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毒婦

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7部分:第七章


第七章

「人は僅かな時間に多くのものを貪欲なまでに学ぶ。そう、貴殿等が長い時間を生きるのと同じだけのものをな」
「それで同じだと申すのか」
「そうだ、それを今見せてくれる」
 狐火達を斬っていく。そして姫の気が一瞬怯んだのを見逃さなかった。
「これでっ」
 今度は三人になった。その三人の源介が一斉に襲い掛かる。
「最後よっ」
 三人で斬る。その速さ、その威力は千年生きた姫でさえかわすことは出来なかった。
 三つの傷が姫の身体に刻み込まれた。その豪奢な着物すら切り裂き刻み込まれる。赤い鮮血が噴き出しそれは天井や畳まで染め上げた。
「がはっ」
「これが私の最後の技だ」
 源介の身体が戻っていく。三人が二人に、そして一人に戻っていく。源介は一人となった。
「分け身の術だ」
「見事よのう」
 姫は全身を己の血で染めながらもまた立っていた。その目で源介を見据えながら言う。
「まさか人がこれだけのものを持っておるとは」
「驚いたか」
「この千年ではじめて見たわ、ぬし程の者は」
「これが人なのだ」
 源介の言葉は変わらなかった。勝ちにも何一つ驕ってはいなかった。
「どれだけ生きようと。それで優劣が決まるわけではない。人もまた魔物に勝つことができるのだ」
「その様じゃな」
「最後にそれがわかったか」
「ふふふ、無念な筈じゃが」
 姫は血に染まったその顔に凄みのある笑みを見せていた。
「ここまで天晴れな男じゃと。かえって腹が立たぬ」
「左様か」
「やはり。そなたとは添い遂げたかったのう」
「それは今はできぬ」
 源介はそれは断った。
「今の私は武田家に全てを捧げているのだからな。人として」
「ではいずれわらわが人となろうぞ」
 姫はふとそうした心を抱いた。
「して人であるそなたと」
「それは野心か」
 源介は問う。
「天下を奪わんとする」
「であればどうする?」
「斬る」
 造作もなく言ってのけた。
「武田の天下を害する者は誰であろうと斬る」
「ふふふ、よい言葉じゃ」
 その言葉がさらに気に入ったようであった。
「安心せよ。天下よりよいものを見つけた」
「それは」
「ぬしじゃ。ぬしこそはわらわが欲しいものよ」
 源介をいとおしげな目で見ていた。
「そうなってしもうたわ。口惜しいことにのう」
「さすればそれは次の世だ」
 その言葉を源介も受け入れた。姫を見やって述べる。
「今の世では無理だが」
「次の輪廻でな。会おうぞ」
 最後の言葉となった。言い終えるとゆっくりと後ろに崩れ落ちていった。そのまま狐火達の火に包まれる。それが館全体に拡がるのにさして時間はかからなかった。源介はその燃え盛る館の中を一人静かに去るのであった。
 館を出たところで。彼を出迎える者がいた。
「そなたは」
「お待ちしておりました」
 館の門の前に大五郎がいた。小柄な身体をさらに屈めて源介に恭しく挨拶をしていた。
「全ては御済みになられたようですか」
「うむ」
 燃え盛る館の方を振り向いて答えた。そこには紅蓮の炎があった。
「終わった。敵の首魁は見事討ち取った」
「左様ですか、それは何よりです」
「ところでだ」
 源介はここに来るまでであることに気付いた。
「何か」
「あの従者や館の者がいなかったのだが。どうした」
「それは全て拙者が倒してしまいましたわ」
「そうか、御主がか」
「驚かれないので?」
「わかっていたからな」
 源介はすっと笑ってこう述べた。
「御主は。只の庄屋ではあるまい」
「さてさて、何のことやら」
「いや、誤魔化す必要はない。その目を見ればわかる」
 彼は言った。
「その目、そしてその動きは。忍びの者だな」
「おわかりでしたか。流石は春日様で」
「して私のことも知っていたか」
「はい。お察しの通り私めは忍びでもあります」
 大五郎はにこりと笑ってそう述べた。
「元は真田にいたのですが何代か前にこちらに移り住みましてそれで」
「真田というと」
「はい、真田様にお仕えしておりました」
「そうだったのか」
 信州の豪族の一つで清和源氏の流れを汲むとされている。近頃武田に接近してきており代々智謀と軍略の家とされている。
「ですが今は武田様に」
「そういう意味では私と同じだな」
 ふと彼に親近感さえ抱いた。
「私もまた。流れて晴信様にお仕えしているのだから」
「何、今の世ではそれが当たり前ですぞ」
 大五郎は笑って応えた。
「その身からの新参は」
「そうであるかな」
「ですから。それは御気に召されることはありますまい」
「うむ、ではそう思うとしよう」
「それよりもですな」
「何じゃ?」
 源介は大五郎の言葉に顔を向けた。怪訝そうな顔になる。
「何を為すかということこそが大事なのです」
「何を為すかか」
「見れば貴方様は大変いい相をしておられます」
「顔がいいというのは」
「いえ」
 だがそうではないと。大五郎は首をゆっくりと横に振って述べた。
「顔の美しさと相はまた違うのです」
「そうなのか」
「そのうえで述べさせて頂きます」
 彼は言った。
「貴方は。武田において必ずや大事を果たされるでしょう」
「左様か」
「え。そして後の世にもその名を知られる。そうした方になられます」
「それは望んではおらぬがな」
 だが源介は後の世に名が知られるということにはあまり関心がないようであった。
「それはよいのですか」
「私は。そうしたことは望んではおらぬ」
 それをはっきりと述べた。
「だが。御館様の為に大事を果たせるというのはよいことだ」
 彼にとってはそのことこそがまず重要であった。それを聞きその美しい顔を綻ばせる。
「まことにな」
「さすれば」
「うむ、私の腹はもう決まっていたが」
 そしてまた述べる。
「武田家に。御館様に心からお仕えする。それが私の道だ」
「ではその道しかと歩まれますよう」
「うむ。してそなたは」
「私でございますか」
「どうするのだ?武田にお仕えするのか?それとも真田に」
「今のままでは同じことになると思いまするが」
「確かにな」
 顔を綻ばせたままそれに頷く。真田が武田に仕えるということはそのまま彼も武田に仕えるということになるのである。
「どちらにお仕えしても。楽しきことになるでしょうな」
「ではまずは武田か」
「さて」
 笑って言葉を誤魔化す。
「どちらでも同じならばより楽しき方を」
「真田は代々智謀の士だからのう」
「さすれど晴信様もまた」
「立派な方だぞ」
「ですから。悩むのでございます」
「ゆっくり考えればよいか」
 源介は闇夜の中で明るく笑った。
「どちらにしろ楽しきことならな」
「そうですな。ではじっくりと考えさせて頂きます」
「ではまたな」
 源介は別れの言葉をかけた。だが最後の別れではない。
「甲斐の館で会おうぞ」
「その時はまた」
「今度は戦さの場で」
「その御活躍、見せて頂きます」
「武田の為にな」
 最後に爽やかに笑った。その美しい顔が夜の中に映える。
 去っていく源介の後ろで管姫の館が燃え落ちていく。源介をそれを振り返ることなくそのまま甲斐へと帰っていくのであった。


毒婦   完


                2006・8・26
 
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