| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

外伝 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

追憶  ~ 帝国歴487年(二) ~




帝国暦 487年 1月 7日  オーディン  リヒテンラーデ侯爵邸  エーレンベルク元帥



国務尚書リヒテンラーデ侯が部屋に入って来た。急いで立ち上がり頭を下げた。
「夜分、御自宅にまで押しかけ申し訳ありません」
「気にする事は無い。卿らも忙しい身、内密にとなればこのような形を取らざるを得ぬ。それで用件は何かな? 軍務尚書、統帥本部総長」
侯がソファーに座る、それを待って私とシュタインホフ元帥も座った。

国務尚書の服は普段着でも部屋着でもない、今からでも出仕出来るような正装だ。戻って来たばかりなのか、それともこれも公務と考えて衣装を整えたのか。ドアが開き若い女性が紅茶を持って入って来た。テーブルに紅茶を置くと一礼して部屋を出て行った。角砂糖を一つ入れスプーンでかき回す、シュタインホフ元帥はレモンのみを入れ、リヒテンラーデ侯はスプーンでかき回してからミルクを入れた。目でマーブルの模様を楽しんでいる。

「宇宙艦隊司令長官の人事ですがミュッケンベルガー元帥をその地位に留めたいと思います」
私が切り出すと“フム”と頷いた。視線はまだカップに落としたままだ。
「ミュッケンベルガー元帥は戦場で指揮を執れるのかな、それが出来ぬと見て辞任を申し出た筈だが」
「いえ、戦場には出ません。国内に在って内乱の勃発を抑えます。副司令長官を新たに任命しその者を戦場に送りたいと考えております」
視線を上げ“なるほど”とリヒテンラーデ侯が頷いた。

「そういう事ですのでミュッケンベルガー元帥の辞表の受理は……」
「絶対に認めるな、そういう事か」
「はい」
リヒテンラーデ侯が大きく息を吐いた。はて、どうも気に入らぬようだ。シュタインホフ元帥に視線を向けた、彼はリヒテンラーデ侯を窺うように見ている。どうやら私と同じ感触を得たらしい。

「良いのかな」
「と言いますと」
「ミュッケンベルガー元帥が心臓に異常が有るのは貴族達も知っていよう。あの連中、故意に元帥の心臓に負担をかけ元帥を潰しに来るやもしれんぞ。それが無くても事が起きた時、発作で倒れたらどうする。混乱に拍車がかかるだけではないかな?」
「……」

リヒテンラーデ侯は反対か。確かにその可能性は有るが抑止力としては十分ではないのか……。
「どうも卿らは分かっておらぬようだ」
侯が嘆息を漏らした。分かっていない? 何をだ? シュタインホフ元帥に視線を向けた、彼も困惑している。
「今大事なのは帝国を混乱させぬ事、内乱を防ぐ事であろう。司令長官の人事など二の次で良いわ」

「失礼ですが我らも内乱を防ぐ事が大事と理解しております。確かにミュッケンベルガー元帥の病を軽視したかもしれません。しかし内乱を防ぐためにミュッケンベルガー元帥を司令長官に留任させてはと思ったのです」
シュタインホフが反論した。司令長官の人事を二の次と言われた事が面白くなかったのだろう、多少ムッとしている。だがリヒテンラーデ侯が冷たい笑みを浮かべた。

「勘違いしてはおらぬか、前回帝国が内乱を回避出来たのはミュッケンベルガー元帥の力ではない。ヴァレンシュタイン少将の働きよ、違うかな?」
「……」
「内乱を防ぐと言うのなら先ずはヴァレンシュタイン少将の処遇を決めるのが先決であろう。降級させたままでは貴族達が勘違いしかねん。それでは内乱を誘発させるようなものだ」

国務尚書は実績のあるヴァレンシュタイン少将を国内治安の担当者にすべきだと考えている。ミュッケンベルガー元帥は未知数であり健康にも不安が有ると見たか。ミュッケンベルガー元帥の補佐という形で使えば良いと思ったが……。リヒテンラーデ侯が紅茶を一口飲んだ。

「極端な事を言えば軍はイゼルローン回廊から向こうには出ずとも良いのだ。勝てずとも負けなければ帝国は滅びぬ。だが一旦内乱が生じれば帝国を二分、三分する争いとなろう。反乱軍もここぞとばかり攻め寄せて来る筈だ。そうなれば国が傾きかねぬ、卿らとて無事では済むまい」

否定は出来ない。勝てないなら負けないようにするのも用兵家としての力量だ。そして内乱が起きればとんでもない混乱が生じるのも事実、反乱軍が付け込むのも間違いは無い。優先順位を間違えたか……、いや間違えては居ない。問題は司令長官を任せられる適任者が居ない事だ。だからミュッケンベルガー元帥にとなってしまった。だから国内の治安を任せろとなってしまった。切り離さなさければなるまい。紅茶を一口飲んだ、もう一つ砂糖を入れれば良かった。

「国務尚書閣下はヴァレンシュタイン少将を中将に戻すべきと御考えですか?」
シュタインホフ元帥が問うと国務尚書が“さて”と言葉を発した。
「私には軍人の世界は良く分からんのだが今回の戦い、ヴァレンシュタイン少将の果たした役割というのは大きいのかな。色々と問題を起こしたとは聞いているが」

「大きいと思います。彼の働き無しでは帝国軍の勝利は難しかったでしょう。場合によってはとんでもない大敗を喫した可能性も有ります。それは万人が認めるところです。しかし軍の統制を乱したのも事実。それ故一階級降級させ謹慎させております」
私が言うとシュタインホフ元帥が大きく頷いた。そしてリヒテンラーデ侯が“フム”と頷いた。

「軍の統制を乱した故、罰は下した。ならば功を上げた以上賞を与えねばなるまい。問題はその賞の与え方よな。少将の立場を強める与え方でなければならぬ」
「……」
「ミュッケンベルガー元帥が退役すればヴァレンシュタイン少将は後ろ盾を失う、少なくとも貴族達はそう思うであろう。その辺りを良く考えるのじゃな」
なるほど、中将に戻すだけでは足りないという事か。立場を強めるとなるとポストも考慮する必要がある。兵站統括部ではいささか軽過ぎるな。

「国務尚書閣下、閣下はヴァレンシュタイン少将をどのように見ているのです。その、言い辛い事では有りますが彼を危険だと思われた事は有りませんか」
考えているとシュタインホフ元帥の声が聞こえた。シュタインホフ元帥がリヒテンラーデ侯に問い掛けている。侯は目を細めてシュタインホフ元帥を見た。

「シュタインホフ元帥、卿は例の一件をまだ引き摺っているのかな?」
私が問うとシュタインホフ元帥が首を横に振った。
「そうではない。それは私個人の不快、そうでは無く帝国にとってあの若者が危険と思った事の有無を訊ねている。閣下はミューゼル大将を危険だと考えておられる、ならばヴァレンシュタイン少将については如何御考えか」
「……」
リヒテンラーデ侯は無言だ。それを見てシュタインホフ元帥が言葉を続けた。

「不思議では有りませんか。ミューゼル大将とヴァレンシュタイン少将、あの二人は若くして高い地位に就きました。ミューゼル大将には伯爵夫人の後ろ盾が有りましたがヴァレンシュタイン少将にはそのような物は無かった、実力のみで昇進しました。普通こういう場合実力だけで昇進した者はそうでない者に対して反発するものです。だがヴァレンシュタイン少将にはそれが無かった」
「……」

「それどころか好意的だった、何かと便宜を図りミューゼル大将を押し上げようとしていた。何故だろうと思いました。最初は出世のためにミューゼル大将に近付いたのかと思いましたがあの男には出世欲が無かった、いや私には見えなかった。では何故野心家のミューゼル大将に近付くのか、野心の無い人間が野心家に近付くとはどういう事なのか……」
「……」
シュタインホフ元帥が私をじっと見た。

「卿は考えた事は無いか、軍務尚書」
「……」
「国務尚書閣下、如何思われます」
「……」
「その辺りの見極めがつかねば昇進させ地位を与える事は危険な事になりかねません」
部屋に重苦しい空気が満ちた。

「いささか考え過ぎではないか、シュタインホフ元帥。確かにあの二人、以前は親密だった。だが今回の一件でヴァレンシュタイン少将は無条件にミューゼル大将を信任しているわけではない事は明白だ。むしろあの二人は決裂したと私は見る」
「どういう事かな、軍務尚書」
リヒテンラーデ侯が訝しげな表情をしたので指揮権の一件を説明した。侯は何度も頷いた。

「なるほどな、やはり決裂したか」
「と言いますと」
「あの二人が親しいのは知っていたがどうにも肌合いが違い過ぎる。上手く行くのが不思議だった……。それにしても怖い男だ、ビロードに包まれた鋼鉄の手か」
リヒテンラーデ侯が大きく息を吐いた。

「国務尚書閣下、その言葉は」
シュタインホフ元帥が問うとリヒテンラーデ侯が軽く笑い声を上げた。
「ヴァレンシュタインを評した言葉よ。あの男の副官が言ったと聞いた。そうであったな、軍務尚書」
「はい」
シュタインホフ元帥が“ビロードに包まれた鋼鉄の手”と呟いた。言い得て妙だと思う。普段穏やかな若者だが事においては果断、冷徹になれる男だ。

「シュタインホフ統帥本部総長はミューゼル大将が尋常ならざる野心を持っている、そう考えているのかな?」
「はい」
「簒奪か」
「その懼れ無しとは言えますまい」
国務尚書とシュタインホフ元帥がじっと見詰め合った。

「確かにその懼れは有る。あの男の陛下を見る目には憎悪が有る。陛下の御厚情により出世したにも拘らず姉が後宮に入れられたのが気に入らぬらしい。ふざけた男よ! それほどまでに気に入らぬのなら陛下の御厚情を受けねば良かろうに。敢えて気に入らぬ相手からの厚情を受ける。その真意は碌なものでは有るまい」
吐き捨てるような口調だ。リヒテンラーデ侯のミューゼル大将への感情が見えた様な気がした。

「ではヴァレンシュタイン少将は?」
「フム、陛下に対する敵意は無いな。どちらかと言えば好意に近いものが有ると私は見ている。如何かな、軍務尚書」
「私もそのように思います。陛下に対する敵意は見えません」
「ミューゼルが簒奪を望んでも同意しないのではないかな」
今度はシュタインホフ元帥が“フム”と頷いた。

「他にも違うところは有る。ミューゼルは野心の塊、己の利にならぬ事では動かぬ。逆に言えば己の利になると見れば必ず動く。だがヴァレンシュタイン、あれは違う」
「違いますか?」
「違うな、利では動かぬところが有る。そういう意味では可愛げが有る男じゃ」
「……」
私とシュタインホフ元帥が黙っていると侯が笑い声を上げた。

「面白かろう、何を与えれば動くのか、楽しませてくれるからの」
「……」
「陛下御不例時には内乱になれば大勢の人間が死ぬ。それを避けるために動いた。他にも試したが意外と情に脆いところが有る。あれは己の野心のために人を殺す事は出来まい。人を殺すより人を助けたがる男だ。根本的な所でミューゼルとは合わぬ、簒奪には乗らぬだろうというのもそこにある」
確かにそういうところは有る、サイオキシン麻薬の一件でも我らに求めたのは一年間の俸給の返上だった。それを中毒患者の治療費に充てる事を望んだ。

「では閣下はヴァレンシュタイン少将について心配は無いと御考えなのですな」
「そうだ、シュタインホフ統帥本部総長は不安かな?」
「いえ、小官もミューゼル大将とは違う、あの二人は決裂しただろうと見ています」
「……」
「ですが小官は少将とそれほど親しくありません。ですのでここで御両所に確認させていただきました」
シュタインホフ元帥が軽く一礼した。面倒な男だ、しかし慎重ではあるな。

「では統帥本部総長は少将を引き上げる事に異論はないのだな」
「有りません」
「ならば今一度二人で相談してみては如何かな? 先ず少将の処遇を決めた後に宇宙艦隊司令長官の後任を決めるという事で」
リヒテンラーデ侯の提案にシュタインホフ元帥と顔を見合わせた。異論はないようだ、侯に“そういたします”と答えた。



帝国暦 487年 1月 10日  オーディン  ミュッケンベルガー邸  エーレンベルク元帥



応接室に入って来たミュッケンベルガー元帥が近付きながら話しかけてきた。
「難航しているのかな」
「少々難航している」
「迷惑をかけてしまったようだ」
「気にする事は無い。それより相談したい事が有る」
ソファーに座ったミュッケンベルガー元帥にリヒテンラーデ侯爵邸での話の内容を説明すると所々で頷いた。

「なるほど、ヴァレンシュタイン少将の処遇か」
「そうだ、厄介な事に少将が降級処分を受けた事で将兵達が騒いでいる」
「と言うと?」
「処分が不当だと抗議が届いているのだ。軍務省、統帥本部、そして宇宙艦隊司令部にな。抗議は日に日に増えていく。卿は屋敷に居るから知らなかっただろう」
ミュッケンベルガー元帥が溜息を吐いた、そして笑い出した。

「厄介な小僧だな、軍務尚書」
「全くだ」
今度は二人で笑った。笑い事ではないのだが笑うしかない、そんな気分だ。
「そこでだ、ヴァレンシュタイン少将の事だがあの男に国内を任せるとしてどのような地位に就ければ良いと思うか。卿の後ろ盾が無い状況でだ」
「そうだな……、地上部隊への影響力、宇宙艦隊への影響力を保持させる必要があるだろう」
ミュッケンベルガー元帥がゆっくりと考えながら答えた。

「非常時には帝都防衛司令官に任命する。憲兵隊、近衛、装甲敵弾兵は少将の指揮を受ける、地上部隊は問題無いと思う」
「問題は宇宙艦隊だな。宇宙艦隊司令長官に誰を持ってくるかで違ってくる」
「……」
ミュッケンベルガー元帥が私の顔を覗き込むように見ている。いかんな、堂々巡りだ。

「実力が有りヴァレンシュタインと親しい人物を持ってくるなら、つまりヴァレンシュタインを使いこなせる司令長官なら何処でも問題は無いな。そうでない場合は宇宙艦隊で然るべき地位に就ける必要があると思う」
「やはりそうなるか」
「うむ、但しそうなった場合は司令長官とヴァレンシュタインの関係は難しいものになる」

思わず溜息が出た。結局のところヴァレンシュタインの人事は宇宙艦隊司令長官の人事と連動せざるを得ない。どちらか一方だけを決めて済む問題ではないという事が浮き彫りになった。
「誰をヴァレンシュタインと組ませれば良いと思う?」
「……」
問い掛けてもミュッケンベルガー元帥は目を伏せて沈黙したままだ。

「ミュッケンベルガー元帥?」
目を上げた。
「……組ませるのであればミューゼル大将が最善だと思う」
「……ミューゼル」
「外に強いミューゼル大将と内に強いヴァレンシュタイン少将。そしてヴァレンシュタインにミューゼルの抑えをさせる」
また難しい事を……。

「ミューゼル大将に務まるかな。先日の戦いで将兵の信頼を失ったのではないか? それにあの男を宇宙艦隊司令長官に就けるのは危険だと思うが」
「そうかな? むしろ好都合ではないかな、軍務尚書。弱い司令長官に簒奪は出来ん」
「なるほど」
そういう見方も有るか。

「ミューゼル大将が将兵の信望を得るにはかなりの時間を必要とするだろう。まして簒奪となれば狂信とも言える程の信望が必要だ。現状ではなかなか難しいだろうな」
「その上でヴァレンシュタイン少将に抑えをさせるか」
「うむ」
一理有る。無理をして失敗すればミューゼルは終わりだ。

「メルカッツ大将は?」
「メルカッツか……、弱いな。メルカッツではヴァレンシュタイン少将に押されてしまうと思う。二人の関係は悪くあるまいがメルカッツにはヴァレンシュタインを使いこなせないと思う。いささか歪な形になる、余り勧められん」
ミュッケンベルガー元帥が首を横に振った。

「卿はミューゼルとヴァレンシュタインを勧めるのだな?」
「そうだ」
「となるとヴァレンシュタインの地位は?」
「宇宙艦隊内にて司令長官に次ぐ地位が必要だ。各艦隊司令官から、司令長官から一目置かれる地位だな」
「なるほど、となると……、用意出来るポストは限られてくるな」
「ああ、限られてくる」
私の言葉にミュッケンベルガー元帥が大きく頷いた。







 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

感想を書く

この話の感想を書きましょう!




 
 
全て感想を見る:感想一覧