| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

蒼き夢の果てに

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

第6章 流されて異界
  第115話 守り切れ!

 
前書き
 第115話を更新します。

 次回更新は、
 5月13日。『蒼き夢の果てに』第116話
 タイトルは、『負傷』です。 

 
「ボール。フォワボール」

 首を横に振るような仕草でボールのコールを行った後、主審役の野球部所属の男子生徒が九組の六番……確かレフトを守って居るあまり特徴のない。二打数二安打なのですが、そのすべてが単打。打点はなし。ランナーとしての特徴もなし。レフトを守って居るトコロから考えると守備も上手いとは言えない男子生徒に対して一塁ベースを指し示す。
 良い表現を使えば、いぶし銀とか、玄人好みとか言う言葉が出て来る選手……なのでしょうが。



 結局、二回の裏の六組の攻撃は、八番・九番連続三振の後、ハルヒの放った強烈なライナーがショートの好守に阻まれた瞬間、三者凡退にて終了。
 スコアは三対十。一方的、と言っても良い試合展開は変わらず。

 そして始まった三回の表。
 四番のサードが放った強烈なヒット性の当たりをサードの弓月さんが跳び込み、少し弾いてからファーストに送球。しかし、キワドイ当たりはすべてコチラの不利となる判定の例に従い、三塁強襲内野安打でノーアウト一塁。
 ――尚、いい加減、殺意を覚えつつある、この著しく偏った判定について、この場では無視するとして……。
 続く五番はセカンドを守る選手。何と言うか、お笑い芸人が仮装する大阪のボンボンと言うこの風貌の五番バッターなのですが、ここまでの成績は三打数二安打。三者連続センターオーバーのホームランと第三打席にツーベース。凡退をした二打席目もショートの朝倉さんの好守に阻まれてヒットを一本損した、と言う感じなので、かなりの強打者と言うべき相手。
 見た目に騙されては行けない相手と言う事ですか。

 しかし――

 しかし、ここはアウトローにキレ良く曲がる高速スライダーで空振りの三振。
 ただ、そのキレの良いスライダーを投げたハルヒ自身が何故か不満顔。もっとも、彼女が不満顔を浮かべて居るのは何も今に始まった事ではないので、大して気にする事もなく……。



 二回の裏から、三回の表の展開を頭の中でのみ回想を続ける俺。その少し、集中力が途切れた刹那。
 七番のショートが打ち上げた力のない打球が俺の真上に上がる。
 その瞬間、

「インフィールドフライ・イフ・フェア」

 主審が強くそう宣告を行った。その時、何となく俺の事を睨み付けたような気がしたのですが……。
 ただ、故意落球などと言う狡い真似をする心算は最初からないので、ここでインフィールドフライの宣告を行おうと、行うまいとに関わらず――

「アウト!」

 小学生でも簡単に捕る事の出来るイージーフライをあっさりとキャッチする俺。その瞬間にバッターランナーに対してアウトの宣告を行う主審。ただ、インフィールドフライの宣告が為された瞬間にバッターランナーのアウトは確定しているので、ここでわざわざ行う必要もないのですが。
 どうも、二回の表の特殊な状況。ルールブック上の盲点、四アウトを知って居た事で妙に警戒されていると言う事なのでしょうが。

「ツーアウトやで、ハルヒ」

 もっとも、そんな細かい事については無視。そもそも、この野球部員の連中の行動は、小人閑居して不善を為す、と言う言葉そのもの。カメラを向けられるように成ってからは、その傾向が更に強まりましたから。
 グラブから取り出した硬式球から丁寧に土を落としてから、マウンドの上でグローブを構えるハルヒに対して山なりのボールで投げ渡す俺。

 相変わらず不機嫌な表情で俺を睨み付けるハルヒ。ただ、詳しく彼女の発して居る雰囲気を検証すると、不機嫌と言うよりも、何かを問いたいような雰囲気なのですが……。

 僅かに目を細めてハルヒを見つめ返す俺。その時、微かな違和感。
 どうする、少し時間を取るべきなのか……。

「ピッチャー、早くしろ!」

 一瞬の空白。その空白を嫌ったのか、こちらもかなり不機嫌な様子で試合の再開を促す主審。確かに審判団の意向としては九組の三回コールド勝ちが正しい結果でしょう。そして、その為には最低でも後三点は必要。
 ここでウカツに時間を取られて、俺からハルヒに対して入れ知恵のような事を為されるのは面白くないはず。まして、六組のチームリーダーは表面上ハルヒなのですが、実質、試合をコントロールしているのは俺だと既に判っているはずですから。

 しかし、そうだからと言って、

「ツーアウト、ツーアウト。八番を切って裏の攻撃に繋げようぜ!」

 彼女が何について聞きたいのか判らないし、一応、守備側のタイムに関するルールは一試合に付き三回までと規定されている。明確にタイムを要求した訳ではないけれども、俺がボールを渡しに行った回数を守備側のタイムとしてカウントされている可能性もあるので……。
 八番は守備重視のキャッチャー。今までの打席でも第二打席にヒットを打って打点も挙げていますが、それでも九組のバッターの中では下から数えた方が早い相手。むしろ、ここを繋がれて、九番から一番へと進んで行った時の方が厄介でしょう。

「そんな事は分かって居るわよ!」

 彼女が俺に対して不満げなのは何時も通り。ただ、矢張り少しイラついて居るのは事実のようなので……。
 ベンチに座る綾乃さんに視線を向ける俺。こう言う場合は、俺がタイムを掛けるよりも、このクラスの担任の彼女が掛けてくれた方が良いと思うのですが。

 それで無くても、何故か審判団から敵視されているのは俺なのですから。

 しかし――

「ボール。フォアボール!」

 綾乃さんは動かず。そして、フルカウントからアウトローに投じられた直球がボールと判定され、ツーアウト満塁と成った。
 う~む、この試合開始前までにハルヒが相手に対して与えた四死球はゼロ。……と言うか、この回までずっとゼロ。それがこの回だけで既に二つ。
 確かに六番はそれなりのバッターだと思いますが、八番は……。それに良く考えて見ると、この回のハルヒの投げる球はヤケに右バッターのアウトローが多いような気がするのですが……。
 困った時のアウトロー、と言う言葉も有りますが、それにしても多すぎるし、更に、場面的に考えると、カウントを悪くして投げる球に窮して居るような場面でもないと思うのですが……。

「タイムお願い出来ますか?」

 一塁ベンチより立ち上がった野球帽を被る少女……ではなく、このクラスの担任、甲斐綾乃が主審に対してそう問い掛ける。次のバッターはここまで二打数二安打、打点が三と言う、エースで九番の自称リチャードくん。ハルケギニア世界では自らの事を名づけざられし者だと自称した人物だけに、このピンチは流石に黙って見つめ続ける事が出来なかったのでしょう。
 主審によりタイムが宣告され、ゆっくりとした足取りでマウンド上のハルヒに歩み寄る綾乃さん。そして、その彼女と同じようにマウンドに集まる内野手たち。尚、有希は兎も角、俺が呼んだ訳でもないのに、万結も同じように集まって来たのには、軽い驚きが有ったのですが……。

「どうしたの、涼宮さん。もう疲れたかしら?」

 身長から言うとハルヒとほぼ変わらず。成人女性としてはやや小柄な綾乃さんの問い掛け。確かにここまで結構の球数を投げて来たので、多少疲れが有ったとしても不思議ではないのですが……。

「いえ、別に疲れた訳ではないのですが……」

 俺に対する時とはまったくの別人。礼儀正しい優等生の仮面を被ったハルヒが言葉を濁す。
 そう答えてから、マウンドの上から見下ろしていた綾乃さんから、俺の方向へと視線を移す。
 そうして、

「ひとつ教えて貰いたいんだけど……」

 何やら殊勝な態度で問い掛けて来るハルヒ。
 綾乃さんの前故に、このような態度なのでしょうが……。

「なんで、二回の裏の最後の球が投げられないのよ」

 三回が始まってからずっと試して居るのに、あの球が投げられないのは何で?

 ………………。
 …………。
 マウンド付近に集まった皆の間を、妙に冷たい冬の風が吹き抜けて行く。もしかすると、これは六甲から吹き下ろして来る風かも知れない。
 かなり場違いな感想が、少し空いて仕舞った間を埋めるかのように脳裏に浮かんで、直ぐに消えた。

 しかし――
 ――前言撤回。コイツ、まったく殊勝でも何でもない。要は、自分の思い描いた球が投げられなくてイライラとしていた、……と言う事なのでしょう。
 その挙句に安牌相手にフォアボールを出してピンチを広げるって……。

 この試合の賞品扱いに成って居る俺自身の微妙な立場、と言う物を理解して居るのか?

「二回の裏の状況を思い出してみろ、ハルヒ」

 少し、ムッとしながらも、それでも先ほどから何か聞きた気にしていた理由がようやく理解出来たので、その部分だけはスッキリした気分で答える俺。

「あの時の状況って……」

 相手は強打者。ワンナウト満塁のピンチ。但し、満塁であるが故に、苦手なクイックの必要もないので、ランナーなしと同じ下半身始動のゆったりとしたフォームからしっかり腕を振って投げられる状況。
 指折り数えながら、俺の問いに対して律儀に答えを探すハルヒ。

 対して、俺の方は有希にボールを要求。

「後ろの守りも信用していて、更に、例え打たれたとしても取り返してやる、と言う言質も取っていた」

 有希からボールを受け取りながら、そう言葉を続ける俺。但し、守備に関しては両翼に若干、不安が残るのも事実なのですが、その辺りに関しては忘れる事とする。

「あの時の十分に気の乗った球と、この回が始まってからの球とを比べたら、状況が違い過ぎて同じ球が投げられる訳がないやろうが」

 行き成り、相手の四番にサード強襲の内野安打を打たれて、その後はランナー警戒のクイックや、視線のみとは言え牽制を交えながらの投球。これでは、二回の裏のバッターオンリーのピンチの状況で投じられた球が投げられる訳がない。

「少なくともハルヒはプロ野球チームのエースやない。それドコロか、リトルリーグ出身の野球経験者ですらないでしょうが」

 その日の調子や、その他の要因によって投げる球にムラが出て来て当然。普通はそう言う部分を失くす為に、みんな練習に励むのやから。

 気が乗った、などと言うダメなスポーツ関係の指導者みたいな、所謂精神論を口にする俺。但し、俺が今回、口にした内容は事実。
 高が精神論。されど精神論。
 少なくともこの回が始まってからハルヒの投じた球で、二回の裏で自称ランディくんを打ち取った球に匹敵する威力を秘めた球は存在して居ません。かなり近い威力を持って居る可能性のある球ならば、五番のセカンドを三振に斬って取ったアウトローの高速スライダーに光る物を感じましたが、それも感じる程度。

 現実に光輝を発した球は存在しなかったはずです。

 まして俺は、その精神を拠り所とした仙術を行使する存在。そして、現在のハルヒもそう言う魔法に近しい存在へと進み始めた人間。
 このような人間たちに取っては、精神論と言う物も強ち否定すべき言葉とはならない物と成るのも事実。

「其処までの事が理解出来たのなら、次のバッターに投げられる今が、再びあの球が投げられるチャンスと言う事も理解出来るやろう?」

 そうして、有希から受け取ったボールをハルヒのグローブに放り込みながら言葉を続ける俺。
 実際、現在は二回の表のあの時の状況と同じ。確かにワンナウトとツーアウトの違いはあるけど、共に満塁のピンチ。三番と九番の違いがあるけど、共に相手は人外の存在。

「後はハルヒが腕を振り、バックを信用して投げられるかどうか、だけやな」

 ファーストランナーまでが戻ってくれば、この試合は最悪、三回の裏の攻撃で終わる可能性もある。実際、この九番の自称リチャードくんの打席を抑えられるかどうかは、この試合の中でも非常に重要な場面となるだろう。
 ここで妙に緊張してしっかりと腕が振れて居ない、俗に言う置きに行った球などを投げられた日には……。

「信用して貰っても大丈夫よ、涼宮さん。ウチの守備は堅いから」

 私はひとつ弾いちゃったけどね。
 少しおどけたような口調でそう言う朝倉さん。その言葉に軽く首肯く弓月さん。表情ひとつ変えない有希と万結は問題なし。大丈夫、ここに集まっている内野陣は全員、落ち着いている。この感じならばピンチに浮足立って、イージーなゴロを弾いたり、フライを落球したりする事はないでしょう。

「そんな事は言われなくても分かっているわよ」

 守備を信用出来なくちゃ、マウンドに立って投げる事なんて出来る訳がないじゃない。
 割と真面な台詞を口にするハルヒ。多分、これは本心。

 この感じならばすべて大丈夫。ハルヒの高速スライダーと縫い目にしっかりと指の掛かったストレート。それにジャイロボールがあれば簡単には打たれない。まして、守備に関しても問題なさそうな雰囲気。

「相手は所詮九番。三番バッターよりは格が落ちる。更にツーアウト。ダブルプレイに取る必要はない。二回の時よりも余程楽な相手」

 チョチョイのチョイで斬って取り、裏の反撃に繋げる。ピンチの後にチャンスありやな。
 自称リチャードくんが投手だから九番に据えて居るのだろう、などと言う至極真っ当な理由はこの際無視。自分たちに有利な情報のみを強調する俺。

 戦場で自らの参謀がこんな事を言い出したとしたら、それまでの自分が弱気に成って居たのか、……と反省すべき状態。但し、現状は非常に特殊な……表面上は判り難いけど特殊な戦場で、ここから撤退する事が難しい状況。その上、再戦の場が用意されているのか微妙な戦場故に……。

「それなら、後、アウトひとつ。ここを守り切って、裏の攻撃に繋げましょう!」

 かなり前向き。明るい雰囲気でそう話しを締め括る綾乃さん。その声に重なる黄色い、華やいだ声たち。この部分だけを切り取って見てみれば、このチームが現在、三対十で負けていて、更にツーアウト満塁と攻め立てられて居るとは思えない明るい雰囲気。

 しかし――

【綾乃さん】

 タイムを解除してベンチ……校庭にただ折り畳み式のパイプ椅子を並べただけの簡単なベンチに向かって進む彼女に【話】し掛ける俺。これは実際の言葉にして問い掛ける事の出来ない内容。
 そして、これから先の試合展開に取って非常に重要な内容と成るもの。

【未だ、俺たちに有利な陣を敷く事が出来ないのですか?】

 ……を。
 そう。いくら俺がマヌケでも、昼食後、少しの時間的な余裕は有りました。その間をただ怠惰に過ごした訳はない。
 結局、色々な企ては不発に終わり、最後に残ったのはコレ。天の時を完全に押さえられた可能性が高いのならば、せめて地の利だけでもコチラで押さえるべき。所謂、孟子曰く。天の時は地の利に如かず。地の利は人の和に如かず。……と言う言葉に従ったと言う事。

 ただ、

【未だ成らずよ。もう少し、時間が掛かると思うわ】

 相手の意図がまったく読めない以上、最初から後手へと回され、現在も防戦一方。まして、相手は周到な準備を行った上での介入で有った様なので、そう簡単に地の利を奪い返せるとも思えないのですが……。

 自らの守備位置に戻り、しかし、難しい顔のまま綾乃さんの【答え】を反芻する俺。おそらく、水晶宮から応援がやって来ない状況もここが原因なのでしょう。
 つまり、予備の人員はすべてこの陣の構築に回され、こちらの決勝戦に回せる人材がいなくなったと。

 ただ、逆に考えると、陣の構築を優先したと言う事は、ヤツらは決勝戦の間は大人しく野球の試合を行う可能性が高い、……と水晶宮の方では考えて居る、と言う事でも有ります。

 差し当たって、この九番を何とかして打ち取れば、少なくともこの回で試合が終わると言う事態は防ぐ事が出来るハズ。そうすれば時間的な余裕が生まれて、コチラに有利な陣を敷き直す事も可能でしょう。
 そもそもこの世界は俺たち地球産の生命体が暮らす世界。異世界からの来訪者が一時的に地の利を得たとしても、それは仮初の客に過ぎない。

 ……はずですから。

 俺が考えを纏めた瞬間、ゆっくりとした、しかし、大きな、ランナーの事をまったく考慮していないモーションから、九番の自称リチャードくんに対して投げ込むハルヒ。
 球速は今まで投げて来た球とほぼ同じ。更に、俺の忠告通り、しっかりと気の乗った球が真ん中やや外寄りのコースからボールゾーンへと切れ込んで行く!

「ボール」

 しかし、僅かにボール。確かに、今の球はストライクゾーンからボールゾーンへと流れて行くスライダー。ボールに成ったとしても不思議ではない。
 但し――

「ハルヒ。腕が少し横振りに成って居るぞ。オマエさんのフォームは基本に忠実なオーバースロー。初回はもう少し腕を上から振っていたような気がする。
 確かに、初球は相手の打ち気を誘ってボールに成る変化球から入るのも悪くないけど……。そんな投球、何となくオマエさんらしくないんとちゃうか?」

 これはハルヒがマウンドに居られるのはこの回までか。そう考えながら、ハルヒのモーションを真似て見せる俺。ただ、少し誇張する為に敢えて本来のハルヒのモーションと比べると、少し腕を下げた形でのモーションを行って見せた。
 そう、これは疲労から無意識の内に腕が下がって来た証拠。膝に着く土や、横に曲がる変化球の曲がり具合などから投手の疲労度が分かる時もある。

「イチイチ五月蠅いわね。これはあたしの投球術と言うヤツよ!」

 動きや表情。更に彼女の発して居る雰囲気は最初から変わっていない。これは多分、彼女自身が自分の限界が近付いて来ている事に気が付いていない、と言う事なのでしょう。
 但し、元々、オーバースローで投げていた人間の変化球が、腕が下がる事に因って曲がり幅が大きくなるとコントロールし難く成ると言う難点の他にもうひとつ、球にキレが無くなる、と言う難点が付きますから……。
 変化球のキレが無くなる、と言うのは、それまで打者の手元で鋭く曲がって居るように見えて居た球が、少し早い段階で曲がり始めるように見える、と言う事。
 これはつまり、ストレートか、変化球か判別が付かなかった球が、早い段階で変化球だと分かるようになり、ある程度の対応力のあるバッターならば、簡単に打ち返す事が出来る球になる、と言う事。

 大きく曲がったから万事オッケー、と言う訳に行かないのが野球の面白いトコロ、なのですが、こんな重要な場面で野球の面白さを実感させられる訳には行きません。

 俺の指摘を真面に聞いているのか、第二球のモーション――相変わらず、身体全体を使ったスタミナの消耗の激しそうなダイナミックなモーションから投じられた直球。
 体重移動もスムーズ。身体全体が膝に土が着くぐらい深く沈み込み、打者のテンポ。一・二・三。一・二・三。……と言う打ち易いリズムから、沈み込む分だけ余計に間が取れ、更にその分だけ余分にボールを握って居た為に、相手の打席内でのリズムを狂わせる。

 上手い! これは本当に投球術かも知れない!

「ストライク!」

 小気味良い乾いた音を立てて有希のミットに納まる速球。綺麗なバックスピンの掛かった、まるで浮き上がるようなフォーシーム。コースはインハイ。初球にキレの悪い、しかし、曲がり幅だけはそれまでの彼女の投じて来ていた変化球よりも大きな球を見せられた後だけに、今のホップするような直球に手が出る訳はない。

 ストライクのコールを行った直後に少し、苦虫をかみつぶしたかのような表情を見せる主審。確かに、今の球はストライクとも、ボールとも取れる微妙な球。
 但し、思わずストライクと言って仕舞っても不思議ではない球でもある。

 何を考えて居るのか分からない……。いや、普通の人間ならば、苦笑を浮かべながらバッターボックスを外し、軽くタイミングを合わせるかのように二、三回バットを振って居る自称リチャードくんを見て居たのなら、あぁ、コイツでも先ほどのハルヒが投じたストレートはタイミングを合わせにくい球なんだろうな、と考えるのが普通なのでしょうが、見鬼の俺から見ると心の奥深くがまったく動いていないように感じるので……。

 再び自称リチャードくんが右の打席へと入り試合再開。
 最早、ランナーの存在など一切、気にする事の無くなったハルヒが大きく振り被り――

 再び投じられるインハイのストレート!
 投じられる度に精度が増し、淡く輝く精霊光を纏った硬式球が右打者の胸元に――
 しかし、肘をたたんだインコース打ちの基本に忠実なスイング。耳に心地良い乾いた金属音が響き、右打者の大きなフォロースルーが産み出す飛距離が――

 ヤバい! 流石に二球、同じ球を続けたら、相手もアジャストし易くなる!
 思考と同時に更なる能力の強化を発動させる俺。どんな打球が来ても。例え、少々無茶な動きが要求されようとも対応する心算――

 しかし! そう、しかし!

 ジャストミートされたかに思えた打球は、しかし、大きく左の方向へと切れて行く大ファール。
 ラッキー。一瞬、そう考えて胸をなでおろし、しかし、直ぐにその思考を否定。何故ならば、そんな訳はないから。この場所は俺たちに不幸の連鎖をもたらせる死地。この場で戦う限り、天は常に相手へと微笑み掛ける事となる。

 かなり遠くにまで転がって行くボールを瞳にのみ映しながら、思考は先ほどのハルヒが投じたストレートをプレイバック。

 僅かに芯を外し、左へ左へと切れて行く原因と成ったのは、ハルヒの投じた球が、自称リチャードくんが思ったほど食い込んで来なかったと言う事。
 前の球は綺麗なバックスピンの掛かったフォーシームのストレート。このタイプの球は揚力が発生し易く、打者の手元で伸びて来るような感じがする。
 そして、先ほどファールに成った球は、おそらくジャイロボール。揚力が発生し難い回転を与えられたストレートであるが故に、先のストレートのタイミングで振りに行ったスイングでは僅かにタイミングが外れ、完全にジャストミートされたかに思えた打球が左へと切れて行ったと言う事なのでしょう。

 感覚としては、通常のバックスピンが掛かったストレートを捉える位置よりもかなり前の方でボールを捉えたように自称リチャードくんは感じたと思います。その為に、普段よりも更に引っ張る、と言う傾向が強まり、左へと切れて行った、……と言う事。

 まぁ、何にしてもツーストライク、ワンボール。
 ここまで、投球の組み立てとしては完璧。外角の変化球を見せてから二球、インコース高目のストレート。更に、ファールを打たせてカウントを稼ぐ。これはプロ野球の投手でも難しい。

「ハルヒ、三振前のバカ当たりと言うヤツや。気にする必要はないで」

 二塁手の守備位置から声を掛ける俺。但し、これはハルヒに対して掛けた言葉と言うよりは応援団に対しての解説的な意味。先ほどのファールは野球に詳しい人間でも危険な兆候――痛打を喰う前兆だと感じたとしても不思議ではありません。
 六組のチームが持って居るのは人の和のみ。しかし、ここまで十点も取られて来て応援団の方に負けムード、と言う物が漂い始めているのも事実。

 今のこの場は、どうも通常の物理法則よりは精神に左右される魔法の空間へと相を移しているように感じますから、あまり雰囲気を悪くするのは問題有りです。

「当たり前よ」

 あたしがこの程度の相手に打たれる訳はないでしょう。
 審判から投げられた真新しいボールを自らの手になじませながら、自信満々の口調。但し、おそらくは根拠のまったくない言葉で返して来るハルヒ。ただ、少なくともファイティングポーズは取っている以上、未だ大丈夫。

 球技大会が始まってからずっと変わらずのノーサインで投じられる第三球。このバッテリー……と言うか、涼宮ハルヒに遊び球と言う物は存在しない。
 ――ハズ。今までの例から考えるのならば。

 相変わらず強気のインコース攻め。但し、今までと違い膝元。コースはやや外れて居る。
 しかし!
 打者の手元で鋭く曲がる。右打者、インのボールゾーンからストライクゾーンへと鋭く曲がるスライダー。
 俗に言うインスラと言う球。真ん中から外角に曲がって行くスライダーは良く使用されるが、それを右バッターのインコースのボールのゾーンから曲げる事は珍しい。……が、しかし、珍しいが故に、ここ一番で精確にコントロール出来るのならば、この球は決め球として使用出来る!

 虚を衝かれて見逃して仕舞う自称リチャードくん。完全にしてやったりの表情のハルヒ。
 一瞬の静寂。しかし――

「ボール!」

 最早最大の敵と化した主審の宣告。

「ボールやと!」

 思わずキレて大きな声でそう叫び、主審の元に歩み寄ろうとする俺。
 但し、これは失策。俺のこう言う部分が感情を完全にコントロール出来て居ない、と師匠から指摘され続けた点。確かに一時的な感情によって仙術の威力が上がる事もありますが、そんな安定しない物には自らの生命を預ける事は出来ません。

 俺が二、三歩前に進んだだけで気圧されたように、半歩後ろに踏み出して、まるで逃げ出す寸前のような体勢を見せる主審。これで確信する。コイツが、何か確固たる信念が有って一方的な判定を繰り返して居た訳ではなく、矢張り、かなり軽い気持ち。しかし、暗い思考の元にクダラナイ事を繰り返して居た事が。
 もっとも、感情のコントロールが出来て居なかったので、もしかすると少し龍気が発せられていたのかも知れませんが。

 しかし――

「何、部外者が熱く成って居るのよ」

 関係ない人間はさっさと守備位置に戻りなさい。
 今までと正反対の立場。彼女を宥めるのが俺の役割だったはずなのに、今、この瞬間はハルヒの方が俺を宥める立場に成って居る。
 ……意外に冷静。それに比べると俺は……。

「そうか。投げた本人が納得して居るのなら、俺はこれ以上、何も言わんわ」

 一時的にカッとなって詰め寄ろうとした訳ですが、冷静になって考えてみればストライク・ボールの判定が覆る訳はない。
 まぁ、審判に対する心証は悪く成った可能性も有りますが、それは元々最悪のレベル。今更悪くなったトコロで、これ以上状況が悪化する事はない。

 それならば、

「ツーストライク、ツーボール。後、ひとつストライクを取ったら終わりの状況は変わりない」

 バックを信じて、思い切り腕を振って投げ込め。
 出来る事は幾らでもある。相手の方が野球の技術以外の能力を使用している以上、俺たちの方が使っても問題はない。例えば、一瞬程度なら相手の動きを拘束する事は可能でしょう。
 しかし、この打席に限ってはハルヒに任せる。無茶な……。通常の人間では再現が不可能だと思える動きは行わない。この瞬間に、そう心に決める。

 自らの守備位置に戻る俺。軽く二、三度ジャンプを繰り返し、守備の際にミスをしない為の準備と……そして、煮えかかった頭を冷静な物へと戻そうとする。
 その間、試合の開始を宣言した野球部所属の主審が俺の事を睨み付けている。そう、その奥に仄暗い、熾火のような炎が見えているかのような瞳で……。

 小物が。自分に確固たる信念が有れば、俺に少し詰め寄られた程度で逃げ腰になど成る訳がないだろうが。断固たる決意を持って拒絶すれば終わる。審判と言うのはそう言う物。それを、逃げ腰に成った事が周囲の人間に気付かれたと思い、更に、自分の態度や行いを棚に上げ、俺に恥をかかされたと逆恨み。
 鬱陶しい事、此の上ない。

 何にしてもツーストライクの状況は変わらず。更に、後一球はボール球を投げられる上に、インコースからのスライダーも投げられるコントロールがある事が分かったので、バッターの方がかなり不利な状況に追い込まれたのは間違いない。
 相手の自称リチャードくんから見ると、初球のスライダーと、四球目のスライダーはまったく違う種類の変化球に見えたはずです。故に、二種類のスライダーの軌道……大きく曲がるスライダーと、手元に来て鋭く曲がるスライダー、二種類の軌道を頭に入れて置く必要が出て来ましたから。

 まして、次に余りにも不当な判定が為されたのなら、何が起きるか分かった物ではない事に野球部の連中も気付いたでしょう。

 少なくとも奴ら野球部所属の審判団は、九組の連中が人外の存在だとは気付いていない。ただ、俺の立場が気に入らないからこんな一方的な判定を繰り返して居るだけ。その結果、怒った俺に殴られる可能性がある事にようやく足りない頭でも気付いたと言う事。
 確かに、一般人同士の野球の試合の判定が気に入らない場合の最終的な決着は其処になるでしょう。まして、校内の暴力沙汰で負う被害は相手の方が上。相手は腐臭を放って居たとしても高校球児。俺は文科系の部活動の部員。
 二〇〇三年の対外試合が禁止、などと言う不名誉な結果を望んで受け入れるか、俺に一方的にぶん殴られて怪我をする事を望むか、の二択しか用意されて居ませんから。奴らには。

 それまで以上に、ゆっくりと……。まるで力を溜めるかのような雰囲気でモーションに入るハルヒ。見鬼の能力を発動させずとも分かる。今の彼女の周囲に存在する精霊たちが活性化し、歓喜の歌を奏で始めた事が。
 身体全体を覆っていた精霊の輝きがある一点を目指して移動を開始。それは上半身から腕。そして、腕から手首の先へと。

 高く左脚を上げ、其処からマウンドの傾斜を利用して大きく踏み出し、
 その動きに対応するかの如く、徐々に光輝が右手首の先へと収斂して行く。
 これは既に一般人でも光の存在に気付いているかも知れない!

 スムーズな体重移動。通常よりも深く身体全体が沈み込む事と、僅かにリリースするタイミングを遅らせる事により発生する微妙な間。
 そして何より――

「!」

 淡い、などと言う穏当な言葉では説明出来ない光輝が闇を貫く。そして、その瞬間だけはヤツらの周囲に揺蕩(たゆた)う、ただただ黒々とした永劫を斬り裂いたのだ!
 しかし!
 しかし、次の瞬間、その永劫の闇より何かが放たれる。それはまるで、触手の如き影。そう感じて、しかし、直ぐ冷静な思考により否定。いや、そんなはずはない――と。それは超高速で振り抜かれた黒いバットのはずだ。
 こんな場面で、ヤツラが、ヤツラの正体を一般人の前で。ましてや、俺たちのような世界の防衛機構に関わる人間たちの前で正体を晒す訳がない。

 猛烈な尾を引きつつ有希の構えたミットに向かって奔る光輝。そして、その眩いまでの光の中心を打ち抜かんと最短距離を走る黒のバット。
 そして次の瞬間、光の中心を黒き触手が貫き――

 いや、違う! ハルヒの投じた球は光の進む軌跡とは違う場所を奔っていた!

 ボールは振り抜かれたバットの僅か五センチ上を通過。中腰と成って居た有希のミットを叩き、耳に心地の良い音を響かせたのだ!
 そう、この重要な場面でハルヒが選択したのは高速スライダーでもなければ、ジャイロボールでもない。初回からずっと――。この球技大会の始まった段階からずっと投げ続けて来た、浮かび上がるかのような直球。
 ソフトボールの投手が投げるライジングボールとも言うべき球を切り札として使用したのだ。

 そして……。
 そして、一瞬の空白。投じられた直球は未だ有希の構えたミットの中で軽く煙を上げ、
 投げ終えたハルヒは、その投げ終わった時の姿勢のまま固まり、
 空しく空を切った黒いバットを持ったまま、自称リチャードは立ち尽くす。
 誰も動く事など出来はしなかった。俺も、ランナーも、そして応援団の女生徒たちも。

 たったひとつのコールを待つように……。
 そうして、

「ストライク、バッターアウト!」

 
 

 
後書き
 それでは次回タイトルは『負傷』です。

 細かなネタバレを少し。
 現在、私の作品は地球時間で西暦2002年12月10日を進行中なのですが……。
 ハルケギニアの方ではそろそろ1月(ヤラの月)が終わります。

 私の作品のハルケギニア世界は原作世界とはまったく違う偽ハルケギニア世界。
 一年は365日。閏年は366日。原作の384日の世界とは違います。この辺りも地球と同じです。
 まぁ、地形やその他が原作ではなく地球準拠ですから、暦だけ原作準拠と言う訳はないのは当然でしょう。そもそも、気候からして地球準拠ですし、重力もちゃんと1G。大気の組成も同じなら、衛星=月もひとつ。もうひとつは異世界の住人の思い込みが映像として見えているだけ。
 故に、1月は始祖降臨祭の間のみ。これぐらいの感覚だと思って下さい。

 ぶっちゃけ、太陽が大きくなると起きる、地球との公転周期の違いを考えるのや、地球と同じ規模の惑星で、地球の月クラスの衛星を二つも持つのは難しいので、ハルケギニア世界の地球は、地球よりも大きな惑星である可能性が高い……とか、太陽の巨大化により降り注ぐ紫外線の影響がアルビオンにどの程度の影響を及ぼす可能性があるのか、などの細かな考察をするのが面倒だったのでこう言う、かなりファンタジー……と言うか、伝奇小説風の設定を採用したのですが。
 私の乏しい知識では、この辺りの辻褄を合わせるのは無理……とまでは言わないけど、かなり時間が掛かると思いましたから。
 内政物を書いている人は尊敬しますよ。本当に。

 それで、閏月を入れるか、閏年を入れるか多少迷い、太陰暦に近い暦だから閏月を入れようかと思っていたのですが、変則的な閏年にする事にしました。
 大きな意味はないのですが、後にハルケギニアに帰った時に月日が合わないよ、と言う疑問を起こさせない為に、ここに記して置きます。
 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧