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蒼き夢の果てに

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第6章 流されて異界
  第116話 負傷

 
前書き
 第116話を更新します。

 次回更新は、
 5月27日。『蒼き夢の果てに』第117話
 タイトルは、『リリーフ』です。
 

 
「ねぇ」

 九組のスコアボードに初めてゼロの文字が書き込まれた裏の攻撃。先頭の朝倉さんが右打席に入るのを確認した後に、ネクストバッターズサークルに歩み行く俺。
 その俺に対してベンチの方向から声を掛けて来る女生徒。

 ……と言うか、俺の事を名字や名前で呼ばない人間は四人。で、その内のふたりは直接、声を使って呼び掛けて来る事は皆無。そして、もう一人が声を掛けて来るとしたら、それは……ちょっと、こっちを向きなさい、と言う何故か命令口調となる可能性が大。
 コイツ、普段は妙に偉そうなのに、何故か対応が柔らかい時があるのは、人との付き合いを犠牲にして術や体術の取得にこれまでの人生を費やして来た者と、一応、人間社会で生活して来た者との差が現われているのかも知れないな。

 そんな、妙な方向に思考を漂わせながら、振り返る俺。そして、

「何や、何か用事でもあるのかいな」

 ただでさえ審判に目の仇にされて居るから、次打者としてさっさと所定の場所に行かなきゃならん。用があるのなら手短にな。
 瞳に映った長い髪の毛を今は運動の邪魔にならないようにポニーテールに纏めた少女に対して、割と素っ気ない感じでそう答えを返す。もっとも、ハルヒと少々話し込んで居たトコロで、妙な嫉妬の炎で焼き殺される事はないと思うのですが。
 それに既に三対十。七点の大差を付けられた試合で有る以上、ここからの逆転劇が有る、などと信じている人間は少ないでしょう。

 もしかすると、SOS団関係者以外には存在しない可能性も有りますか。

「もうピッチャーをやるのに飽きたから、次の回からあんたが投げなさい」

 もう飽きたから、ねぇ。
 正直に体力的に限界だ、……などと言う訳はないか。コイツは妙に見栄っ張りと言うか、負けず嫌いなトコロが有るから。多分、他人に弱みを見せたら負けだと考えているのでしょうが。

「オールライト」

 問題なし。かなり軽い調子の答え。それに、そもそもが、あの投げ方では長い回を投げるのは難しい事は最初から分かって居ましたし。自分のスタミナ消費を無視した全力投球。三回が終わるトコロまで投げ切っただけでも上々でしょう。
 三対十、……と言う一方的なスコアはここでは無視、するとして。

「後の事は万事、この俺にお任せや」

 ドロ船に乗った心算で後ろから俺のピッチングを見ていたら良い。
 聞く方……後を託す方からしてみると、不安度百二十パーセントのオチャラケた台詞を続ける俺。口調もフザケテいる、としか考えられない口調。但し、俺自身が、現状をあまり楽観視していないのは事実。
 何故ならば、ここまで完全なアウェーの場所で、更に能力に制限が加えられる以上、他の連中は未だしもハルケギニアからやって来た異世界人……いや、異形の神の現身(うつしみ)を完全に押さえられる自信はありません。
 ただ、そうかと言って、これ以上の失点は命取り。失点を抑えつつ、早い段階で追いつく必要があるのですが……。

 ドロ船に何か乗ったら沈んじゃうじゃないの。冗談なんか言っていないで、ちゃんと抑えなさいよ!
 ……などと騒ぐハルヒを軽く無視。ネクストバッターズサークルに入り、朝倉さんの打席に集中。

 初球。九組のエース、何処からどうみても一般人。日本人の中に紛れ込んだとしても見付け出す事は困難だ、と言わざるを得ないオーストラリアからの留学生。自称リチャードくんに因り投じられたのはインコース胸元のストレート。矢張り、球威はそれなり。俺に投じられた時の球威やキレを感じさせる事のない、棒球と言う感じの直球。
 おそらく、俺以外が相手の時は本当の実力を見せる心算はないのでしょう。どう考えて居るのか定かでは有りませんが、それでも、どのような容姿でも思いのままの存在のハズなのに、わざわざ目立つ事のない容姿を選択して居る以上、必要以上に目立ちたくはない、と考えるのが妥当ですから。
 一瞬、短く持って居たバットをバントの構えへと変え、そして直ぐに引く朝倉さん。

 しかし――

「ストライック!」

 相変わらず派手なアクションでストライクのコールを行う野球部所属の男子生徒(主審)
 ただ……。
 ただ、この位置からボールの高低は判断出来ます。しかし、コースに関してはある程度までしか分かりません。故に、正確なストライク・ボールの判断は出来ないのですが、セーフティバントの構えから朝倉さんがバットを引いたと言う事は……。
 一瞬、不満げな表情を浮かべた……いや、おそらくその表情の変化に気付いたのは俺だけでしょう。それぐらい短い間の不満顔。しかし、それも一瞬の事。直ぐに普段通りの微かな微笑みを湛えた表情に戻し――

 そして、何故か俺を見つめてから、軽く首肯いて魅せた。
 しかし……。
 しかし、その時の彼女の眼差しは普段の、少し俺の事をからかうような、何か試すような瞳などではなく、まるで鞘から抜き出された直後の刀のような、冴えた、そして鋭い光を湛えているかのように思われる。
 正直に言う。非常に冷たい。そして、誰からで有っても向けられたくはない光輝を放つ瞳。

 意味不明。何か伝えたい事が有ったのでしょうが、残念ながら彼女の表情や仕草から、今、朝倉さんが何を考えて居るのかが分かるほど、彼女との付き合いが長い訳でもなければ、深い訳でもない。
 有希や万結の相手をしているのと同じ訳には行きませんから。

 二球目のモーションに入る自称リチャードくん。その動きに呼応するかのように、九組の四番サードが二歩、三歩と前へと進み始める。
 投じられたのは一球目と同じ高目のストレート。おそらく、インコース高目。バントをするのには一番難しいコース。ヘタクソな人間だとボールの下に当てて、打ち上げて仕舞う可能性が高いコース。

 一球目と同じようにバントをする構えを取る朝倉さん。その動きに合わせて、更に前掛かりと成るサード。
 しかし!
 一瞬の内にバットを引き、そのまま一閃。インコース打ちの基本。バットのヘッドを返す事なく鋭く振り抜かれた打球はライナーとなり――

 打球を叩き落とす為に突き出されたサードのグラブの僅かに下を抜け、打球はそのまま左胸を――鎖骨の部分か、そのすぐ下の部分を直撃。ボールはそのまま三塁側のファールゾーンへ。
 そして、三塁手の方はその場で打球の当たった部分を押さえながら蹲った(うずくまった)

 あの瞳の不穏な光と、意味あり気な首肯きの理由はコレか。確かに、九組のサードの守備はイマイチ。バントの構えをすれば早い段階から動き出すのは間違いない。
 そこに、引っ張り易いコース。当然、バントを失敗させようとするのなら、インハイに投じるのがセオリーと成るのですが……。

 もしも彼女がインコースの高目を投げさせる為にバントの構えを行い、動きの悪いサードを強襲するような打球を打ったのだとしたら……。

 一塁上で怪我をしたサードに対して軽く頭を下げ、その後、バッターボックスに向かう前の俺に対して軽く笑い掛けて来る朝倉さん。
 その笑みは普段通りの彼女のソレ。しかし、最前の彼女の態度やその他から考えると……。

 確かに偶然の可能性もある。しかし、三回の表の九組の攻撃が同じようにサード強襲の内野安打から始まった事などから強ち(あながち)、飛躍し過ぎた想像と言う訳ではないと思う。
 ただ、違う点と言えば――

 蹲った九組の三塁手の周りに集まった生徒たちの輪から主審に向かって、三塁塁審が大きく両手でバツを作って見せた。その後、立ち上がった三塁手はそのままベンチの方へ。未だ一歩進む毎に顔をしかめている様子から、ここから先、試合に参加するのは難しいでしょう。
 もっとも、一応、腕は動かせているようなので単なる打撲。おそらく骨に異常はない、とは思います。一番折れ易い鎖骨に、あの勢いの打球が当たって無事に終わるとも思えないので、不幸中の幸い――鎖骨への直撃だけは避けられた、と言う事ですか。

 そう。硬式球を使用して、更にあの勢いの打球。有希と同じ人工生命体の朝倉涼子が放った猛烈なライナーを受けて、()()()に打撲で済んだのですから喜ぶべき状況なのでしょうが……。
 ただ、ウチのチームの弓月さんはグラブで弾いただけで、怪我はしていません。

 女性全体が怖いのか、それとも覚悟を決めた朝倉さんが怖いのか。将又(はたまた)、すべてが偶然の重なりにより発生した事態なのか。
 何にしてもチャンスの芽が出かかったのは事実。

 そう考えながら左打席に入る俺。ただ、入った段階で少し後悔。俺は次の回から投手としてマウンドに登らなければならないのに左打席に立つ、などと言う少しウカツな事を為した事に、打席に入ってから気付きましたから。
 軽くヘルメットを取って主審に挨拶。その後、所定のルーティーンに従い、バットを構える俺。スタンスは狭からず、さりとて広からず。無暗矢鱈とバッターボックス内の土を掘る事もなく足場を決め、バットの高さも普通。非常にシンプルかつ、何処にも余分な力の入っていない自然なスタイル。

 まぁ、確かに右投げの投手が、右腕が身体の前に来る左打席に入るのは、もしもボールが当たった時にどうするのだ、ボケ! ……と言う野次を野球に詳しい人に掛けられる可能性も有りますが――
 それでもバットを構えるまでに行う所定の動作は行って仕舞いましたし、今からウカツに打席を右に変えると、守備妨害を取られてアウトを宣告される危険性が有るので――

 初球はこのまま左打席で対応するしかないか。
 かなり甘い見通しで、そう考える俺。いや、甘い見通しと言うよりも、朝倉さんに気を取られ過ぎてその部分に気が回らなかった俺のウカツさを反省すべきでしょう。

 セットポジションからの第一球。一応、朝倉さんのスチールを警戒してなのか、ランナーを目で牽制してから――
 刹那、ヤツからの気配が変わった。

 それは巨大な何かであった。
 重苦しい何か、でもあった。
 ただただ、深淵なる闇の向こう側に(わだかま)る……俺には想像も付かない黒い何かであったのだ。

 俺を見つめる自称リチャードの瞳が光る。如何なる感情とも無縁の光……虚無の光を湛えて。
 ゆっくりとしたモーション。しかし、今回もランナーは動く事が出来ず。おそらく、俺の瞳がゆっくりとした動きだと認識しているだけで、他の人間からは普通のクイックモーションに見えて居るのでしょう。

 その瞬間、身体の機能やその他から意識だけが切り離されたように感じた。アガレスの能力を全力で起動させ時間が異常に引き延ばされた状態。一秒を万に。刹那を億に切り刻み、意識だけは明確に。しかし、身体の自由……瞬きすらも許されない状態に……。
 そう。それはまるで身体の芯が氷で出来たかのような感覚。冷たく、そして動かない状態。各部の関節も動かず、無理に動かそうとするとその場所から脆く崩れ去って仕舞うような恐怖。

 左バッターボックス内で目を見開いたまま固まる俺。普段は自然な……。何の力みも感じさせる事のない自然なフォームで立つ俺が、この時は不自然に背筋を伸ばした姿勢で凍りついているのが自分でも分かる。

 張り詰めるように、周囲から音が消えた。
 そして、それまで感じる事のなかった冷たい空気を感じる。そう、それはまるで、目の前のマウンドに立つ男の身体の中に密封されていたかのような冷たい空気。
 その異常とも言うべき冷気が、俺の全身を。見開いたまま、瞬きひとつ許されない眼球を。そして、ありとあらゆる部位――内臓すらも撫でまわすように俺の周囲で渦を作り出した!

 自称リチャードから離されたボール。その縫い目ひとつひとつが確認出来るぐらい、非常にクリアな映像。この回転はカーブ・スライダー系の回転。そのボールが通常のストライクゾーンからはかなり離れた軌道を描きながら――

「バカ、避けなさい!」

 刹那。何故かその声だけは、すべてが引き延ばされた空間内でクリアに聞こえる。
 その声と同時に俺の目の前の空間に発生する魔法陣。これは俺が使用する物理反射と同じ物。つまり、有希、もしくは万結が唱えた仙術。

 しかし!
 身体の自由を回復させ、無様に後方へと倒れ込みながら見たその空間。其処に突如発生した魔法陣と呼応するかのように発生する黒い何か。それはまるで自ら意志を持つ何かのように、空中で起動した魔法陣に纏わり付いて行く。
 これは……黒い瘴気。ヤツラ――自称ランディや自称リチャードが身に纏う得体の知れない何か。

 常人には見えない精霊の光輝を放つ魔法陣と、それを徐々に侵食して行く黒き瘴気。
 そうして――
 そうして、その呪いとも、魔法とも付かない黒い何かによって無効化された空間をつき抜けて来る硬式球!

 身を捻りながら、ゆっくりと後ろに倒れ行く俺。その俺をまるで自動で追尾するかのような軌道を描くボール。
 未だ間に合う! 刹那の閃き――術式の多重起動。ひとつはヘルメットの強度を増す術式。
 そしてもうひとつは、迫り来る凶器と俺の頭との間に不可視の壁の構築。完全に防ぐ事は出来なくても僅かに直撃を防げば、この場には綾乃さんがいる。
 彼女ならば最悪、俺を黄泉の国からサルベージする事は可能!

 文字通り側頭部をハンマーで殴られたかのような衝撃。脳が直接揺さぶられたかのような感触で視界が揺れ、猛烈な吐き気が――
 同時に装備していた呪詛避けの護符が効果を失った事を感じた。
 ヘルメットが強化され、肉体的にも強化された俺にここまでの衝撃。普通の人間だったのなら、最悪、頭が消し飛んでいたとしても不思議ではない威力。

「ちょっと、何よ、今のはっ!」

 今の死球は、あんた等のチームのヘタクソなサードが負傷退場させられた事に対する報復じゃないの!
 吐き気と側頭部に受けた衝撃から回復し切れず、未だ目が開けられない俺の周囲に集まった人の気配の中から、一際怒りの度合いの大きな人物が騒ぐ。
 ……と言うか、オマエの声は頭に響くから騒ぐなハルヒ。

「そうですよ、審判さん。今の球は危険球で一発退場じゃないんですか?」

 珍しく……おそらく、俺と出会ってから初めて朝比奈さんの怒った声と言う物を聞けたような気がする。そう考えながら、自らの現状のチェックを開始。
 意識はある。それに、命には別段問題がある訳ではない。硬式球と言う、人を殺す事が出来る凶器を側頭部……多分、ヘルメットの耳当ての少し上の部分と言う、人間の急所に受けてこのレベルの被害で収まった事を幸運と思うべきなのでしょう。
 ……いや、呪詛避けの護符がその効果を発揮した事から考えると、先ほどの球には明らかな死の呪いが掛けられていた、と言う事。もし、対策を行って居なかった場合は、俺の生命はここで潰えて居た可能性もゼロではなかったと言う事でしょうか。

 ヘルメットは外れ、大地に横に成り、更に、手で瞳を覆ったままの状態でそう確認を行う。尚、瞳を手で覆って居るのは光と言う外部情報すらウザったく感じたから。

「それは違う」

 その瞬間、俺に一番近い位置に近付いて来た気配が大地の上に座り込み、弾力があって、更にしっかりとした何かの上に俺の頭を乗せる。
 妙に落ち着かせる彼女の香りと雰囲気。頭の下に感じているのはおそらく彼女の太もも。
 頭の上から覗き込んで来る彼女の気配を、そして、ボールが当たった側頭部には彼女の右手がそっと触れるのを感じた。

 その瞬間、閉じられたままの目蓋の裏に感じる淡い光輝。但し、俺の目は未だ閉じられ、更に自らの右手にてしっかりと押さえられている為に、外界の光を感じるはずはない。
 この光輝は……。

「ちょっと、有希。頭を強く打った人間をウカツに動かさない方が――」

 割と真面。そんな怪我、つばでも付けとけば治るわよ。そう言いかねないと思って居たハルヒから、かなり真面な台詞が発せられた。
 ただ、

「いや、ハルヒ。問題はない。意識ははっきりしているから大丈夫や」

 あまり大丈夫とは思えない声、及び雰囲気。未だ目を覆った手の平を外す事なく、そう会話に割り込む俺。このままでは有希に矛先が向きかねませんから。
 多分、有希は俺から発散されている気配から、俺の状態がそう心配しなければならない状況ではない、と考えて行動したのでしょう。但し、その説明を彼女が為せるとも、まして為すとも思えません。ここは、当事者の俺から一言、付け加えて置く事が正解だと思いましたから。

 しかし、

「あんたの大丈夫と、遅い出前の催促電話の答え、今出た所です、……は一切信用が出来ないのよ」

 一応、心配してくれているのでしょうが、何となくネタにされて居るような気がするハルヒの答え。ただ、ハルヒの前では冗談ばかり言っていたので、俺に対する認識がこう言うレベルでも仕方がない、と言えば仕方がないのですが。
 多分、戦闘時の俺を知って居たのなら、内容は同じでも、もっと俺に対するいたわり、……と言う感情を発して居るはずですから。

「それで、有希。何が違うって言うの?」

 俺の頭。丁度、ボールが当たった辺りに右手を当てている有希に対してそう問い掛けるハルヒ。
 閉じられた目蓋の裏に感じる光輝は未だ続く。そして、その光輝を感じ始めた瞬間から吐き気が治まり始め、心臓の鼓動と同期するかのように感じていた痛みがウソのように鎮まって行っていた。

 これはおそらく手当て。普通の人でも痛む個所にそっと手を触れて貰うと、不思議と痛みが和らぐように感じる、……と言う現象を魔法にまで高めた治療法。正確にはそっと触れた右手から彼女の気を送り込む事に因って、俺自身の治癒力を高めている状態なのですが。
 それに、有希の生体を維持しているのは俺が生成した気。俺の場合は龍気と言う代物になるのですが……。

 元々長門有希と言う存在は涼宮ハルヒと名づけざられし者とが1999年7月7日の夜に接触する事に因って誕生した情報統合思念体……。おそらく、実体を持つ事のない高次元意識体に因って生み出された、対有機生命体接触用端末と言う存在。彼女単体では活動する事が出来ず、常にその情報統合思念体と言う存在から生体を維持する為のエネルギーの供給を受ける存在であった。
 しかし、今年の二月に起きた事件により、その涼宮ハルヒと名づけざられし者との接触が起きると言う過去自体が存在しない、――この世界に取って本来の歴史に戻った為に、その情報統合思念体と言う宇宙誕生と同時に発生したと自称している怪しい存在も、初めからこの宇宙には存在していない事となり……。

 その際に長門有希と言う人工生命体は、とある仙人作成の那托としてこの世界に残ると言う未来を選択。情報統合思念体から受けて居た生命エネルギーの供給を俺から受ける、と言う事に置き換えて現在に至って居る。
 故に、彼女から分け与えられる気は龍の気。それも彼女の質により多少変質している。彼女は女性で有るが故に、俺から受け取った陽の気を自らに相応しい陰の気へと変えて自らの生命を維持して居るはず。
 その陰の気を俺が受け取れば、傷を受けた事により活性化し過ぎて居る陽の気を落ち着かせて、精神を鎮める効果を発揮するはずですから。

 もっとも、今重要なのは其処ではない。

「危険球のルールが有るのはプロ野球。高校野球には頭部にデッドボールを当てたトコロで、別にその投手が即時退場処分になるようなルールはないで」

 有希が答えを発する前に、ハルヒに……いや、おそらくこの場所に集まって来ているチームメイトすべての疑問に対して、膝枕状態で大地に仰向けに成って寝て居る俺から答えを告げて置く。
 おそらく、先ほどの有希の台詞……それは違う、と言う台詞は、直前の朝比奈さんの台詞の危険球に関する内容の打消しだったと思いましたから。

「そもそもプロ野球の投手はバッターに当てないのが基本。故に、頭にボールをぶつけるような技量の低い奴は退場させられたとしても文句は言えない。生命に関わる可能性もあるからな」

 しかし、高校野球の投手の場合にそこまでの精度を求めるのは酷。故に、頭部への死球を行って仕舞ったとしても、それだけが理由で退場させられる事はない。

「でも、さっきの一球はどう見ても故意。自分たちのサードが負傷退場させられた事に対する報復じゃないの」

 そもそもあんたの為にみくるちゃんが抗議してくれたのに、その肝心のあんたが否定するような事を言ってどうするのよ!
 見えてはいないが、彼女がかなり不満げである事は言葉の調子から良く分かる。

 ただ……。

「いくら故意でも、確実に俺にボールを当てられる訳はない。まして、さっきの球はストレートではなく変化球。躱そうとするバッターの動きを予測して変化球を投げるのはかなり難しいから、さっきの球は当ててやろうとして投げられた球と言うよりは、変化球を投げようとしてすっぽ抜けた球が偶然、頭部に当たったと考える方が妥当やと思う」

 俺は身体を捻りながら後ろに倒れ込んだ。こんな特殊な避け方をするなんて考え付く訳はないやろうが。
 もしも、リチャードくんが頭を狙って投げて来た、と仮定したとしても。

 そう話しを続ける俺。それに相手が真っ当な人間ならば、この言葉は真実から大きく外れてはいないはずです。
 但し……。
 但し、ヤツラは特殊な能力を持って居る()()。現実を捻じ曲げ、自分たちの思い通りの世界を構築出来る神に等しき存在。
 自らの投げたボールを自在に操る事ぐらい造作もない可能性も有り。

 最悪の可能性は因果律自体を操って俺がボールを躱そうとする方向を察知。そして、その方向に向けボールを曲げた可能性すら存在している。

「もしも本当に故意により死球を当てたのなら即時退場処分となるけど、それをアピールする場合は故意である、と言う確実な証拠を挙げる必要がある」

 これを証明するのは不可能。そう言う内容の言葉で締めくくる俺。確かに真面な審判ならば視線や仕草、その他の情報から故意か、そうでないかの見分けを付けられる可能性も有りますが、今、この場を仕切って居る審判団ではそれも不可能。
 まして、相手が発して居る雰囲気は虚無そのもの。心の内を覗き込もうにも深淵の向こう側を感じさせるだけで、人間的な心の動きを感じない以上、故意なのか、それともそうでないのかは流石に……。

 そもそも自称リチャードくんが、俺に対してボールを当ててやろうと考えて居るのが分かったのなら、もう少し早い段階で対策を施しています。それぐらいの能力は持って居る心算ですから。

 それまで目の周辺を覆っていた右手を外し、強く閉じて居た瞳をゆっくりと開いて行く。俺を覗き込むかなり整った容貌。周囲に集まっているチームメイト。
 ……メガネ越しの感情を表す事の少ない瞳と視線を合わせた瞬間、小さく首肯いて魅せる俺。大丈夫。吐き気もなければ、痛みもなくなっている。

「ありがとう、長門さん。もう大丈夫やから」

 未だに名前の方ではなく、苗字で彼女を呼ぶ俺。もっとも、四六時中いっしょに居るので長い間ともに暮らして居るような気がしていたけど、実際は未だ半月程度。流石に未だ皆の前で名前を呼ぶのは不自然かな、と感じているからなのですが。
 ただSOS団の皆は、俺と有希が少なくとも今年の二月以前から知り合いだったと知っているので……。

 相変わらず、俺が名字を呼ぶ度に瞳のみで哀を表現する有希。これは彼女にしては強い意志の表示。多分、それほど精神的に強い拒否がある、と言う事なのでしょうが……。
 しかし、それも僅かな瞬間。そして、上から俺の瞳を覗き込んだ後――
 少し首を横に振った。

「未だ無理」
【あまりにも回復が早いと、周りに不信感を抱かせる。あなたが頭部に死球を受けたのは事実】

 かなり素っ気ない現実の言葉に因る答えと、【念話】に因る詳しい説明。但し、彼女の場合は霊道で繋がっている為に、ダイレクトに感情が伝わってくる場合がある。
 確かに、元々、豊かな感情表現が出来る存在ではない。しかし……。

「長門さんの言う事は正論やし、俺の事を心配してくれているのも分かるけど……」

 しかし、今は野球の試合中。何時までも試合を中断させて置く訳には行かない。
 まして、頭部に死球が当たったとしても必ずしも重症と限った訳ではない。奇跡的に無傷で終わる可能性だってある。

 そう反論を試みてみる俺……なのですが……。
 しかし、軽く肩を押さえている有希の手は動かず。瞳も俺が動く事を良しとして居ない事は確実。

 タバサにしても、有希にしても、どちらも同じ。自分が決めた事は簡単に折れたりはしない。ただ、そうかと言って……。
 このままズルズルと時間を使うのも問題あり。現在の状態が遅延行為に関するルールには抵触する状態だとは思いませんが、それでも、この審判団ではその辺りを恣意的(しいてき)に解釈される危険性が有ります。
 試合進行の妨げをした。これは退場を宣告される可能性のある危険な状態。

 さて、どうしたものか。悪知恵のひとつやふたつならひねり出せるのですが、その為には……。

 有希の説得は諦め、こんな場合に使用可能なルールを思い出そうとする俺。その俺に対して、状況を見守っているだけで有った我がクラスの担任が俺の傍に膝をグランドに付けた形でしゃがみ込む。
 そして、

「流石に今回は長門さんの意見が正論ね」

 そう話し掛けて来る綾乃さん。そして、何故か人差し指を一本立て、

「武神くん。私の指が何本に見えるか答えられるかしら?」

 ……と問い掛けて来た。かなり小さい目の手に繊細な指。肌理の細かな肌は白い。
 まぁ、彼女自身は俺の意識やその他がしっかりして居る事に気付いているとは思いますが、それを証明するにはこう言う検査も必要ですか。
 流石に救急車などを呼ばれると問題が有りますし、ここから保健室に連れて行かれるのも少し問題が有りますから。

 ただ……。

「綾乃さんの指ならちゃんと五本あるように見えて居ますよ」

 真面に一本と答えるよりはこちらの方がより俺らしい。そう考えてへそ曲がり間違い無し、と言う答えを返す俺。
 俺の答えを聞いて、海よりも深いため息をひとつ。もっとも、これはかなりワザとらしかったので、俺の答えをある程度予測して居たと考える方が妥当か。

「問題はないみたいね」

 武神くんに性格的な問題が有る事ははっきりしたけど。暗にそう言いたげな雰囲気で俺を一瞥した後に、綾乃さんはそう言った。
 そのような小さな事柄にも違和感を覚える俺。いや、違和感と言うよりは疎外感。向こうの世界の綾乃さんなら、俺の答えぐらい聞く前から既に知っているはず。

 矢張り、ここは俺の故郷ではない。

「それじゃあ、審判さん。特別代走をお願い出来ますか?」

 明かり取りの窓から差し込んで来た月光を見て、故郷を思った古の詩人に思いを馳せる俺。そんな俺の些細な変化に気付いて居る……とは思いますが、それでも余計なツッコミは不必要と考えたのか。綾乃さんはテキパキと次の策に取り掛かる。
 そして、その策は俺が考えた物と相似。ここは綾乃さんに任せても良いでしょう。

 そうして――

「あなたが武神くんの代わりに一塁ランナーとして行ってもらえるかしら?」

 その場に集まった全員の顔を確認。そこから、少し離れた場所に視線を移し、俺の周りを囲むように集まった女生徒たちから離れた場所に存在するふたりの男子生徒の内、九番のカニを指名する綾乃さん。
 確かに残った選手の中で足が速いのは……多分、有希か万結。但し、両者は次とその次のバッター。流石にこの二人は無理。次にベンチに残った選手の中で打順が一番遠いのはハルヒなのですが、彼女は未だ投手。記憶が確かなら投手と捕手に特別代走役は出来なかったと思いますから……。
 いや、そもそも……。

 特別代走。試合中の負傷などにより、治療が長引きそうだと判断した場合に認められる代走。この場合に送り出される選手はチームに指名権はない。……つまり、今回の場合、六組の方から代走として送り出す選手を指名する事は出来ない、と言う事。それで試合に出場している選手の中から、一番打順が遠い、投手と捕手を除く選手。六組の場合は出塁している朝倉さんを除くと、一番打順が遠いのはハルヒなのですが、ハルヒは投手なのでその前の九番バッターのカニと言う事になる。

 俺とカニ。両者の走力を考えると、例え負傷していたとしても俺の方が上。それに、状況判断でも間違いなく俺の方が上。本来なら、特別代走などで送り出したい選手では有りません。
 ……が、しかし、故に、現在の審判によって認められる可能性の高い特別代走でも有る。

 かなり野球に詳しい人間でなければ知り得ない特別代走のルールと、現在の我らがチームの置かれている状況の考察を行う俺。
 そして、その間も続けられる綾乃さん……監督の言葉。

 それは――

「長門さん。神代さん。それに相馬さん――」

 
 

 
後書き
 それでは次回タイトルは『リリーフ』です。
 
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