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比翼連理の赤と青と

作者:696
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二話 青い危険色

「提督は『連理の枝』ってご存じですか?」
 赤城が八十二機の艦戦、艦攻、艦爆をそれぞれ飛ばしていた。発艦及び編隊統率と着艦練習のため、それらは赤城の頭上をくるくると旋回している。私は赤城の邪魔にならないよう、飛行甲板の付近を避けつつ、傍で座っていた。まるで、小鳥に懐かれている少女のようだ、と思う。
 彼女の可愛らしさは、加賀のそれより万人受けするもので、私も多分に漏れず、ずっとこうして彼女の姿を見ていたいと思った。彼女の傍は、なんとも言えずあたたかい。それに、可愛いらしいと思った矢先にきりっとした顔も見せるのだから、油断できない。
「中国の故事だってことは知ってるよ」
 私は吸っている煙草を消した。上空を舞う小鳥たちに失礼な気がしたからだ。
「『連理の枝』は、二本の木の枝が、こうやって絡みつくことです」
 赤城は組むようにして手を繋いできた。私の腰にそっと手を回す。互いの鼓動が、息遣いが、感じられる距離だった。
「転じて、私たちみたいな仲睦まじい人を指す言葉でも、あるんです」
 彼女は、意を決したような表情をして、そっと私に唇を合わせた。繋いだ手が震えている。蒸している夏のことである。寒気のせいではない。
「やだ、私ったら。緊張してしまいました」
 赤城がぎこちなく笑って私から離れる。同時に体温が消える。私はもっと彼女を感じていたかったので、思わず手を伸ばしかけたが、彼女の顔を見て私の動作は止まってしまう。
「変わらないんですよ」
 夕暮れのせいか、彼女がやけに大人びて見える。私はその変貌に息を呑み、意味を聞き返すことができなかった。
「ねぇ、こうして枝が離れても、何も変わらないんですよ。私が提督を好きな気持ちも、この、温もりも。変わらないんです。だから、できれば提督も変わらないでください。加賀さんを、好きでいてください。私を、なるべくでいいですから、好きでいて、ください」
 赤城はもう一度だけ、何も変わらないんです、と口に出した。
 単に少女の想いというには重すぎる、身体の内側に染みこむようなそれは、まるで呪いのようだった。

 ◆

 加賀はケッコン期間中、たまに私に体重を預けては、そっと微笑んで、秘書艦の仕事を勤めていた。「赤城さんと何を話していたの?」
 何気なく問われ、なんと説明していいものか窮していると、加賀は察するように言葉を紡いだ。
「ごめんなさい。詮索するなんて、よくないわね。でも、今は私が妻ですから、私のところに戻ってきてくれれば、それでいいの……」
 そう言ったきり、黙ってしまった。怒ったのだろうか、と顔を見遣ると、加賀は左手の薬指を光に透かすように眺めていた。まるで私と加賀を繋ぐものが愛情ではなく、この形式上のユビワだけなのだと言わんばかりだった。怒ってくれていた方がましだと思う。そうやって、加賀が辛そうにしているのを見ると、私まで胸が張り裂けそうになる。
「……赤城からは、加賀を好きでいなさい、と釘を刺されたよ」
 加賀が何を考えているかは私にはわからないが、しかし、妻を不安にさせることが、果たして正しいと言えるだろうか。そう思っての発言だった。
「そう」
 加賀さんはそう言って、何かを決心したように唇を強く結んだ。
 もし、彼女が引き返せたとしたら、ここが限界だったのだと思う。私が何も言わなかったら、加賀は自分のしようとしていることを持ち前の冷静さを以ってして止めたかもしれない。ただし、それは赤城を裏切ることになるから、加賀はそんなことはしないだろうが――それでも、引き返せる可能性はあった。いや、何を言っても意味がない。私は、自分に責任があると思いたいのだ。
 そうでなければ。
 そうでなければ、彼女のひたむきさが正しくないと認めるようなものだからだ。

 ◆

 あの蒸し暑い日から一週間が経った。気候は一週間では変わらず、加賀も秘書艦の仕事を変わらない様子で終わらせて、いつも通り私にそっと身体を預けてきた。肩越しに私と目を合わせる格好になる。今の加賀の目には、誘引の香りが満ちていた。私はそんな愛しい彼女を見て、我慢できず、そっと口をつける。加賀は接吻の瞬間、少しだけ身体を強張らせたかと思うと、すぐに唇を離した。
「……ありがとう、ございます」
 もう少し唇を重ねていたら、私はきっと彼女の差し出したものをすべて奪ってしまっていただろうと思った。加賀もすべてを差し出したに違いなかった。
 加賀が妻でなくなる時間が近づいてくる。私は彼女に、ユビワを外しても加賀が好きだよ、と口にした。彼女はぐっと何かと飲み込んで、一呼吸おいてから、
「赤城さんのことをよろしくお願いします。私のことも、どうか嫌いにならないで、ください」
 そう言って、彼女は司令官室を出た。私が加賀を嫌いになるはずなんてない、という言葉を発した頃には、その言葉を聞く者はいなかった。

 おおよそ一時間後、赤城が司令官室に入ってきた。
「提督、今日は私と結ばれる日ですね」
 彼女は目を輝かせていた。加賀からケッコンユビワを譲ってもらったのだという。
「これからは二週間ごとに、好きな人と結ばれるんですね……そう考えると、幸せ、かも」
 そう言って、彼女はケッコンユビワを私に手渡した。加賀は自分で着けてしまったけれど、私は提督に填めてもらいたいです、と珍しく恥じらっている赤城の手を取り、左手の薬指にそっと填める。
「確かに、身体が軽くなったように感じますね」
 赤城が軽く身体を動かす。こうしていると、小さな少女がはしゃいでいるようだった。
「そして、ちょっと恥ずかしいです」
 私は加賀のことが気になったけれど、赤城が私に抱きついてきたので、何も言えなくなってしまった。加賀とは、明日からどう付き合えばいいのだろうか――。
 夜も遅いので、続きはまた今度、と諌めると、どんな続きをしてくれるんですか、とからかう赤城だった。彼女は攻めてくるタイプらしい。私は寝る準備をするから、と赤城を追い出した。

 鎮守府の敷地内にある風呂に寄る途中、ドックの前を通ると灯りがついていた。この時間までドックを使うような怪我を負った艦娘はいないはずである。新造艦の建造命令も出した覚えはない。
 私がそっとドックに近寄ると、否、近寄る前に、中からは大きな嗚咽が聞こえた。誰の声かわからなくなってしまうくらいの痛切な――言葉を抑えても、抑えられない感情の奔流であると一聴してわかるような――青い、青い、泣き声だった。私でなければ、きっと声の主に気付かなかっただろう。彼女は子どもがそうするように、鼻を啜り、たまに咳き込んで、辛そうに、痛そうに、泣いている。
 私は、その場を足音を立てず去った。正直を言えば、今すぐ中に入って彼女を抱き締めたい。お前は泣かなくてもいいのだと、そしてもうお前を泣かせはしないと、抱き締めて言ってやりたい。しかし、私はどんな面を下げて逢えばいいのか。私が彼女のことを本当に想うなら、ここで去ることが最良なのだ――そう自分に言い聞かせて、鎮守府に引き返して床に入る。風呂に入る気分ではなかった。身体を清めたところで、心にこびりついた彼女の嗚咽までは落とせる気がしない。

 赤城と結ばれた日であるというのに、私の心の中は青に染まっていた。
 
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