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メフィストの杖~願叶師・鈴野夜雄弥

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第四話
  Ⅱ



 それは日本が高度経済成長を続けていた時代。あちらこちらの家庭にテレビ、冷蔵庫、洗濯機などの家電製品が揃えられ始めた時代の話だ。
 その当時、鈴野夜とメフィストはとある田舎町に住んでいた。とは言ってもそこそこ開けており、映画館や喫茶店などもある洒落た田舎町だった。そこで二人は大学講師として滞在していたのだ。
 今では鈴野夜と名乗ってはいるが、当時は“天河時雨"と名乗っていた。メフィストは“グスターヴ"と名乗り、二人は「博識の美講師」などと綽名される程には女性陣に有名だったが、男性陣には些か煙たがられる存在でもあった。
 ここでは二人を「天河」と「グスターヴ」で統一して語ることにしよう。

「あ、梓ちゃん。」
「天河先生!どうしてここへ?」
 そこは甘味処“吉乃屋"。大の男二人が入って仲良くお茶を…などと言う場所ではないが、天河はグスターヴと二人で些か遅いティータイムを楽しんでいた。
「今日はこちらに呼ばれていたからね。甘いものが食べたくなって、仕方無くこいつと二人で寄ったんだよ。」
 その言葉にグスターヴは少しばかり眉をピクッと動かしたが、後は読んでいる新聞に集中していた。梓と呼ばれた女性はクスッと笑みを見せて返した。
「そうでしたか。では、定例の海外文学講座でいらしていたのですね?」
「ああ。今日はゲーテについて幾つか講義してきたよ。」
「あぁ…私も聞きたかったです。シラーも好きなのですけど、ゲーテは特別ですから。」
 そう言って話続ける二人に、グスターヴは新聞を読むのを中断して言った。
「時雨…いい加減座らせろよ…。」
 そう言われた天河は忘れていたと言わんばかりに苦笑し、梓に空いている隣の席へと座るよう言った。
「いえ…私は母の使いでカステラを買いに来ただけですので。」
「いつものかい?でも急ぎはしないだろ?ここの新作のパフェと言うものは中々に旨かったよ。奢るから試してみないかい?」
 他から見れば何だか軟派している様に見えなくもないが、梓はそんな天河に丁重に断りを入れようと口を開いた。
「いえ…そんな…」
「遠慮はいらない。グスターヴの奢りだからね。」
 天河の躊躇いのない言葉に、グスターヴは驚いて抗議の声を挙げた。
「時雨!お前、俺が金欠だって知ってんだろうがっ!」
「いや、冗談だ。」
 天河はそう言って笑うや、梓もクスリと笑みを溢したため、グスターヴはバツが悪そうに頭を掻いて外方を向いたのだった。
「お上さん、パフェ一つと珈琲三つ!」
 天河が奥へそう声を掛けると、直ぐに「はいよ!」と威勢の良い返事が返って来たため、梓は仕方無しと隣の席へと腰を下ろした。
 彼女が席に着くや、天河は直ぐに口を開いた。
「さて、修君とはどうなんだい?」
 どうやら天河は最初からそれを聞きたかった様だ。その天河の問いに、梓は些か気不味そうに顔を伏せてしまった。
「余りうまくいってない様だね…。」
「実は…許嫁の敬一郎さんが…。」
「やはりそこか…。」
 そう言って天河は溜め息を洩らした。
 この梓と言う女性だが、この町にある松山商店の娘だ。商店…とは言っても、この町以外にも幾つかチェーン展開している会社であり、梓はそこそこのお嬢様でもある。
 今二人が話しているのはこの事と関係があり、梓は許嫁となっている男性ではなく、他の男性を好いているのだ。謂わば政略結婚ではなく、自由恋愛での結婚を望んでいるのだが、これがまたうまくはいかない。
 そもそも敬一郎と言う男性だが、彼は萩野財閥を取り仕切る萩野藤一郎の長男なのだ。萩野藤一郎と松山洋介は幼馴染みであり、お互いに子供が出来たら結婚させようと約束していた。その上、戦後に先代が萩野財閥から多額の借金をしていたため、断りようがないのが現状だった。
 尤も、一番の原因は敬一郎が梓に惚れ込んでいることと言えるが。
「お待たせ致しました。パフェと珈琲でございます。」
 三人が無言のまま考えを巡らせていると、ニコニコとお上がやって来て陽気な声でそう言い、梓の前にそれらを置いた。
 天河はお上が喋り出すであろうことを察して、その前に自ら口を開いた。
「あ、ついでに私とこいつに苺のケーキをお願いしようかな。」
「有難う御座います!直ぐにお持ち致しますので!」
 再オーダーに心ウキウキと言わんばかりに、お上は足取り軽やかにカウンターへと戻って行った。
「なぁ、グスターヴ。」
「…。」
「グスターヴ?」
「…。」
「おいってば!」
「あ…俺か。」
 新聞を読んでいたグスターヴはやっと気付いた。時折、彼は自分の名前を忘れてしまう。だったら、もう少し覚えやすい名前にすれば良かったろうに…。 グスターヴは苦笑しつつ新聞を畳むと、再び天河を見て言った。
「で、何だ?」
「お前はどう思う?」
「どうって…ケーキか?俺はチョコ系が…」
「違う!」
 天河がそう一喝したため、グスターヴは頬杖をついて返した。
「冗談だよ…。嬢ちゃんのことだろ?俺からすれば、この経済成長真っ只中で許嫁なんて古めかしいのはどうかと思うねぇ。好きな者同士でくっつきゃ良いじゃん。」
「グスターヴ…。」
 余りに単純過ぎて話にならないと、天河は呆れて溜め息を吐いた。隣の席では梓嬢が見たこともない食べ物に四苦八苦しながら食しているが、どうやら気に入った様子だ。
 ふと周囲を見回すと、先程よりも客が入って来ている。商売繁盛と言ったところだが、こちらはそうも言っていられない。
 梓がパフェを食べ終わるまで、二人はお上が持ってきた苺のケーキと珈琲を口にしながら他愛ない話をしていた。
「不二家が一九二二年だったかに出した時は驚かされたものだけど、どうやら今では定着した様だね。」
「ん?あぁ…ショートケーキか?ま、柔らかくて甘くて旨いってんなら食べてみたくもなるよな。特に、苺のは紅白って東洋じゃめでたい色なんだろ?」
「グスターヴ…お前には風流さが足りないと思うよ…。」
「そんなもん旨くないじゃん。」
「ハァ…。」
 天河はガックリ肩を落として深い溜め息を吐いた。
 すると隣の席で、パフェを食べ終えていた梓がクスッと笑って言った。
「天河先生って、一体お幾つなんですか?」
「お嬢さん、歳なんて聞いちゃなりません。若作りするのに苦労しているんですから。」
 天河はそう言って肩を竦め、グスターヴが苦笑しつつ梓を見た。それはとても滑稽であり、梓は悪いとは思いつつも吹き出してしまったのだった。
「あぁ…可笑しい。今日は良い気分転換になりました。有難う御座います。」
 梓がそう言って頭を下げると、天河もグスターヴも満足そうに微笑んだ。
「なら良かった。そうそう、今度大学の音楽堂で大学創立五十周年の祝賀演奏会を催すんだよ。良かったら聞きにおいで。」
「え?行っても宜しいんですか?」
「勿論。演目はヘンデルの王宮の花火の音楽に水上の音楽第一番、それにバッハの大ミサ曲からグローリア、そしてモーツァルトの戴冠式ミサと言った具合だよ。」
「どれも聴いたことのないものばかりです。楽しみにしています。」
 梓がそう言うと、天河は思い出したかのように笑いながら言った。
「それにね、今回はグスターヴが第一トランペットをするんだよ。私は指揮だけ。」
「本当ですか!?先生方…音楽もされていたんですね。」
「そっか、梓ちゃんは知らなかったね。私達は文学と音楽を教えてるんだよ。他の大学では専ら文学だけどね。」
「そうだったのですか。それでは益々聴くのが楽しみです。」
 梓はそう言うや、「あ!」と言って席を立ち上がった。
「やだ、カステラを忘れるところだったわ!」
 そんな梓を見てグスターヴはニッと笑って言った。
「カステラならもう用意してあるって。また今日も二本なんだろ?」
「あ…はい。って、申し訳ありません!」
「良いって。またどうせ時雨とそこに買い物に寄るしな。」
 そうグスターヴが返した時、見計らった様にお上が紙袋にカステラを入れて梓へと渡しに来たので、梓は巾着袋から財布を取り出そうとした。すると、お上はそれを制して笑いながら言った。
「毎回贔屓にして頂いてるから、今日のお代はいいよ。また来て下さいね。」
「あ、有難う御座います!」
 そう言って梓が頭を下げると、お上はニコニコして「気を付けてお帰りね。」と言ってカウンターへと戻って行ったのだった。
 梓は頭を上げて天河らを振り返ると、一礼して言った。
「御馳走様でした。本当に美味しかったです。」
「それは良かった。それじゃあまた、近いうちにね。」
「はい。それでは、これで失礼させて頂きます。」
「うん、気を付けてね。」
 天河がそう言うや、梓はもう一度二人へと頭を下げて店を後にしたのだった。
「時雨、結局どうすんだ?」
 グスターヴは梓の出て行った戸口を見ている天河へと問うと、天河は直ぐにグスターヴへと視線を変えて答えた。
「どうもこうも…敬一郎坊っちゃんをどうにかしないと話にならないだろう?ま、松山社長と萩野総裁にも悩まされるだろうね。」
「そんなこたぁ分かってるっつぅの!尤も、この二人がくっついて何かやらかすにしてもだ、子供にゃ関係無ぇだろ?あいつら元々親友だかんな。」
 そこまで言ってグスターヴは珈琲を一口啜り、そして再び口を開いた。
「ま、戦後に萩野は松山に多額の出資をして立ち直らせた。萩野にとっちゃ端金だが、松山にとっちゃ萩野は恩人でもある。引くに引けねぇとこだよな。これだから人間ってヤツは…。」
「そう言うな、グスターヴ。人間は皆一様に同じくして生きることは不可能だから。誰かが幸福になれば、必ず誰かが不幸になるものだ。」
「だからって、そうそう諦められねぇだろ?」
「それだから困ってるんじゃないか…。」
 振り出しに戻ってしまったため、天河は盛大な溜め息を吐くほかなかったのだった。
 二人はそれから直ぐに店を出て、そのまま下宿している古本屋へと戻ることにした。
 そこは電車で三駅の所にある。中々に賑わう商店街の端にあるが、そう大きな店ではなかった。老婦人が一人で運営している慎ましやかな古本屋なのだ。
「ただいま。」
 裏口を開けてそう言うと、店の方から老婦人が顔を出した。
「お帰りなさい、先生。先程先生方にお客人がお見えで、待たせてほしいと言われますからお部屋へ通してありますよ。」
「客人?」
 天河はそう言ってグスターヴと顔を見合わせると、直ぐに二階にある部屋へと向かって襖を開くと、そこには見知った青年の姿があった。
 青年は二人の姿を見るや頭を下げて言った。
「突然押し掛けてしまい申し訳ありません。」
「客人って…修君だったのか。」
 そこにいた青年は木下修…梓との話に出てきた人物で、梓の想い人だ。そしてこの木下青年もまた、梓を好いていた。
 天河とグスターヴはやれやれと言った風に部屋に入って座ると、率直に彼へと言った。
「梓ちゃんのことで来たんだね?」
「はい。どうしても彼女と一緒になりたいんです。どうか先生方のお知恵を貸して頂けないかと思いまして…。」
「知恵…ねぇ…。」
 天河はそう呟く様に言ってグスターヴを見るが、彼はそれに気付いてふいと外方を向いた。良い考えは無いようだ。
 天河は仕方無く修へと視線を戻し、一度咳払いをしてから言った。
「で、君は梓ちゃんとどうなりたいわけ?」
「えっと…夫婦になりたいです。」
「それは分かってるよ。でも、相手は萩野家の許嫁。一方、君は自転車屋の跡取り息子。あの娘を幸せに出来るのかい?」
「努力は惜しみません!最初は苦労を掛けるかも知れませんが…私は絶対に彼女を幸せにしてみせます!」
 彼は彼で必死なようだ。だが、天河は人の心の移り変わりを多く見てきたため、敢えて修にこう言った。
「一時の感情では、人を幸せにすることなど出来はしないよ?」
「私は…ずっと梓さんを見てきました。梓さん以外、私は人生を共に歩む女性を見付けられませんでした。彼女への想いは、敬一郎に劣るものではありません!」
「う~ん…。」
 天河は顎に手を当てて考える。
 梓と敬一郎は、別に正式に婚約している訳ではない。単に父親通しの口約束で許嫁と言っているに過ぎないのだ。
 その点から考えれば、梓から断りを入れても問題は無い。そういう時代になってきたのだから、寧ろそれで解決されて然るべきなのだ。
 だが、口約束をした当の父親達が揃って許嫁解消を許さないのは、やはりグスターヴが言った通り…と言うことなのだろう。
 まぁ、敬一郎自身に他に好きな相手でも見付かれば別だが、これまで梓一筋に生きてきたため、今更感が拭えないところではある。
「仕方無い…私が両家に言って話してみる。力になるかは分からないが、大学講師の肩書きが少しは役に立つかもね。」
「本当ですか!」
 修はそう言って目を輝かせるが、グスターヴはどうも乗り気ではない様だ。これでは他力本願で本末転倒…そう考えているのだろう。故に、グスターヴは天河を制してこう言った。
「おい、そんなことして拗れたらどうすんだ?」
「ま、それも考えたよ。でも、このままでも充分拗れてるだろ?」
「そりゃ…なぁ…。」
 グスターヴは半眼になって頭を掻く。
 天河とて他力本願より自身の努力で得てほしい…とは考えているが、両家の持つ権力は修にとっては越えがたい壁だ。だからこそ力を貸そうと思ったのだ。
 この件は天河が預かることにし、天河は修を家へと帰らせた。
 しかし、人間とはそうそう単純には行かぬもの。それを分かってはいるものの、その後に天河はそれを再確認させられたのだった。



 
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