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メフィストの杖~願叶師・鈴野夜雄弥

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第四話
  I



「いらっしゃいませ。」
 ここは珈琲の薫る“喫茶バロック"。そう大きな店ではないが、そこそこ客の入る知る人ぞ知る店と言える。
「お席へご案内します。」
 バイトの小野田は今日も張り切って仕事をしている。
 彼女の場合、単に一目惚れの相手と働けるから…と言う非常に分かりやすい理由なのだが。
「ご注文がお決まりになりましたら、お声掛け下さいませ。」
 そう言ってテーブルを離れるや、隣から「すいません。」と声を掛けられる。
「はい、ご注文はお決まりですか?それでは承ります。」
 それが日常…だと、彼女だけは思っていた。
 いや、それで良かった。好きな人と一緒に働ける…それだけで日々は光り輝いて見える。
 そう、彼女はそういう単純明快な性格の持ち主なのだ。
「小野田、十一番上がったから持ってって。」
 オーダーを厨房へ持って行くと、待ち構えていたようにそう大崎が言った。
「は~い。」
 小野田は直ぐに出来立てのオーダーをトレイに乗せるが、そこへ赤毛の男が言った。
「僕が持ってくから、君は休憩してきなよ。もうオーナーも仕事入ってるし、今の時間に休憩しとかないと休憩取れないから。」
「有難うございます。それじゃ、休憩お願いします。」「行ってらっしゃ~い。」
 赤毛の男…メフィストはニコニコしながらそう言って小野田を送り出す。厨房から釘宮の射すような視線に耐えながら、メフィストは笑顔を崩すことなく仕事に入ることに成功した。ここでしくじれば…後は地獄になるからだ。
 一方、小野田はエプロンを外しながら事務所へ入ると、そこへ鈴野夜…彼女の想い人が困った顔をして立っていた。
「あ、鈴野夜さんも休憩ですか?」
 彼女はちょっと嬉しくなったが、どうも違うらしい…。
「いや…制服のボタンがねぇ…。」
 見ると、鈴野夜が着ている制服の上二つのボタンが取れていた。
「それ、良かったら私が着けますよ?ソーイングセット持ってきます。」
 そう言って更衣室に入ると、直ぐにソーイングセットを持って出てきた。
 なぜか嬉々としている小野田に鈴野夜は首を傾げたが、ボタンが着いてないと釘宮…オーナーにまた小言を言われてしまう。そのため、鈴野夜はそのまま上着を脱いで小野田へと渡した。
「鈴野夜さん…下にシャツ着なくて良いんですか…?」
「え?だって暑いじゃないか。」
「そりゃそうですけど…。一応、私も女の子なんですよ?」
「別に全裸じゃあるまいし、どうってことないだろ?」
 意外とデリカシーの無い鈴野夜も、小野田フィルターを通せばワイルド系…と言う風に映る。
 小野田は多少顔を赤らめながらも、手際よくボタンを縫い付けて行く。
 しかし、どうしても鈴野夜へと視線がいってしまい、危うく指を射すところだった。

- 鈴野夜さんって…以外と逞しいのね…。あ、あんなところにホクロ…。 -

 頭が春の女じゃあるまいに、小野田はそれでも鈴野夜をチラチラと横目に見ながらボタンを着けて行く。
 だがその間、何の会話も無いのは些か息苦しいと思い、小野田は口を開いた。ここで話をしないと、きっと窒息してしまうと思ったのだ。
「えっと…鈴野夜さん。」
「ん?なに?」
「えっとですね…この間友人から聞いた話なんですけど、木下って資産家の家で今、大変なことが起こってるって。」
「大変なこと?」
 鈴野夜は不思議そうに返した。いきなりこんな話を振られても、自分の様な貧乏人には無関係…としか考えようが無いのだが、ここで話を切るのもどうかと思って先を続けさせた。
「それが、昨年にお爺様が亡くなられたんですけど、その莫大な遺産をお婆様に配分を取り決める様にと遺言されたそうです。お婆様は遺言通りに自ら配分したそうですけど、子供たちに大した配分をせず、自分が死んだら残りは全て施設や貧しい人達に寄付する遺言状を作っちゃって…それで親族内で揉めてるんだそうですよ。」
「へぇ…金持ちってのは分からないねぇ。で、そのお婆様って、今どうしてるの?」
 鈴野夜は椅子に座りながら頬杖をついて小野田に視線をやると、小野田は再び顔を幾分紅潮させて返した。
「え?あっ…お婆様ですね。えっと、なんでも大きなお屋敷に一人で住んでるとか。何人かの使用人は一緒にいるって話でした。」
「身内は怒って誰も近付かない…か。」
 鈴野夜は淋しげにそう言うが、やはり上が裸なので何だか決まりが悪い。
 と、そこへドアを開けて釘宮が入って来た。
「お前達…一体何をしてるんだい…?」
 入って見れば正面に鈴野夜の半裸…釘宮は流石に顔を引き攣らせて聞いた。そんな釘宮に、鈴野夜は苦笑して答えると、釘宮は溜め息を洩らして返した。
「入っていきなりお前の裸は…キツい。」
「失敬な。」
 鈴野夜はそう言って半眼で釘宮を見た時、小野田はそんな鈴野夜へ制服を見せて言った。
「はい、鈴野夜さん。出来ました。」
「あ、有難う。へぇ、上手いもんだね。さすが女の子。」
「これ位誰でも出来ますよ。それじゃ、休憩行ってきます。」
 小野田は顔を赤らめながらそう言うと、直ぐ様事務所から出ていったのだった。
「おい、雄。お前、小野田の気持ち知ってるんだろ?」
 小野田が外へ出たことを確認し、釘宮はそう鈴野夜へ問った。問われた鈴野夜は浅く溜め息を吐き、ボタンが綺麗に付けられた制服を見つつ返した。
「まぁね。でも、僕はそれに応えられない。彼女も心のどこかで、それに気付いてるんじゃないかな。」
「お前、また余計なことしたら…」
「分かってる。いざとなったら…彼女の記憶を消すよ…。」
 鈴野夜はそう呟く様に言うと、制服を着て事務所を出たのだった。
 鈴野夜は何だかんだ言っても、ここの生活が好きなのかも知れない。
 だが、鈴野夜を古くから知る釘宮にとって、彼が当たり前の日常など望めないことを知っている。だからこそ、釘宮はこの店で二人を働かせる“日常"を作ったのだ。
 それは幻なのかも知れない。ただの自己満足かも知れない。
 しかし、釘宮は遣らずにはいられなかった。いずれ必ず別れが来ることを知っていたから…。
「まぁ君、早く戻って!」
 そんな感慨に浸る暇もなく、メフィストがバタバタと来てそう言った。
「分かった。直ぐに行く。」
 苦笑混じりにそう言うと、釘宮は事務所を出て店を見ると、成る程…二十人ほど客が入っていた。これがまたカップルばかりで、鈴野夜は何事も無かった様に接客していたが、釘宮は些か心中でこう思った。

- 暇人どもめっ! -

 だがその中に、一人だけポツンと浮いた人物がいた。
 それは老いた女性で、髪を結い上げて和服を着こなしている。その一角だけがこう…何と言うか、店の雰囲気とアンバランスなのだ。それも…“あの席"である二人掛けの窓側の席…。
「メフィスト、あのお婆さんは?」
 釘宮は食器を下げてきたメフィストにそう問い掛けると、メフィストは顔を顰めて返した。
「まぁ君…あんな枯れたのが好み…」
 そこまで言って、メフィストはしまったと後悔した。釘宮の目が光ったからだ…。が、もう遅かった。
「まぁ君…痛いよ。冗談だってば…。」
「なら宜しい。で、あのお婆さんはいつからここに?」
「ついさっきだよ。何かの雑誌で見たことあるけど…確かどこぞの資産家の婆さんだよ。なんでこんな辺鄙な店に来たんだか…」
 そう言ってメフィストは、再び己れの愚かさを悔やんだ。今度も瞬殺だった。
「…痛い…。」
「ま、そうだろうな。人の店を辺鄙呼ばわりするとは。まぁいい、さっさと仕事しろ。」
「酷いよ…まぁ君…。」
 涙目になりつつメフィストは仕事に戻ったが、どうもその老婆が気になって仕方無い。どうやら珈琲とショートケーキをオーダーしたようだし、たまたま来店した普通の客と思い、メフィストは厨房に入って洗い物を始めたのだった。
 一時間程すると、あの老婆がレジへとやってきた。釘宮はやはり気になるも普通に対応したが、帰り際に老婆が不意に釘宮へと問い掛けた。
「貴方はこちらの方?」
「はい、この店のオーナーです。」
「あら、そうだったの。生まれもこちら?」
「はい。ここではありませんが、少し離れた所で。」
 釘宮は訝しく思った。こんなことを聞くなんて、普通ではありえない。それも“あの席"に座っていたのだから、どうも嫌な予感がしてならなかった。
「では、“願叶師"というものを聞いたことはありませんか?」
 その老婆の問いに、釘宮は些か面食らった。思っていた問いとはかけ離れていたのだ。
「“ガンキョウシ"…とはなんでしょうか?」
 釘宮は多少首を傾げつつ問い返すと、老婆はふと笑みを溢して言った。
「願いを叶えると書くのですけど…知らなければ良いのですよ。もう七十年近くも前の話ですものねぇ。貴方が知らないのは当たり前でしたね。お忙しいのに失礼致しました。」
 老婆はそう謝罪して頭を下げるが、釘宮はそんな老婆へと慌てて返した。
「いえ、こちらこそ何も知らずに申し訳ありません。」
「貴方が謝る必要なんて無いのよ。では、御馳走様でした。」
 再び微笑んで軽く頭を下げてそう言うと、老婆はそのまま店を出ていったのだった。
 その後、釘宮はそれを忘れて仕事をしていたが、店を閉めた後にふと、あの老婆が言った“願叶師"と言う言葉が気になり、それとなくメフィストへと問ってみた。
「なぁ、“願叶師"ってのを知っているか?」
 その問いに、メフィストの表情が変化した。どうやら何か知っているようだ。
「まぁ君…それ、誰に聞いたの?」
「あの老婦人だよ。昼間来ていたね。」
 そう言われ、メフィストは淋しげな、それでいて何かを思い出している様な表情をして呟いた。
「やっぱり…あの子だったのか…。」
「あの子?」
 釘宮が不思議そうにそう言うと、メフィストはしまったと言った風に顔を顰めて言った。
「ごめん…今の聞かなかったことにして。」
「何でだよ。」
 釘宮は言いたがらないメフィストに食いついたが、メフィストは釘宮に背を向けて返した。
「雄君…この話を勝手にすると怒るんだ。雄君が帰って来たら自分で聞いて。」
「おい、何だよそれ。メフィスト!?」
 釘宮の声も聞かず、メフィストはそのまま自室へと入ったのだった。
「ったく…何なんだ?」
 そうぼやきつつ、釘宮も自室に入って遅い夕食をとったのだった。
 暫くすると、裏の玄関の扉が開く音がした。鈴野夜が帰ったと思い、釘宮は直ぐに部屋を出て階段の電気を点けると、直ぐ下にキョトンと上を見上げる鈴野夜の姿を見付けた。
「まぁ君、何か用?」
 鈴野夜が帰って来てもいつもは部屋を出ない釘宮が出てきたため、鈴野夜は些か驚いている風だった。
 そんな鈴野夜を釘宮は部屋へと招き入れ、そしてドアを閉めて言った。
「少し聞きたいことがあるんだが。」
「えっ…私はまた何かを壊してたのか?」
「いや、違う。」
 そう釘宮に速答されため、鈴野夜は一安心して座った。それというのも、釘宮に呼び出される時は決まって説教されるからだ。
 釘宮はそんな鈴野夜の向かいに座り、直ぐに本題を口にした。
「雄。お前、“願叶師"ってのを知ってるか?」
 そう問うと、鈴野夜もメフィストと同じ反応を示した。
「なぜ君が“それ"を知ってるんだ?」
 鈴野夜の声は明らかに硬化していた。怒っている…と言うのではない。動揺しているのだ。それも今までに無い程の…。
 釘宮はそんな鈴野夜に昼間あった出来事を聞かせると、彼は何とも言えない表情を見せて口を開いた。
「そっか…梓ちゃんだったんだ…。」
「“梓ちゃん"?」
 首を傾げて問い返す釘宮に、鈴野夜は頬杖をついてポツリポツリと話始めたのだった。




 
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