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小さな勇気

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第五章


第五章

「ほら、まだ早いしさ」
「明日学校でしょ」
「学校なんてもういいのよ」
 先生はそう一緒にいる人に言っていた。
「何かなあ」
 康則はそんな先生を見てどうにも首を傾げさせずにはいられなかった。
「先生ってあんなに酒癖悪かったのかよ」
 何か複雑な気持ちだ。意外な一面を見られて嬉しいかというとそうではない。何か見ているだけでいたたまれなくなってきたのである。
 先生は康則には気付かずまだ騒ぎ続けている。目が何かやばげな感じである。
「どうせ私今の学校もうすぐ出て行くし」
「出て行くって!?」
 その言葉に顔を上げた。
「転勤するしさあ」
「それでも仕事はあるんでしょ」
「けどどうせまた一人よ」
 やけっぱち気味で言っていた。
「何か私だけ一人で。どうせこれからもよ」
「そんなわけないって」
 一緒にいる友達はそう言って宥める。
「恵美子だったらすぐにいい人が」
「いるわけないでしょ。今まで誰とも付き合ったことないのに」
「マジだったのかよ」
 これは康則にとっては衝撃というよりは事実を実際に聞いて唖然とする言葉であった。
「本当にモノホンの処女だったのかよ」
「どうせこのままよ」
「だからそんなわけないって」
「あんたは結婚してるから言えるのよ」
 先生はそう反論してきた。相変わらずぐでんぐでんで今にも倒れ込みそうであったが。
「学校出てすぐにさ」
「それはそうだけど」
「それで何で言えるのと。友達皆結婚して」
 先生が言う度に噂が事実だとわかってきた。
「いよいよ私一人なのよ。それでどうして」
「何かここまで噂通りだとな」 
 苦笑さえ浮かんでいる。康則はどうにもならないといった顔で先生を見守っていた。
「落ち着いてなんかいられるのよ」
「もう、いい加減にしなさい」
 叫び続ける先生を必死に止めている。
「とにかく今は家に帰るわよ」
「家にって」
「このままだと道に酔い潰れるわよ」
「いいわよ、それでも」
「よくはないわよ。とにかく続きは家でね」
「そんな、家でなんて」
 先生は急に動きが弱くなった。
「家に帰っても誰もいないのに・・・・・・」
 そこまで言うと力をなくして経垂れ込んだ。先生のお友達はそんな先生の肩を担いで起き上がった。
「全く、世話がやけるんだから」
 そう言って苦笑いを浮かべているようであった。
「これで学校の先生なんてね。嘘みたいよ」
 ブツブツと言いながらその場を後にする。康則はそんな二人を道で見ていた。そして一人呟いたのであった。
「あの真子先生がねえ」
 何か今までの自分の前起こった光景が信じられなかった。
 厳しくてきつい先生の見たことのない姿というだけではなかった。酔い潰れたその口から出たのは噂通りの話だった。そして酔った時の普段とは違う顔も。頭から離れるというのが無理であった。
「何か意外っつうか何つうか」
 とりあえず言葉が見当たらなかった。その場にいて見つかるのも何だと思い立ち去ることにした。しかし。やはりどうにも先生を見る目が変わるのは止めようがなかった。
「それでここは」
 授業中でも。今日は青いミニのスーツに素足だった。脚線美が見事に映えている。
「こうしてね。ちょっと」
 あまり真面目に授業を聞いているとは思えない康則に声をかけてきた。
「馬場君、聞いてるの」
「あっ、はい」
 実際に真面目には聞いてはいなかった。この前の酔い潰れた様子とはまるで別人だったのであれこれと考えていたのである。
「聞いてたらわかるわよね」
「わかるって」
「この時の主人公の気持ちよ」
「下人でしたっけ」
「それは羅生門でしょ」
 先生は呆れた顔でそう康則に言った。
「今やってるのは芥川じゃなく太宰でしょ」
「ええと、じゃあメロスは」
「ふざけてるの!?」
 だがそれでもなかった。
「今やってるのは富岳百景でしょ」
「あっ、そうか」
 言われて教科書を開いてやっと思い出した。
「ええと、太宰は」
「はい、太宰は」
 しかしこれまでだともっと怒られるというのに先生はあまり怒らなかった。ページをある程度読むだけで許してもらった。寛容と言えば寛容であった。少なくとも最近までの先生とは様子が異なっていた。
(やっぱり気にしているのかな)
 そんな先生をみながら思った。
(結婚のこととか)
 だがおれは口には出せなかった。どうも誰かに噂で言うのも憚られた。言えば先生が可哀想に思えたからだ。それに酔った時妙に可愛くも見えていた。やはり今まで見たことのない一面を見たのは事実でありそれが気に留まっていたのである。そしてそれはずっと続いていた。

 
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