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蘇鉄の木

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2部分:第二章


第二章

「頂きます」
「御主等も飲め」
 秀吉は共の者達にも声をかけた。そうして飲むように言う。
「遠慮は要らぬぞ」
「おお、それは有り難い」
「では我等もご相伴を」
「皆で楽しめばよいのじゃ」
 秀吉は明るく大きく笑って言った。
「それで心ゆくまで飲もうぞ」
 秀吉の人気の秘密はここにもあった。気前が抜群によく飾らない性格だからだ。そうしたこともあり天下人になれたのだ。三成もそんな秀吉が嫌いではなかった。彼は今は微笑んで秀吉を見ていた。しかし怪異はこの日の夜にもう起こったのであった。
 その夜。見回りの兵が城の庭に入った時であった。そこに何者かを見た。
「むっ!?」
 白い人影であった。人影は庭の中を歩き回っていた。兵はそれを見てすぐにその側まで迫った。
「待て、怪しい奴」
 彼はすぐに曲者かと思った。そうしてすぐに手にしていた槍をその影に向けて突き進んだ。しかし槍は虚しくその人影を通り抜けたのであった。
「何とっ」
「私は曲者ではございません」
 驚く彼にそう人影が告げてきた。見れば何のことはないただの老人であった。髭のない顔に一面の皺がある。何処か弱々しい顔をしている。
「決してどなたも傷つけるつもりはござらん」
「ではどうしてここにいるのだ」
 兵はそう彼に問うた。ここにいるのにはあまりにも不自然であったからだ。
「連れて来られたのです」
「連れて来られただと」
「はい」
 そう兵に答えた。
「その通りです。それで」
「ううむ、訳がわからぬ」
 兵は老人のその言葉を聞いて首を傾げる。見たところ槍が突き抜けた以外はごく普通の老人である。その彼がどうしてこの城に連れて来られたのか、彼には合点のいかない話であった。
「それはどういうことなのか」
「秀吉様に連れて来られました」
「太閤様にか」
「そうです。私はここにはいたくありませぬ」
 悲しい顔と声での言葉であった。
「故郷に帰りたいのです。あの穏やかな故郷に」
 兵に対して訴えて語るのであった。この老人が出たのはこの日だけではなかった。次の日もまた次の日もであった。当然ながら秀吉の耳にも入り彼は三成に対して言うのであった。
「これは一体どうしたことじゃろうな」
「その老人ですか」
「うむ、夜な夜な庭に出て来ておる」
 そう三成に語る。
「そうして帰りたいと兵に告げる。わしにここに連れて来られたとな」
「殿下にですか」
「ここに年寄りを連れて来た覚えはない」
 秀吉は服の中で腕を組んでいた。そうして三成に述べた。
「そんなことはな。じゃがその年寄りはわしが連れて来たと言う。全くおかしなことじゃ」
「いや、これは」
 だがここで三成は言うのであった。
「おかしなことではありませぬ」
「そうなのか?」
「はい、その老人はおそらく木です」
 こう秀吉に述べた。
「殿下が堺より移したあの木なのでございます」
「あの木か」
「そうです。だからこそ帰りたいと申すのでしょう」
 三成は静かに秀吉に述べた。
「堺に」
「左様か」
「帰りたいと言っている者に無理強いはなりますまい」
 三成はまた述べた。
「ですからここは」
「そうじゃな」
 そして秀吉もそれに頷いた。彼とて決して無法な男ではない。情も知っている。だからこそ今三成の言葉に頷いたのである。
「それではそのようにしよう」
「はい。それが宜しいかと」
「わしとて木は楽しく見ておきたいものじゃ」
 老木を見る。その秀吉の目は限りなく優しいものになっていた。
「それに悲しむ姿は見るもの聞くのも忍びない。ましてそれがわしが原因ならば」
「それでこそ殿下です」
 三成はここで秀吉を褒め称えた。
「天下人であらせられます」
「そうじゃな。しかし天下人というのは案外不自由じゃ」
 秀吉はふと苦笑いを浮かべた。
「こういうことでも気を使わなければならないのじゃからな。しかし」
「しかし?」
「それでも悲しむ顔よりは笑顔の方が見たいものじゃな」
 そう言って木を見るのであった。その後間も無く老木は元の堺に戻された。それから老人が出るという話は消えた。秀吉は堺でその老木を見ることにした。これもまた天下人の逸話の一つである。


蘇鉄の木   完


                 2007・11・21
 
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