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外伝 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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追憶  ~ 帝国歴487年(一) ~




帝国暦 489年 9月 15日  オーディン  軍務省  エーレンベルク元帥



ドアを開けてレムシャイド伯が入って来た。ふむ、元気そうだ、少しも変わっていない。ソファーに相対して座ると従卒がコーヒーをテーブルに置いて下がった。
「久しぶりですな、レムシャイド伯」
「真に、久し振りですな、軍務尚書」
二人で顔を見合わせて笑った。

「フェザーンに行かれたのはつい昨日のような気がするが……。月日が経つのは早いものですな」
「早いものです、気が付けば八年が過ぎていました。オーディンは随分と変わりましたな」
感慨深そうな口調だ。確かにオーディン、いや帝国は変わった。八年ぶりではまるで別世界だろう。

「フェザーンでは色々と難しい交渉をしていただきました事、感謝しております。御手数をおかけしました」
頭を下げるとレムシャイド伯が止めてくれという様に手を振った。
「いやいや、多少なりともお役に立てた事を嬉しく思っております」

「伯にはまた面倒な御役目をお願いする事になりますが」
「分かっております。フェザーン制圧後、フェザーンを安定させる事ですな。出来る限りの事はします」
「有難うございます、軍からも出来る限り協力させていただきます」

少し雑談をした後だった。レムシャイド伯が“今更ですが”と切り出した。
「オーディンは本当に変わりましたな。人の心も変わったと思います」
「人の心、ですか」
「ええ、先程国務尚書閣下にお会いしましたが随分と変わられたような気がしました」
「なるほど」
人の心、国務尚書か、変わったかもしれない。

「以前お会いした時はもっと表情が厳しかったというか、暗かったと覚えています。今はそれが有りません、明るい感じがします」
「レムシャイド伯がお会いした頃は帝国は様々な問題を抱えていました。今も問題は無いとは言えませんが帝国は間違いなく良い方向に向かっております。その所為でしょうな」
レムシャイド伯が二度、三度頷いた。

多くの貴族が没落して宮中内での争いが無くなったという事も有るだろう。心に余裕が出来たのかもしれない。宮中だけではないな、軍内部も争いが無くなった。以前は帝国軍三長官が協力するなど稀な事だったが今ではそれがごく自然な事になっている。国務尚書だけではないな、人の心も変わった。

目標が出来たからかもしれん、宇宙統一という新たな目標。考えてみれば以前は何の目標も持たずにダラダラと戦争するだけだった。何処かで嫌気がさしていたのかもしれない、それが人の心を荒ませたのかも……。変わったな、確かに変わった。今考えればあの時の選択が始まりだったのかもしれない。あれは四百八十七年の初めだった……。



ドアを開けシュタインホフ統帥本部総長が執務室に入って来た。
「新年早々お呼び立てして申し訳ない、休暇中だったかな」
「いや、お気になされるな。所用が有って統帥本部に行こうと思っていたところだ」
「そうか、そう言っていただけると助かる。こちらへ」
ソファーに座ると従卒がコーヒーをテーブルに置いて下がった。人払いは既に命じてある、部屋には私とシュタインホフ元帥の二人だけだ。なんとも気まずい空気が漂った。日頃仲が良くないというのも考え物だ。

「折り入って相談したい事が有るとの事だが何用かな、軍務尚書」
「困った事態になった。統帥本部総長の力を借りたい」
「……」
「ミュッケンベルガー元帥が本日、陛下に辞表を捧呈された」
「……受理されたのかな」
「いや、まだ受理はされていない。保留と考えて欲しい」
シュタインホフ元帥が一口コーヒーを飲んだ。驚いた様子は無い、相談される事を想定していたか。可愛げの無い男だ。一口コーヒーを飲んだ、苦みが舌に残った。

「理由は病気の事かな、心臓に異常が有るとの事だが」
「そうだ、狭心症との事だった」
「陛下から慰留は」
「慰留されたのだが司令長官の辞意が固い」
“そうか”とシュタインホフ元帥が頷いた。

「戦場には出られずとも国内で後方から支援するという役割も有ると思うが」
「その事は陛下からも御言葉が有った。そういう形で現役に留まる事は出来ぬかと。だが司令長官は前回の戦いで人事不省になった事を酷く愧じている」
「ミュッケンベルガー元帥ならさもあろう」
しんみりとした空気が流れた。潔くは有るが惜しいという感情は当然有るだろう。ここ近年の宇宙艦隊の働きは誰もが認めるものだ。

「しかし保留とはどういう事かな? 軍務尚書」
「陛下から至急ミュッケンベルガー元帥の後任人事案を提出せよとの御言葉が有った。納得出来るものであれば司令長官の辞職を認めるとの事だ。後任者を選ぶのは難しいと御考えなのかもしれん。ミュッケンベルガー元帥の後任だからな。納得出来る人事案を持って来なければ辞表を受理出来ぬという事だろう」
“なるほど”とシュタインホフ元帥が頷いた。

「至急後任者を決めねばならん。それで卿を呼んだのだ」
「ミュッケンベルガー元帥が加わらなくて良いのかな?」
「司令長官から我ら二人で決めてくれとの事だ。それとヴァレンシュタイン少将の処遇も決めねばならん。陛下から早めに処遇を決めるようにと御言葉が有った」
「陛下から……」
シュタインホフ元帥が驚いたような声を出した。

陛下から御言葉を聞いた時は自分も驚いた。ヴァレンシュタインは軍の実力者になりつつあるがそれでも若手士官の一人に過ぎぬ。陛下が気遣う様な立場にはないのだ。異例の事といって良いだろう。だがこれでヴァレンシュタインを中央に置いておくことが出来る。或いはリヒテンラーデ侯の口添えが有ったのかもしれん。内乱を防ぐにはあの若者の力が必要だ。となると宇宙艦隊司令長官の人事はその辺りも考慮せねばならん。

「現時点では一階級降格、一カ月の謹慎処分にしてある。謹慎処分の期限が切れるまでに決めねばならん」
「ミュッケンベルガー元帥の後任人事も含めて、そういう事だな」
シュタインホフ元帥が探るような視線を向けてきた。私と同じ事を考えたのだろう。“そういう事だ”と答えて頷いた。

「軍務尚書、陛下とヴァレンシュタイン少将は親密なのかな?」
シュタインホフ元帥が首を傾げた。
「妙な若者でな、陛下の御命を御救いした事が有る。卿も知っていよう」
「それは知っているが」
「他にも何かと関わりが有るようだ」
トラウンシュタイン産のバッファローの毛皮の一件、御不例の一件、ベーネミュンデ侯爵夫人の一件、そしてグリンメルスハウゼン子爵の一件……。

「グリンメルスハウゼン子爵?」
「子爵はヴァンフリートで功を上げ大将へと昇進した。あの時参謀長として子爵を補佐したのがヴァレンシュタインだった」
「なるほど、そんな事も有ったな」
シュタインホフ元帥が頷いた。グリンメルスハウゼン子爵、誰もが認める凡庸な老人だった。だが陛下の侍従武官を務めた事で陛下の御信頼は厚かった。

当然あの老人から陛下にヴァレンシュタインの事が伝えられただろう。妙な若者だ、平民であるのにどういうわけか陛下と関わりがある。それも一つではなく複数回に亘ってだ。だが陛下と特別に親密な関係を維持しているわけではない。彼の出世は縁故ではなく実力によるものだ。

ヴァレンシュタインと陛下、非常に見えにくい関係だな。表向きには無いに等しい。だが今回の御言葉を考えれば陛下もヴァレンシュタインに対して思うところが有るのかもしれない。となれば見えないだけで繋がりは深いともいえる、無視は出来ない。シュタインホフ元帥が気にするのもその所為だろう。コーヒーを飲みながら二度、三度と頷いている。

「ところでシュタインホフ元帥、次の司令長官には誰が相応しいと思われる? 時が無い、忌憚ない意見が聞きたい」
問い掛けるとシュタインホフ元帥が首を横に振った。
「……難しいな、私には思い付かぬ。軍務尚書の御考えは?」
「メルカッツ大将は如何であろう」
「さて、……一個艦隊の指揮官なら問題は無いと思う。しかしあの男に宇宙艦隊司令長官が務まろうか? 私も軍務尚書も元帥と呼ばれる地位に昇ったが宇宙艦隊司令長官には名前が上がらなかった。メルカッツも我らと同様ではないかな」

侮辱とは思わなかった。それほどまでに宇宙艦隊司令長官という職は務めるのが難しい。何百万、いや一千万以上の将兵を命令一つで死地に送るのだ、それだけの覚悟も要れば躊躇わずに命令を受け入れられるだけの信頼も必要だ。ミュッケンベルガーもメルカッツは難しいだろうと言っていた。私も同意見だ、そしてシュタインホフ元帥も同じ考えを持っている。やはりメルカッツは不適格か……。

「ではグライフス大将は」
「同じであろう」
「ゼークト、……シュトックハウゼン、……クライスト、……ヴァルテンベルク」
シュタインホフ元帥が次々と首を横に振った。
「ミューゼル」
「……」
シュタインホフ元帥は難しい顔をしている。やはりここで立ち止まるか……。

「ミューゼル大将、如何思われる」
敢えてもう一度問い掛けた。
「正直に言えば先日の戦いまではその目も有るかと考えていた。しかし今は……」
「難しいと御考えかな」
シュタインホフ元帥が頷いた。

「ここから先は腹を割って話そう」
「承知した。私も卿に話さねばならん事が有る」
「そうか……、私が反対する理由は二つある」
「……」
「一つは先日の戦いだ。あの戦いでミューゼル大将はヴァレンシュタイン少将によって不信任を表明された、将兵達の信頼を失ったと思うのだ。信頼を回復するまでは司令長官を務めるのは難しいと思う」
やはりそれか。

「もう一つの理由は?」
「信用出来ぬ。能力が有るのは認める、しかしあの者に宇宙艦隊を預けるのは危険ではないかと私は考えている。軍務尚書はそうは思われぬか?」
「同意する。確かに能力は有るようだ。ミュッケンベルガー元帥はミューゼル大将を勝てる指揮官だと評価し後継者にと考えていた。だが抑え役が必要だとも言っていた、扱いが難しいと」
シュタインホフ元帥が大きく頷いた。

「なるほど、ミュッケンベルガー元帥もミューゼル大将を危険だと認識していたか」
「国務尚書閣下からも警告されている。強大な武力と強烈な野心、その融合は避けなければならんと」
「国務尚書が……、では国務尚書閣下も同じ懸念を抱いていたという事か」
シュタインホフ元帥が呟いた。

ミュッケンベルガー元帥もシュタインホフ元帥も国務尚書も同じ事を言っている。指揮官としての能力は評価しているが帝国軍人として無条件に信用は出来ない……。そして私もそれに同意している。口には出さないが簒奪の恐れが有ると見ているのだ。

「ヴァレンシュタイン少将の不信任も突き詰めればミューゼル大将に対する不信感だろう。ミュッケンベルガー元帥は今回のヴァレンシュタイン少将の不信任について過小評価していたと言っていた」
「ミュッケンベルガー元帥はそれに気付いていたのか」
少しい意外そうな表情だ。喉が渇いている事に気付いてコーヒーを一口飲んだ。カップを戻す時カチャッと音がした。

「そのようだな。ミュッケンベルガー元帥の考えではヴァレンシュタイン少将をミューゼル大将の抑え役にしようとしていたようだ。不信感が有れば抑え役としては適任だと思ったようだが……」
「思い通りにはいかぬか」
シュタインホフ元帥が渋い顔をした。

厄介な事だ。宇宙艦隊司令長官は軍の最高位では無い。序列では第三位、実戦部隊の最高責任者でしかない。言わば現場の最高責任者だ。だが野心の有る人間が就けば非常に危険なポストでも有る。帝国最大の武力集団、宇宙艦隊を自分の野心のために使うだろう。野心が大きければ大きい程危険度は増す。ミューゼルには任せられない。

シュタインホフ元帥が私をじっと見ていた。
「軍務尚書、適任者が居ないな」
「いや、もう一人いる」
「もう一人? それは?」
「……ヴァレンシュタイン少将」
「!」
シュタインホフ元帥が眼を見開き“本気か”と囁くように問い掛けてきた。

「ミュッケンベルガー元帥の意見だ。少将なら適任だろうと」
唸り声が聞こえた。シュタインホフ元帥が唸っている。私も聞いた時には唸っていたな。
「艦隊司令官としての実績は無いが?」
「確かに無い。だがオーディンをブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯の内乱から守った。それに今回の会戦、勝てたのは少将の力による。勝てる男というのがミュッケンベルガー元帥の評価だ」
「なるほど」
またシュタインホフ元帥が唸った。

「しかし階級が低い、それに平民であろう」
「そうだな、惜しい事だ」
階級も身分も、宇宙艦隊司令長官には届かない。
「軍務尚書、こうなると陛下がミュッケンベルガー元帥の辞任を保留扱いにした事を重く見なければなるまい」
「うむ、ミュッケンベルガー元帥を司令長官に留め置き副司令長官に戦場を任せる、そういう事だな」
「そういう事だ」

何の事は無い、ヴァレンシュタインの提案の通りか。思わず笑い声が出た。シュタインホフ元帥が訝しげな表情をしている。
「済まぬ、つい笑ってしまった」
「……」
「統帥本部総長、卿はヴァレンシュタイン少将がミュッケンベルガー元帥に手紙を書いた事は御存じかな」

「責任を取りたいという例の書状かな。軍から追放してくれと書いてあったと聞いているが」
「その書状には自分の追放後はミュッケンベルガー元帥にオーディンを守って欲しいと書いてあったそうだ」
シュタインホフ元帥が眼を瞠った、そして笑い出す、私も笑った。

「やれやれだな。こうなる事を予測済みか」
「そのようだ、少将の目にも今の帝国には司令長官に相応しい人物は居ないらしい」
「どうも可愛げが無いな、軍務尚書」
「ああ、可愛げが無い」
また二人で笑った。妙な事だ、私とシュタインホフが声を上げて笑っている。状況は決して良くないのだが。

「となると問題は副司令長官を誰にするかだが……」
「今後、遠征軍の規模は縮小する。副司令官はメルカッツ、グライフス、ゼークト、シュトックハウゼン、その辺りから選ばねばなるまい」
「これまでのように攻勢は取れぬ、守勢を取るという事だな、軍務尚書」
「そういう事だ。残念だが已むを得ぬ」
敢えてクライスト、ヴァルテンベルクの名は入れなかったがシュタインホフ元帥は問題視しなかった。まあ当然だな。あの連中の顔など見たくないのは私も同じだ。

それにしても惜しい事だ、せっかくここまで反乱軍を追い詰めながら守勢を取らざるを得ないとは……。嘆いても仕方ないな。保留とはなっているがミュッケンベルガー元帥の辞表を万が一にも受理されては困る。念のため国務尚書に話しておくか。
「シュタインホフ元帥、国務尚書閣下にミュッケンベルガー元帥を留任させる方向で検討していると報告したい。卿にも同道願えるかな」
「承知した」
ヴァレンシュタインの処遇は副司令長官人事をある程度固めた後だな。

 
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