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花姫

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5部分:第五章


第五章

「私は。もう」
「もう?」
「あっ、いえ」
 ここは先は言わなかった。
「何でもありません」
「そうですか」
「それよりもです」
 それでも彼女は言うのだった。
「本当に。あまり無理をされたら」
「わかっています。もう代筆の仕事は終わっています」
 ここでも正直に述べる博康だった。真実を隠すのが下手だがそれと共に嘘のつけない男であった。
「もう。ですから」
「安心していいのですね」
「はい。御心配をおかけしました」
 今度は謝罪した。
「ですがもう」
「わかりました。それではこの指輪」
 少女はようやく彼が差し出してきた指輪を受け取ったのだった。微笑みと共に。
「有り難く受け取らせて頂きます」
「どうも」
「貴方の御心」
 この指輪がただそれだけのものではないこともわかっていた。
「受け取らせて頂きます」
「それでは」
「私がいる限り」
 少女はここでも思わせぶりな言葉を出してきた。
「二人で」
「はい。いましょう」
 ここでは少女の言葉の意味を確かにわかりはしなかった。博康は指輪を渡してからも少女との交際を続けていた。だが夏の終わりが近付くと共に。今度は少女がやつれてきた。
「あの」
 今度は南禅寺の辺りを歩いていた。二人で緑の木々が周りに生い茂っている道を進む。京都の夏の暑さもここでは暑くはない。木々のおかげで涼しいものだった。
 その道を歩きながら。少女に声をかけたのだ。
「大丈夫ですか?」
「私がですか」
「はい。何か」
 そのやつれた顔を見て心配する顔で言うのだった。
「御身体が宜しくないようで」
「いえ、私は別に」
 少女は話を誤魔化してきた。
「何もありません。御心配なく」
「本当ですか?」
「はい、本当です」
 こう言いはするが声は弱々しいものだった。
「本当に。ですからお気遣いなく」
「ですが」
「私は。ずっといますので」
 俯きながらの言葉だった。その声はどうしても弱いものになっていた。
「ですから」
「そうですか」
「はい。それでですね」
 また彼に言ってきた。
「糸谷さんは百合がお好きですか?」
「百合ですか」
「そう、百合です」
 花の話をしてきたのだった。その白い顔で。
「百合ですが。お好きですか?」
「はい、花でしたら」
 これまた率直に述べた博康だった。
「好きです。特に百合は」
「お好きなのですね」
「中でも白百合が最も好きです」
「白百合がですか」
 彼のこの言葉を聞いてまた微笑んできた。
「よかった」
「よかったのですか」
「はい。僕の一番好きな花です」
 こうも言うのだった。
「それが何か」
「いえ。白百合が好きだと御聞きして」
 少女が言うのはこのことだった。
「嬉しいのです」
「嬉しいのですか」
 博康にはわからない話だった。しかしそれでも聞くのだった。
「そのことが」
「はい。それで糸谷さん」
 少女はその小さな声を彼にかけ続けてきた。
「白百合を。好きでいて下さいね」
「白百合をですか」
「この夏が終わってもずっと」
 少女は言う。
「好きでいて下さい。花の中で一番」
「このままですか」
「それが私の御願いです」
 これまた博康にはわからない願いだった。しかしそれでも彼は聞くのだった。
 
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