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菖蒲

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8部分:第八章


第八章

 無数の矛に貫かれた。腹も胸も背も忽ちのうちに貫かれていく。針鼠の様になり血を噴き出す。彼はその中で静かな顔をしていたのだった。
「苦しくないのか」
「この様な目に遭ってもなお」
「確かに苦しい」
 自分を貫いた兵士達にそう言葉を返す。
「私は死ぬ。これで」
「ではどうして」
「そこまで安らかな顔なのだ」
「果たしたからだ」
 微笑んだ。そうして言うのだった。
「私のやるべきことを。だから」
「やるべきこと!?」
「そうだ」
 そう兵士達に告げた。
「これで。果たした」
 王の亡骸を見る。その額にはあの剣が深々と突き刺さっている。それが彼が責を果たした何よりの証拠であった。それを見てまずは満足した。
 そのうえで今度は菖蒲を見る。菖蒲は切れてしまい足元に散らばっているだけである。だがそれでもなお美しくそこに青い花を見せていたのだ。
「青い花は。そこにある」
「菖蒲か」
「私が頂いたもの」
 菖蒲を見下ろして言う。
「それは切れたが。咲いている」
「何を言っているのだ?」
「切れただの咲いているだの。何のことなのだ」
「わからなくていい」
 いぶかしむ兵士達に対して告げた。
「独り言なのだから。では」
 血を吐いた。顔が見る見るうちに蒼白になっていく。死が近いのは誰の目から見ても明らかであった。彼は今死のうとしていたのだった。
「さらばだ。これで」
 ガクリと頭を垂れた。それで終わりだった。
「死んだのか」
「はい」
 王の腹心の言葉に兵士の一人が答える。
「今。息を引き取りました」
「そうか。やはりな」
 専緒を見て言う。
「死んだか。刺客ながら」
「見事です」
 それは誰もが認めることであった。だからこそ今彼等は静かになっていたのだ。
「ここまで果たすとは」
「名は何というのか」
「専緒だ」
 ここで誰かが名を告げた。
「それがこの者の名だ」
「覚えておくがいい」
 もう一人の声がした。そこには彼等がいた。
「公子。伍子胥殿」
「やはり貴方達が」
「そうだ」
「我々が命じた」
 二人はゆっくりと部屋の中央にやって来てそれを告げる。今その前に責を果たした専緒の亡骸が矛から解放されてゆっくりと横たえられた。その亡骸は血に濡れていても安らかな顔をそこに見せていたのであった。何も悔いはない顔を。
「彼はそれを果たした」
「それは忘れないでくれ」
「はい」
 皆それに頷く。例え自身の主を殺した刺客であっても。その心は受け取っていたから。
「覚えておきましょう」
「彼のことを」
「専緒」
 光は彼に顔を向ける。そうして声をかけた。返事がないのがわかっていても。
「よくやってくれた」
「済まぬ」
 伍子胥は彼に謝った。深い言葉で。
「こうなることはわかっていた。だが」
「我々はそなたを使った。そのことは」
 しかし返事はない。何処までも。それは変わりはしない。だがそれでも彼等は謝罪するのであった。そこに心があるのがわかっているからこそ。
「何時までも伝わる。そして」
「貴殿のことも」
 今度は伍子胥が言う。
「一人の男がいたとな」
「永遠にな」
「そうです、永遠に」
 そこにいた一人の老人が立ち上がって述べた。彼は王宮の記録係であった。
「この者の名は残りましょう」
「また名前を言っておこう」
 光は専緒の名を彼にも告げることにした。どうしても残しておきたかったからだ。
「彼の名は専緒だ」
「専緒殿ですな。それでは」
「書き残しておくがいい」
 こうも告げた。
「我等が何をしたのかもな」
「よいのですか、それで」
 それならば彼等が王を殺したことが歴史に残る。それを問うたのだ。かつて自身が王を殺したことを書かせない為に記録係を殺していった男が斉の国にいた。こうした者は往々にしてどの国にもどの時代にもいる。都合の悪いことは誰も書き残されたくはないものだ。だから歴史書には様々なオブラートもあったりする。だがここれ彼等はあえてそれをよしと言ったのである。
「そのようにして」
「そうでなければ彼が何を為したのかは残らぬ」
 光はこう記録係に述べた。
 
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