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スパイの最期

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5部分:第五章


第五章

「これはね」
「そうでしょ。これも入れたのよ」
「あとはデザートの果物なのね」
「それはここに」
 今度出してきたのは林檎だった。丸ごと一個である。
「これも持ってきたのよ」
「そうだったの」
 応えながら自分の懐の中に手を入れた。そうしてあるものを弁当箱の裏に付けた。それはほんの一瞬のことだったが確かなことだった。
 だがマトリョーシカは黙っていた。一切言おうとはしない。表情にもそれを出すことはなくあくまで仮面を被ってクリスタと話を続けるのだった。
「じゃあ栄養は万全ね」
「味もね」
 それもだというのである。
「腕によりをかけて作ったから」
「彼氏が羨ましいわ」
 こんなことも言うクリスタだった。
「そこまで尽くしてもらえるなんて」
「だって。好きだから」
 こう言って頬を赤くさせるクリスタだった。
「それも当然でしょ」
「好きだからなのね」
「ええ」
 また微笑んで言うクリスタだった。
「あの人は私の全てよ。だからね」
「そう」
 声は微かに寂しいものになった。だがそれはほんの一瞬のことでそれをすぐに消してしまってそのうえでまた言うマトリョーシカだった。
「そうなの。全てなの」
「そうよ。私はあの人がいるから生きていけるのよ」
 こうまで言うクリスタだった。
「それにね」
「それに?」
「マリーネ、貴女もいるから」
 今度は彼女に顔を向けて言ったのだった。
「だからよ。私は幸せなのよ」
「私もいるから」
「そうよ」
 その純真な言葉は続く。
「私達友達よね」
「ええ」
 一瞬微かに目を伏せさせて頷くマトリョーシカだった。マリーネとして。
「そうね。友達ね」
「ずっと友達よ」
 また言うクリスタだった。
「ずっとね。友達でいようね」
「ええ。ずっとね」
 何処か逃げ出しそうな声でまた答えるマトリョーシカだった。
「親友でいましょう」
「わかったわ」
 こう言葉を返しはした。そのうえでクリスタを見送る。それから原子力発電所で大爆発が起こったのは僅か数時間後のことだった。
 このことはすぐに全世界に伝わった。話を知った誰もがこう確信した。
「あの国がやったな」
「間違いない」
 証拠はない、だが確信したのである。
「核兵器開発を妨害したな」
「そのうえで自国を護ったか」
 そのこと自体は誰も責めなかった。しかしだった。
「しかし。原子力発電所を爆破するとは」
「環境のことを考えているのか?」
 まずこのことを指摘するのだった。
「その様なことをしては」
「恐ろしいことになるぞ」
 原子力発電所に何かがあれば環境に恐ろしい影響を与えることはもう言うまでもない。彼等がそれを批判するのも当然のことだった。
「しかもあの原子力発電所には多くの民間人もいたが」
「彼等はどうなった?」
「全員死亡だ」
 こう言い捨てられるのだった。
「核爆発の中で消えた」
「消えたのか」
「骨一つ残ってはいない」
 まさに骨一つなのだった。誰も生き残っていなかったのだ。
「そこにテロを行い爆発させたのだろうな」
「惨い話だな」
「一般市民に何の関係がある?」
 こう言って批判するのも当然だった。そもそもこうした作戦行動において一般市民を巻き込むなどということは誰であろうが嫌悪感を抱く。証拠がなくとも。
 
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