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春の丘の上

作者:霧崎雫
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天使の最後

いつからだっただろう………
僕が一生懸命になるのをやめたのは。
僕だってかつては感情を素直に表情に乗せることはできた。
友だちだってそれなりにいた。
ドラマやアニメ、映画や音楽、ゲームにだって夢中になった。
当然"恋"だってしていた。
今では、この部屋から出ることが怖くて仕方ない。
いつからだったのだろう。
僕の中であのことが"思い出"になったのは……

中学2年生の桜が舞う春。
僕はあの丘の上で"天使"に出会ってしまった。
ここらでは見たことのない整った顔立ちの少女だった。
天使は、丘の上のベンチで泣いていた。
僕はその顔を見て図らずも可愛いと思ってしまった。
「どうしたの?」
僕が問いかけると、彼女は肩を大きく震わせた。
そして、僕の方を見て「なんで……」と言った。
「ここは僕のお気に入りの場所だから」
そう言うと、彼女は僕から視線を外した。
そして、首を振りながら「来ちゃダメ」と言った。
「どうして?」
僕は彼女との距離をゆっくりと縮めながら、聞いた。
「壊れちゃうから」
彼女のその言葉は、僕には真意が分からなかった。
でも、僕は彼女の方へ足を進めた。
「来ないで!」
彼女は僕の方を見ずに、そう叫んだ。
僕は「嫌だ」と言いながら歩いた。
「だって君……辛そうだから」
僕のその言葉に、彼女の背中が再度震えた。
彼女は座ったまま、僕の方を見た。
涙を溜めた大きな瞳、陶器のように白い肌。
僕は一瞬で彼女を好きになった。

「君の名前を教えてくれない?」
彼女の涙が止まるのを待って、僕はそう聞いた。
彼女は小さく笑って「いきなりどうしたの?」と言った。
「僕の名前は荻原紡って言うんだ。覚えてくれる?」
僕は彼女にそう言った。
彼女は「別にいいけど」と言った。
そして「桃花」と短く言った。
「え?」
「夕咲桃花。それが私の名前」
笑ってはいるけど、辛そうな彼女の表情は出会った時と変わらない。
「ねぇ、紡」
僕が彼女との会話のきっかけを探していると、彼女が僕の名前を呼んだ。
「な、なに?」
「紡の夢って何?」
「夢?」
「うん」
僕は返事に困った。
なぜなら、僕はあまり将来を考えたことがなかったからだ。
だけど、ついさっき僕の夢ができた。
「桃花の涙を拭うこと。そして、桃花を笑顔にすること」
僕はハッキリとそう言った。
桃花は「なにそれ」とイタズラっぽく笑った。
「桃花を見てそう思ったから」
「しょうがないなぁ」
桃花は笑ったまま、僕の方へ歩いてきた。

「ねぇ、紡」
さっきと同じ呼び方。
しかし、何かがさっきとは違っていた。
でも、僕にはその何かが分からなかった。
「私ね、もうすぐ死ぬの」
「え、どういうこと?」
戸惑う僕の胸に桃花は顔を押し付けて、一言ずつ絞りだすように話した。
「二度と治らない病気なの。でも、私が死んでも誰も悲しまないの」
そう言う桃花の肩はさっきよりも震えていた。
「なんでそんなこと言うの?」
僕は桃花の肩を持って彼女を胸から剥がした。
そして、僕は桃花の顔をしっかりと見つめた。
桃花の瞳にはまた涙が溜まっていた。
「なんでそんな風に諦めるの?悲しむ人がいないって本当に思ってる?」
桃花は僕の顔を見ない。
それでも、僕は続ける。
彼女との未来のために。
「諦めないでよ!?僕が大きくなって、桃花の病気を治すから!それまで一緒に頑張ろうよ!」
「死なないでよ……」と僕は消えそうな声で叫んだ。

桃花は僕の涙を拭って言った。
「ごめんね、紡。私ね、死ぬのが怖くなかったの。こんな世界を生きているほうが辛かったの」
僕は桃花を見上げた。
「でもね、今怖くなった。紡に会えなくなるのが怖くなったの。もっと紡と笑いたいの」
桃花の真後ろにある夕陽のせいで、桃花の表情は見えなかったが、僕には笑っているように見えた。
「僕もだよ。僕も、桃花とずっと笑っていたいよ!」
僕がそう言うと、桃花はニッコリと笑った。
「ありがとう。それだけで充分よ」
僕には桃花が何を言おうとしているのかが分かっていた。
だから、桃花の肩を掴んでいた。
そして、桃花が最後の言葉を囁いた。
「さよなら」
桃花の体は、丘の上から真っ逆さまに落下した。
僕は彼女に突き飛ばされ、ベンチまで転がった。
そしてすぐに、桃花に手を伸ばした。
しかし、彼女は僕の手の届かないところへ行ってしまった。
その日から僕は人と関わることをやめた…… 
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