘とも喧嘩別れしたまま、虎視眈々と狙う敵にせめて一矢報いる為にと、龍は命を賭けた……それが悪龍の策だとも知らずに、家族は男に話して聞かせた。
 虎の親を殺したのは確かに龍だが……攻めて来なければそもそも殺す必要さえ無かったのだ。怨まれる筋合いなど欠片も無い……と男も家族も考えていた。
 部外者達から見れば、憎しみの感情など他人事でしか無く、自身の親しいモノの方が大切に決まっている。故に護衛兵の家族も男も虎を憎んだ。

――何が乱世……我らの土地は平穏だったのだ。龍に守護されし荊州は、虎の庇護など求めていない。お前らの怒りなど、自分で撒いた種が華を咲かせただけであろうに。

 燃える心は業火の如く。理不尽にさらされているのは自分達だと、その兵士は思う。
 下衆に堕ちた同僚たちは死ねばいいと彼は思うが、せめて自分だけは本当の荊州兵として目的を果たさんと決めていた。
 飛将軍がコロシテくれれば良かった。しかし結果は目に見えた。それなら、隙があるうちに自分が殺せばいい。

――武人は一騎打ちをしたがるが、俺ら兵隊に一騎打ちなんざねぇんだ。いつでも死んじまう俺らと、お前らの何が違うっ

 戦場は平等なはずだろうにと、その兵士は思う。命の重さが違うというのなら、兵士は殺されるだけの餌でしかなくなる。

――俺達は頭数じゃねぇ……俺達は駒じゃねぇっ……俺達は……戦う理由があって命張って仕事しに来てんだよ!

 彼の心に罪悪感は無く、“孫呉”という、彼にとっての理不尽に抗うことだけが全て。
 言い換えよう。
 雪蓮が呂奉先という怪物に勝つことを目的としたように、彼は孫策を殺すことだけを目的としている。

 不意に雪蓮と男の目が合った。蒼色の瞳は透き通っていて、口に浮かべた微笑みは優しげにたおやかに。
 死を享受したモノの眼差しを覗き込んで、男の心にあった、最後の枷が外された。
 ギリ、と歯を噛みしめた隙間から、苦悩に塗れた声を漏らす。

「孫呉、死すべし。龍の……俺達の……荊州の、想いの矢で死に腐れ」

 飛将軍に向けられた剣が遂に動いた。

 風を切り裂いて突き立った一本の矢は、肉を抉って骨まで届く。
 深く、深く届いた矢の先に、望まれた平穏はあるのだと彼は思った。
 赤い髪が揺れていた。
 遠くで二人の女の絶叫が聴こえた。


 これできっと届いた。
 確かに、間違いなく、自分は矢を放った。
 確認はもう出来ないが、それでも届いたはずなのだ。

「へ……へへ……これでいい。これで……なぁ。
 父ちゃんな、荊州を喰いに来る虎を一匹……殺したぜ」

 何処にでもいる普通の男が、天を仰いで地に伏した。
 誰も気付くことなく、そこらに倒れている死体と変わらず、彼は戦場の有象無象の一つとなった。
 名は誰も知らない。知る事もきっと無い。

 仰いだ空は蒼天だった。
 何処までも飛んで行けるような突き抜けた空には雲一つ無く、穏やかな心は晴れ渡る。

 額に矢を突き立てて、踏まれて泥と血に塗れた男の死体に……赤い髪の少女が一人、目を伏せた。

「……来世では平穏に暮らしてくれ。戦なんか……この乱世で終わらせるから」

 白い馬に乗った“普通の人”は、普通の兵士の想いを間違えない。“普通の人間の一部”がどんな行動に出るかも間違えない。
 謝ることもせず、約束と祈りを残して、彼女はまた戦場に意識を引き戻した。

 ゆっくりと振り返った先、桃色の髪は泥に塗れることなく戦場の風に靡かれていた。




 †




 異質な戦場の中で優勢に立っていたのは姉さまだった。
 飛将軍相手に圧し勝つなど、この大陸で誰が出来ようか。しかして、私は狂気の一端に気付くのが遅れた。冥琳の叫びを聞いて初めて気付くことが出来た。
 その時には遅く、一人の兵士が矢を姉さまに向けていて……姉さまはそれを分かった上で……笑った。
 遠くともよく見えるその表情は、安心と充足に満たされたモノが浮かべるはず。まだ乱世は終わってすらいないというのに、姉さまは死を受け入れたのだ。

 ただ……兵士から矢が放たれるよりも前に、赤い髪が視界の端で駆け抜けた。
 馬上よりの一矢は鋭く速く、姉さまが剣を振る前に兵士に突き刺さった。唸りを上げる敵の矢は真っ直ぐに姉さまの元に向かうも、僅かに逸れて掠っただけ。
 叫びすらあげられぬ一瞬の出来事。

――ありがとう白蓮……。

 矢を目で追った私は、姉さまの無事に安堵する……前に、驚愕に目を見開いた。

――何が起きたというの……。

 視線の先にあるのは崩れ落ちる飛将軍の姿。そう思っていた。
 けれども其処に見えた光景は全くの別。姉さまは生きていた。そして……飛将軍も生きていた。
 呆然自失、子供が呆けたような顔をしている呂布は、二人の兵士に覆われて守られていた。
 あの一瞬で駆けていた兵士達は姉さまを殺そうとしていたわけでなく、飛将軍を助ける為に駆けていたのだ。
 見れば赤兎馬も脚を自分から曲げて姉さまの剣を無理やり避けさせたらしい。
 背中から血を流して死んでいる二人の男が居なければ、そして赤兎馬の独断がなければ、飛将軍は真っ二つになっていたに違いない。
 それに一番驚いていたのは姉さまだった。届くと思っていた剣が届かず、自分が死ぬことも無く、なんとも中途半端な状況に置かれてしまったモノだ……なんて、絶対そんな感じのこと考えてる。

 そうして少しの間が出来た隙にと、幾人もの兵士が姉さまと、孫呉の精兵達の前に立ちはだかった。

「はっはっ! 野郎共! 虎を殺せるのは龍だろ!」
『あたぼうよ!』
「飛将軍に仕事譲ったのは間違いだったのかもなぁ!」
『あたぼうよ!』
「こっちは羽と爪と牙を持ってんだ! 負ける道理なんざ何処にもねぇ!」
『あたぼうよ!』
「なら、行こうぜ野郎共! 俺らに出来た名を言ってみろ!」

 威風堂々と胸を張る男の壁は、先程まで紛れて戦っていた部隊の者達。陳宮の指示に従い段違いの連携を見せていた精兵。
 堕ちたケモノではなく、彼らは本物の軍なのだ。
 姉さまを見ると、一寸キョトンとした後に彼らに向けて不敵に微笑んだ。

 呼応するように、にやりと笑った男達が、槍を、剣を、槌を、斧を、それぞれに武器を持って構えを取った。

『我らの名は飛龍隊! 龍の意思継ぎしモノに全てを捧げ、餓虎を打ち滅ぼす者なり!』

 彼らの後ろで、涙を流しながら飛将軍に抱きつく陳宮が居る。
 奴等には守るべきモノがある。奴等には為したい想いがある。立ちはだかるその男達だけは、人の道を踏み外さずに居た誇り持ちし英雄達。

「逃げたいなら逃げやがれ!」
「戦いたいなら剣を持て!」
「俺らと同じ荊州の民だってんなら一緒によぉ!」

 笑みを浮かべ、爛々と輝く目を私達に向けて、その男達は皆一様に悪戯っぽく舌を突き出した。

『さあ、悪いことしようぜ!』

 空気がまた変わる。飛将軍が危機に瀕したことなど遥か昔のことのように。
 荊州兵の一人一人の瞳に輝きが戻った。
 傷だらけの男も、怯え腰だった男も、逃げようとしていた男も、死に淵の男も……皆が剣を取りこちらを睨む。

――私は……こんな軍を知っている。

 軍……否、軍では無い。これは群れだ。
 何か一つの目的の為に命を厭わず、ただがむしゃらに結果を求めて突き進む。
 一寸目があった陳宮の表情で理解してしまった。

 黒が頭にチラつく。哀しくて泣きそうな子供のような笑みを浮かべたあの男と……今の陳宮の表情はそっくりだった。

――何故笑う? どうして其処でお前は笑えるの……陳宮

 疑問が浮かぶと同時に、薄緑色の髪を揺らした少女が大声で叫んだ。

「愛してますぞ! 大バカ者共!」

 命令など口にしない。彼女は彼らの方を一寸も振り返らずに、呆けている呂布の代わりに赤兎馬を操って戦場を離脱していく。
 姉さまは追おうともしなかった。じっと目の前に立ちはだかる兵士達を見据えて……妖艶な笑みを浮かべていた。
 すらりと南海覇王を手に持った。日輪に向ければ刃が煌く。その背、その身、その心に、全ての兵士達は目を向ける。

「最終忠告だ荊州兵。汝らの首領たる陳宮と呂布は去った。剣を置いて投降せよ。今戦をやめれば殺さず、国に帰すことを約束しよう」

 その声はよく響いた。何処もかしこも先程の戦いに注視していたからか、戦場全てに響き渡っているかのよう。
 無駄に命を散らすなと、王であれば、否、人であれば当然の語り。

 しかし、荊州兵は誰一人剣を置くことをしなかった。
 奴等はもう……“アレ”と同じく、狂信に支配されている。
 分かっていたと言わんばかり。楽しそうに、嬉しそうに、姉さまは笑った。

「……誇り高き荊州兵よ。汝らと戦えることを誇りに思う。
 その命その魂、我ら孫呉の血肉と為さん! 掛かって来い! 孫策は此処に居る! 汝らの敵は此処に居るぞ!」

 直後に響く怒号。
 再びの開戦の合図は王の言霊を以って。もはやこの戦は止まらない。止められない。
 最後の一人に至るまで殺し尽くさなければ終わらない殲滅戦。

 指揮を行いながら哀しみの中、疑問が私の頭に根付いていた。

――どうして、お前達は生きようとしないの……。どうして、お前達はそんなに嬉しそうなの……。







 †







 戦場跡を歩く女が四人。
 血だまりの上を靴で歩けば、ぴちゃりと赤が弾けて波紋が幾重。
 戦後の軍議もそこそこに、少し歩かないかと雪蓮が来客を誘い出していた。

 白蓮は何処となく居心地の悪さを感じて難しい表情。対して朱里は……眉根を寄せて何かに思い悩んでいるかのよう。
 雪蓮の隣、冥琳が朱里を厳しく見据える。今回の救援を提案したのは、間違いなくこの伏龍だと把握しているが故。
 ただ、ふるふると首を振って疑念猜疑心を追い遣る。今はまだその時では無いと。

「……まずは感謝を。孫呉を、そして雪蓮を救ってくれてありがとう」

 大きな借りを作ってしまった。これで劉備軍の提案を呑まないという選択肢は皆無となった。
 孫呉だけの力で、自力で守ることが出来なかったこの事実は、民の間で噂となって流れてしまうだろう。
 共に戦ったことで友好関係の有無は言わずもがな、他勢力に広げて示してしまったわけである。

――孫呉側としての旨みは確かにある。強大になり過ぎた曹操を倒すには劉備軍の助力は必要不可欠だ。しかし……天下統一への道が遠のいてしまった。

 心理的な枷が増えた、と言っていい。回り道をすることになったと言うのが正しいかもしれない。
 冥琳の頭の中では、劉備軍であっても打倒すべき相手なのだ。国と国、どちらが上かを戦って示さなければ大陸の安寧は訪れない。乱世とはそういうモノで、話し合いで解決できるほど甘くは無い。

――いつか崩れ去る平和よりも、頑強で崩されない平穏を……それをお前達は……受け入れないのだろう?

 冥琳の心算と合致しない証拠は一つ。
 劉備軍は黒麒麟に見限られた。唯一あの軍の中で覇の思想を持っていた男を失った。

――せめて一時的な同盟に落ちつけると、そんな話が出来るなら良かった。しかし劉備軍の願いはずっと共に生きてくれ、だ。戦うことなど考えてもおらず、そしてこの小さな龍は……

 ズキリと頭が痛む。
 少女の見た目であれど、諸葛孔明は間違いなく頭脳明晰な本物の軍師で、同盟国同士で戦を起こる可能性事態を事前に防いで来るのは予想に難くない。
 回り道に過ぎる。そちらの方が厄介だった。
 理由がなければ戦は出来ない。同盟を破棄するに足る理由は土地が脅かされない限り起こり得ない。こちらから裏切れば民の信頼が薄くなり、より一層拙い事態に陥る。
 それなら単純明快に攻めて来る曹操を相手にしている方が遥かにマシというモノ。軍師の本分としては遣り甲斐はあっても、現状では一歩も二歩も不利な状況に立たされている。

「私からも言わせて。ありがとう、公孫賛、諸葛亮」

 冥琳の高速思考の隙間に放たれた感謝の言葉。
 雪蓮がすっと頭を下げたことで、白蓮はふるふると首を振った。

「よしてくれ、私達は大したことしてないじゃないか」
「あの狂気の戦場で私だけを狙うモノを見つけて射抜いたのが大したことじゃないって、謙虚さとは言わないわよ」
「う……だって袁家だったらお前を狙うだろ? 張コウだったら多分……」

 途切れた言葉の続きは紡がれなかった。また一つ首を振る。

「じゃあ貸し借り無しで。私達は予告無しに無断でそっちの土地に軍を連れて入ってるし、同盟にしたってこっちの勝手な都合だ。負い目とか感じないでゆっくり考えて答えを出して欲しいんだ」

 キョトンと目を丸くした雪蓮はじっと白蓮を見つめる。
 蒼色の瞳に覗きこまれた白蓮がたじろぎながらも目を逸らさずに真っ直ぐ合わせた。

「……あなた、甘いのね」
「よく言われるよ。でもそれが好きだって言ってくれた奴が居る。堅苦しく考えすぎてたらゆっくりお茶も飲めないからさ」
「はぁ、なんだか毒気抜かれちゃったわ。
 ね、冥琳。別に気にしないで喋っていいわよね?」
「……お前は……まあいいだろう。こちらも気を張り過ぎているらしい。すまないな二人共。難しく考えるのは止めてみようか。だがな雪蓮、その袖に隠してる酒は飲むなよ」
「うぇ? あっちゃぁ、バレてた?」
「当たり前だ」
「気分いいんだからちょっとくらいよくない?」
「ダメだ。場をわきまえろ大バカもの」
「ぶー、ケチっ」

 その切り替えの速さに幾分驚いたのは朱里と白蓮だった。
 朱里は思う。きっと心の中では線引きを引いている。しかし、経験の差というモノが目に見えた。
 白蓮は何処となく昔に見た事のある光景に驚き、二人が緩く気を抜いたことで、くつくつと苦笑を漏らした。

――私と星も傍から見てたらあんな感じだったのか?

 酒好きな友とそれを咎める自分の図。きっと秋斗と牡丹に見えていた光景を今見ているのだと、少し心が温かくなった。









 幾分歩いた。
 他愛ない話を少々。途切れた所で夕暮れの空気の冷たさに頭も冴える。
 ほう、と誰でない一つのため息を合図に、その場は引き締まった。

「……今直ぐに答えを出すことは出来ないわ。善処するとだけ。それにまだ荊州の土地をどうするかも決まってないでしょう?」

 雪蓮が交渉を受ける側の王として口に出す。彼女の言葉は探りの意味も含めている。その証拠に、雪蓮がその長身で見下ろしているのは朱里。
 此処で他に動かしている策を話すか否か、例え白蓮に命を救われた恩があろうと、国を動したいのならそれくらいは示して貰わなければ、と。

「……各所豪族が挙って重要立ち位置に居座ろうとするでしょう。その為に先手として悪龍の娘、劉琦さんを再度荊州に派遣しました」
「待て諸葛亮。劉琦は呂布と繋がりがあったはずだ。二度目の反抗の可能性がある限りさすがに看過できんぞ」
「いえ、飛将軍とのつながりは断絶されています。劉琦さんに至っても荊州を使って孫呉をどうこうしようという意思はありません。というよりかは悪龍自身が正義感の強すぎる娘を見捨てたので飛将軍と現在の荊州は敵対関係になります。それに“全滅させて自分だけ逃走した天下無双”に、軍を動かすだけの力を持たせるにはかなりの時間を必要とするでしょう。それに悪龍がどのような性格をしているか、あなた方ならご存知でしょう?」

 言われて思い出した二人は苦虫を噛み潰したように顔を顰めた。
 キヒヒ……と人を喰らう哂いが聴こえた気がした。
 思い出したくも無く、そして口に出すのも嫌になった。

「……聞くだけじゃだめね。会わないとその人間は見抜けない」
「ですので、一度荊州で会談をしてみるのは如何でしょうか。我が主、劉琦さん、孫策さん、孫権さんには出席して貰いたいです」
「荊州で? 安定するまで待つのも問題じゃないかしら? 対曹操を念頭に入れてるっていうならだけど」
「その点については問題ありません。今回の戦で私兵など力の大半を奪われているので豪族達の反発はほぼ無く、正統な血筋が帰ってきたのなら抑え付けも容易い。元々から荊州の政治機構は安定していて文官の野心が繁栄され難いことと、“あの悪龍”の後釜に為るには民の民心掌握が大前提。
 今回戦に発展したのは悪龍に対する民心の裏付けでの煽動ですから、正統後継者もしくは劉の血しか受け入れられず……何より“覇王と黒き大徳の暴走”によって浸透し始めている恐怖が憎しみよりも安寧を求めさせます」

 つらつらと並べられた理由。冥琳はやはりかと唸った。

「儒教の否定と真名開示に袁家虐殺。荊州や益州でもあの戦の影響が?」
「はい。揚州にも西涼にも、それこそ曹操さんが治める土地以外でそろそろ不満が出始めている頃合いかと。“この地でも噂は流れているみたいですし”」

 わざと朱里はそう言った。自分から開示した策の一つ。手の内の一つをわざわざ見せる利は言わずとも分かるだろう、と。
 情報操作によって曹操を悪と認定することで、曹操陣営の領地以外を敵対させ、侵略を行った場合の不可測を投げ込んでいた。不振の種さえ撒いておけばそれでいい。例え曹操が平穏に土地を治めようとも、侵略を行えば悪なのだから。
 事前に孫呉が手を打つ前に、他国にすらその手を伸ばしていると教えたのだ。
 自分達の土地に政治介入されて黙ってはいられないが、あくまで噂。策として行ったなどとは一言も言っていない。
 眼鏡の奥で、氷のような冷たい瞳が細まった。

――お前は悪龍と同じ匂いがするよ、諸葛亮。

 口に出しては言わない。信頼しようとは思えない。確かに有益ではあるが、掌に乗せられて転がされるのは気分がいいモノでは無いのだ。
 雪蓮も同じように、というよりはあからさまに朱里を睨んだ。
 ただ、二人の心を見透かして朱里が微笑んだ。

「私を信頼して頂けないのは分かっています。ですが、私達とあなた方が打倒しようとしているモノはどれだけの先手を打って万全を期しても良くて三割ほどの勝率しか見込めない最悪の敵なんですよ?
 周瑜さんは分かってらっしゃるはずです。曹孟徳が帝を手中に収めている限りこちらが悪と断じられ、黒麒麟が味方している限り民心はあちらに傾き兼ねません」

 何をバカな……白蓮は出かかった言葉を呑み込んだ。
 帝への信仰は言わずもがな、集まる情報を見れば見る程に秋斗の異常性が際立っていたから。
 自分の中でも答えは出ている。

――こと乱世に於いてだけは、桃香と秋斗では桃香の分が悪過ぎる。民心掌握の浸透度合いで言えば現場で戦っている秋斗の方が上。
 孫策なら同じだが、如何せん置かれた状況的に不利だ。

 戦わずに大徳と呼ばれている桃香は、治世でなければ力を発揮出来ない。
 語り聞かせ、絆を繋ぐ力は桃香の方が確かに上。不思議な魅力で人を惹きつける彼女は、平和な時間でこそ本領を発揮する。
 確かに民は平和を求めて抗うだろう。理不尽だと奮い立つだろう。けれども、秋斗や雪蓮のように“守っている”という事実が足りない。
 そして雪蓮は反旗を翻したという事実が残っている。いうなれば裏切り者だ。桃香と組むこと自体を矛盾とされかねない。

 白蓮の思考を読んだかのように、朱里が唇から言葉を紡いだ。

「血だらけになって戦い行動で示す黒麒麟と平和を望み和を説いている我が主、乱世ではどちらに利があるでしょうか?
 そして話し合うこともせずに居たモノが話し合いを掲げるモノと手を組む……其処に疑問を挟まないモノがいるでしょうか?
 孫呉の大地は許そうとも、荊州や益州が許しても、この大陸全ては許してくれません。それも、お分かりでしょう?」

 沈黙が場を包む。雪蓮と白蓮は思考に潜るが、冥琳だけは鋭く目を光らせた。

「つまりお前は……妥協しろと?」

 ばっさりと、朱里の思考誘導を切って捨てる。その先に見据えているモノに気付き、彼女は言の葉の刃を振り抜いた。

「妥協って?」
「雪蓮、こいつはな……我らに天下統一を夢見るなと言っているんだ。未来永劫互いは同盟国であり攻め入ることは皆無だと確約させたいらしい。腹の内を示しておいてその根拠が何処から来ることやら……よくもまあ口が回るモノだな諸葛亮」
「ああ……そういうこと」

 小覇王の覇気が朱里に突き刺さる。虎の視線は鋭く強い。しかし小さな智者は目を逸らさない。微笑みも崩れなかった。

「あと三月で益州は落ちます。揚州の復興と荊州の二分化は半年もあれば落ち着きます。そうして天下三分は為るでしょう。半年の間に曹操軍が西涼を吸収した後で……曹孟徳を打倒するだけ。それで終わりに出来ればいいと思いませんか?」
「……ズルい言い方だな、そして今する話でも無いだろう?」
「いいえ、今だからこそしなければいけないんです。互いが牽制し合う関係である今だからこそ、その軛を外して呑み込んで頂かなければ私もあなたに猜疑心を持ってしまう」
「ほう……元からお前は信じていないだろう?」
「いいえ、信じています。天下三分ではなく……二分で妥協出来る人だと」

 その言に衝撃を受けたのは白蓮と雪蓮。冥琳は口を僅かに歪めるだけに留めた。
 どちらも軍師の思惑は聞いている。白蓮は冥琳の目論見の先に、雪蓮は朱里がピタリと言い当てた事に驚愕していた。
 言葉を発せない。軍師の作る異様な空気に、今は口を挟むべきでは無いと二人の王は判断した。

「くっくっ……なかなか言うじゃないか。それこそ此処でする話では無いな」
「はい。これについては時間を以ってじっくりと話さなければなりません」

 しかし軍師二人はそれ以上は見せなかった。
 どちらも油断ならない相手で、まだ内側を見せるに値しない。力量は見て取れた、高め合うことは出来る。手を取るにしても……まだ時間が必要だった。

「どうでしょう? 私達は私達の、あなた方はあなた方の為に。答えは急く必要などありません。ただ……聴いて頂きたかっただけですから」

 その言に含まれた意味を冥琳は間違えない。信頼は出来ずともいい。協力関係でいい。敵を打ち倒す為の共生期間で、必ず手を繋いで貰うから、信じて貰えるように私達が示して見せるから、と。

――桃香様ならお優しい言葉でそう言うだろう。私はそれをしてはいけない。あくまで道化の私は……疑念を抱かせ注意喚起して貰い、それでも尚、本当に信頼に足る相手だと行動と結果で見せないと。

 桃香を信じて貰うには、桃香の部下で信じられないモノを作ることも必要だった。その役割は朱里にしか出来ず。
 生温い軍だと思わせるわけにも行かない。易々と食い破れると思わせてもならない。桃香の理想には、内部崩壊の危機への警戒が足りなかった。内部で其処を埋めるには、彼女だけがそれを背負わなければならなかった。

 返す答えは決められているが、返す言葉は選ばなければ。冥琳は深く思考に潜る。
 ただ、軍師の駆け引きを見ていながらも、難しい顔に変わったモノが一人。

「朱里……お前……これから友好関係を築こうかって相手に……。
 お前や周瑜殿の考えは私には分からないけど……お前達二人を見てるとちょっと寂しいぞ」

 それでも人を信じたい。白蓮はそう思う。駆け引きの上に成り立つ関係も、利用し合うだけの冷たい関係も知っている。
 此処でする発言では無いと分かっていても、本音を零さずに居られない。
 一寸表情が翳った朱里は、その甘さを知っているからこそ心が疼く。
 分かっている。本当はこんな事せず自分だって本心だけで話したいのだ。牽制などせずとも信じて貰えるように。

 朱里は心の中だけで、誰にも言わないもう一つの小さな策を零した。

――いいんです、これで。私と周瑜さんはこのままでなければいけません。孫呉と私達の亀裂を見えるようにしておかないと、“あの人”は帰って来ないんですから。

 自軍の不和を嫌い、敵軍の不和を利用しようとする男が、一人。
 幾多もの可能性を高くから覗いて、自分の立ち位置を理解した上で、朱里は幾重も策を練り込む。

 朱里は静かに瞼を閉じ、慎ましく頭を下げた。

「申し訳ありません。出過ぎた発言を」
「気にしないで諸葛亮。軍師って生き物の頭の中なんて難しく出来てるもんでしょ。冥琳で慣れてるし……ふふっ、嫌いじゃないわよ」
「ありがとうございます」
「まあ、詳しい話はあとで、ね? 戦も終わったんだし……まずは、此れでしょ!」

 答えはうやむやに。まだそれでいい。
 とりあえず、と雪蓮はクイと酒を飲む仕草でにやける。呆れた顔で笑う白蓮も、まあいいかと雪蓮に感謝の目礼を一つ。

「お前は本当に……はぁ、分かった。堅苦しいのは止めるわ、私も」
「あら、普通に話しちゃうの?」
「誰かさんのせいでバカらしくなった」
「そっちが素なのか?」
「結構混ざってるけどねー♪」
「一緒にしないで雪蓮。私はちゃんと弁えてるわよ」
「凄いな……結構苦手なんだよなぁ」
「あー、分かるわ。堅苦しい時についぽろっと出ちゃうのよね?」
「そうそう、軍議の時とかさー」
「噂に聞く白馬の王にしては意外ね」
「その呼び名恥ずかしいから止めてくれ――」

 何処となく溶け込んでしまう白蓮に、雪蓮と冥琳も若干の穏やかさを取り戻し、歓談しながら戦場跡から軍を纏めた場所へと歩みを進めた。
 ぐだぐだと話出した三人と共に、ゆっくりと朱里は付いて行く。





 背が見える距離。彼女は夕暮れの空を見上げて、緩い空気を感じながらも別のことを考えていた。
 ぶるりと震える身体に、頬が少しだけ熱っぽくなった。
 こんな夕暮れに思い出すのは、いつも決まって一人だった。

――まだ、まだ。もっと……もっと織り込まないと。

 戦を振り返れば不可測だらけ。自身の予想の甘さに恐怖を感じた。
 飛将軍の敗北など完全な予想外。

――孫策さんがあの状況で生き残るとは思わなかった。でも、有能な人物が生き残ったことで有利になったのも事実。孫策さん存命時でも荊州の内政は誤差の範囲。むしろ孫策さんの今回の戦いは後々孫呉の頸を締めることになる。

 出来れば天下統一の意思を挫く為に、と思っていたが此れはこれでいい。じっくりゆっくりと変えることも予定の内だった。

 得てして自分の思い通りになど行かない。それを思い知れただけで十分。
 ただ、最後の荊州兵の動きは予測通りで心がときめいた。

 朱里だけは気付いている。
 飛将軍と陳宮の関係は“あの二人”とそっくりなのだ。圧倒的な武力に追随させようとする兵士達。置いて行かれぬよう合わせられるよう手足として指揮をしなければならない。
 絶対遵守の命令が無ければ作れないはず。従わせるには想いの共有が必要だ。それが例え、復讐心であろうと。

――出来上がった飛龍隊は“あの部隊”と同じ。戦い方は違っても在り方は同じ。それなら、あの結末は有り得た。

 狂信は伝搬する。戦場では特に容易く。
 今回の戦で学び、予測出来た戦のカタチがある。頭に浮かんだその戦に恐怖と畏怖と……愛おしさが胸に湧く。

――愛しいあの人は、乱世の果てに同じ戦場を作り出せるんだ。

 兵士全てが死ぬまで止まらない最悪の戦争。主が死んでも死ななくとも“彼にとっての勝ち”が見えたなら、“兵士達だけを狂わせて”あの男は遣り遂げる。自分の命すら対価に乗せて。

――桃香様と白蓮さんは……否、私達の軍はあの人相手に、孫策さんと同じ選択が出来るだろうか?

 知らない相手だから納得出来た白蓮は、きっと今回のことが起こり得るとは思っていない。
 秋斗が最後まで抗うとは思っていない。勝ちの目が那由多の彼方であろうと賭けに出ると白蓮は考えていない。

 朱里だけが気付いている事実。その最悪の事態にしないのが彼女の仕事。

 今回のように……“敵軍を全て殺し尽くす”なんてことにならないように。

――あの人を殺す? どれだけの人間を犠牲にしてでもあの人は生かさないとダメな人なのに? そんなこと、私の個人的な感情を別にしても出来るはずが無い。

 異端思考に思えるけれども否。

 大陸の平穏という観点で見るならば、異常な知識を持つ秋斗を殺すことこそ智者にとっては間違いだ。
 例えば王一人を生かすのが臣下の務めであるように、国を生かすのに必要な人物として、朱里は秋斗を必要としていた。

 知ってしまえば抜け出せぬ泥沼。未来知識を知った彼女は、桃香の元で、秋斗と共に未来を作らなければ満足出来ない。

 此れは欲だ、と知っている。内のケモノが喚いていた。

――“どれだけの人間が犠牲になろうとも、壊されない平穏な未来を”……桃香様が敷いている無自覚の矛盾は、秋斗さんが壊れる元となった矛盾。どちらも一緒で、私は……

 秋斗が目指していたモノと同じモノを欲する彼女の中の龍は、誰にも知られぬこと無く育ち続けていた。


















 孫策軍と劉表軍の戦は両軍ともに多大な被害を出した。
 孫呉は主に人民という宝を傷つけられ、荊州は外部勢力への防衛手段である兵力を根こそぎ潰された。

 悪龍の意思を継いだモノは生きている。行方を捜索させてもやはり掴めず、殲滅戦の最後で離脱していった百の飛龍隊さえ居場所の特定が出来なくなった。
 孫呉の大地に残された爪痕は大きいが、飛将軍を退けた戦姫の名は大陸の端まで届く程になった。

 民は希望を向け、孫呉の大地の絆はより強固なモノとなって行く。
 ただ、危うさに気付いている者は朱里と冥琳だけ。

 血筋によって盤石な体制にしていく方向性が、余りに飛び抜け過ぎた雪蓮の名により一枚岩と化した……と。

 一時的な救援というカタチで助力を行い始めた白蓮と朱里はそのまま揚州にしばらく居座ることとなり、荊州と揚州の関係摩擦の改善にと勤しみ始める。

 悪龍の残した果実はこうして熟れ落ちた。
 虎は戦には勝った……が、新しき龍に借りを作り、同盟に対する主導権の大きな部分を奪われるというカタチで。

 まさしく、悪龍の予測通りに。





















蛇足   ~飛将と飛龍と~


 深く暗い森の中。動物達の気配が色濃い大自然に囲まれた其処には少女が二人。馬が一頭。
 小さな鳥が赤い髪に乗った。肩にはリスが乗っていた。膝の上には犬と猫が、背中には赤い馬が横たわって。
 さざめき、囀り、木漏れ日、そよ風……休日にはこうしていたと、小さき軍師は思い出す。

 赤い髪の少女は動かない。
 人形のように虚空を見つめるだけで、瞳には何も映さなかった。

 小さき軍師の頬には泣いた跡が目立つ。赤く腫らした瞼と、未だにすすり上げる声からも分かるように、彼女は哀しみの淵に居た。
 笑顔を浮かべて送り出した戦士達。短い間だが絆を繋いだ。
 いい奴等だった。楽しかった。支えられていたのだ、彼らに。
 それがまた無に帰した。少女はまた全てを失った。

 赤い髪の少女は動かない。
 近寄ってくる動物にも癒されることなく、宙を見据えて動かない。

「……恋殿」

 耐えきれない、と小さき軍師は思った。
 このままでは壊れると思った。
 泣くまいと決めていたのに泣いた。それでもこの張り裂けそうな心はどうしようもなかった。

「あいつらの笑顔の意味を……思い出してくだされ」

 語り掛けても無意味だ。愛しい人は壊れている。人形に話し掛けても、答えなど帰ってくるはずがなかろうに。

「あいつらの命の重さを……思い出して、くだされっ」

 また涙がほろりほろり。
 嗚呼ダメだ。もう止められそうにない。漏れ始める嗚咽を抑え付けて……ねねは恋を真っ直ぐに睨んだ。

「あいつらはっ……ねねと、恋殿の為にっ……命を捧げてくれたのですぞっ!」

 引き裂かれそうな心を抑えて、ねねはあの時に笑顔を浮かべた。
 せめて最期くらいは、自分の笑顔を覚えていて欲しかったから、と。
 自分のせいで散らしてしまった命達。重責が圧し掛かる心は何時でも悲鳴を上げる。

 結局は復讐。個人的な欲望の為に他者を利用している自分は、大嫌いだった者達と同じになっているのだ。
 それが嫌で嫌で、でももう止まれなくて、止まりたくもなくて、走り続けるしかなくなった。

 されどもやはり、胸が痛かった。
 自分達の為に命を捧げてくれる彼らを見ると、どうしても……。

「うくっ……っ……お願い、なのですっ……」

 襟を手で掴んで揺すった。
 赤い髪の少女はねねのことを見なかった。

「れん、どのぉ……お願い、なのですよ……ねねは……」

 俯き、零れる涙の雫は次々と彼女の衣服に吸い込まれていく。

「ねねは、もう……一人は……いや、なのです……」








 かさり、と木の葉の音が幾重。
 動物達が急いで離れて行く。
 泣きじゃくる少女は気付かず、赤い髪の少女に縋りついたまま。

 近付く気配に気付いて赤い髪が揺れる。
 来た、と一言だけ残して立ち上がり……ピタリと動きを止めた。
 何故、敵を殺しに行かないのかと小さな少女は不思議に思った。
 赤い髪の少女はそのまま座り、また動かなくなった。

 疑問が浮かんで、小さな少女は涙で揺れる目で辺りを見回した。

 ぼやけた視界が少しずつ晴れて行く。
 そうして晴れた先で、彼女の目からはまた雫が流れ始めた。

 引き裂かれた口は不敵で、爛々と輝く目は期待に満ちていて、送る視線は暖かく。
 彼女は、歯を噛みしめて涙を堪え幾分……


 ……精一杯の大声と、弾けるような笑顔を向けた。

「意地も張り通せないとは……呆れてモノも言えないのですよっ」

「ははっ、俺達ぁまだ陳宮様と悪い事したいんでね」


 煽るだけ煽って逃げ出したなんて、餓鬼の悪戯のようだなと少女は思った。
 悪龍と呼ぶには大層だが、自分達にはこれくらいが相応しいのかもしれない。

 少女の心はまだ折れず、飛龍の羽はまだ衰えず、ただ今だけは……少しばかりの休息を。

 
 

 
後書き
読んで頂きありがとうございます。
遅れて申し訳ありません。

今回で孫呉は終わり。
小蓮ちゃんが空気なのは内緒。白馬義従と一緒に戦場を駆けてましたが書く暇が無かったのでカット。
重要な部分は書けたのでいいかなと。お許しください。


次は蜀、というより南蛮です。幼女パラダイスです。
益州なんで幼女だけでは無いですけども。

ではまた 
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