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比翼連理の赤と青と

作者:696
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一話 白い難色

 蒸し暑い日のことであった。
 その日は演習を行ったものの、照り返しのきつい海にいたからか、私の艦隊の駆逐艦・漣が熱中症を起こしたため、演習を中止して全員に待機命令を出した。しかし、天龍をはじめとする元気の有り余っている艦娘は近海をうろついていたし、幼い駆逐艦たちは外に出て虫捕りをするなど自由に過ごしていた。漣の例もあるので、言外に自室での待機を命じたつもりであるが、彼女らを咎めるつもりはなかった。元々、口うるさくするのが苦手だというのも理由のひとつではあるが、一番の理由は単純に叱る気力がなかったのである。
 私は、今この部屋から解放されるものならばすぐにでも下に降りて、彼女らと虫捕りに興じたいくらいに、疲弊していた。
「――提督。いい加減、外ばかり見ていないでご決断願えませんか」
 正規空母・加賀がいつもと変わらない調子で言う。否、いつもと変わらないよう自らに強いているような調子で、言う。
「そうですよ、提督。男らしくありませんよ」
 正規空母・赤城の方は本当に変わりがない様子で、私を責めていた。手につけていた弓道手袋――弓懸(ゆがけ)というらしい――は暑気のためか懐に仕舞ったようで、すべすべとした手首がすらりと伸びている。加賀は、私が赤城に見蕩れていたのが気に食わないらしく、視界を遮るように身体の位置をずらした。
 私は海軍で働いてから、概ね、男として越えなければならない壁を――越えたとは言わないまでも――ぶつかってきたつもりだ。しかし、言い訳になるが軍生活は男所帯である。今までぶつかってきた壁には女性が関わることは皆無だった。軍人としての自分はある程度評価できるとしても、裸一貫の私そのものは、未だに、二人の女性を悲しませている弱い男なのだ。
「私と赤城さん――どちらとケッコンされますか?」
 悩む必要はなさそうですが、と加賀が言い添える。自分への自信か、はたまた赤城に決まっている、と思っているのか、わからない。もしくは、単に、燃料と弾薬を多く消費する自分の方が合理的だ、と言っているようにも聞こえる。加賀の性格なら有り得る話であった。
 それに対して赤城は、そうです、悩む必要なんてありません――と口にした。それは加賀の含みのある言い方への反撃にも聞こえたし、一方で、赤城からは加賀の優秀さについては何度も聞かされていたので、加賀にするべきだ、という風にも聞こえた。あるいは単純に彼女の慢心というものなのかもしれない。どちらにせよ、目の前の女性二人はどっちとも取れる言葉を、強いて選んでいるようであった。言及したところで、どうせはぐらかすのだろう。
 女というやつは、こうも懐に刃を持ったようなやり口をする。
 しかし、私は、そんな面倒な二人のことが、好きで、好きで、たまらないのだった。
 どちらかを、選べないくらいに。

 ◆

 ケッコンカッコカリシステム。
 それは十分に錬度を積んだ艦娘とケッコンカッコカリと呼ばれる儀式を交わして、その艦娘をより強化し、より低コストに運用することができるシステムである。画期的なシステムの導入自体は喜ばしいことであるが、問題は名称にあった。システム名に婚姻を思わせる名称を付ければ、当然、女性の心を持った艦娘たちのことである、心中穏やかではいられないだろう。
 もっとも、上層部の狙いはそこにあるのだと思う。つまり、女性の心を持った艦娘を効果的に運用するには、女性の心を利用するのがいいと考えたのだろう。卑劣なやり方と言えばその通りだし、そういう手段に訴えなければならないほど切羽詰まっている状況なのだと言えば、その通りである。
 実際――褒められたやり方か否かは別にして――このシステムはうまくできていると思う。もしも肉体面への強化がなくても『自分は特別だ』と、『自分は、伴侶なのだ』と、そう自覚するだけで女性は、否、人は強くなれるものだ。私だって、例外ではない。きっと、目の前の二人がいなければ、いつ終わるのかわからない戦いに消耗させられて、何と戦っているのかわからない戦いに磨耗させられて、とっくに鎮守府か世を去っていたに違いないのだ。そう考えれば、二人には感謝してもしきれない。人を恋慕うことは、強さなのだ。そんな私にとって、彼女らのうち、片方を選ぶというのは、私の半身を失うことと同義なのである。

 ◆

 彼女らに背を向けて、外を見ていると、駆逐艦・五月雨がクワガタだかカブトムシだかを捕ったらしい。同じく駆逐艦の朧がカニと戦わせようとして、同型艦の潮が止めようとするも止められずに右往左往していた。その風景を、私は愛しく思う。オノマトペで表現すると、ほのぼの、というやつである。
「……提督」
 赤城と加賀、二人の声が重なった。
「わかっている。……私だって、迷うさ」
 手慰みに帽子をくるくると回す。私の制服は全身白ずくめで、帽子もその例外でなく白い。さながらこの白帽は降参の旗印であった。
 私と赤城と加賀がいる司令官室の机の上には、本部から手に入れたケッコンユビワという機器が箱に入った状態で置かれていた。一見すると、頼りなさげな指輪にしか見えないが、最新の技術が使われているそうで、艦娘との親和性についても臨床データは多くないため細心の注意を払って扱うよう言われていた。単純に、作るのに金がかかるというのもあるだろうが。
「提督がそこまでにお悩みになるのなら」
 赤城を隠すように立っていた加賀が、さらに一歩踏み出す。そして机の上の箱を開けた。赤城はそれを間の抜けた顔で後ろから覗いていた。まさか、加賀が自分を出し抜くわけがないと信頼していたのだろう。しかし、加賀はいとも簡単に、ユビワを自身の左手の薬指に填めたのだった。
「あっ……ああー! 加賀さん! それはひどいです! なしです! 外してください!」
 赤城が加賀に食ってかかる(赤城に『食って』かかられるなんて、ぞっとしない話である)。目の前で見ていた私も呆然としてしまった。私にも『加賀に限って、そういう横取りをするような真似はするまい』という思いはあったので、その行動に驚いてしまった。
「案外、軽いのね。流石に気分が高揚します」
 一方、どこ吹く風と加賀はきらきらとしていた。鈍色だったユビワもきらきらと銀色に輝き始める。
「加賀さん! 怒りますよ!」
 赤城がぐい、と左手に組み付くが、加賀は軽くそれをいなして部屋の隅に身体を逃がした。
「落ち着いて。赤城さん」
 加賀はきり、とした表情で赤城に右手で待ったをかける。左手だとユビワを見た赤城にまた組み付かれるからだろう。こういう抜け目ないところは流石、加賀である。
「私に、いい考えがあるの」
 コンボイかよ。
「そ……それは信じてもいいの?」
 そして赤城にも通じるのかよ。
「一週間、私にユビワを着けさせて頂戴。そして、次の一週間は赤城さん、あなたが着けるの」
 それを聞いた赤城は顔を綻ばせて流石加賀さんね、と手を合わせて喜んでいた。その時、わずかに加賀の顔が曇ったのを、私は見逃さなかった。
「赤城さんにその覚悟があればの話だけれど」
 赤城は赤城で、胸を張って自信満々に言う。
「加賀さんにできて、私にできない覚悟はありませんよ」
 そのやり取りに、私は不安を覚える。このことで二人の仲に亀裂が生じはしないだろうか。しかし、この二人に限って、まさか――。私が考えを巡らしていると、加賀がこちらを向いた。
「提督、勝手なことをしてごめんなさい。順序がちぐはぐになったけれど――」
 加賀はこちらを向いて頭を下げた後、
「私のことを、嫌いでなければ、ええと、その……妻にしてほしいの、だけれど」
 そう言って、相好を崩したのであった。
 色々と思うところはあるが、好きな人からはにかまれながらそう言われて断れる人間はいない。
 ――こちらこそ、お願いします。
 私はどうしていいかわからず、とりあえず彼女に向けて手を伸ばす。加賀はそれを見て、同じようにおずおずと手を差し出した。私たちは何故か握手をしていた。赤城はけらけらと笑いながら「二人とも、うぶで、見ているこっちが恥ずかしくなっちゃいます」と茶化していた。
 私の顔が熱を持っていたので、手にした帽子で顔を仰ぐ。視界に帽子の白がぱたぱたとはためいた。言うまでもないが白帽を振っているのは降参の旗印ではなく、冷気を顔に当てるためだ。こんな形で熱中症の二人目にはなりたくはない。
「二人とも。先に言っておくけど、ユビワを取り合っていがみ合うなんてことは絶対にしないように」
 と、私は冷静な振りをするためにわざと提督として釘を刺す。先ほどの加賀の不穏な発言を見逃せないという意味もあった。しかし、彼女らは互いに目を合わせてから「それは思いつかなかったですね」と、こぼした。私はその言葉を聞いて安堵する。しかし、この時、私は気付かなかったのである。
 青い覚悟を。
 赤い、覚悟を。
 
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