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朋友

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1部分:第一章


第一章

                     朋友 
 名門の生まれだとされている。一応は。
 しかし彼は偉くなれない。それには確実な理由があった。
「わしは一族の中では余計な者よ」
 酒場で仲間や取り巻きの者達に対していつも語っていた。それも自嘲を込めて。そのうえでまずい酒を飲んでいた。
 彼の名前は袁紹、字を本初という。名門袁家の人間であり背が高くきりっとした見事な顔立ちをしている。周囲から目を引かずにはいられない姿形であり馬や剣も得意でまた学問にも通じていた。そんな彼であるが出世できない確かな根拠があったのだ。それが何かというと。
 母親に関係があった。彼の母はあまりいい家柄の出ではなかった。所謂側室の子であった。彼の父も一族の中では左程出世してはおらず一族の中では疎まれていた。また彼もそれを気にして都洛陽で無頼漢達と交わりお世辞にもいいとは言えない日々を送っていた。
「そんなに悲観することでもあるまい」
 友人達はよく袁紹を慰めて声をかけた。取り巻き達も。
「仮にも袁家だ。それ程悪くはならんさ」
「そうだな、貴殿の実力なら尚更」
「そう上手くいくものか」
 しかし彼は周りのそんな言葉にも気を晴らすことはなかった。寂しく笑ってこう言うのが常だった。
「叔父貴も誰もが見るといえば」
「袁術か」
「そうだ、あいつだ」
 忌々しげに言う。袁術は彼の従弟であり袁家の中では直系であった。それなりに実力もありまた野心家でもあった。傍若無人で好色、贅沢を好むところがあったがそれでも袁家の人望を一身に集めており将来は国の最高職である三公になるとまで言われていた。袁家はこの三公を四代に渡って輩出している漢王朝の名門なのだ。しかし彼はその名門の中で疎外されている立場だったのである。袁術とは違って。
「公路とは違う」
 袁術の字である。
「わしはな。どう頑張っても偉くはなれないさ」
「三公までもか」
「なれる筈がない」
 首を横に振って答えるのが常だった。
「所詮な。わしは飼い殺しの身分を」
「まあそう言うな」
「貴殿は立派だ。一旦身を起こせばきっと」
「そうなればいいがな」
 いつもこんな話をしていた。そんな彼は都では無頼漢に近いと思われていた。しかしその彼にも友人がいた。彼より年少だが実に気があった。その友人の名を曹操という。
 彼の字は孟徳という。鋭利な整った顔立ちをしておりその目の光は鋭く強いものだ。背は普通であり紹よりは小柄だ。彼は漢王朝の創業の臣曹参の子孫だが祖父は宦官で父はこれまた創業の臣の家夏候家の者である。そこから養子に入ったのだ。本来ならば名門であるが彼もまた出世できない理由があった。それは祖父が宦官だからだ。当時は宦官は皇帝の側にいることをいいことに国政を壟断し私腹を肥やす存在とみなされ忌み嫌われていた。実際にそうした者が目立ち国を憂える官吏や士からは憎悪されていた。その家の者である彼も出世できない確かな理由があったのだ。 
 曹操はその出自の為孤立する立場にあった。だが袁紹はその彼とも分け隔てなく接し友人としていた。元々そうしたことにはこだわらない男だったがそれ以上に己と似た立場にいる彼に親近感を覚えていたのだ。それでよく共に遊び共に飲んだ。悪事さえ共に働くこともあった。
 ある日のことだった。都のある飲み屋で二人で酒を飲んでいる時だった。曹操は不意に袁紹に声をかけてきた。
「なあ本初」
「何だ孟徳」
 お互いを字で呼び合って話に入った。既に酒はかなり進んでいる。二人は杯をそれぞれの手に持ち向かい合いながら話をしている。
「御前はわしを嫌ってはいないな」
「当たり前だ」
 袁紹は当然といった様子で彼に答えた。
「何故嫌う必要がある。御前は性格もいいし頭も切れる」 
 だから評価しているというのだ。
「側にいてくれて頼りになる。そんな御前をどうして嫌うのだ」
「わしは嫌われているからな」
 曹操は口の端を歪めて自嘲を込めて言った。
「だからだ。特に御前の従弟の」
「公路のことは気にするな」
 こう曹操に告げた。一杯飲みながら。
「あいつは名門意識が過ぎる。どうせ宦官の孫というだけで御前を嫌っているのだろう」
「その通りだ」
 曹操は素直に答えた。
「面と向かって言われたこともある。わしは卑しい宦官の孫だとな」
「馬鹿馬鹿しい」
 袁紹はそのことをそれだけで済ませた。
「だから何だというのだ」
「御前は違うのだな」
「それを言えばわしは妾腹よ」
 自らのことを言う。
「あ奴はわしをこう呼んでおるわ。一族の恥とな」
「一族のか」
「叔父貴も他の一族の者もだ。幼子までわしのことをそう呼ぶ」
 それだけ彼は一族の間では疎まれていたのである。それに対して袁術は、というわけである。彼を庇う者は一族にはいなかったのだ。
「誰もがな。わしは一族の鼻摘み者よ」
「名門袁家の出であってもな」
「名門!?わしにはあまり関係のない話だな」
 曹操に返した言葉はこれだった。
「全くないとは言えないがな。それでも」
「皆公路を見ているのか」
「あいつの母は立派だった」
 本人ではなく母のことを言うのだった。
「おかげであいつは一族の華よ。確かにそれなりの力はあるがな」
「力は御主の方が遥かにあるだろう」
「それを言えば御主もだ」
 袁紹は今の曹操の言葉をそのまま本人に返した。
「武芸だけでなく学問も詩も何でもできるではないか」
「些細なことだ」
「孫子のあれは続けているのか」
「うむ」
 曹操は趣味のようなものとして当時から有名だった兵学書孫子の注釈を行っていた。これは今にも残っている。彼の功績の一つだ。
「時間を見てな」
「見事なことだ。普通はできぬ」
「それでもな。わしも」
「宦官が何だというのだ」
 袁紹はまた言った。
「御前の祖父殿のことは知っている。だが御前は」
「違うか」
「御前は御前だ」
 一言で言い切ってみせた。
「御前は曹操孟徳だ。それ以外の何者でもない」
「では御前も袁紹本初以外の何者でもないぞ」
 曹操もまた袁紹にそのまま言葉を返した。
 
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