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新説イジメラレっ子論 【短編作品】

作者:海戦型
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第4話 アプローチング

 
 風原くんがこの学校に来た理由は、よくクラスの噂で耳にする。
 親と大喧嘩して縁を切られ、親戚の世話になっているという話もあれば、前の学校で度が過ぎた傷害事件を起こしたというものもある。酷いものでは人を殺したなどというぞっとしないものもあった。

 風原くんはそれを肯定も否定もしない。時折勇気を振り絞って質問する人もいたが、「お前らの興味本位に一々付き合う義理はない」とむげなく突っぱねられていた。
 本当の所はどうなのか、誰も知らない。
 風原くんは自分の事を何一つ語ろうとしない。
 私は、そんなことだから変な噂が立つのではないかと思う。一度正直に話してしまえば皆もそのうち興味を失うのではないか、と。

 いや、それとも本当に人には言えないような後ろ暗い過去があるのだろうか?

 先生たちの会話を廊下で偶然耳にしたことがある。
 風原くんは今までに複数の学校を転々としてきた、と。どの学校でも生活に馴染めていなかったらしいとも聞いている。
 まるで私とは逆だ、と思う。力がないが故に輪からは爪弾きにされているのにいじめ対象として学校の一部にされている私と違って、風原くんは学校という集団に求められていない。いない方が都合がよいとさえ思われている。

 居ても居なくても構わない私のような存在と、決して受け入れられることのない風原くん。
 自分の方が幸せだなどと世迷言を言う気はないが、彼の在り方はとても可哀想み思えた。

 風原くんは、幸せを求めているんだろうか。私のように、本当はみんなと同じように過ごしたいと願っているのだろうか。



 = =



 私は昔からどんくさい。
 だから、考え事をした日にはよくポカをやらかす。
 翌日、授業開始前になって、私は鞄を開けたまま体が硬直した。ある重要なミスを犯したことに気付いたからだ。様子がおかしい事に気付いたのか、横から香織が覗きこむ。

「どうしたのクルミ?また……その、何か入ってたの?」
「う、ううん。そうじゃないんだけど……」

 何か、とは、一時期行われていた嫌がらせだ。
 例えば雑巾とか、お菓子の食べ殻とか。特にカビの生えた給食パンは今思い出しただけでも吐き気がするおぞましいものだった。それが最終的に死んだ虫や生きた虫にまで届いた頃に、やっている本人たちが気持ち悪さに耐えられなくなって終結した。
 馬鹿馬鹿しい結末だが、やられたこちらは未だに少し怖い。

 だが、今回のは誰かの恋ではなく自分の過失だった。

「教科書、忘れちゃった」
「あちゃー、天然の方が出ちゃったかぁ……」

 香織はワザとらしくおでこに手を当てて溜息を吐いた。周囲によると私はいわゆる「天然」の気があるらしい。その天然もまた謂れのない誹謗中傷の原因の一つになっているので、私としては有り難くない話だ。
 しかし、これは困った事態になった。

「忘れたとなれば隣の人に見せてもらうのが普通な訳だけど――ねえ」
「うん……」

 元々、隣の人に見せてもらう事も目立つのでやりたくないのだが、今回はそれ以上に大きな壁があった。
 というのも――窓際に席があるわたしの隣と言えば、あの風原くんの席なのである。

 素直に教科書を見せてくれるかは予想できないし、休憩時間に席を立ったっきり戻ってこない彼ではむしろこの後に授業に来ない可能性もある。
 彼が学校の授業に参加しない日は、私にとっては嫌な日だ。脅威がいなくなったことで暇を持て余したいじめっ子たちは、私の存在を思い出したように小さな嫌がらせを再開してくる。彼がいない分だけ、暇つぶしに虐められる。

 流石の香織も後ろの席にいる私に教科書をみせるのは難しい。彼女が私に教科書を貸したうえで自身は隣の子に見せてもらうという手もあるが、彼女はそんな事はしない。私に手を貸したことを公言するようなものだからだ。彼女ならリスクは避ける。
 そして、彼女は予想通りそうしなかった。

「予習はしてるんでしょ?ならまぁ、今回くらいどうにかなるでしょ」
「……………」

 他人事だと思って、と言い返したかったが、彼女の背中を見ていると躊躇われる。
 この言葉で彼女に嫌われ、敵になってしまうかもしれない。そんな低確率のはずれくじに怯えて心が一種立ち竦んだ。
 そして、一度立ち止まってしまえば勇気はみるみる萎んでいき、残るのは見慣れた臆病な自分だけ。

 かたり、と椅子を弾く音がして、いつのまにやら教室に戻ってきていた風原くんが椅子に座る。
 その時、彼はちらりとこちらを見た。無感動なその瞳に小さな小さな苛立ちを覗かせながら。その視線が意味するものを、私は未だに知らない。
 そうだ、教科書を見せてもらえるよう頼まないと。そう思って、遠慮がちに声をかける。

「あの、風原くん……」
「なんだ?」

 いつもと変わらないその無表情。私をどう見ているのかも分からないその瞳が、時々私を酷く不安にさせる。
 たった一言彼に聞けばいいだけの事なのに――気が付けば、私はまだもや香織に意見しようとしたときのような失敗を恐れる感情に足を引かれていた。
 話しかける勇気の先に続くものを手繰り寄せようとして言葉が止まる。そんな私の姿を、風原くんはせかしもせずにただ見つめていた。

 苛立たせているだろうか――
 うんざりされているだろうか――
 あるいは私に話しかけてほしくないのだろうか――

 頭の中を瞬時に駆け巡ったネガティブな予測が縄になって、歩み寄る足に絡まった。
 せめて、言わなくとも事情に気付いて教科書を見せてあげようかと具申してくれればそれですべてが解決するのに。私はこんな躊躇いに縛られずに損もしないのに。
 彼は、そんな私の願いに答えることなどしないだろうと分かっていただろうに。

「その………ううん、なんでもない」
「…………」

 風原くんは、何も言わない。
 自分がどう思っているかも、私が何を言おうとしたのかも――決して口にはしなかった。

 やがて授業が始まった。
 授業は、わたしが教科書を持っていないことに気付かない先生によって滞りなく進んでいるかに見えた。だが、予習をしたとは言っても全てを網羅している訳ではない。私は次第に先生の授業について行けなくなっていった。
 そして、気付かれる。

「千代田?お前、教科書は?」
「……その、忘れ……ました」

 そんな彼女を見て、その隣の風原くんを見た先生はどこか納得したような顔をした。
 風原くんは取っ付き辛い生徒であることに間違いはない。だから、隣が彼であることに気付いてこちらの心情を察してくれたのだろう。私にとっては有り難い事だ。
 黒板に向かうチョークの手を止めた先生は風原君の方を向いた。

「風原。意地悪しないで千代田に教科書みせてやれ」
「意地悪なんてしてませんよ。ただ言われなかったから必要ないと判断しただけです」

 驚くほどスムーズに、そして淡泊に風原くんはそう答えた。
 先生の表情に呆れが混ざる。それもそうだろう。傍から聞けばそれは屁理屈に過ぎない。クラスの秩序や社会的協調性の観点から見れば余りにも幼稚な発言だ。

「そうは言うがなぁ。横の席の友達が困ってるんだから力を貸してやろうとは思わないのか?」

 やれやれと言わんばかりにお小言を始めようとする先生だったが、続くはずの言葉を遮るように風原君は語り出す。

「第一に、こいつは俺の友達ではありません。第二に、こいつが困っていようがいなかろうが俺には関係ない」
「お前……そんな自分勝手なことばかり――!」
「第三に、こいつは俺に教科書を見せてほしいなんて一言も言ってない。本気で困ってるなら見せてほしいと言うはずなのにそれをしない。ならそんな中途半端な奴に力を貸してやる理由がありますか?」
「それはお前の理屈だろう。気が弱くて言い出せない子だっている。そんな時に力になってやるのがクラスメートじゃないのか?」
「周囲の環境に甘えてるだけの人間を助けて青春ごっこですか?――俺はそんな甘ったれは助けたくないし、助けない」

 そう言いくるめると、風原くんはもう喋ることはないと言わんばかりに一方的に話を断絶した。
 クラスがざわつく。先生の目が、信じられないものを見るように見開かれる。屁理屈こそが自分の理屈だとでも言うように、彼はそれっきり口を閉ざした。

 私は、風原くんのこういう所がいつも信じられない。
 先生に反論するばかりか、クラスそのものを馬鹿にするような言葉を平気で吐いてなお、そんな態度が学校内で続けられるところが。見ていて少しハラハラしてしまうほどだ。
 誰も彼の思想を正す事が出来ない。その協調性の無さを咎めても、彼は気にしない。
 誰にも味方されない独りぼっちの現状にに辛さを感じている様子もない。

 そんな彼に、私は負け犬と呼ばれた。
 でも、私はそんなふうに完全に孤立しても平気な顔をしていられるほど強くない。だから仕方ないじゃないか。そう思った。
 風原くんはそんな私に、きっとこう言いたいのだろう。

 ――その言葉を外に出さないからお前は負け犬なんだ、と。

 一瞬だけど。
 ほんの一瞬だけど、そう考えた私の心の内にあった勇気が、力を持った。
 その勇気を奮う時はきっと今しかないから――そう思った時には、私は立ち上がっていた。

 突然立ち上がった私を周囲は唖然として見ていたが、もう今だけはクラスで目立っていることもどうでもいい。机をずらし、椅子をずらし、私は机を無理やり風原くんの横につけた。
 風原君も私の突然の行動に驚いたのか、咄嗟にこちらを見上げた。

 一瞬呆けたようなその表情を見る事が出来ただけで、動いた価値はあったかもしれない。
 密かな優越感。彼の不意を衝いて反撃できたという小さな優越感を噛み締めながら、私は席に座る。

「見せてくれなくてもいいよ。勝手に盗み見するから」
「……そうかい。なら言った通りに勝手にすればいい」

 驚いた表情を急いで仕舞い込んだ風原君は、相変わらず無愛想だった。
 でも気のせいでなければ、彼は密かに小声でこう言っていた。

 ――やればできるんじゃないか、と。

「……で、先生。そろそろ授業を再開してもいいと思いますけど」
「あ………ああ、そうだな」

 一瞬の事態にクラスメンバー諸共呆けていた先生は、一瞬だけ何か言いたげに風原君の方を見たが、やがて諦めたように授業に戻った。
 きっと言いたいことをまとめきれなくて保留したんだろう。保留した意見を次に放出できるのはいつなのかも分からないままに。ひょっとしたら二度と機会はないかもしれない、と私は思う。

 風原くんがそう言う態度を取るのなら、こっちだってそれに倣って応戦する。
 ひょっとしたら、それが風原くんと付き合っていく唯一の方法なのかもしれない。

 クラスのどこかから、くすくす、と笑い声が漏れた。



 = =



 授業終了後、私はなんだか恥ずかしくなって静かに風原くんから机を離して元の場所へと戻った。
 前の席から掛けられた聞き覚えのある声がかけられる。香織だ。

「クルミぃ……あんた、やればできる子だったのね」
「……べ、別にそんなことは」

 褒められたような気がして何だかこそばゆい。ついつい体をもじもじさせてしまう。
 しかし香織の口調はそれを称賛しているのではなかった。低く、どこか懇願するような響きの声色で、香織は私を諌めた。

「でもねクルミ……相手を選びなさいよ相手を。私、一瞬アンタが死んだんじゃないかと思ったわよ………」

 香織は本気で気を揉んでいたのか、その表情には強い精神的疲労が見えた。
 少し意外に思った。もう少しドライな人間だと思っていたけれど。
 それだけ本気の心配だったのかと思うと、それも少し嬉しくて、私は笑顔でこう言った。

「大丈夫」
「大丈夫って……どこがよ!あんな不良に食いつくようなこと言って!」
「大丈夫なの。だって……風原くん、きっとそんなに悪い人じゃないから」
「………………はあ?」

 こちらの言うことが心底信じられないとでも言うように首を傾げた香織の姿が可笑しくて、私は隠しもせずに小さく笑った。

 風原くんはきっと、私の弱気を嫌っていたのだろう。
 だけどそれは、負け犬呼ばわりされたくなければ意志を見せてみろという激励だったのかもしれない。だって彼は自分から人に声をかけないのに、私にはわざわざ面と向かって「大嫌い」とまで言ったんだ。

(ほんの少しでも、私に期待してくれてたのかな)

 麗衣の言ってたことは本当なのかもしれないと、今になって私は思い出した。
 横を見ると、何事もなかったように教科書を片づける彼の横顔。
 でも、さっき一瞬だけ聞こえたあの言葉はきっと彼の本心からの物で。

(優しいくせに不器用で、嫌いだって言いながらも私の事を見てる)

 それは私の表面だけではなく、内面も見てくれているようで。
 そんな風原くんの思いを想像すると少し可笑しいけれど、同時に心が温まる。
 風原くんは私の敵にはならないって、なんとなくだけど信頼してしまった。

 私ってば何考えてるんだろうと自分につっこみを入れて、ふと周囲の異変に気付く。

「……?なんか向こうが騒がしいわね」
「え?……あ、本当だ」

 いつのまにか考えに没頭していて察せなかったが、クラスは騒然となっていた。

「……教科書を盗んだ?俺が、お前のをか?」
「そうだ!!お前しかいないんだよ!お前しか!!」

 生徒の一人――浜崎(はまざき)くんが風原くんに食ってかかっていたからだ。
 浜崎くんは顔を真っ赤にして訴えていたが、それに対して風原くんの表情は到って冷ややかだった。

「だがこれは俺のだ。別の奴に盗まれたか、家にでも忘れて来たんじゃないのか?」
「ふざけんな!朝に来た時まではあったんだ、お前が盗んだんだろう!自分の教科書が無かったから?」
「何を言ってるんだお前。俺の教科書は最初からあったぞ?」

 激昂するばかりの浜崎くんと、それを歯牙にも掛けていない風原くんの論争は平行線をたどっていた。
 しかし、浜崎くんの教科書を風原くんが取ったのなら、教科書に名前が書いてある筈だからすぐに判るのではないだろうか。
 そんな疑問に気付いた香織が補足してくれた。

「浜崎くん、教科書に名前書いてなかったのよ。馬鹿だよねぇ、あれだけ先生に書けって言われてたのに忠告を無視するからこうなるんだよ」
「そうなんだ……でも、教科書に名前書いてないのって他にも探せばいるんじゃないの?それを、何で風原くんって決めつけてるの?」
「さあ?」

 しかしそうなると、さっき私に見せてくれたあの教科書が……?
 結局その諍いは決着がつかないまま終了し、浜崎くんは憤然とした目つきで風原くんを睨みながらも退散していった。

 そのどこかぎすぎすとした空気は、授業終了後も僅かながらクラスに漂い続けた。
 気にする必要はないと理屈でわかっていても、実際に嫌な空気を肌で感じてしまうと忘れるに忘れられない。いつもの親しい友人と過ごしている筈の人間も、どこか盛り上がりに欠けてよそよそしくなる。風原くんと浜崎くんの諍いが起こした波紋は、やがて帰路に着いたり部活動に参加するために皆が物理的に散り散りになるまで収まらなかった。
 不和の予感。
 後の諍いの予感。

 また、風原くんを中心に何かが起きる。

 私は何となくその気配を肌で感じつつ、それでも暫く私に矛先は向かわないだろう――と素直に安堵する事が出来ないでいた。
  
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