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外伝 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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追憶  ~ 帝国歴487年(三) ~




帝国暦 487年 1月 20日  オーディン  軍務省  エーレンベルク元帥



「そろそろかな?」
「そろそろだろう」
私とミュッケンベルガー元帥が話しているとトントンとドアを叩く音が聞こえた。どうやら待ち人が来たらしい。ミュッケンベルガー元帥がクスッと笑った。悪い奴だ、楽しむ気だな。

「ローエングラム大将、入ります」
ドアを開けて一人の若者が執務室に入って来た。ローエングラム伯か、十九歳、確か三月になれば二十歳だったな。若いと思った。自分が二十歳の時は未だ士官学校を卒業したばかりの新米士官だった。ローエングラム伯、大将か……。正直不愉快ではあった。

ローエングラム伯が近付いて来た。黒の軍服と豪奢な金髪が良く映える若者だ。目の前で立ち止り敬礼をしてきた、こちらも答礼する。
「ローエングラム伯爵家を継がれたか。先ずは目出度い、お慶び申し上げる」
「お慶び申し上げる」
私が寿ぐとミュッケンベルガー元帥も祝いの言葉をかけた。
「有難うございます、名誉ある伯爵家の名を辱めぬように努めます」
僅かだが頬が紅潮している。余程に嬉しいらしい。

「ローエングラム伯、昨年の勝利により卿は上級大将に昇進する事になった」
「はっ、有難うございます」
「それとこの度、ミュッケンベルガー元帥が退役する事になった」
「退役? 真ですか?」
驚いている、まあ信じられないだろう。陛下が慰留する、そう思ったはずだ。

「真だ。私は退役する。陛下の御許しも得ている」
ミュッケンベルガー元帥が答えると驚きから微かに期待へと表情が変わった。自分が宇宙艦隊司令長官に就任する可能性が有ると思ったのだろう。あまり見ていて楽しいものではない。ミュッケンベルガー元帥も同様だろう。しかし、ここで喜ぶとは……。本人は前回の戦いで何が起きたのか分かっていないのかもしれない。分かっていれば喜びよりも不安を表しただろう、それとも余程の自信家なのか、そちらかな。

「後任の宇宙艦隊司令長官だがローエングラム伯、卿にやってもらう事になった。既に陛下の御了承も得ている」
「はっ、精一杯務めさせていただきます」
「重ね重ね目出度い事だな、ローエングラム伯」
「有難うございます」
頬が目に見える程に紅潮している。人生最良の日、そんな想いだろう。

「それとヴァレンシュタイン少将が宇宙艦隊副司令長官に就任する」
「!」
愕然としている。ローエングラム伯から先程までの高揚は綺麗に消えていた。心の何処かに嘲笑する気持ちが有る。我らを甘く見るな、ローエングラム伯。簡単に簒奪などさせぬし許すつもりもない。

「しかし、彼は未だ少将ですが……」
「今月末に謹慎処分が解ける。それと同時に大将に昇進し宇宙艦隊副司令長官へ就任する」
「大将に昇進……」
唇を噛み締めている。不満か?

「おかしな話ではあるまい。既に軍の統制を乱した事に付いては一階級降級、一年間俸給の減給、一ヶ月の停職処分にした。処分を下した以上、後は前回の戦いで上げた功績を評価せねばならん。少将の力無くしては勝てなかったのだからな」
「……」
「ヴァレンシュタイン少将の功を認めぬとなればあの戦場で戦った将兵達が納得するまい」

分かったか? 卿は奮戦したかもしれん、しかし卿の力で勝ったのではないという事を忘れるな。勝てたのはヴァレンシュタインの手配りによるものだ。ローエングラム伯が唇を噛み締めている。屈辱であろう、ヴァレンシュタインの力量を認められない、いや違うな、認めても受け入れられないといったところか。これでは協力など無理だな。

「それに彼には国内を抑えて貰わなければならん。卿とて外征中に国内で騒乱など起こって欲しくは有るまい。ミュッケンベルガー元帥がアスターテで勝ちながらも兵を退かざるを得なかった時には卿もその場に居た筈だ、違うかな?」
「はい」
ローエングラム伯、ミュッケンベルガー元帥が頷いた。前者は渋々、後者は大きく。

本来ならローエングラム伯自身が国内の抑えを誰に任せるのかと尋ねなければならない筈だ。だがそれが無い。宇宙艦隊司令長官になった事を喜ぶ前にその事を考えて欲しいものだ。或いはヴァレンシュタインを副司令長官にする事でその事に気付くべきだろう……。どうも物足りない。

ミュッケンベルガー元帥とローエングラム伯が引き継ぎの事を話し出した。辞令交付は二月一日だがその前に済ませておく事で合意した。
「忙しいところ、御苦労だった、ローエングラム伯。人事の件は内密にしてくれ。ヴァレンシュタイン少将は謹慎中なのでな」
「少将は知らないのですか?」
「知らぬ。謹慎が明けてから話す事になる」

ローエングラム伯が部屋を出ていくとミュッケンベルガー元帥が苦笑を浮かべた。
「面白くなさそうだ、信用されていないと思ったのだろう」
「信用するわけが無かろう」
私が吐き捨てるとミュッケンベルガー元帥が今度は声を上げて笑った。

「いや、そうではない、能力についてだ。低く評価されたと思ったようだな」
「なるほど、そちらか。不信任について分かっておらぬようだ。余程自分に自信が有るらしい」
「そのようだ」
二人で顔を見合わせて苦笑した。才能を畏れられたのではなく危ぶまれた、不安視されたと思ったか。確かに屈辱だろう。畏れられたと思えば少しは違っただろうか。

「しかし現実問題として一人で宇宙艦隊を纏められるのかな」
「さて、少々難しいかもしれん」
「やれやれだな」
私の言葉にミュッケンベルガー元帥が頷いた。当分攻勢をとるのは難しいだろう。それとも無理に出撃するだろうか……。

「取り敢えず半分は説得が終わったわけだ」
「問題はあとの半分だろう、軍務尚書」
「ごねるかな?」
「ごねるだろうな」
また二人で顔を見合わせて苦笑した。ローエングラム伯の下で働くなど真っ平だと言うに違いない。何かと理由を付けて逃げようとするのは見えている。

「まあそれでも頼み込めば何とか引き受けてくれるだろう。将兵達からの嘆願も有る事だ、なんとかなる筈だ」
「頼まれると嫌とは言えぬ性格だからな」
「だからついつい面倒を押付けたくなる」
ミュッケンベルガー元帥が人の悪い笑顔を見せた。楽しんでいるな、これは。

ミュッケンベルガー元帥が帰るとシューマッハ大佐を執務室に呼んだ。
「大佐、卿に新たな任務を命じる」
「はっ」
「宇宙艦隊司令長官の人事が決まった。近日中にローエングラム伯が司令長官に就任する。そしてヴァレンシュタイン少将が大将に昇進し宇宙艦隊副司令長官に就任する」
「それは……」
大佐が絶句している。冷静沈着な男だが驚いたようだ。愉快ではある。もっとも何に驚いたのかという疑問付きだが。

「大佐、ヴァレンシュタイン少将を副司令長官にする理由が分かるかな?」
「内乱に備えるため、と思います」
「表向きはそれで良い」
「と言いますと?」
シューマッハ大佐が眉を顰めた。

「ローエングラム伯が妙な事を考えぬようにという抑え役だ、意味は分かるな?」
シューマッハ大佐の顔が強張った。
「……はい。それで小官の役割は」
「表向きは乱が起こった時の私との連絡役だ。卿はヴァレンシュタイン少将とは一度ともに仕事をしている。問題は有るまい」
「有りません。……表に出せない理由は何でしょう」

「ローエングラム伯の動向、新たな副司令長官が抑え役として機能しているかどうかの確認だ」
「お二人を監視せよと」
「そうだ。内乱だけでも頭が痛いのに簒奪など許せる事ではないからな。宇宙艦隊司令部の内情を逐一知らせて欲しい」
「……分かりました」
顔だけではない、声も強張っている。

「人手が必要か?」
「いえ、一人の方が怪しまれず宜しいかと。ローエングラム伯は分かりませんがヴァレンシュタイン少将は油断出来ません」
「分かった。では異動の準備を進めてくれ」
「はっ」



帝国暦 487年 2月 27日  オーディン  軍務省  エーレンベルク元帥



「それで、ローエングラム伯の様子は如何かな? シューマッハ大佐」
『悪戦苦闘、と言ったところです。司令長官の椅子は思ったよりも座り心地は良くないでしょう』
「困るな、それは。司令長官の交代による混乱は最小限にしてもらわねば」
ローエングラム伯を疎んじながら混乱は避けたいか……、我ながら勝手な事を言っていると思った。

『問題が起きているのはローエングラム伯の艦隊だけです。他の司令官は既に艦隊の編成を終了し訓練中です。司令長官もようやく編成が終了し艦隊の訓練に入りました』
スクリーンに映るシューマッハ大佐は多少苦笑気味だ。

「如何いう事かな、大佐。何故ローエングラム伯の艦隊編成が遅いのだ?」
『各艦隊の編成はヴァレンシュタイン副司令長官が手伝う事で速やかに終わったそうです』
「ローエングラム伯の手助けはしなかったのか?」
『自分の手助けを嫌がるだろうと。それで何もしていません』
そうかもしれんが……。

「まさかとは思うが口も利かんのではあるまいな」
大佐がまた苦笑を浮かべた。
『それは有りません。副司令長官は毎朝司令長官室に入り打ち合わせをしております』
「そうか」
むしろ深刻だな。毎朝出入りしながら編成について話をしない。ローエングラム伯はヴァレンシュタインに弱みを見せたくないと思っているのだろう。ヴァレンシュタインもそれを放置したままだ。御手並み拝見、そんなところだろうか。

「伯は遠征を計画しているが大丈夫なのか? その調子で」
『その事で多少揉めています』
「ローエングラム伯とヴァレンシュタインがか?」
『はい。分艦隊司令官が不安だと副司令長官は見ているようです。今回だけ正規艦隊司令官から選ぶか、一個艦隊での出征は危ないから出征の規模を大きくするかを進言しています』
大佐はもう笑っていない。大佐も不安が有ると見ているのかもしれん。分艦隊司令官は確かフォーゲル中将、エルラッハ少将だったと思ったが……。

「分艦隊司令官は誰かな?」
『フォーゲル中将、エルラッハ少将です』
うむ、記憶力は衰えていない、大丈夫だ。二人とも特別悪い評価は聞かないが出来るという評価も聞かない。平凡と言ったところか。考えているとシューマッハ大佐が言葉を続けた。

『副司令長官は次の戦い、反乱軍は精鋭部隊が出てくる可能性が高いと見ています。小官もそれについては同感です』
「なるほど」
確かに危ういかもしれん。ヴァレンシュタインが危惧するのも無理は無い。
『それにフォーゲル中将、エルラッハ少将のお二人は司令長官に対して良い感情を持っておられません。その辺りも副司令長官は危惧しています』
思わず溜息が出た。敵だらけだな、何をやっているのか。本当に簒奪を考えているのか? 疑問に思えてきた。

『閣下、現状ではローエングラム伯が妙な事を考えても正規艦隊司令官達は誰も付いて行かないでしょう。司令官達は自らの艦隊編成に頭を痛めているローエングラム伯よりも自分達の艦隊編成を手伝ったヴァレンシュタイン副司令長官に心服しています』
「……」

『艦隊編成もいささか鮮やか過ぎます。司令官達は喜んでいますが小官はむしろ恐怖を感じました。抜擢された士官達の殆どが副司令長官とは面識が有りません、何時の間にあれだけの人間を調べたのか。彼らも喜び以上に驚きが有るようです。それが畏怖と心服に繋がっています』
「……メルカッツもかな?」
『メルカッツ提督も副司令長官に心服しています』
「……」

『現状ではローエングラム伯よりもヴァレンシュタイン副司令長官が妙な事を考えるのではないかと心配する方が妥当です。副司令長官はあっという間に宇宙艦隊を掌握してしまいました』
気が付けば溜息が出ていた。最近は厄介な小僧が多すぎる。

『司令長官は抜身の剣のようなところが有りますが副司令長官は……』
「ビロードに包まれた鋼鉄の手か」
『はい。肌触りは滑らかですが中には鋭い爪が有ります。ビロードを取り払えば……』
シューマッハ大佐が神妙な表情をしている。“ビロードに包まれた鋼鉄の手”、この言葉を私に伝えたのが目の前の男だった。日に日に重みを増す言葉だ。

「大佐、その可能性は有ると思うか?」
『可能性だけなら有ります。しかし実現性は……』
「無いと? 確実にそう言えるのか?」
シューマッハ大佐が首を横に振った。

『いえ、分かりません。野心は無さそうに見えますが簡単に心の内を明かす様な人では有りません。副官に亡命者を、女性を用いているのも副官から情報が漏れるのを恐れているからともとれます』
「女性なら漏れやすいのではないか?」
私が問うと大佐が軽く苦笑を浮かべた。面白く無い、女を知らないと言われている様な気分だ。人生経験では私の方が上だ。

『亡命者です、非常に用心深い。彼女に近付く人間は下心有っての接近かと敬遠されています。近付けるのはリューネブルク中将ぐらいのものです』
「なるほど、亡命者なら親しい人間は皆無に近いか」
『はい』
それにしてもリューネブルク中将か、彼も亡命者だったな。彼にも周囲には近しい人間は居ない筈だ。そしてヴァレンシュタインに心服している。その事は陛下御不例の時を思えば分かる。

ローエングラム伯を抑えるためにヴァレンシュタインを引き上げたつもりだった。だが虎に翼を与えてしまったのだろうか。翼を得た虎がこれまで望まなかった野心を夢見るという事も有り得よう。厄介な事になった、どうして最近の若い奴はこうも面倒なのか、溜息が出そうになって慌てて堪えた……。



 
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