| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

運命の向こう側

作者:月餅
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
次ページ > 目次
 

1話

「ここが麻帆良か」

 駅のホームを出て、広いロータリーに立ち、その景観に思わず声が漏れる。広々とした路地に、煉瓦を敷き詰めたのであろう歩道。左右にそびえる建築物も、日本の様式ではない。まるで、ヨーロッパに戻ったような――正確に言えば、観光地にいったような――気がしてくる。
 ここまでそれっぽく作った事の意義はともかくとして、馴染みやすくはあった。
 光景に圧倒されたのはセイバーも同じらしく、ほう、と吐息が漏れる。

「なるほど、都市一つを学園に、ですか。どのようなものかと思いましたが……まさか都市一つを、学園を建造するためにまるごと改装してしまうとは。ずいぶんと思い切ったことをするものです」
「確か、神木・蟠桃だったか? あれを隠すために、色々いじる必要があったんだろうけどな。俺もここまでとは思わなかったよ」

 言いながら、視線をふと横に動かした。麻帆良の建築物は、全体的にあまり高くない。と言っても、特別低いわけでもないのだ。それらが、遙か見下ろされる高さと太さを誇る、巨大な樹木。その圧倒的な存在感は、確かに麻帆良の目玉だろう。本来ならば、だが。
 蟠桃こそが、麻帆良の地をどこかの魔術結社が管理しなければならない理由だった。科学で解明しきれない、木の異常な成長。それだけとっても、裏の世界が隠し立てするのに十分すぎる。しかも、この土地は冬木に匹敵する霊地だ。膨大な地球の生命力であるマナを吸った木は、それだけで力ある存在。具体的に言うと、マナが充実すればそのたびにごく小規模の願望機として動くだろう。おそらくは、魔術等の能力に関係なく、無差別に。
 とにかく、ここがどの勢力にとっても放置できない場所だったのは間違いない。
 大した大きさのない荷物をもって、ゆっくりと道を歩いて行く。街の壮大さに反して人を殆ど見かけないのは、今が年明け間もないからだろう。いくら観光地に適した場所でも、学園が本来の役割なのだ。学生のいなくなる時期に、人がそう多くなる事はない。本来ならば、士郎達もこれほど早く来るつもりは無かったのだが。新学期に合わせると、どうしてもこうなってしまったのだ。これでもぎりぎりなくらいだ。

「道ってどっちだったっけ?」

 ふと、慣れた感覚があるのに見覚えの無い、妙な違和感に惑う。隣のセイバーを見てみると、地図を出す所だった。軽く確認して、方向を指さす。

「こっちですね。急ぎますか?」
「いや……ゆっくり歩いて行ってもいいんじゃないかな」
「ふふ。そうしましょう」

 肌寒いくらいの冬の風が、どこか心地よく。この景色を素通りして急ぐ気には、どうしてもなれなかった。
 そう言えば、こうして風景を楽しみながらゆっくり歩くのも久しぶりだ。空が青いのを確認したのさえ、もう何年も知らなかった気さえする。

「しばらく忙しかったからなぁ……」
「教員免許を取らなければいけませんでしたからね。大学の単位取得が大変でした。その点は、リンに感謝しなければ」

 麻帆良に赴任する時、どの職種かを話し合い、最終的に教師に決まった。これは、一番ごまかしが効いて、目立たないためだ。ただ住んでいるだけというのも不可能ではないし、前任者はそうしていた。だが、士郎は目的が目的だけに、引きこもっている訳にはいかないのだ。
 そうなると、一番必要になるのは当然、教員資格。無許可でも、裏の事情でいけない事は無いが、それでは士郎が納得しない。仮にも人の上に立つ人間が、横紙破りなまねをするのは道理に反している、と。それに、話を進めていた凛も、相手に隙を見せるような事はよしとしなかった。結果、現行通っていた大学に無理を言って、無理矢理単位を取ったのだ。
 時計塔でも教授をやっているのだから暇なはずは無い。加えて言えば、各種引き継ぎも必要だった。恐らく、ロンドンに来て一番忙しい半年だっただろう。

「それに、冬木にいても騒がしかったし、それに……心が痛い……」
「その……元気を出してくださいシロウ」

 突然の里帰りの連絡、それに驚いた者は、実は少ない。魔術関係者には、本当の事情を話せたからだ。だから、いくらか楽ではあったのだが……知り合いの中には、当然魔術と縁もゆかりもない人間がいるのだ。例えば、藤村大河であったり。
 いきなり海外留学を決めた教え子が、これまたいきなり帰国を決めた。何事かと思わない方がおかしい。覚悟をしたつもりではあったが、しかし大河の取り乱しっぷりは予想以上だった。とにかく慌てながら「向こうでの生活は上手くいってないのか」などとまくし立てられたのだ。
 ところで、衛宮士郎は嘘が上手くない。取り繕うのが苦手であり、嘘を良しとも思っていないのだから当然だが。早い話、無理矢理ごまかそうとしてれば、知り合いなら誰でも分かるのだ。普段であれば簡単に看破できる嘘。しかしその時、藤村大河は混乱しきっていたのだ。そして、運が悪いことに、士郎も混乱しきっていた。
 だから、言ってしまったのだ。藤ねえみたいな教師になりたかったんだ、と。
 何とゆーか、もう色々凄かった。電話口で、いきなりぶわっと泣き始め、感極まる大河。どれだけうれしいかを、涙ながらに語られたのだ。これが自分の本音であれば喜べたのだが、あいにくと咄嗟に出た嘘である。訂正しようにもさえた言い訳は思い浮かばず、大河はエスカレートするばかり。この時点で士郎の精神は限界だった。就職口などを聞かれつつ、なんとか電話を切るのにだけは成功したが。
 これで終わりだと、その時は思っていた。本場は、実家に帰ってからだとも知らずに。
 日本に到着すぐ、士郎とセイバーは拉致られた。黒塗りの車に連れ込まれ、何事かと思ったが……相手は藤村雷画(とイリヤ)だったので、あまり心配せずされるがままになったのだが。それが、いけなかった。
 ついたそこは、士郎の知っている藤村邸ではない。やたら豪華に装飾され、山のような料理が盛られたパーティー会場。そして大きな横断幕には「士郎おめでとう」の文字が。あまりにうれしかった大河が企画した、おめでとうパーティー。セイバー曰く、この時の士郎の顔色は、今にも自殺しそうだったそうな。
 事情を知っているイリヤが全面協力していたのだから、たちが悪い。士郎の味方は桜だけだった。
 居づらくなった士郎が逃げるように(と言うか完全に逃走だ)町を出て、麻帆良に到着したのが、つい先ほどの出来事である。

「藤ねえ、本当にごめん……」
「こう言っていいのかは分かりませんが、過ぎたことです。あまり気に病みすぎるのもよくない」

 泣きが入った士郎を、背中をなでながら慰めるセイバー。当初は自業自得と傍観していたが、あまりの様子に、ちょっと哀れになってきていた。

「少し飲み物でも飲んで落ち着きましょうか」
「ああ、それなら俺が……」

 周囲を見回したセイバーを制して言う。だが、振り向いた彼女の顔は憮然としたものだった。

「落ち着くのはシロウです。もう一度言いますが、私が、飲み物を買ってきますのでシロウはそこでおとなしくしていて下さい」

 ぴっと、くにあるベンチが指さされる。それでも食い下がろうとしたが、その前に踵を返していた。
 小さくなる背中を見ながら吐息を吐き、指示されたベンチに座る。彼女との付き合いは、決して短くない。もう五年になろうとしている。そして、その五年、一番長く時間を共にしたのがセイバーだった。彼女の事を理解しているようで、見切られているのはいつも自分だ。今も昔も変わらず、敵わない頭が上がらない。
 腰掛けたベンチは、比較的新しいのか、音一つ立てない。
 座って程なく、ててててて、という足音がした。セイバーにしては幾分テンポが早く――と言うか落ち着きが無い。士郎が振り向くのと、少女が視線を向けてきたのは、恐らく同時だった。

「およよ? 観光の人? この時期にめずらしーね」

 髪をサイドアップにした、たぶん中学生くらいの少女。ジャージを着込み、うっすら汗をかいている。ランニングでもしていたのだろうか。全身から漂う快活な雰囲気が、落ち着きがなさそうな印象を固定させる。

「いや、観光じゃないよ」
「なになに? じゃー怪しいひと? きゃー」

 にんまり、歪めた口元を手で隠しながら、わざとっぽく悲鳴を上げる。人なつっこさに、嫌みを全く感じない。天性の、人に好かれるのが上手い娘だった。その容姿もあって、さぞや人気だろう、などと詮無いことを考える。

「教師として、新しく赴任してきたんだ」
「え、ほんとに?」
「ああ。まあ、会うことがあるかどうかは分からないけどさ」
「あー、そうだよねー。麻帆良ってめっちゃ大きいもん」

 学園と、研究所含むその関連施設で七割を占める都市。生徒数も教師数も、そして校舎数も相応に存在する。そこから、彼女のいる学校にピンポイントに赴任する確率は……控えめに言っても、あまり高くない。

「どこに赴任するの?」
「ここに来るって決まった時、ちょっとごたごたしててね。実はまだ聞いてないんだ。これから学園長の所に行くんだけど……その前に、家を見つけるのが先かな」
「家を……? じゃあ本当に来たばかりなの?」
「ついさっき麻帆良についたばかりだ」

 くくく、と首を倒しながら聞いてくる少女。一つ一つの仕草が細かく、そして妙にかわいらしい。しばらく、頭を傾け、唇に指を置いたまま考える。何を思いついたのか、ぽんと手を叩くと目を輝かせた。

「じゃあ私が教員寮まで案内してあげるよ! ちょうどおとーさんに会おうとと思ってたしね」
「お父さん?」
「うん、私のおとーさん、麻帆良大学の教授してるんだ。だから道もよく知ってるよ! ほら早く早く」

 と、手を取って強引に引っ張ろうとする。

「おっと……待って待って! 俺は一軒家だから、寮住まいじゃないんだ」
「え、そうなの?」

 ぴたり、引きずろうとしていた彼女の足が止まる。首半分だけ士郎を向いて、きょとんとしていた。その間も、手は掴んだままである。無防備すぎる少女の将来が、ちょっと心配になった。
 いきなり、少女は何かに気がついた。はっとして一歩下がり、しかし握る手を離すまいと、握力が増す。なぜか瞳を輝かせ、期待の視線を送ってくる。

「もしかして、お金持ちだったり!?」
「全然違うよ……」

 純真で太陽のようだと思っていた女の子は、以外と打算的でした。
 自分と知り合う女の子は、必ずどこかおかしい。人生の理不尽を感じて、頭を抱えた。しかし、それを『知り合いの女の子』達が知ったらこう言うだろう。お前が言うな、と。

「そうだな、ええと……何て言えばいいんだろう……?」

 頭の中で言葉を探す。いざ裏関連をぼかして事情を話すとなると、上手く説明できる気がしない。相手が大人であれば、事情があるから、の一言で流してくれるのだが。
 ちらりと、横目で少女を見る。噂好きなのか何かか、妙に期待の籠もった目つきだ。いい加減な言葉でごまかそうとすると、逆に追求してきそうではあった。僅かに頭を悩ませたが、すぐに思考を放棄する。上手い事を考えつくとは思えなかったし、通用する嘘をつく自信も無い。

「麻帆良に前に俺が所属してる所の家があるんだ。今まで住んでた人がいなくなるから、代わりに管理を任されたんだよ」

 結局、ほぼ本当の事を言うという選択を選んだ。あまり誉められた行為では無いのだが、嘘はもうこりごりだった。
 余談だが、管理費は完全に魔術協会持ちであり、士郎の支出はゼロである。

「なーんだ。お金持ちだったらおごってもらおうと思ったのに」
「はは、正直だね。……俺としてはもうちょっと隠してくれると嬉しいんだけどね」
「ほんと? 隠したらおごってくれる?」
「全く、仕方がないな。今度おごるから、もうちょっとおとなしくしてくれ」
「わーい、やったー! 約束だかんね、忘れないかんね!」

 その場で軽く飛び跳ねて、全身で喜びを表現する少女。まあ、実際の所。ここまで喜ばれるのであれば、悪い気はしなかった。

「あ、でも一軒家で一人とか寂しくない?」
「ん? 一人じゃないぞ」
「なぬ、もしかして結婚してる!? どんな人なの? 出会いはどうでしたか!?」

 ただでさえ高かったテンションが、天井知らずに上がる。ぐっと握って突き出してきた手は、たぶんマイクのつもりなのだろう。瞳の輝き方も、先ほどの比ではない。女の子が噂と恋愛話を好きなのは、どうやら麻帆良も変わらないらしい。幾度も晒された事がある勢いだが、未だに慣れなかった。おかげで動揺だけはしなくなったのだが……あまり喜べる話ではない。
 口元の手をさりげなくどけて、努めて平常の雰囲気を作り出して言う。

「残念ながら妹だよ。寮一つだと狭いし、二人でそれぞれ寮に入るのはもったいないからな」
「むむむ、またもや空振りだ。せっかく面白い話ゲット! だと思ったのに」

 ちなみに、当然のことながら――驚くべき事に、妹とはセイバーの事だ。ちゃんと戸籍も存在し、士郎と同じく切嗣の養子で、衛宮アルトリアという名前になっている。当然、士郎にそんなツテはないので、凛にやってもらったのだが。そのときの彼女が妙に楽しそうだったのが印象的だった。曰く、札束のビンタがこれほど楽しいとは思わなかった、らしい。……変なことに目覚められ、ちょっと泣きそうになったのは秘密だ。
 セイバーは自分が姉であると主張したのだが、それは通らなかった。当時士郎が急成長し始めたのと、サーヴァントは成長せず、ごまかしが難しいからだ。とても不満そうであり――それを質が悪いの(凛とイリヤとカレン)にからかわれて、さらに機嫌を悪くしていた。

「まあいいや。麻帆良の案内とか必要だったら、私に言ってくれていいわよん。ふふふ、麻帆良の事なら隅々まで知ってるからね!」
「頼もしいな。じゃあ、その時はお願いするよ」

 ぴっと、あごに指を当てて格好つけて(いるつもりなのだろう)、宣言する。
 決め顔のまま、彼女の視線がふと浮つく。視線を追ってみると、あるのは時計だった。

「わお、もうこんな時間。おとーさん待ってるから、もう行かなきゃ!」
「引き留めたみたいで悪かったな」
「ん、全然問題なーし。私も楽しかったしね! またねー!」

 別れ際まで元気よく、ぶんぶんと手を振りながら駆け出す少女――急ブレーキをかけて、体ごと振り返った。

「私は麻帆良中等部2Aの明石裕奈だよー! おじさんの名前はー!」
「衛宮士郎だよ!」
「名前おぼえたかんね! おごり忘れちゃヤだよー!」

 今度こそ振り返らずに、坂道を駆け下りていく裕奈。
 姿が見えなくなるまで振っていた手を下ろすと、急に冬の静けさが襲ってきた。ベンチに座り直し、木枯らしが吹くまま、音を捕らえる。来るときは肌を痛めつけていた寒さは、今はとても心地よい。
 こうして座っていると、柄にもなく昔の事を思い出す。学生時代よりも、もっと前。記憶にある限り、最古のものを。感傷的に、あるいは感情的に。
 養父は、とても疲れていたのだろう。それを肯定するように、見せる笑顔も疲れ切ったものだった。しかし、それこそが、士郎には誰よりも力強い笑顔に見えていた。それは今でも変わらない。折れながらも、夢を抱き続けた者の顔。誰が何と言おうと、どう否定されようと、間違いなく自分の根底になったそれ。
 子供ではなくなった。けど、大人になれたかは分からない。ただ、昔よりは少しだけ、あの背中に近づけたのだろう。大きかった背中に。

「シロウ、今戻りました。……シロウ?」

 背後からかけられる、セイバーの声。自販機が遠かったのか、それともわざと時間をくれたのか。
 反応の鈍い士郎に、疑問符を浮かべた言葉を投げかけられる。それに、ゆっくりと落ち着いて返したのも、感傷の影響かも知れない。

「いや、ちょっと前までここに住んでる子がいたんだけどさ」

 言葉とは、人が持つ意思を表現し写すものだ。自分というものは、口を開けば必ずそこに現れる。例えば、今の衛宮士郎に歓喜の感情があるとすれば――それは、語感が弾むことによって表現されるのだろう。今のように。

「その子に、おじさんって言われてさ」
「……」
「俺も、そう言われるくらいになったんだな、って思ったんだ」

 低かった背が伸びた。声が低くなった。指が節くれ立った、などという事でもいい。そんな些細な、理想と現実の共通点を見見つけて、人は先に進める。いつの間にか、大きくごつごつとしたものになった手のひら。果たしてこれは、昔見た切嗣のような手なのだろうか――

「シロウ」

 セイバーの言葉は、今度は堅かった。やはり、感情が映し出された、真剣みを帯びるそれ。
 彼女は、ただ黙って士郎の背後に立ち、ベンチに缶コーヒーを置いた。

「まずはそのくたびれたコートを脱いで、無精髭を剃ってください。話はそれからです」
「……はい、ごめんなさい」

 語感も内容も、叱責そのものであり。
 自分のだらしなさを思い出した士郎は、ただただうなだれるしかなかった。



 ○●○●○●



 その瞬間は、魔法使い達にとって人生で一番緊張した瞬間と言ってよかっただろう。新任の魔術師を受け入れるのに、顔見せにそれなりの人数用意しておかなければならない。それを知っていても、多くの人間が近右衛門を恨んだ筈だ。気持ちは分かるが、どうにもならない問題だった。
 誰もが人知れず拳を握り、扉が開かれない事を願った。それは、近衛近右衛門すらも例外ではない。しかし、願いとは現実に反するからこそ願いでしかないのであり。扉は、いともあっけなく開かれた。
 先頭に立って案内していたのは、桜咲刹那だ。彼女の様子には、全く気負いというものが見えない。そうでなくては困る。だからこそ、関東魔法協会に所属していながら、非魔法使いの彼女を任命したのだから。
 彼女に続く人影も、小さなものだった。金色の髪を上げて結った、恐ろしく「真っ直ぐ」な印象を受ける少女。そして、近右衛門から見ても隙の見えない立ち振る舞い。外見こそ刹那とそう変わらぬ年頃に見える。だが、それで侮るような者はこの場に誰もいない。衛宮士郎の従者である、その一点だけを取っても、異常に過ぎるのだ。ましてや、彼の『不死者殺し』が必ず戦場に連れて行く相棒ともなれば――たった一人で、この場の半数を討ち取れてもおかしくない。
 次に入ってきたのは、今、魔法使いが最も恐れる男。魔術協会の切り札、衛宮士郎だった。高い身長に引き締まった体は、それだけで威圧的。ましてや、顔から微笑がない――つまり、魔術師としてこの場に立っている――ともなれば、それだけで部屋に怯えた空気が作られる。良くない兆候だ。分かってはいたが、何ともできない。なぜならば、近衛近右衛門ですら、彼がこの場にいると言うだけで恐れを感じていたのだから。
 恐れた理由は、彼の姿を確認したから、だけではない。衛宮士郎という希代の魔術師から、一切の魔力が感じられなかった。魔術と魔法、その両者は今や、共通するプロセスを探す方が難しい。しかし大前提として、世界の生命力、つまりマナを利用するのは変わらないのだ。それを感知できないというのは、控えめに言っても、実力の桁が違う。

「魔術協会派遣、監督魔術師です。よろしくお願いします」
「うむ、よく来て下さった。こちらこ……」

 挨拶をしたのは、衛宮士郎ではなく、衛宮アルトリア(魔術協会での通名はセイバー)だった。彼は少女の隣より一歩下がった位置に立っている。つまり、この度の挨拶を担当するのは、彼女だという事なのだろう。安堵に空気が僅かに緩み……すぐに、今まで以上に緊張したものになる。
 最後に入ってきた、三人目の魔術師。すらっとした体をダークスーツで纏った、男装の麗人。よく知た、という程ではない。しかし、顔を覚える程度には知っている相手。数ヶ月前に、人不足の図書館島で司書として雇った女性だ。融通が利かないものの、よく働く人、それだけの人物の筈だった。

「そ、その……そちらの方は……」

 近右衛門は、自分の声が酷くかすれているのを自覚した。それを取り繕うには、自制心を失いすぎている。

「改めまして、バゼット・F・マクレミッツです。正確には、バゼット・『フラガ』・マクレミッツですが。魔術協会の執行者をしていました。これは元であり、現在フリーで活動していた所を、衛宮教授に雇われました」

 ひぃ――部屋のどこかで――あるいは全体から、息を詰まらせたような悲鳴が上がった。同じように喉元まで上がっていた悲鳴を、すんでの所で止める事に成功する。関東魔法協会の長という矜持と義務が、それを許さなかった。
 それでも、背筋を凍らせるような悪寒まで止められる訳では無い。理由は二つ。彼女も衛宮士郎同様、懐に入られながらも全く魔力を感じられなかった。いや、それどころか、魔術師だと数ヶ月も気づけなかったのだ。彼らが本気で魔術の隠蔽をした場合、魔法使いはそれに気づけない、そう語っている。
 二つ目に、彼女は元執行者だと言った。
 封印指定執行者。魔術師の中でも、さらに悪名高い存在。主な任務に、能力や危険度の高い魔術師を捕縛、封印処置するというものがある。つまり――彼女は対人戦闘のプロフェッショナルなのだ。
 士郎の能力は疑いようも無ない。しかし、対魔法使い戦闘能力は未知数で済んでいてくれたのだ。楽観は敵だが、時には精神を安定させるのに役立ってくれる。この場合もそうだった。しかし、ここで執行者が出てきてしまった。魔術師の中でも、特に魔術攻略能力の高い者達。時には聖堂教会の代行者とも殺し合う化け物中の化け物。
 そんな者が、果たして、対魔法使い戦闘を心得ていないなど、あり得るだろうか。そんな事、あるわけが無い。
 士郎を挟んでセイバーの反対側に、さらに一歩引いて立つ。ただ直立しているだけの姿が、とても魔術師らしい。前者二人のように。
 案内してきた刹那だけが、状況を分からず、怪訝そうに部屋の隅に寄る。今だけは、彼女の無知がうらやましい。

「着任は衛宮士郎が代表し、補佐として衛宮アルトリアとバゼット・フラガ・マクレミッツが着きます。常任枠に残り3つ、一時受け入れに5つの枠があります。確認を」
「確認しました」

 気を取り直したのを確認するように、しっかりと言う。なんとか怯んだ空気を戻したい――できれば、こちらのペースにもっていかねば。とは言え、それが出来るなどとは、近右衛門は欠片も考えていなかったが。
 なにしろ、出会い頭に特大の手札を切られたのだ。バゼット・フラガ・マクレミッツの存在は、魔術師の有能さと魔法使いの無能さを刻みつけるのに十分すぎる。さらに、両者の間で取り決められた、魔術師の滞在枠。これがほぼ無意味であることも意味しているのだ。最悪の場合、あと何人か、麻帆良に魔術師が潜んでいる可能性がある。
 唯一の幸運は、衛宮士郎が口を開く様子がない事か。引き締まった雰囲気のまま、従者に全てを任せていた。彼女が語っている以上、内容は定型のものに限るだろう。それは、魔法使いにとても都合が良く、そして衛宮士郎にも都合がいい。
 つまり、衛宮士郎は己が語らない事で、情報の流出を抑えているのだろう。完璧な魔術師、その一端を垣間見た。
 しかし、彼らに不利を取らせすぎてまで黙っている事はあるまい。主導権を取りつつ、衛宮士郎の出てこないギリギリで戦う。情報秘匿と、デメリットが釣り合う場所を手探る。まるで針の山に差し込むような、神経を使う、恐ろしい作業だ。

「まずは、ワシが近衛近右衛門。関東魔法協会のトップをしておる。そして、君たちを案内した彼女が……」
「必要ありません」

 言葉を、ぴしゃりと中断させられる。幾人かの魔法先生が、びくりと肩を震わせた。

「彼女からは、事前に自己紹介を受けています。効率的でははない」
「そ、そうかの。では次に……」

 もくろみは最初から失敗し、驚くほど容易く主導権を奪われる。魔術師過ぎるほど魔術師らしい理由に、魔法使いはさらに怯んでいた。弁解できないほどに萎縮している。
 近右衛門も、魔術師を威圧するために頭数を揃えた訳ではない……そう機能してくれる事への期待は、僅かにだがあったが。しかし、現状ではまったくの逆効果。これで魔法使いを侮り、隙を見せてくれればまだ意味があるのだが――それは魔術師に期待するだけ損である。明確な上下関係を刻みつけられるだけで終わる。想定した中でも、最悪に近い展開だ。

(く……変な色気を出すべきでは無かったかのう)

 一人、後悔するが、それも遅すぎであり。苦虫を噛み潰す思いを隠しながら、紹介を続けた。
 事ここに至っては、挽回を諦め、素早く話を切り上げるしかない。これで、より権限の大きな衛宮士郎になど発言されてしまえば、干渉権まで失う可能性がある。想定した最悪を超えた事態だ。衛宮士郎の、権限を広げるより情報を封鎖する方針は、ここで追い風になってくれる――それさえも、彼の手の内の可能性が高かったが。

「衛宮士郎殿は広域指導員、アルトリア殿は学生に……」
「報告は正確にお願いします」
「ね、ネギ・スプリングフィールドが在籍予定の、麻帆良中等部2年A組に編入していただく」
「了解しました」

 鋭く飛ぶ、セイバーの言葉。

(通り名らしく、言葉まで刃かい。……いや、そうじゃないじゃろう)

 いっぱいいっぱいすぎて壊れつつある思考を否定。内心だけで冷静たるべく唱え、落ち着かせる。相手にしているのは魔術師、それを忘れたわけでは無い。
 焦るあまり言葉足らずになったのだが、相手はそう取らなかったようだ。曖昧な言葉で契約の裏をかく、それを防止しようとした。魔法使いの持つ技術では、魔術師に契約や呪縛の効果を発揮できない。足らなかった言葉を元に揚げ足を取ったところで、強制力などないのだが――その程度の事にすら、手を抜かない。

「それで、バゼット殿についてじゃが……」
「今のまま、図書館島の司書で構いません」
「できれば、別の場所に配置換えしてもらいたいのじゃがのう」
「私は一般人として採用され、勤めています。一般の事情で移動になるのでしたら、それに従いましょう。また、一般人として採用された以上、魔術行使は緊急時以外しないと誓います」
「う……ぐ……! では、それについてまた改めて決めると言うことで」

 図書館島は、かなり独立性の高い組織だ。機構はそれ事態で完成している。つまり、配置換えや長期出張で、図書館島外部に出ることがない。
 いっそのこと、解雇してしまおうかとも考えたが、リスクが高すぎる。もし、不当解雇で一般職員を煽り、何か大きな問題にされたら。乗っ取りとは言わずとも、魔術師にしてみれば、権限の一部を奪い取れれば十分なのである。そして、それくらいなら大して難しくない。
 魔法を使って不満を抑え込むのは、下策中の下策。精神操作については、魔術師の方が何枚も上だ。いや、それ以前に、武力行使の理由を与えている。
 多くの魔法先生は、その程度の代償で排除出来るなら、それでいいと思うだろう。しかし、図書館島の真の姿を知っている者であれば、絶対に言うまい。あそこには、秘密が多すぎるのだ。
 せめて、事前に知っていればまだ対処のしようがあっただろう。現状では、対処できる手札が一枚も――はったりを含めて――ない。
 結局、近右衛門に選択できたのは問題の先延ばし――事実上の、現状維持だった。あとは、シフトや担当地区を調整し、地道な嫌がらせをする。悲しくなるほど些細な抵抗。

「他に、何か疑問点はございますかな?」
「現状ではありません。今後、問題が出た場合は書面にまとめ、提出します。緊急性が高い場合は、直接連絡になりますが、宜しいでしょうか?」
「うむ、それで頼みますぞ」

 と、答えるも、書類が届くことはないだろう。そして、直接連絡が届く事態は、あまり考えたくない。少なくとも、魔法使いにとって楽しい話にはならないだろう。

「それでは、私たちはこれで失礼します」
「見送りは?」
「結構です。道は覚えています」

 退室する姿にさえ、一部の隙も無く。士郎を中心にして、去って行った。
 ぱたん、小さな音を立ててドアが閉まり、同時に幾人かの魔法先生が崩れ落ちる。いや、気の緩まぬ者などいない。殆どの教師は壁に寄りかかり、近右衛門ですら机に突っ伏しそうになる。
 終わったという安堵、同時に、激しい頭痛が襲ってきた。今のは交渉でも何でも無い、ただの顔見せだ。その程度ですら、これほどやり込められているのだ。カードが多かった、などという言い訳は通用しない。交渉とは、元から持ちうるカードの質と量で結果が決まるのだ。用意していなかった時点で、ただの間抜けだ。
 魔法が通用しないと、とたんに何も出来なくなる。自分含む、魔法使いの弱手をまざまざと見せつけられた。
 こめかみを揉みほぐしながら、備え付けの頭痛薬を無理矢理飲み込む。どれほど疲れていようと、長である以上責任は果たさなければならない。

「刹那君、すまんがタカミチ君を呼んできてくれんかね?」
「はい、分かりました」

 一番ダメージが少なそうだった少女に声をかける。動きは迅速であり、すぐにドアから出て行く。

「諸君らは、このまま待機じゃ」

 それは、今月に入ってすでに二桁に突入した、魔術師対策会議の合図だった。



 ○●○●○●



 顔合わせを終え、麻帆良学園中等部(なぜか学園長室は麻帆良学園中等部にあった)から幾ばくか離れた路地。人のいない時期、がらんとした主要道では、さすがに監視というのも難しい。それでも、一応周囲を確認してから、士郎は大きく息を吐いた。ついでに、軽く肩を回して揉みほぐす。

「お疲れ様ですシロウ……と言いたい所ですが、これくらいでへこたれてもらっては困る」
「うっ、今回もセイバーに任せっきりだったしなぁ。悪いとは思ってるんだけど」
「士郎君は交渉はおろか、公的な場における適正が皆無ですからね」

 僅かに、してやったりという表情でバゼットが言う。が、彼女は気付いていない――セイバーが横目で、お前が言うなという表情をしていたのに。
 今回の顔見せに、士郎は凛から一つのことを厳命されていた。つまり、お前は一言もしゃべるな、と。当然過ぎるほど当然である。士郎は、相手が交渉のつもりで出してきた話を、ほいほいイエスと回答してしまう男。さらに言うと、凛はそれを挽回すべく、八面六臂の大活躍をしたのだ。これを台無しにすれば、殺されても文句は言えない。と言うか、寝不足と疲れに血走った目で睨まれ、ガンドストレートを食らいながら殺すと言われた。

「しかし、今回はシロウの顔もよい仕事をしていました」
「いや、俺は何もやってなかったと思うんだけど……」

 緊張と(凛の)プレッシャーでがちがちに固まる顔と表情。辛うじて話は聞いていたものの、本当に聞いているだけだった。あの場で発言を求められていたら、きっと上ずっていただろう。

「ええ、ですからシロウの顔が。上手い具合に威圧感を発していました。元々ああいう場で、シロウが能動的に何かをして、よい方向に動くとは思っていません」
「……。セイバーってもしかして、俺の事嫌いか……?」
「いいえ、好きです。しかし、もうちょっと常識を弁えた行動をしてくれれば私の苦労も半減するのに、とは常々思っていますが」
「俺が悪かったです本当にごめんなさい」

 素早く下がる頭は、妙になれた動作だった。
 幾度も繰り返されたやりとりに、彼女はその程度で騙されてくれない。バゼットに向いていた白い目が、士郎の後頭部を捕らえていた。じりじりと、後ろ髪を焼くような視線に、一筋汗が流れる。

「し、しかしセイバーは交渉とか、ああいうのが上手いよな!」
「……」
「……」

 ごまかすつもりで出た言葉は、実際は煽るものになっていた。セイバーの眼光が強くなり、士郎の背中は冷や汗にまみれる。バゼットはそっと距離を置いて、若干早足になっていた。
 ぴりり、突き刺すような怒気に晒されて、手が震える。自爆しない話題転換はないか、脳裏で必死に言葉を浮かべて……ふう、とセイバーがため息をついた。同時に、プレッシャーも失せる。

「交渉と言えるほどの事はしていませんよ。そもそも、今回は魔道師が勝手に自爆していたのです」
「そうなのか? まあ確かに、俺も変だなとは思ったけど」
「実際、ああいう事は多いのですよ。私も、代行者として活動している時は、よく面倒が省けました」

 いつの間にか戻ってきていたバゼットが、当然のように会話に加わる。
 助けてくれてもいいじゃないか――視線を飛ばすが、彼女は全く気にしていなかった。むしろ、すでに忘れていた。士郎に返された視線には、何か用か、と書いてある。完全無欠のハイペースにしてマイペースだ。

「名声というものには、力があります。実態のないものなどではなく、社会的な影響力を保持しているのです。だからこそ、いつの時代であっても、権力者は名を広く浸透させようとし、その力を利用します。そして、士郎には実態はともかく大きな名声があり、その結果、相手は虚像に倒れ伏しました」
「何と言うか……難しい話だな」
「ええ、とても面倒な話です」
「難しくも面倒でもありません。貴方たちは少しくらい、名声の使い方を覚えて下さい……」

 セイバーは頭を抱えて、そっと黄昏れた。

「まあ、それでも所詮は名でしかありませんし、彼らにも十分挽回する方法はありました。試してはいましたが、完全に逆効果でした」

 若干胸を張りながら、セイバー。暗に、自分にならできていた、と言っているのだろうか。それが分からない士郎には、首を捻るしかない。

「向こうの学園長はあんまりこういう事が上手くなかったのか?」
「いえ、そんな事はありません。むしろこの規模の都市を治めるのには、過大なくらいの能力があるでしょう」

 しかし――セイバーが若干早くなった歩調で、枝道に入っていく。歩幅が大きくなるのは、彼女が真剣になった時の癖のようなものだ。
 語り、説明しながらでも、進む足は僅かも揺らがない。まるで歩き慣れた道のように、真っ直ぐ新しい家へと向かっている。方向感覚については、士郎も少し自信があった。が、セイバーのそれと、勘が組み合わさるとまるで勝てる気がしなかった。例えば今のように、見たこともない道で、方向だけを頼りに最短距離を進んだり。

「私とて、仮にも一国を治めていたのです。しかも、有利な札は全て手元にありました。一都市の領主に負けるわけにはいきません」
「ああ……そう言えば、セイバーって王様だったっけ」
「……。まさか、忘れていたのですか?」
「いや違うぞ! ただ、あんまり王様らしい姿を見たことがなかったから!」

 手を振り慌てて訂正するが、愕然とした目は向けられたままだ。
 はっきり言ってしまうと、セイバーが王だという事は、完膚無きまでに忘れていた。いや、それどころか。名高い英霊である、という事すら忘れていた。
 現代に蘇った剣の英霊は、その力を発揮する機会などそう多くなく。王の重責もない生き方は、まるで普通の――当たり前にいる、少女のようであった。人並みに笑う姿に、国の重圧につぶされ続けた誰かの面影はない。それが、本当の意味で良いことか悪いことかは分からない。ただ、そんな時間があってもいいのではないかと、そう思えた。
 と、ここまでは美談のようなのだが。ぶっちゃけ彼女は、普段かなりのぐーたらだった。どうやらオンオフが激しいタイプらしく、オフの彼女は全力で遊びほうけるのが普通だ。そして、オンにする機会が無いと……ただの扶養家族である。適度に仕事が無いとダメ人間になる典型だった。
 まあいいでしょう。そう言うように、セイバーは進行方向に直った。しかし背中は、三度目はないと告げている。次こそは失言しないようにしようと、心に刻む士郎だった。もっとも、それでも地雷を踏み抜くからこそ衛宮士郎なのだが。

「それに、向こうが仕掛けてくるタイミングで横槍を入れておきました。ここまで悪条件が揃えば、何も出来ないのは当然でしょう」
「なんと言うか……酷くないか?」
「ありません。交渉とはそういうものです」

 ぴしゃり、断言するセイバー。そこには、反論は許さないという雰囲気があった。
 一言で言ってしまえば、気に入らない。もう少し、両者が納得できる形があった筈だ。しかし、それは物事を知らない素人の意見でしかなく。不満だから、で文句をつけない程度には、衛宮士郎は大人になっていた。

「まあ、私の功績のように言ってしまいましたが。やはり一番致命的だったのは、バゼットの件でしょう。よく、何でも無い事、ように振る舞ってくれました」

 ふと、名前を呼ばれて振り向くバゼット。表情はとても不思議そうだった。

「聞かれたことに答えただけですが?」
「でしょうね」
「だろうな」
「何ですか、二人してその反応は」

 む、と口を曲げるバゼット。それを確認し、からかうのはやめた。
 口より先に体が動く彼女の場合、からかい続けるのは危険である。ただでさえ、低すぎて見えない沸点、と言うか我慢点。一度限界を超えれば、飛んでくるのは鉄骨を真っ二つにする鉄拳だ。からかうのも命がけである。

「と、そうでした。士郎君」

 短気だが、同時に切り替えが早いのも彼女の特徴であり。表情を直した彼女は、おもむろにワイシャツの内側に指を差し込んだ。慌てて視線をそらす士郎。

「何をしているのです?」
「いや……バゼットがいきなり、服の中に手を入れるもんだから……」
「入れましたが、それが?」

 分からない、というよりは、どうでもいいという口調。気にする方がばかばかしいのだろう。しかし、そのまま見ていた場合、セイバーの目つぶしで地面を愛する事になる。

「これの効力は恐ろしいほどでした。まさか、魔力の痕跡を完全に消せるとは」
「ああ、そうだろ」

 バゼットの手に乗っているのは、ネックレスだ。もっと細かく言えば、細い鎖につながれた小さな装飾剣。士郎も全く同じものを持っている。魔道師に気付かれなかったのも、これが原因だ。

「けど、あんまり外に出さないでくれよ。見つかったらやばいからな」
「当然心得ています。執行者でもあった私が、これの危険を理解していない訳がない」
「そこら辺は信頼してるよ。魔術師としての腕前は、俺より全然上だし」

 こんなもの、所持しているだけでも、封印指定の疑いかかかりかねない危険物。しかし、そのリスクを負ってでも持っていなければならない理由が、二人にはあった。
 バゼットは、左手の義手を隠さねばならない。それは高密度エーテル塊であり、同時に世界最高の呪物でもある。はっきり言ってしまえば、とても危険なのだ。どこかに知られてしまえば――目的はどうであれ――色んな組織が、こぞってバゼットを殺しにかかる。そう断言できる程度には。
 士郎は、己の投影魔術、および固有結界を隠さねばならない。固有結界はまず知られる事は無いだろうが、投影はそうはいかない。投影物はなるべく持たないように、代用品を集めはしているのだが。仕事柄、秤に乗せるのが命である以上、どうしても頼らなければならない部分がある。
 理由は違えど、他者に知られてはいけない魔術的要因がある。影響を完全遮断する『宝具級』の道具の存在は、不可欠だった。
 危険を隠すために、さらに危険物に頼るというのは、なんとも皮肉だ。
 バゼットが、服の中にネックレスをしまい直す。家についたのは、それとほぼ同時だった。
 年季が入っているものの、しっかりした作りの大きな家。それを見て、ほう、とバゼットが吐息を漏らした。

「なかなか立派ですね」
「そう言えば、まだ鍵を渡していませんでしたね。これがそうです」

 ちなみに、セイバーも士郎も、バゼットが今までどこに泊まっていたか知らない。気にはなったが、怖くて聞けなかった。
 最近まで使われていた家は、埃が積もっているという事は無い。しかし、掃除業者を入れる訳にもいかないので、それなりに汚れは溜まっていた。本当は、バゼットが来る前に先に掃除したかったのだが。荷物を置き、身嗜みを整えてすぐ出てしまったので、全て手つかずだ。
 よし、と気合いを入れて、上着を脱ぎ腕をまくる。セイバーはエプロンと頭巾を用意している所だ。

「バゼット、これから掃除するから、ちょっとだけ待っててくれ」
「必要ありません。寝泊まりに問題はありませんから」
「ダメです。却下です。必要あります。だから居間で、お茶でも飲んでてくれ」
「……それでしたら、私が掃除をしましょう」
「ダメです。却下です。必要ありません。頼むからおとなしくしててください。一番最初に終わらせるから」

 とぼとぼと去る背中に、罪悪感を感じないわけではない。しかし、彼女にやらせればそれは掃除ではなく、破壊活動だ。引越し一日目にして住居を失わないためにも、絶対に参加させられない。
 買っておいた掃除用具を持つと、士郎は二階に上がった。部屋割りは最初から決めており、迷うことは無い。開けた部屋はそれなりの広さで、家具も残してあった。ありがたいが、後発で届く荷物が来るまで、利用されることはないだろう。
 慣れた手つきで箒を掃き、ぞうきんをかけていく。一部屋終えてバゼットを呼び、次の部屋に取りかかった。
 日が暮れる前には一階まで全て終えて、残すは地下のみ。バゼットも呼び、三人で階段を下りていく。
 掃除をするとすれば、それは士郎とセイバーの二人なのだろう。だが、施設が施設である以上、意見を聞かずにやる訳にもいかなかった。

「どうだった?」
「ええ、私はこの部屋にします。掃除も結構です。扉のコードはすでに変更済みなので、絶対に近づかないように」
「分かった」

 もしやすれば、地上部分よりも大きな地下室。大きな部屋が二つに、小さな部屋が一つ。それらは、魔術師の工房だった。こればかりは、人が手を入れた場所を使おうとは思えない。

「しかし、良いのですか? 私が一番最初に、工房の場所を決めてしまって。立場で言えば、工房の敷地事態無くても仕方がないのですが」
「ああ。全然構わないぞ」
「ならば、好意に甘えます。ですが、そちらの研究に影響がないようにして下さい」
「あー……うん、まあ、それは大丈夫だから。気にしないでくれ……本当に」

 真剣な表情で言うバゼットに、口元を引きつらせる士郎。時計塔から出たと言っても、やはり魔術師なのだ。その彼女の前で「研究なんてしないから大丈夫」などと口が裂けても言えない。
 士郎にとって、魔術は研究するものではなく、訓練するものだ。それだけなら、工房はなくても事足りてしまうのだ。

「っと、今結界を張るから、何かするならその後に頼む」

 二人に言い残して、士郎は一番小さな部屋に入った。四歩で奥までたどり着ける、石畳で囲まれた部屋。二歩前に進み――つまり部屋の中心に立って、それを唱えた。

「――投影、開始」

 自分だけでも、世界だけでもない。全てに真摯に、もしくは不義理に、その言葉を届ける。魔術という軌跡を具現するための、調和の言葉。僅かな発光と共に魔術回路は動きを止め、手には四本のナイフ。それを、部屋の四隅に刺した。
 衛宮士郎には、いくつか得意な魔術がある。筆頭としては、己の魔術属性――魔術の枠を超えた軌跡の写し身を取り出す、投影魔術。もっとも、これは得意すぎて、おいそれと利用できないのであるが。
 次に強化、結界と続き、少し劣って火(正確に言えば熱)と鋼と変化がある。これには、士郎なりに予測を立てていた。
 繰り返すが、彼の魔術属性は剣。そして、どちらかと言えば作り手だ。鍛冶の工程に関係あるものが、得意魔術になる。こじつけのようだが、実際そうだったのだ。その中でも強化が頭一つ出ているのは、鍛える工程が一番多いからだろう。
 結界が得意なのは意外であったが、考えてみるとそうおかしくも無かった。投影魔術が固有結界の中身からこぼれ落ちたのなら、結界は固有結界そのものの劣化品なのだ。世界を作り上げるほどの、隔絶結界。それの劣化品ともなれば、やはり常識を逸した性能になるのだ。ましてや、優れた魔術具の投影品と組み合わせれば――一流の結界術士すらうなるほどのものが組み上がる。

「結界展開、開始」

 呪文と同時に、部屋から不可視の力場が家全体に広がった。遠坂凛監修の元に構築された結界術式は、並の術士では気付くことできない。
 つまり、考え得る限り最高の結界なのだ。破られる事などありえない。ましてや、結界に発見されず、内部に直接干渉するなど、あるはずが無い。あるはずの無いことが、しかし、今、目の前で起きている。
 全身に激痛が走る。痛みを訴えたのは、魔術回路だった。

「っ――ぁ……!」

 喉から、絞り出すような悲鳴。体が痙攣を繰り返す、それでもなんとか、倒れ伏すのだけは耐えた。倒れてしまえば、次の行動に繋げられない。体を丸めて、しかし目だけは前に向ける。
 そこには、異常があった。陳腐で漠然とした言い方だが、そうとしか言いようがない。あり得るはずが無い現象。説明のつかない事象。だからこそ、ただの異常。
 正面の壁が、ぐにゃりと曲がった。士郎が酔っている訳でも、光の加減でそう見えたわけでも無い。本当に、物理的に空間をねじ曲げられた。それを成しているのは、桁違いに莫大な魔力の渦。そう、ただ魔力なのだ。本来指向性を持たないはずの、無軌道なそれ。そんなものが、空間に怪奇現象を起こすほど、高密度になっている。
 魔術回路の痛みは、結界内の異変だけが原因では無かった。未だ増え続ける圧縮魔力が、魔術回路から逆流してきている。

「士郎君!」
「どうしたのですか!?」

 異常を察知した二人が、扉をたたき割るような勢いで進入してくる。そして、殆ど同時に、魔力の風に追いやられ、壁際へと後退する。

「これは何事ですか!」
「分からない! 本当にいきなり、こうなったんだ! それいよりバゼット、これを家の中だけで閉じるから協力してくれ! セイバーは俺から可能な限り魔力を吸い上げて!」
「分かりました!」
「了解です」

 魔力とは、つまり星の生命力だ。どこにでもあるが、どこでも『濃い』という訳ではない。自然界であり得ないほどの超高密度魔力が、人体にかなりのダメージを与えるだろう。
 新たに四本、結界楔用のナイフを投影し、二本をバゼットに渡す。彼女は自分の血でルーンを刻み、呪文を唱えた。士郎が基礎となる、とにかく堅牢で内を外に漏らさない結界を張り、バゼットが補強する。隠密性も何もかもを度外視した、とにかく頑丈なだけの結界だ。しかし、これならば聖杯クラスの魔力でも無い限り、受け止められる。
 膨大な魔力が外から内へ、内から外へと循環する。矛盾する充足感と喪失感の連続。経験に無い魔力の流転に、体の感覚がおかしくなりそうだ。
 あと少しで、結界を張り終える、その時だ。びしり、と、空間が割れたのは。
 士郎とバゼットの顔が盛大に引きつる。結界を張るのに集中するか、それもと空間を割った何かに備えるのか。どちらかだけでも、限界に近いと言うのに。

「二人とも後ろに!」

 二人が地を蹴ったのは、ほぼ同時だった。魔術を保持したまま、身を躍らせるセイバーの後ろに飛び退く。彼女の手には、不可視の何か。それが揺らいで、内側に隠された黄金の剣を覗かせている。

「――ぉぉぉおおおお! 風王結界!」

 声――つまり、真名の解放――により、風は剣を解放。輝く剣をこの世に表すと同時に、剣を中心にした傘状の風壁が作られた。
 空間の亀裂は限界を迎えて、風景が一瞬大きく撓む。

「伏せて!」

 それは、誰の声だっただろうか。少なくとも士郎は言っていない。もしかしたら、心の中の悲鳴が、そういう幻聴に変換させたのかも知れない。つまりは、そう思わせるくらい、疑いようのない言葉だったという事だ。
 後の空間の変化は見ていない。ただ、冗談のような爆発が、大した広さのない部屋で荒れ狂った。それだけを音と振動で得る。
 高性能爆弾でも使ったかのような爆発力。空間の揺り返しに呼応した、超圧力の魔力渦。音だけでも、体をきしませた。これを防げたのは、ひとえに風王結界のおかげだ。術者の思い通りに変化し、隙間無くしき詰まるのは、通常の防具では不可能。もし士郎の投影魔術で防いでいたら、体がばらばらに吹き飛んでいた。
 刹那の爆発から、後の無事を確認するまでおよそ十数秒。しかし、その僅かな時間は、今日一番長く感じられた。爆発が起きた方向に注意を向けつつ、頭を持ち上げる。セイバーがちょうど、宝具をしまう所だった。

「怪我はありませんか?」
「ああ、セイバーのおかげで」
「私も問題ありません」

 石造りの壁面は、衝撃に思い切り歪んでいた。工房のあるこの場所も、地下ずいぶん深い場所の筈なのだが。それを内側から押しつけて半壊させるとは、どれだけの威力だったのか。

「結界は……正常に機能してるな。よかった」
「間一髪でした」

 暴力的な量の魔力は、しっかりと結界内で止まっている。普通の魔術師であれば、満ちた魔力の量に喜ぶのかも知れないのだが。士郎にとっては、半壊した部屋をどうするか、今から頭が痛かった。
 とにかく、唐突で何も分からなかったが。二度とこんな現象を起こさないためにも、すぐにでも原因を究明しなければならない。次同じ事が起きれば、今度は結界が耐えられないだろう。
 爆発跡地を見て、ふと気付く。そこに、何かが転がっていた。いや、何かでは無い。人が転がっていた。もっと詳しく言えば、女性が転がっていた。さらに細かく分類すると、少女が転がっていた。
 もうつまらなく迂遠な物言いはいいだろう。そこには、遠坂凛がいた。
 ――恐らく、五年ほど昔だと思える、遠坂凛が。 
次ページ > 目次
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧