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義愛

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6部分:第六章


第六章

「どんなことでもするぞ」
「わかっております」
 森川も露西亜のことは知っている。ロシア兵の軍律の悪さは義和団事件において日本人を驚かせ、そして驚かせるのに充分だったのだ。その蛮行は日本軍のそれとは対象的ですらあった。日本軍はその規律正しさで賞賛を受けていたのである。これもまた事実であった。
「だからこそなのだ」
「露西亜の手にかからぬように」
「それでわかったな」
「・・・・・・・・・」
「不服か?」
 園部は問うた。
「そのことに」
「やはり駄目なのですか」
「皆今は耐えておるのだ」
 園部はまた言った。森川の顔を見据えながら。
「わかるな」
「ですが彼等は」
「嫌なことを言おうか?」
 園部の顔が暗くなった。
「何をでしょうか」
「君が大切にしている村民達もまた日本人だ」
「ですが彼等は」
「確かに徴兵もされなければ権利も制限されているな」
「はい」 
 その通りであった。だからこそ森川も彼等の為に頑張っているのだ。
「だがそれでも彼等は帝国臣民なのだ」
「それはあまりにも勝手では」
 森川も言わずにはいられなかった。日本人と言ってもやはり何処かで彼等を異民族と扱っているのもまた事実なのだ。この差は後に日韓併合の後で朝鮮半島が日本の領土となってからはっきりと出てきた。朝鮮人は士官学校に入ることができ、高官になる者すらいた。陸軍中将にまでなった者すらいる。
 これに対して台湾人は士官学校には入られなかった。国立大学に入ることは可能であったが。それでも日鮮同祖論の為同じ民族として扱われたところのある朝鮮人とは扱いに差があったのだ。ここが複雑であった。
「そう思うなら思えばいい」
 園部は森川の言葉を突き放してきた。
「だが変えられはしない」
「村民達に死ねと」
「今は皆が耐えなければならんのだ」
 彼はまたそれを言った。
「彼等だけではないのだ。それがわからんのか」
「・・・・・・わかってはいても」
 森川は言葉を吐き出した。血を吐く様に。
「それでも」
「そうか。ならもう言うことはない」
 園部もそこまで言われては。断を下すしかなかった。森川に対して。
「森川清治郎巡査」
 森川の官職氏名を呼んだ。
「君を処分する。戒告だ」
「左様ですか」
「そうだ。上司に逆らい、そして村民を惑わしたことになる」
 森川を見る目は複雑であった。厳しくはあったがそこには他の、様々な色もあった。
「わかったな。頭を冷やせ」
「・・・・・・はい」
「わかったならばいい。行け」
 森川に部屋を去るように言った。
「もう言うことはない」
「わかりました」
 森川は敬礼をして部屋を去った。もう何も言わなかった。園部はその背中を一人黙って見送っていた。
「今は何があっても勝たなければならないのだ」
 そして一人こう言った。
「何があってもな。日本の為に」
 森川も園部も互いのことが痛い程よくわかっていた。園部も森川の立場なら同じことを言っていたかも知れない。だが。彼は今の立場からはそれはとても出来なかったのである。言えもしなかった。
 だからこそ森川にも断を下した。全体の為に。森川の心をわかったうえでだ。
「・・・・・・許せ」
 最後にこう呟いた。そして職務に戻る。何もなかったかのように。
 森川は村に戻った。そのうえで村民達に対してことの次第を説明した。
「・・・・・・左様ですか」
「はい」
 森川は俯いて村民達に答えた。
「申し訳ありませんが私の力ではどうにもなりませんでした」
 俯いたまま振り絞るようにして述べる。
「今我が国は。露西亜とのことがありますので」
「露西亜というとあの」
「駐在さんが話しておられる」
「はい、あの国です」
 森川は告げる。
「あの国と戦うならば力が必要なので」
「そうなのですか」
「それでは」
「お願いします」
 深々と頭を下げた。
「こうなっては言うことがありません。皆さんにはどうか」
「いえ、よいのです」
 長老が頭を下げる彼に声をかけた。
「駐在さんはよくやって下さっていますし」
「そうでしょうか」
「そうですよ、いつも俺達の為に」
「なあ」
 村民達は声を揃えて言う。
「それに今度のことだって」
「わし等が無理を言って」
「ですがどうにも出来なかったのは事実です」
 それでも潔癖な森川は村民達の声に甘えることは出来なかった。
「それは。変えることができませんでした」
「駐在さん・・・・・・」
「この度のことは何と言っていいかわかりません」
 そしてこう述べた。
「それだけです。それでは」
「駐在さん・・・・・・」
 村民達はもう何も言うことは出来なかった。森川は彼等の前から姿を消した。そのまま宿舎に閉じ篭った。村民達はそんな彼を見て不吉なものを感じずにいられなかった。
「大丈夫かな」
「ああ、そうだよな」
 彼等は顔を見合わせて言い合う。
「若しかすると」
「おい、馬鹿なこと言うな」
「けどよ」 
 その不吉なものを消すことができないでいた。
 

 
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