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その魂に祝福を

作者:玄月
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魔石の時代
第五章
  そして、いくつかの世界の終わり3

 
前書き
決戦編。あるいは決着編。 

 



 何か妙な薬を盛られたらしい。
 溶けた鉛のように、重く、そのくせ形の定まらない意識の中で、曖昧に毒づく。
「じっとしていろ馬鹿」
 普段なら何とかなったかもしれないが、禁術の代償を被った身体ではなかなか思ったようにはいかない。昔の自分は、よくこんなものを何度も何度も使い続けたものだ。遠く薄れた記憶が夢となって漂う中で呻く。
 さて。不自然なほどに高い回復力を持つ自分でも、こんな代償をそう何度も乗り越える事が出来たのだろうか。
 死の淵だか夢の園だか知らないが、曖昧などこかでそんな事を思う。我ながら呑気だとは思うが――身体は薬で動かない。意識の方は、薄い膜を通した向こう側で喚き立てる痛みのせいでまともに働いていない。相棒の声もロクに聞こえなければ、自分が今どこにいるのかすら分からない。これでは他にやることも無かった。
 生贄。真っ先に浮かんだ言葉はそれだった。それがどのような意味を持つ行為なのかはさすがに覚えていたし、この器でも何度か行った事がある。その過程で理解していた。自分にとって、その行為は特別な意味を持っているのだと。
 ……それも、おそらくは悪い意味で。
 少なくとも身体が縮むほどの若返りなんてのは扱いに困る。まったく、うっかり胎児にでも逆戻りしたらどうしてくれる。何となく、遥か昔に大暴れするでかい赤ん坊どもに随分と苦戦させられたような気がするが――さすがに自分はあれほど馬鹿げた怪物ではない。……ないはずだ。よく思い出せないが。
 それにしても、一体どんな薬を盛ったのやら。意識が戻らない。時間の概念が失われていく。どれほどの時が経ったのか――そんな曖昧な感覚に不思議と郷愁すら覚えた。
「馬鹿が。何を寝惚けた事を言っている」
 寝惚けているのは誰のせいだと思っているのか。相棒の言葉に、思わず毒づきそうになった。もっとも本当に毒づけるような余力などないが。身体が痛む。血が騒いでいた。
「何だ?」
 相棒――と、知らぬうちに呼びかけてたらしい。ああ、そうか。今の自分にとって、相棒と言う言葉は彼女を示すのか。漠然とそんな事を思う。
「すまない。私は、お前の力になってやれない……」
 相棒こそ何を寝惚けた事を言っているのやら。本当の意味で今の『自分』があるのは、間違いなく相棒の――御神美沙斗のおかげだ。彼女がいなければ、『自分』は今ここにいない。他の誰かになっていたか。それとも他の『何か』になっていたか。
 ともかく、今よりマシな状況になっていたとは思えない。
「すまない……」
 痛み以外の感覚が、身体に伝わってくる。どうやら、相棒に抱かれているらしい。もちろん、男女の関係と言う意味ではないが。むしろ、それはまるで我が子を抱く母親のように思えた。……残念ながら、ほとんど自身の記憶にはないのだが。
 どこか異国の地に移動したらしい。相棒と話している誰かの声は、明らかに今までとは異なる異国の響きだった。それほど長く意識を失っていたとは驚きだ。それとも、この世界の移動手段が速すぎるのか。どちらでもいいが。
「うるさい。黙っていろ」
 どこに向かっているのか。そう問いかける事はできたらしい。ロクな答えは帰って来なかったが。だが、漠然と思った。相棒との別れが近いのだと。
 やれやれ。どいつもこいつも勝手なものだ。
「何を言っている?」
 だから、魔法使いらしく『お呪い』でも唱えておくとしよう。
「馬鹿が……」
 お前がどこにいようが、何をしていようが――必要とあれば必ず助けに行く。
「お前はもう、私に関わらなくていいんだ」
 そうはいかない。何故なら、お前が俺の相棒だからだ。
「うるさい! もう、お前の事など知らない」
 相棒は泣いているらしい。まったく、珍しい事もあるものだ。
「忘れるなよ。相棒」
 消えゆく意識の中で、自分の声だけがはっきりと聞こえた。
「―――」
 相棒の返事は聞こえなかった。他の誰かと話しているようにも聞こえた。だが、関係ない。魔法使いにとって相棒とはある種の呪いのようなものだ。
 だから、相棒()よ。精々思い知るといい。その業は血より濃いのだと。




「やめなさい、プレシア・テスタロッサ!」
 思わず叫んでいた。今さらそんな叫びに何の意味も無い事くらい分かっている。それでも、叫ばずにはいられなかった。
『臨界点突破! 次元断層が――!』
 ディストーションシールドをも打ち砕いて、世界を引き裂こうとすること。
「あなたは私が守ります。私があなたの娘だからじゃない。あなたが私の母さんだから」
 身体をボロボロにしながら、無理な封印を試みるフェイトを焼き払おうとすること。
 私にはそのどちらも止められない。そんな事は分かっていた。
「ごめんなさい!」
 なのはの砲撃魔法すら、荒れ狂う魔力に阻まれてプレシアまでは届かない。単純な出力で言えば、彼女はクロノより上だ。あの子でダメなら、クロノにも私にも打つ手はない。
(こんな結末なんて……ッ!)
 思わず目をそむけていた。結末を見届ける事を放棄して、その身勝手さに後悔を覚えてから――気づいた。まだ、世界は滅んでいない。それどころか、
「やれやれ。お前は本当に無茶をするな」
 カツン、と。まるで楔でも打ち込まれたかのように唐突に。
 世界の悲鳴が……あの得体の知れない『力』すら消え――代わりに足音が響いた。目を開くと、ボロボロになったフェイトをアルフとなのはが抱えているのが見える。ジュエルシードはまだ暴走状態にあるようだったが――それなら何故、世界は滅びなかった?
「遅いよ、光お兄ちゃん!」
 リブロムを抱えたまま、なのはが頬を膨らませながら――それでも、歓喜の声を上げる。ああ、そうか。答えは簡単だった。
「はじめまして、と言っておくべきかな。プレシア・テスタロッサ女史」
 黒衣を翻し、御神光が戦場に姿を現した。この声には確かな理性がある。今の彼は『魔物』に飲み込まれてはいない。
「貴方、一体何を……?」
 プレシアが呻くのが聞こえた。
「何、方向性は逆だが、やっている事は貴女と同じだ。そう驚く事じゃあない」
 御神光がうっすらと笑う。そう、彼は同じ事をしているだけだ。プレシアと同様に、八つのジュエルシードを従え――それによって、世界を引き裂こうとする力を単純に打ち消している。ただそれだけにすぎない。
 両者に違いがあるとすれば、それはただ一つ。御神光に従うジュエルシードの方が、より強い輝きを発しているということだ。
「これでもかつては大魔導士の称号を受け継いだ身だからな。この程度の事が出来なければ先代に申し訳が立たない」
『次元震活動停止。……発生しかかっていた次元断層も閉塞しつつあります』
 エイミィからの通信。それは、単純に御神光とプレシア・テスタロッサの力量の差を示すものだった。同じ条件で相反する力を解放して――その結果勝ったのは光だった。ただそれだけの事だ。だからこそ、世界は滅びなかった。プレシア・テスタロッサが御神光を上回れない限り、世界は滅びない。
「な、んでよ……」
 それを理解して、プレシア・テスタロッサが呻いた。
「なんで? なんで! なんでっ!?」
 発狂したように、彼女は繰り返す。
「何で皆、私からアリシアを奪おうとするの?! 私達が……アリシアが何をしたっていうの? あの子はまだ五歳だったのよ! まだまだやりたい事があって、叶えたい夢があって――私はただそれを取り戻してあげたいだけなのに! それだけなのに! 何で邪魔をするのよ!?」
 それは愛する我が子を失った母親の悲鳴だった。子を失った母親ならきっと誰もに共通する願いだった。そして、彼女の手には『願いを叶える』ための力があったはずだった。
「か、あさん……?!」
 無理な封印によってボロボロになったフェイトが、それでも悲鳴を上げる。それは、突如としてプレシアが血を吐いたからだ。咳き込み、胸を掻き毟りながら何度も血を吐く。
素人の私にも分かるほど深刻に、彼女は肺を患っている。それをジュエルシードでどうにか抑え込んでいたようだが――御神光の力によって、それも相殺されたのだろう。
「叶えて……」
 血の海に膝をつきながら、それでも彼女はジュエルシードに手を伸ばす。
「叶えなさい! 私の願いを!」
 その瞬間――ゾッとした感覚が背筋を駆け抜けていった。あの得体の知れない『ナニカ』は次元の狭間に再び消えていったが……その得体の知れない『力』に侵された代物はまだ残っているのだ。
「やめなさい!」
 叫ぶ――が、そんな言葉にはもはや意味がない。彼女は一線を越えてしまった。
「私にもっと力を!」
 轟――と、プレシア・テスタロッサの身体が得体の知れない魔力に包まれる。
「な、んだ? 何が起こってる!?」
 プレシア・テスタロッサの狂ったような笑い声が辺りに響く。いや、それは悲鳴だったのかもしれない。
『分かんない! けど、気をつけて。魔力反応が増大してる! 多分これは――』
 クロノの叫びに、エイミィも悲鳴のような声で応じる。
「暴走体か?!」
 絶望的な響きと共に、クロノが呻いた。プレシア・テスタロッサという魔導師が八つのジュエルシードを取りこんで暴走体へと変化していく。いや、それは本当に暴走体なのか。今まで交戦したどの暴走体とも比較にならないほど、凶悪な魔力を感じる。
 膨大な魔力流の向こう側に、もはや美しい女性のシルエットは望めなかった。歪み、捻じれ、膨れ上がった異形の怪物がその向こう側から姿を現す。
『蛇は死と再生の象徴、か。さすがにインテリだねぇ。まぁ、捻りがなくて面白くねえけどな。ヒャハハハハハハッ!』
 リブロムが嗤う。実際、それは蛇の群れを編みあげ固めて作ったような怪物だった。髪も両腕も下半身も――その身に纏う雷でさえ全てが蛇でできていた。そして、同じく蛇の鱗に覆われた巨大な顔はプレシアのものではなく、フェイトの――いや、アリシアのそれだった。目を閉じた――失われた少女の顔。
 我が子のためにあらゆるものを捧げた母親が転じた怪物は、それ故に醜悪さよりも哀しさを感じさせる。
「あの鬼婆……。本当に化物になっちまった」
 放心したアルフがその場に膝をつく。
「母さん! 母さん! 元に戻ってよ! お願いだから!」
 フェイトが動かない身体に鞭打って――這いずってでも近づこうとする。それを必死になのはが抱きとめていた。
「―――!」
 その怪物が、声にならない悲鳴を上げた。それはもはや衝撃波となって肌を叩く。
『さて、相棒。どうするよ? 久しぶりの大物だぜ』
「別にどうもしないさ。どうせやる事は昔と何も変わらない」
 そんな中で、御神光とその相棒だけが真っ直ぐにその怪物を見据えていた。その右腕からは深淵の魔力が立ち上る。
「リンディ艦長。悪いが、これを預かっててくれ」
「えっ!? ちょっと――」
 振り向きもせず酷く気安い様子で、光は私に八つのジュエルシードを押し付けてきた。
「私に使える訳が――」
 ないと言おうとして、私は思わず絶句していた。八つのジュエルシードは、お互いがお互いを制御し拮抗状態を保ち続けようとしている。まだ研究などほとんど進んでいないが、ジュエルシードにそのような機能はないはずだった。おそらく、光自身がそのような術式を組み込んだのだろう。そのおかげで、私は何もする必要がない。その魔石が機能するために必要な魔力をただ供給するだけで良かった。ただし、その消耗は今の身体にはかなり堪えるものだったが。
(何て、卓越した技術なの……)
 ジュエルシードの自動制御。それを彼がどの時点で準備していたかは分からないが――プレシア・テスタロッサですらこの域には達していない。自らの手で制御するのが限界だったはずだ。それなのに、光はその先に行っている。息子より年下の少年がこれほどの魔法技術を持っている事自体が異常だった。
「彼女が血を吐いた時はさすがに焦ったが……これなら、まだ取り戻せる範囲だ。何の問題もない」
 だが、そんな事は全く取るに足らないと言わんばかりに光はその怪物だけを見ている。
その瞳が――その右目がリブロムと同じ輝きへと変化していく。異形の瞳。黄金に輝くそれが、プレシア・テスタロッサを見据える。
『違いねえ。なら、そろそろ始めようか。どこぞのクソ野郎どもが好きそうなクソったれな悲劇を終わらせるためによ! ヒャハハハハハッ!』




 プレシア・テスタロッサが魔物化しつつあるというのは、予測していた事だ。ついでに言えば、状況が少しでも動けば魔物化してしまうであろうという事もだ。できれば、それも回避したかったが――あれほどに肺を病んでいるというのであれば、話は別だ。
 また、ジュエルシードの使い方についても、おおよそ予想通りだったと言える。願いを叶える魔石という名目のジュエルシードだが、その本質はあくまで魔力が結晶化したものだ。ただし、その結晶化した魔力は強く世界に干渉する力を持っている。上手くその性質を利用してやれば、なるほど確かに何でも願いを叶えられるように見えるだろう。使い方によっては、世界そのものを復元する事も出来るかもしれない。生と死の境界を歪める事が出来れば――その前提として、魂と言う概念を理解する事が出来れば、あるいは死者蘇生にも挑めるのかもしれないが……これほど膨大な力をそれほどの繊細さで制御できるかと言われれば、全盛期の自分にとっても極めて困難であると言わざるを得まい。あくまでもアリシアと言う少女の蘇生だけが目的だというのであれば、それこそ一度素直に世界を滅ぼしてから、世界もろともに再生させた方がまだ確実であり、圧倒的に容易である。
 何代もの『経験者』の記憶を有する身として言わせてもらうなら、おそらくアルハザードとやらに行くよりも。もっとも、それではまた繰り返されるだけだろうが。
 ともあれ、全体を通してみればおおよそ予定通りだと言える。土壇場もいいところだが、どうにか巻き返せたようだ。しかし、
(やれやれ。少しばかりやりすぎたか……)
 衝動に突き動かされるままに追体験を延々と繰り返したことで多少なりと力を取り戻しはしたが――それでも今の自分にとって、ジュエルシードの制御は明らかに荷が勝ち過ぎていた。この魔石が供物に近しい性質でなければ、リブロムの補助があったとしてもこうまで上手くは行かなかっただろう。はったりとしては、管理局に対してもプレシアに対しても充分に効果を発揮したようだが、その代償として消耗した魔力は馬鹿にならない。追体験により取り戻した量を考えてなお、消耗量の方が圧倒的に上回っている。どこからか魔力の供給を受けているリンディに押し付けていなければ、早々に力尽きていたはずだ。
(さて、と……。今の俺にこの怪物を捌き切れるか?)
 この魔物はどれほど低く見積もったとしても、魔物化したモルガンに匹敵する――つまり、あの時点でも間違いなく歴代の魔法使いの中で最強の一角に君臨していたはずのリブロムとその相棒ですら死にかけた怪物だ。
 一方の自分はと言えば、魔力は今さら言うに及ばず、刻印や代償刻印の力も在りし日の半分程度も取り戻せていない。もちろん供物や刻印の性能は恩師達の時代など全く比較にならないほど圧倒的に向上している。しかし、自分が受け継いだ『力』は――その高みに至るための土台は彼らが旅を終える頃にはすでに完成していたのだ。
 その『力』の担い手である今の自分は、あの時のリブロムに遠く及ばない。いわば土台が揺らいでいるような状態である。そこに加えて、体力と魔力の消耗も深刻だ。あの魔石を制御するしない以前の問題として、今の今まで衝動に任せて暴れ回っていたのだから。
(随分と懐かしいな。この感覚は)
 魔法を放てる回数にはすでに限界がある。まるで、最初期の――旧世界の供物を使っていた頃と同じだ。限られた力の中で、目の前の魔物を排除しなければならない。
「―――ッ!」
 声にならない叫びと共に、哀れな魔物が迫りくる。彼女の境遇に憐れみを覚えない訳ではないが――今は全てを忘れ去る。魔物と対峙する上で、その『声』に呑まれるのは死を意味する。余計な感情は排除し、代わりに魔力を全開にする。
 右腕に刻まれた――そして、心臓に打ち込まれた刻印に火が灯り、殺戮衝動が新たな獲物を……本当の獲物を前にして猛り狂う。その衝動をそのまま破壊の力に転じるべく、魔力を練り上げる。
「斬り裂け!」
 八つの鉄風車を纏めて叩きこむ――が、それは全て雷の蛇に払いのけられた。汎用性は高い半面、重さに欠ける投擲魔法では少々分が悪いらしい。先手を強引に奪われ、舌打ちしながら間合いを開く。だが、それが失敗だった。空間を無視して、雷の大蛇が――その怪物の両腕が襲いかかってくる。そいつに肩口を少し食い千切られた。もっとも、この程度なら傷のうちにも入らないが――
「チッ!」
 空間を跳躍する攻撃は予想しておくべきだったか。空間を無視し自由気ままに蠢く大蛇を見やり――この期に及んで思ったように動かない自分に舌打ちをした。だが、その間にも大蛇は位置も距離も関係なく縦横無尽に襲いかかってくる。
「隼よ!」
 魔法により連続的に繰り返される超加速。それで魔女の抱擁をどうにかすり抜ける。だが、完全には避けきれなかった。さらに数ヶ所が食いちぎられる。距離も位置も無視する相手だ。速さではそもそも勝負にならない。迎撃するなら、向こうの動きに合わせなければ――静かに心眼を開く。空間を歪ませる魔力の燐光。それを見定めて――
「くたばれ……ッ!」
 魔力を込めた血の刃でそれを強引に斬り退ける。確かな手ごたえはあったが……所詮は魔法によって生み出された物だ。プレシア自身が無事であればいくらでも再生してくる。だが、
「穿て!」
 一瞬でも隙が出来た事には変わりない。その隙に氷棘を纏めて六本叩きこむ。その程度で仕留められる相手ではないが――
「氷の魔弾よ!」
 炸裂する冷気の塊を叩き付ける。その衝撃に、その怪物がほんの僅かに攻撃の手を緩めた。とはいえ、あの程度では傷を負わせたうちにも入らない。もっと強烈な一撃を叩きこむ必要がある。それが出来そうな魔法と言えば――
(今の状態でどこまで制御できるか……)
 かつての自分の力――リブロムから流れ込んでくる魔法の叡智を処理し切るだけの力がこの器にはまだない。それどころか、供物魔法を本来の威力で放つ事すらままならない。精々過去の経験から相手の動きを予測するのが限界だ。
 三叉の氷撃波でけん制しながら、可能な限り距離を取る。『奴ら』が転じたドラゴン由来の供物。それに秘められた力の一端を解放する。アヴァロンの最高指導者にして叡智の結晶である歴代のペンドラゴンのみがどうにか扱えた――かつての自分も、その力を完全に引き出し、かつ制御するには随分と時間がかかった代物である。今の自分が完全に制御する事などおおよそ不可能だろう。だが、
「天竜よ!」
 限界ぎりぎりまでの力を解放する。世界を滅ぼしたあの怪物が――それが転じた魔物が振るった力が、純白の光撃波となって大蛇の本体に迫る。だが、
「―――ッ!」
 紫電の大蛇の群れがが、天竜の尾を喰い千切るべく殺到する。一匹二匹程度ならともかく、あの数ではさすがに分が悪い。
「クソったれ……ッ!」
 何とか蛇の猛攻を突き抜けたが、期待したほどの傷ではない。むしろいくら不完全だったとはいえ、切り札の一つが完全に相殺されたと言っていい。さらに消耗した魔力を考えれば、俺の方が痛手を被ったようなものだ。
(これは、さすがにマズいか?)
 右腕で剣の首飾りに――彼女から受け継いだ供物に触れながら呻く。これは良くない癖だった。追いつめられている時によくやってしまう。ああ、全く。実に厄介だ。
(正気を、いつまで保てるか……)
 どす黒い衝動が意識を蝕む。正直に言えば、すでに限界だった。正気に戻れた事自体が幸運だったとしか言いようのない有様だ。持ってあと数分。それを過ぎれば、自分は世界を滅ぼす怪物に成り下がる。今日で世界が終わる。その予定を変えるには、後数分以内に決着をつけなければならない。
(つくづく厄介だな)
 切り札の一つが全く通じなかったなんて些細な事はどうでもいい。どうせ使いこなせなかったのだ。通じなかろうが大した問題ではない。深刻化する魔力の枯渇でさえ、まだやりようはある。だが、自分に残された時間の少なさは深刻な問題だ。今ここで堕ちてしまえば、あらゆる意味で血みどろの結末しか用意できなくなる。そんな結末は、誰にとっても救いにはならない。それは、おそらく彼女達とて分かっているはずだが。
(頼むから、少し大人しくしててくれ)
 首飾りから手を離し、右手を握りしめる。
(殺戮衝動から解放されるには、それを殺すよりない、か……)
 それが定めだ。そして、恩師達が見つけ出した答えでもある。だが、それがどうした。
 俺とて今さら救済者を気取る気はない。サンクチュアリ――エレインの理想に殉じるには自分は少しばかり血を浴び過ぎた……が、そんな事は回避できる悲劇を黙って受け入れる理由にはならない。彼を……彼らを生贄とし、奴らを退けたあの時から、
「いいだろう。それが定めだって言うなら――」
 自分は生粋の掟破りとなったのだから。



 
 世界を引き裂かんばかりに荒れ狂う雷撃。距離も位置も無視して突如として出現する雷の蛇。その巨体が誇る圧倒的な質量を考えれば、単なる突進といえど脅威以外の何ものでもない。プレシア・テスタロッサが転じたその怪物は、すでに人の手に負えるような存在ではなかった。もはやそれは人知を超えた天災のようなものだ。だが、
「何て奴だ……」
 御神光はその怪物を前に一歩も譲らない。彼の身体から立ち上る深淵の魔力はさらに密度を増し、その魔法は鋭く怪物の身体を貫いていく。
『おーおー、いきなり飛ばしてやがるなぁ相棒。代償刻印まで全開にしてやがる』
 クククッ、とリブロムが呑気に喉を鳴らす。相変わらず何を考えているか良く分からな
い本だった。
「代償刻印?」
『それまで蓄積させた右腕の代償――そこに宿る魔力全てを代償にして心臓に刻みつける特殊な刻印の事だよ。相棒のそれはかなり凶暴だぜ? 何せ年季が違うからよ。ヒャハハハハハハッ!』
 心臓に刻印を刻む。その言葉にゾッとしながら――それでも、覚悟を決めた。もう何を聞いても驚くまい。彼の魔法は、僕らの物とは根本から異なっている。基本となる発想も。それが磨き抜かれた目的も。技術の発展に伴う経緯も。行使する上での前提も。
『もっとも、今の相棒は全盛期の半分も力を取り戻してねえ。しかも、暴れまくってたせいで随分と消耗してるらしい。さすがにちょっとばかり分が悪いかもなぁ。さてさて、どうする気だ?』
 消耗云々はともかくとして、リブロムの言葉は実に奇妙だったが――それを問いただしている暇はない。いや、肉体的にも精神的にも余裕がないというべきか。下手に巻き込まれては御神光の足を引っ張るだけだ。少し後退して体勢を立て直す必要がある。それに、
「アルフ、なのは達を頼む! ユーノは艦長を頼む!」
 僕以上に冷静さを失っているなのは、それに加えて身体的にも深いダメージを追っているフェイト。そして、ディストーションシールドとジュエルシードの維持を続ける艦長の安全を確保する必要もあった。時の庭園の崩壊は今も続き、それ以上に御神光とその怪物の戦闘は苛烈を極めている。最悪は、なのは達だけでも脱出させなければならない。多少強引な手を使ってでもだ。
(あとは、今の僕にどこまで出来るか……)
 拙いながらも回復魔法を唱える。この程度では応急処置にも満たないが、あの戦いに介入するには少しでも消耗を補っておかなければならない。
『おいおい。本気で飛ばしてるな、相棒!』
 御神光の右手に、膨大な魔力光が宿る。今まで以上に強大な力を秘めた青白い輝き。
「天竜よ!」
 御神光がその腕を一薙ぎすると同時、その閃光は強靭なドラゴンの尾のように怪物の身体へと叩きつけられる。……いや、
「あれを相殺した、だと……」
 何匹もの紫電の大蛇が、ドラゴンの尾を喰い千切っていく。その結果、閃光が本体に直撃する頃には、その威力は随分と減衰していた。戦場の轟音の中でそんな些細な音が聞こえるはずもないが、それでも不思議と御神光が舌打ちしたのが分かった。
『不完全とはいえ、アレまで凌ぐとはねぇ……。これは結構ヤベえんじゃねえのか?』
 続けざまに氷撃波を叩き付ける御神光を見ながら、リブロムが呻く。さすがにもう軽口は品切れらしい。あの一撃はそれほどに信頼を寄せていた――つまりは切り札の一つだったという事なのだろう。
「奇兵の咆哮よ!」
 プレシアの攻撃を掻い潜り、頭上へと抜けだした光は、そのまま叩き付けるように、爆炎を放つ。それですらこの怪物にはほとんどロクなダメージを与えられない。精々髪のように蠢く蛇の何体かが千切れただけだ。
≪私の可愛いアリシア。生まれてきてくれて、本当にありがとう≫
 千切れた蛇の胴体から噴き出すどす黒い何かと共に、ふとそんな声が聞こえた。
「何だ?」
 それは、プレシアの声だった。念話のようだが、念話ではない。もちろん、肉声でもない。にも関わらず、実際に空間に響いているように感じられる。不気味に歪曲しながら、それでも確かに聞こえてくる。そして、今も耳の奥に絡みついている。
「剣魔女の斬撃を!」
 叫びと共に、御神光の身体が消え――次の瞬間には、プレシアの背後へと出現する。それに少し遅れて、その怪物の身体には袈裟切りに裂傷が刻まれた。そこからも血の代わりにどす黒い何かが噴き出す。
≪ごめんなさい。あなたからパパを奪ってしまって……≫
 プレシア・テスタロッサは夫と離婚している。ふとそんな事を思い出した。そして理解する。やはり、これはプレシア・テスタロッサの声なのだと。
「戦乙女の剣閃よ!」
 七つの雷刃が、剣の煌めきのように虚空を切り裂き、その怪物の身体へと直撃する。それでも怪物の動きは止まらない。だが、
≪あなたはママが守るから。ママがきっと幸せにしてあげるからね≫ 
 刻まれた傷からは再び『声』が噴き出す。今すぐに耳を塞いでしまいたい。そんな衝動に駆られていた。その衝動をねじ伏せるようにして叫ぶ。
「御神光、どけ!」
 デバイスを突きつけ、魔力を解き放つ。
「ブレイズキャノン!」
 制御を考えず、ただ威力だけを優先して解き放ったその魔法は怪物の横腹に突き刺さり、その巨体を僅かに揺るがした。その隙に、次の魔法を唱える。
「スティンガーブレイド!」
 放たれた何本かの魔力刃が怪物の身体を斬り裂き、突き刺さる。しかし、魔法が通じた事に安堵を覚える暇もなく、再び『声』が噴き出してきた。
≪アリシアが死んでしまった。何であの子が死ななければならなかったの?≫
 それはプレシアの嘆きだった。それは文字通りの呪詛となって心を蝕んでいく。どんな攻撃よりも鋭く深々と。元々魔力は限界だったが――なけなしの気力まで削ぎ落とされていく。膝から力が抜けそうになる。デバイスを酷く重く感じた。
「鎧騎士の氷槍よ!」
 御神光が放った氷撃の魔力弾が怪物の身体を凍てつかせ、粉砕する。
≪あの事故は、私の責任? 貴方達の無茶な要求のせいでしょう!?≫
 プレシアの嘆きが世界を震わせる中で、初めて思い知った事がある。
≪貴方達が、貴方達さえ理解してくれたならこんな事にはならなかった!≫
 別に自分は戦闘狂ではない――が、職務のために戦う事に抵抗はなかった。それが正義だと信じているから。だから、今さらになって思い知った気がする。自分が世界の真理だと思っていたものに亀裂が走った。その音を確かに聞いた気がした。
≪私が、何で私があの子を殺さなければならないの!?≫
 自分達が正義だと掲げているものなど、所詮は悲劇の後始末でしかないのだと。
「……殺したって?」
「アリシアさんが死亡した事故の責任は全てプレシア女史が負わされたの……」
 なのはの呟きに、艦長が答える。少しだけ視線を逸らして。
 ああ、そうだ。彼女にとって責任を取らされるという事は、研究者としての道を断たれるとかそんな些細な事ではなく、自分の手でたった一人の愛する娘を殺したのだと認めさせられる事だったのだ。
≪いいわ。あなた達が私から娘を奪うというなら……私は必ずあの子を取り戻す。絶対に、絶対に!≫
 これが彼女の狂気の始まり。これが、彼女が狂ってしまった理由。彼女が狂ってしまった事を罪だと言うのなら――それこそが僕らが掲げる正義の限界だろう。起こってしまった悲劇は戻せない。僕らにできるのは、その悲劇の価値とその責任の所在を決めるだけだ。……それすら、おそらくは不完全だった。だからこそ、彼女は狂った。
「母さん……」
 なのはに縋りつきながら、フェイトはポロポロと大粒の涙をこぼす。
≪どんな手段を使ってでも!≫
 果たして。それは誰が犯した罪なのか。彼女が愛した世界を滅ぼしたのは誰だ?
「マズい! ユーノ!」
 だが、終わりゆく世界の中では、無力感に苛まれる事すら許されなかった。
 叫びながら、なけなしの魔力を振り絞ってシールドを展開する。それと同時、世界から音が消えた。そんな錯覚と共に、膨大な魔力が紫電となって辺りに解き放たれる。
(いや、違う!)
 それはまるで『空間そのもの』が雷に置き換えられたかのような一撃だった。距離も位置も――速さですらもまるで関係ない。避ける事など絶対に不可能な一撃。その一撃に、瞬時に視界が白く染まる。色を認識するだけの処理すら追いつかなかった。何も分からない。今意識を失えば、おそらく自分が死んだ事すら気付くことはできない。唯一の『色』は僕が――僕らが展開するシールドだけだった。
「このおおおおおっ!」
 おそらくユーノも間に合わせてくれたのだろう。それに、なのはとアルフもシールドを展開してくれている。お陰で今にも砕けそうなほどに軋んだ――いや、それどころかシールド内にも雷は『沁み込んで』きた。身体中に痛みと痺れが走り、うっすらと火傷を残していく。呼吸する事すらままならない――が、それでも何とか耐えきった。だが、
「光お兄ちゃん!」
 御神光は完全には防ぎきれなかったらしい。当たり前だ。こっちは四人がかりでどうにか凌いだのだから。雷撃に焼かれ、地面を転がりながら――それでも何とか立ち上がった御神光の身体を大蛇の尾が無造作に薙ぎ払う。投げ捨てられた人形のように、御神光の身体は瓦礫の山へと叩きつけられ、崩れ落ちた瓦礫に押し潰されて見えなくなった。その質量は、人一人をひき肉に変えるのには充分だろう。いや、それ以前の問題だ。最初の一撃の時点で炭化していておかしくない。今度こそもう――
「クソ! エイミィ、なのは達だけでも収容してくれ!」
 だが、後悔している暇などない。恐怖している暇も惜しい。怪物は次の狙いを僕らに定めたらしい。手負いなのはお互い様だが……こちらの方が消耗は深刻だ。それに、元々の性能が違いすぎる。
『ダメ! ジュエルシードの魔力が影響して座標が設定できないよ! まずはそこから離れて!』
「彼女が見逃がしてくれるならな!」
 どうやら誰ひとり見逃してはくれないようだ。状況は絶望的だが、やるしかない。いや、やらなければならない。あの男の犠牲を無駄には――
『まぁ、そう慌てんなって』
 そんな中で、リブロムが呑気に笑う。思わず思いつく限りの罵声を浴びせそうになったが――
『心配しなくても、相棒の奴はまだやる気らしいぜ?』
 その言葉に、思い浮かべていた罵声が全て消え失せた。この本は、一体何を言っている?――だが、その疑問をあざ笑うように声を聞いた。
「遠く遠く天と地の狭間に生まれしもの――」
 それは、あの時、あの海上で聞いた詠唱だった。
「――迫る災禍見据え慟哭響く前に終焉に挑め」
 あの状況で生きていたのか――呻く僕を他所に、深淵の魔力が瓦礫の山を吹き飛ばし、世界を黒く染めていく。
「我ら古よりの法に従い捧げるは眼球賜うは礫」
 その中で、満身創痍の御神光がゆっくりと立ち上がるのが見えた。身体中から血を滴らせながら、それでも真っ直ぐにその怪物を睨みつける。その彼の纏う異様な魔力に、さすがの怪物も恐れを抱いたらしい。僕らを無視し、御神光へと向かって走りだす。
 だが、
「禁忌より這い出し今ここに顕在せよ!」
 御神光が詠唱を終える方が圧倒的に早かった。
「ひっ!?」
 なのはが引き攣った悲鳴を上げる。その彼女の目前で、御神光が自らの手で自分の右目を抉りだして――そして、あの異様な魔法が再び世界に解き放たれる。
「何だと……?」
 掲げた右目を中心に、いくつもの異形の眼球が浮かび上がる。そして、その視線は無数
の魔力弾――赤黒い閃光へと変貌し、怪物の身体を貫いていく。
『禁術コルゴン。見ての通り、眼球を代償にして発動する禁術だな。威力は大した事ねえがその分圧倒的に手数が多いし、おまけもつく。まぁ、割とよく使われてんじゃねえか? 代償も手頃だからな。ヒャハハハハハハッ!』
 リブロムの場違いな笑い声も、もはや気にならなかった。その眼球から放たれた魔力弾が貫いた部位が、瞬く間に石化していく。これが、おまけという奴だろうか。ただし、怪物とて黙ってやられている訳ではない。無数の蛇を放ち、光を喰い殺そうとする。
 威力は大した事がない、などとリブロムは言っているがそもそも数が暴力的だ。さらに、その一発ずつに下手な砲撃魔法など鼻で笑えるほどの威力が秘められている。もちろん、それを迎え撃つ蛇にも同じ事が言える訳だが。
「化け物どもめ……」
 思わず呻いた。そんなものを使って真正面から撃ち合うなど、もはや正気ではない。
『違いねえな』
 げらげらとリブロムが嗤う中で――その悪夢のような撃ち合いを制したのは御神光だった。一方の怪物は、その身体の大半が石像と化している。それに向かって、光はさらに魔法で生み出した石片を叩きつけていく。結局、怪物の身体が削りかけの石像となるまで、そう時間はかからなかった。だが、怪物はまだ倒れていない。石像が僅かに震える。内側からその戒めを解こうと暴れているようだ。
『やれやれ。まぁ、これで何とかなりそうだな』
 リブロムの言葉に応じるように、御神光の右腕が膨れ上がる。それは、見た事のある魔法だった。初めて会った時に喰らった、あの異形の拳だ。いや、少し違う。
 あの時と違い、それは植物のようなもので出来ていて――そして、見るからに毒々しい瘴気を放っていた。
『さぁ、一発かましちまいな』
 異形の拳が、魔力を吸ってさらに巨大に膨れ上がる。その拳を構えた御神光の身体が消え――次の瞬間には、彼は拳の間合いに踏み込んでいた。
「悪い夢はこれで終わりだ」
 拳が振るわれる中、その宣言が妙にはっきりと聞こえ――拳が振るわれると同時、石像が突然起爆した。まるで、その石を生み出してた魔力が急激に燃え上がったように。
「まだ、倒れないのか?!」
 爆風に翻弄されるまま数メートルほど吹き飛ばされた怪物は、それでも立ち上がった。もはや御神光が限界なのは分かっていた。ここからでも分かるほど大きく肩を上下させている彼の身体から――その右腕から立ち上っていた深淵の魔力が全て消え去っている。これで倒れないならもう……思わず背筋がゾッとするが、
『いや、終わりだ』
 リブロムの言葉を肯定するように、突如として怪物の身体が崩れた。炎に放り込まれた蝋人形のように、どす黒いタールのような何かとなって、その巨体は流れ去る。
 そして、
「たす、けて。誰か、助けてよ……」
 その黒い何かの海の中心には、プレシア・テスタロッサの姿があった。全ての力を失い、ヘドロのような何かを身体に纏わせながら――ボロボロになって地面に崩れ落ちた彼女が、その手を伸ばす。
『さぁ、決着だぜ』
 ふらりと、傷だらけの身体を引きずりながら御神光は、彼女の元へと歩き出す。
「待て、御神光――!」
 そこで思い出した。御神光を蝕む『魔物』を鎮める手段。それは、プレシア・テスタロッサの殺害だった。つまり、決着と言うのは……。
「大丈夫だよ、クロノ君。フェイトちゃんも」
 駆けだそうとする僕を制するように、高町なのはは――彼の妹は笑って見せた。まるで何の心配もいらないと言うかのように。
「しかし――」
 問答などしている暇はなかった。その頃には、御神光はプレシア・テスタロッサの傍まで辿りつき、右手を掲げた。
「何をする気だ……?」
 掲げた右腕から、魔力のような輝きが溢れだす。何かを打ち消しているようにも、何かを吸いだしているようにも見えた。よく分からない。それが危険なものなのかどうかも。
「光お兄ちゃんは確かに意地悪だけど――それでも、本当に助けてって言ってる人を見捨てたりしないんだから」
 だが、その輝きは――青白く澄み渡ったその光は酷く優しげだった。全てを赦すようなその輝きの中で、プレシア・テスタロッサの身体に纏わりついていたどす黒い何かが消えていく。そして、最後に大きな光の塊が吸い出され――それは、ゆっくりと光の右腕へと吸い込まれていった。
「一体何を……?」
 誰にともなく呻いていると、プレシア・テスタロッサを抱き上げた御神光がゆっくりとこちらに向かってくる。
「そら、フェイト。大事にしろよ」
 彼はそのまま、プレシア・テスタロッサをフェイトの傍に下ろした。彼女はまだ生きていた。血を吐いたなどとても信じられないほど静かで穏やかな呼吸の音が聞こえる。
「……うん、うん!」
 プレシアを――母親を抱きしめながら、フェイトが何度も頷く。彼女を取り巻く問題が解決したとはお世辞にも言えないが……それでも、最悪の結末だけは避けられたらしい。
 このこんなはずじゃない世界の中で、彼女の求めた小さな世界が守られた事にはきっと意味がある。そう思えた。 




「寝ちまったか……。まぁ、無理もない」
 程なくして、フェイト・テスタロッサは眠りに落ちた。無理もない。高町なのはとの戦闘、この庭園での戦闘と立てつづけに魔力を消費した挙句、他者によって制御されているジュエルシードに対する封印の強行。その小さな身体にはあまりある負担だったはずだ。
 御神光が治癒魔法を唱えたようだが、さすがにその程度で回復するような疲労でもあるまい。今はゆっくりと寝かせてやるのが一番だろう。
「さて、それじゃあその魔石はそのままお返ししよう」
 フェイトの傍らから立ち上がり、御神光は言った。血塗れだが、思った以上に傷は浅い。もちろん軽傷ではない。満身創痍と言っていいような有様だが……それでも、あれだけのがれきに押し潰された事を――いや、あの状況を考えれば傷は浅いと言っていい。防御が間に合ったということか。だとしたら、つくづく規格外れの戦闘センスだ。
「ええ。そうしてちょうだい」
 母さん――いや、艦長が心底疲れたようにぼやく。それと同時、役目を終えたジュエルシードが静かにその輝きを消した。
「というか、光君。あなた、ジュエルシードを使えたのね」
「さて、それはどうかな。……だが、切り札ってのは最後まで隠しておくものだろう?」
『つーか、あれだけ大見え切った挙句、まんまと妹に負けた身としてはあれくらいの見せ場は用意しねえと恰好がつかねえよなぁ。ヒャハハハハハハハハハッ!』
「ほっとけ。大体、半分はお前のせいだろうが」
 艦長に負けない勢いで、光がため息をつく。よほど不本意な結果だったのだろう。まぁ、そのおかげでまとまった話もあるのだから――やはりこの世界はこんなはずじゃない事で溢れているのだろう。残念ながら。
 ともあれ、積もる話はアースラに帰ってからでいいだろう。光自身は元よりテスタロッサ親子にも治療が必要だ。もちろん、僕らも軽傷という訳ではない。それに、
「急いでアースラに戻ろう。さすがに、いつ崩壊してもおかしくないからな――」
 それはあくまでも、時の庭園の話だった。少なくとも、僕自身はそのつもりだった。
 だが、
「どうやらそうらしいな」
 世界が再び悲鳴を上げる。
『義理堅いねえ。どこぞの杯にも見習わせたいもんだ』
「いや、アレもこれくらいはしてくれるだろ。都合よく世界を滅ぼせるんだから」
『そりゃ違いねえな』
 プレシア・テスタロッサが従えていた八つのジュエルシードは、戒めから解き放たれ、輝きを増す。彼女の本当の望みは世界の滅亡などではない。それでも、その魔石はあくまでも世界を終わらせようとしていた。それとも、ただ単に暴走しているだけなのか。
 だが、いずれにしても――
『みんな、急いでそこを離れて! 次元断層が――!』
 これで、世界が滅びる。今さら封印などできない。ディストーションシールドで抑え込む事も不可能だろう。そんな中で、
「さて、管理局。取引をしよう」
 あくまでも落ち着き払った態度で、御神光は言った。
「取引、だと?」
 この期に及んで何を――そんな呻きが言葉になる前に、彼は告げる。
「テスタロッサ親子およびその使い魔の身柄の解放。それを約束してくれるなら、その対価として俺があの魔石を破壊してやる」
 そんな事が出来る訳がない――そう怒鳴りたくなったが……その反面、この状況でこの男がそんな無意味な嘘をつくとは思えなかった。
「できない事はないだろう? 被疑者死亡にするなり、ロストロギアに乗っ取られて正気を失っていたとか何とか適当な嘘をつくなり、色々と手段はあるはずだ」
 それに、アンタはそういうの得意そうだしな――御神光は、艦長を見ながら笑う。
「確かにアンタ達が受け取る褒章はなくなるだろうし、むしろ始末書の一枚や二枚書く羽目になるかもしれないな。それを避けるために世界の二つ三つ滅ぼしてもかまわないというなら……まぁ、それはそれで仕方がない。もっとも、そんな連中にフェイト達の身柄を預ける訳にもいかなくなるが」
 相変わらず嫌な言い方をする。この状況で、そんな迂遠な言い方で脅迫しなくてもいいだろうに。
「……本当に、ジュエルシードを破壊できるのね?」
 艦長が呻く。だが、この状況で、そんな言われ方をすれば――いや、そうでなかったとしても、この状況であればその取引を飲むより他にないじゃないか。まったく、こんなことなら素直に脅迫してくれた方がまだ気が楽だった。
「もちろんだ」
 ああ忌々しい。さも当然のように言い切りやがった。大体、ここで僕らが頷かなかったら滅びるのはお前達の故郷なんだが――そう思うが、ここで彼を責めるのは筋違いだろう。何故か。そんな事は決まっている。
「分かったわ。約束する。だからお願い。……次元震を止めて」
 彼らの故郷を守ること。それは本来なら僕らがやらなければならない事なのだから。
「遠く遠く天と地の狭間に生まれしもの――」
 御神光の返事は、その詠唱だった。
「――迫る災禍見据え慟哭響く前に終焉に挑め」
 禁術と呼ばれる、自らの肉体の一部を犠牲とする異形の魔法。だが、
『ダメだよ! この前の炎だって今のジュエルシードを止めるには足りないよ!』
 エイミィが叫ぶ。事実として、あの炎の巨人とて今のジュエルシードをねじ伏せるには力不足だった。根拠がある訳ではないが、明確な世界の終わりを目前にすれば理解せずにはいられない。あの炎の巨人では、滅びゆく世界を救えないのだと。
「――我ら古よりの法に従い捧げるは臓物賜うは剣」
 だが、詠唱は止まらない。深淵の魔力が世界を黒く染め上げて、
「禁忌より這い出し今ここに顕在せよ!」
 御神光は、その右手を自らの胸に突き立てた。
「な――ッ!?」
 その右手によって引きずり出されたのは、ドクドクと脈打つ肉の塊――心臓だった。それは瞬く間に膨れ上がり、形を変えていく。
『禁術エクスカリバー。見ての通り代償は深刻だが、その分威力はサラマンダーの比じゃねえ。ま、禁術中の禁術ってところか。最後まで隠しておく切り札ってやつだな』
「言ってる場合か?!」
 思わずリブロムに怒鳴り返す。その頃には、抉りだされた心臓はひと振りの剣となっていた。どちらも規格外れすぎて実感が湧かないが――その魔剣はおそらく、あの炎の巨人より凶悪な魔力を秘めている。だが、そんな事より、
「心臓だぞ!? そんなものを捧げたら……ッ!」
 死ぬぞ――そんなことは、当たり前すぎて今さら指摘するのも馬鹿げていた。
『分かってるって。オイ、チビ。気絶してる暇があるならちょっとこっち来い!』
 リブロムが八割方卒倒しかかっていたなのはを呼び寄せる。あまり思考が働いていない様子で、なのはがのろのろとこちらに向かってくる。その頃には、ふらりと御神光も歩き出していた。その魔剣を片手に、もはや一つの魔力の塊と化したジュエルシードに向かって。そして、
「……これで、今度こそ終わりだ」
 囁くように呟き、その魔剣を地面に突き立てた。同時、辺り一帯に赤黒い閃光が奔る。
『魔力反応増大! ……測定不能!? そんな、あの炎に合わせて調整しなおしたばっかりなのに――!』
 それに呼応して、虚数空間を貫き現れた巨大な剣がジュエルシードに――それが集まり形成された魔力塊に突き刺さる。さらにそれは、まるで顎を開くかのように大きく左右に分かれ――
「―――ッ!?」
 強引に魔力の塊を引き裂きながら破裂した。その瞬間に解き放たれた魔力は――確かにあの炎の巨人すら容易にねじ伏せるだろう。途方もなさ過ぎて、もはやどれだけの威力があるのかも想像がつかないが。
『嘘!? 本当に次元震が消滅した!?』
 エイミィの悲鳴とも歓声ともつかない声が聞こえる頃には、すでに全てが終わっていた。八つのジュエルシードは消滅し――心臓が転じた魔剣もその力を失っていた。
 そして、
「ゴボッ!」
 心臓を失った御神光は、プレシア・テスタロッサよりも派手に吐血していた。当たり前だ。それは……その魔法の代償は、今度こそ完全な致命傷だった。胸元に開いた大穴からは今も大量の血が溢れ出している。
「いやああああああッ! 光お兄ちゃん!」
『だあああああッ! 泣いてる暇があったら、さっさとオレを使えこのバカ! テメエがいくら泣いたってどうにもなんねえんだよ!』
 発狂しかかっているなのはに、リブロムが怒鳴る。
「じゃあ、どうすればいいの!?」
『まずはオレの目元から『雫』を回収しな』
 怒鳴り返してくるなのはに対して、リブロムは冷静に言った。確かにその本の目元には、涙のような雫が光っていた。高町なのはは慌ててその『雫』を指先ですくう。
『そしたら、この頁にそれを振りかけろ。一応言っとくが、心臓辺りにかけるんだぞ』
 言うが早いか、リブロムは今まで頑なに見せなかったその一頁を開いて見せる。そこに
は、人体図が描かれていた。その人体図にはいくつもの奇妙な図形が記されており……ちょうど右目と心臓辺りの図形は黒く霞んでいた。そこに高町なのはが『雫』を振りかける。リブロムが高町なのはにさせた事は、それだけだった。
『そうだ。それでいい』
 確かに雫を浴びた途端、その図形はたちまち色彩を取り戻したが――それだけだ。それに一体何の意味が……。
『それで相棒、調子はどうだ?』
「さすがに死ぬかと思ったな」
 傷一つ残らない胸元を撫でながら、御神光は実に気楽な様子で言った。もっとも、そんなのは所詮ポーズだけだ。彼が追っているであろうダメージは、心臓を別としても深刻なはずである。実際に、こちらに近づく途中で崩れ落ちそうになった。思わず支えようと手を伸ばす――が、
「良いか? 契約を破ったらただじゃ済まさないからな」
 僕の手を払いのけ――代わりに胸ぐらを掴みながら、御神光は言った。虚ろとなったその右目に睨みつけられ、思わず言葉に詰まる――が、それでも頷いていた。そんな風に睨まれなくとも、今さら頷かない理由はない。それを見届けた途端、御神光の腕から……いや、身体から力が抜ける。どうやら、気を失ったらしい。
「やれやれ……。つくづく徹底しているよ、お前は」
 改めてその身体を担ぎあげ――ついでに、確かにその胸で心臓が脈打っている事を確認
してから、小さく呟く。
「……しかし、他の選択肢がなかったとはいえ厄介な取引を交わしてしまったな」
 何とか御神光を背負いつつ――母親に折り重なるように眠ってしまったフェイトを見やってから呻いた。
「ええ。……でも、世界を救う代償としては安いものなんでしょうね」
 まぁ、確かに。仮にも次元震を起こしかけた犯人を匿うなど、普通に考えても発覚した時点で僕らの首が飛ぶ。いや、その程度では済まないだろうが……それでも世界を救った代償としては安いものと言わざるを得まい。
 それに、所詮は口約束だ。約束を違える事は不可能ではないだろう。今なら御神光も容易く拘束できる。だが、それはできない。それは報復が怖いとかそんな理由では無くて、
(ああ、この際だ。認めてしまえ)
 心の底から不本意だが――それでも。
 血まみれで、得体の知れない『魔物』に侵され、右目さえも失って。それでも、助けてと、おそらくは何度も伸ばされたであろうその手を――今まで誰も掴みかえす事のなかったその手を掴みかえしたその姿。その輝きに憧れを覚えたのは、今さら否定できる事ではないのだから。

 
 

 
後書き
今さらですが、今作では色々と供物魔法が強化されています。その中でもラスボスに連なる供物は特に強化されています。追尾弾の天竜・混沌竜系、魔神・聖神、特別の光羽辺りですね。細かな理由はちらほらと本作中で触れつつありますが……ともあれ、供物魔法強化はそれだけの年月が経過したということで。

さて、これにて無印編のラストバトルも終わりました。
残りはあと三話。エピローグを除けば二話ですね。残る問題はテスタロッサ家の問題と殺戮衝動ですから、そのあたりの解決話となるはずです。
それでは、来週も無事に更新できる事を祈って。




……あれ? なんかもう一つ忘れているような?
2014年12月24日:誤字等修正
 
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