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或る短かな後日談

作者:石竹
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終わった世界で
  二 置き去り

 油塗れの町。玉虫色、虹色と言えばまだ、聞こえの良い。水溜り、アスファルト、瓦礫の表面。何処から運ばれてきたのかなんて知る由もない、見渡す限りの油、油、油の世界。
 注意して歩かないと。滑って転んでしまいそう、と。彼女の右手を握り締め――彼女は決して。私をその鋭い爪で傷付けまいと力を込めず。その代わり、私がしっかり二人を繋いだ。

 私達が目指すのは、日の昇る方角。雨雲が他の雲を浚っていってしまったらしい今は、赤い空の向こう、更に赤く輝く方へ。ポーチの中に入れられたコンパス……ネクロマンサーに与えられた。憎々しいことに。雲に空を覆われたときには、それに頼らざるを得ず。ネクロマンサーに作られた身体、与えられた技能に頼り切っていることも含めて。そして。
 東へ向かえと。其処で待っていると。そこで奴が馬鹿正直に待ち構えているかどうかも分からないというのに。ネクロマンサーの残した、そんな言葉に従っていることも、また。全て、全てが忌々しい。
 しかし。他に手がかりなんて無く。他に怨みをぶつける場所を知らない私は、私達は。

 東へ。日の差す方へと、進み、進み。幸いと言うべきか。私達の進む先には、何か。建築物らしい、何かが見え。

 昨夜はあのまま。必要も無い睡眠を取り。どちらが先かも思い出せず、二人揃って眠りについて。無用心極まりない夜を過ごしてしまった。こうして、何事も無くまた旅立てたから良かったもの……いや。
 もしかすると。あの時、微睡みの中で感じた安らぎ。彼女と共に在る安堵。その中で、目覚めることなく眠りにつけたのならば。その方が――なんて。

 そんなことを考えるのは。全てを終わらせてからでいい。ネクロマンサーを倒し。悪意の根を摘み取ってから。今はこうして、手を繋ぎ合い。二人で歩いているのだから。

「リティ。体は大丈夫?」
「大丈夫。もうすっかり馴染んだよ、ありがとう」

 あの後。散らばったパーツをかき集め……私たちのものか、敵のものかも分かりはしない。何とか。粘菌が壊死する前に繋ぎ合わせることが出来。若干の傷は残ったものの、私の体は問題なく動ける程度に回復し。本当、便利な身体だと。思ったところで湧き出した、自身への苛立ちもまだ、記憶に新しい。
 この。ネクロマンサーが私に与えた便利な身体で。技能で。他でもないネクロマンサーを滅するのだと。決意を新たに、街と砂漠のその境を踏む。

「リティ」
「何、マト」
「顔、怖い」

 何時から見ていたのか。昨夜は、二人で叫び、泣きつかれ、眠り。その相方も、今はもう普段の彼女。淡々とした口調で、淡々を事実を告げ。それでも若干、引き攣ったその顔が、私の心に刃を捻じ込む。

「……そう……」

 肩に掛けたライフルが。腰に下げた拳銃が。自棄に重く感じて。空いた手で顔に触れてみれば、なるほど、眉間に寄った皺、歪んだ顔。解すのは後にするとして、まずは。
 彼女に。ごめんと一言、言葉を零して、頭を掻く。どうも、恨みばかりに駆られ……それだけの理由が在るとは言え……向かう先に居るであろう敵が私達へと向けるそれと同じ。悪意に駆られてばかりいる。

 これでは。私の滅するべき奴と、そう変わらない。そんな存在にまで、私は。堕ちたくない。

 言葉も少なく。警戒は怠らず。砂に飲まれた街。半壊したビル郡、それらも疎らに。もしかすると、この先に見えるあの場所……敵の潜むであろうあの場所まで、昔は一続きの街だったのかもしれない、と。砂の下に埋まるのは、かつての街、大戦の中で破壊され尽くした。その上を歩んでいるのかも知れない、と。
 今、この世界しか知らない私達にとっては。壊れていないビル、普通の人々、きっと、草木や花も並ぶ。そんな景色は想像することこそ出来ても、見ることの叶わないものであるけれど。

「……それにしても」

 遠く、遠く。一向に近付く気配の無いその地。建築物も随分と少なくなり。その建築物も、砂に塗れ。昨夜の雨、油に濡れた。徹底的に破壊し尽くされ、砂漠に飲まれたその地を歩き。
 見通しは良く、目立った敵の影も無い。只管に続く砂、砂、砂の海。波立つ砂丘、僅かに顔を覗かせる文明の残骸。傷付きながらもまだ、形を残した建築も、幾らか。右手に見えるのは地下鉄への入り口か。砂に埋もれることなく開かれた口は、明かりの消えた地下へと続き。なんとなく、見覚えの在る景色を見れど、それ以上。記憶が蘇るといったことも無く。只々、静かに。足音以外の音も無く。昨夜の戦闘も、銃声も。爪と爪が風を切る音も、壊れた少女のうわ言も。全て、嘘だったかのように。これから向かう先は死地であることは理解しつつも、今、その旅路は。不思議と、静かで。穏やかな……

 辿り着かなければよいのに、と。零れかけた言葉を飲み込み。胸の奥へと押し込んだ。
 これから向かう先に居るのは。憎むべき相手、仇。奴を倒さないことには、平穏なんて。訪れることは決して無い、と。倒してしまえば。私たちは晴れて、自由の身。それまでは。
 一刻も早く、ネクロマンサーを倒すことだけ。それだけを只考えよう、と。つい、泣き言を漏らしてしまいそうになる自分を戒め。言い聞かせ。私の足が僅かに、砂に沈み。また、踏み出す様。繰り返し繰り返し。沈み、浮かび、砂を落とし、踏み出してはまた砂に沈む。私の足へと、そして、隣を進む彼女の足へと。獣の足へと視線を落として。

「あれ、何だろう。リティにも見える?」

 その、足の持ち主の言葉に、半ば跳ね上がるように前を見る。警戒を怠ったこと、彼女だけに任せ切りにしてしまっていたことを反省しつつ、目を凝らせば。

「鳥の群、かな」

 遠く。点となって飛び交う群。何かに群がっているらしく、一羽一羽は円を描いて空を廻り。このまま進めば、鳥の群がるその場所へと。辿り着くのにそれ程時間はかからないだろう、と。

「鳥? あれが鳥なの」
「……頭が無いまま飛んでるのとか居るし、アンデッド化してるみたいだけれど」

 鳥、くらいなら。誰でも見たことがあると思うけれども。頭の無いまま、足の無いまま。最早、殆ど翼だけが飛行しているようなものまで。私の記憶……抜け落ちても尚、知識として残った鳥の姿から掛け離れたものも少なくなく。
 一目では、鳥とは分からないかも知れないな、と。若しくは、失った記憶も個人差があるのだろうと一人、結論付けて。無数のアンデッド化した鳥たちの下。視界を遮る砂丘を越えて、その先。群がる先へと目を向ければ。

「っ、伏せて」

 マトの手を引き、砂丘の影へと体を屈める。彼女にも見えただろう、無数の、人型の影。それらは、手に手に銃を持ち。此方へと向かう……アンデッドの兵隊。私たちの目指す場所から向かってきていたのだろう。隊列を組み、よろめく足、引き摺りながら。無数の鳥達に集られながらも此方へ向かう兵隊達の姿を見て。

 何処か。見覚えの在る気がする、その姿。湧き出したその思いも、今は振り払い、忘れ。どうするべきかだけを考える。

「……どうする?」
「迂回……しても変わらない、かな」

 どれだけ距離を取ったところで、新手を送り込まれるのは目に見えていて。迂回して進むという選択肢は早々に切り捨て。
 敵の数は多く。中には、巨大な体躯。死肉を寄せ集めたような巨漢のアンデッドの姿も複数見え。此処で。怨敵の潜む地を前にして。無駄な戦闘、損傷は避けたい。只でさえ、昨夜のように。送り込まれた強力なアンデッド、逃げる事が出来ない状況は。今後も必ず訪れる。
 逃げれるならば。

「逃げよう、マト。態々相手する必要は無い」

 幸い。隠れる場所はすぐ近くに。目星を付けたその場所へと視線を向ければ、彼女も。私の意図を理解してくれて。

 敵から逃れ、地下への入り口。続く暗闇へと駆け込んだ。



◇◇◇◇◇◇



 暗闇の中を進む。
 頼りは、彼女が手に持つ小さな灯りだけ。私たちアンデッドは暗所でも活動出来るとはいえ、完全な暗闇。光源のない世界では流石に、行動することなど出来ず。彼女に手を握られながら、この。暗く暗く。只管に続く洞窟の中、朽ちた線路を道標として、二人で進む。

 使われることの無くなった地下鉄。彼女の手の中、コンパスを見れば、行く先は東。もしかするとこのトンネルは、このまま。私たちの目指す場所に繋がっているのかもしれない。それか、何処にも繋がってなど居ないのか。何れにせよ。
 地上は、進むことが出来ない。この道しか残っていないのであれば、例え。行き着く先が分からずとも、進むしかなくて。

「……このまま、あの場所に続いているとよいのだけれど」

 彼女の呟き。表情は見えず、けれど。先の見えない暗がりの中だからだろうか、少し、不安げで。

「……続いてる。きっと」

 洞窟の中では、声が響き。自ずと声は、囁くように。隣を歩む相手にだけ聞こえる程度のそれとなって。
 小さな声。小さな声。しかし、それでも。何処かから響く、ぽつりぽつりと雫の落ちる。その音に掻き消されないよう。その呟きを拾い、言葉を返して。

「……そうね。きっと」

 先よりも柔らかな声。微かに響いたその声に、私も。無意識の内に強張っていた体、緊張が緩み。
 いつかは。この暗闇にも終わりが来る。光が差す時が来る。そう、信じて。

 信じた、先。

「リティ」
「何、マト――」
「伏せて」

 彼女の体を抱き締めるように。出来うる限り覆い、隠すと同時に、風を切る音。微かに鼓膜を揺らした、人間のそれとは違う足音。聞いた途端に響いたその音だけを頼りに、暗闇へと向け、爪を振るえば。硬い、硬い。何かを叩いて。

 暗闇の中。浮かぶ、二つの光。光り輝く目。嗤うように細められ、また。悪意の光を灯して此方を見詰め、闇に呑まれた。

 直後。洞窟の先、明るく。私たちを誘うように、明かりが灯って。

「走るよ。掴まってて」
「な、何、敵!?」
「何か居る。灯りが点いたみたいだから、其処まで走る」

 言うが早いか。彼女の体を抱き上げ、包み。二本の獣足に力を込めて。
 再び聞こえた風切り音を置き去りにして、地面を蹴る。

「明かり、って、マト、罠よ!」
「分かってる。でも、他に」

 取るべき行動も、思いつかない。と。言葉にする、前に。

 私たちは。暗闇を、抜けた。




 広い空間。灯る灯る明かりは白く冷たく。光の中へと飛び込むや否や、無機質な駆動音、線路の先。走り来る歪な機械は、しかし、何処か生物のそれに似た動きで。備えた二本のアームに何かを握り、キャタピラを轟かせて線路を走る、走り来る……勢いを殺すことなく。私たちを轢き殺さんと走り来るそれを避け、私の目線より頭一つほど低い段差の上へと跳び乗って。
 見れば、向かい側の線路にも。同じ機体。二つの機械に挟まれ、並ぶ柱と柱の間。敵のアームの届かない場所へ、リティを降ろした。

「駅の、ホームね。ありがと、助かったわ」
「いい。それより」
「そうね、今は」

 彼女とは、別の方向へ。二体の機械が私たちへと向けて無造作に投げつけたそれを避け。

 聞こえたのは。別の方向へと跳び退いた彼女の、小さな悲鳴。投げつけられたそれが、硬い床にぶつかり幾らか砕けたそれ等が蠢く音、もがく音。

「っ、本ッ当ッ! 悪趣味!」

 彼女が吠え、苛立ちを隠そうともせずに。二体の機械へと、同時に二つの銃口を向ける。
 投げ付ける前、最初に見たときから薄々、気付いてはいたけれど。私もやはり、良い気はしない。

 最早、それらに知能は殆ど残っていないとは言え。動く死体の群を投げ付けられるというのは。

「あはっ……もう慣れっこでしょ? ゾンビだとか、そういうの」

 知らない声が地下に響く。鼓膜を震わす。それは、先まで私たちの居たトンネルの奥、暗闇から。徐々に光の中へと這い出す、二つの光、それから発せられた。

「……お前は。まともに口が利けるのね」
「何? お喋り出来る奴なら今までだって居たでしょう? オラクルちゃんとかさあ」

 笑い、笑い、笑い。その笑い声は反響し、幾つもの声、まるで、囲まれたように。それが、それが。

 耳障りで。不安さえ憶えるほどに、耳障りで。

「怖い顔しないでよ。笑っちゃうから……さっ」

 トンネルから這い出し。駅のホームへと掛けられたその足は、虫のそれに似た。蠢く尾の先には針。指の先から伸びた爪は鋭く。背に生やしたのは、左右非対称の翼……否。片方には、破れた皮膜。もう片方には、皮膜すら備えていない人間の腕。それは丁度、私の備えた余分な腕と同じように……

「っ……」

 人間離れしたその姿。そして。彼女の顔、角を生やした。笑みに歪めた彼女の顔は。


 私のそれと。酷く似ていて。


「マト……?」

 リティの声。それは。現れた異形、私に似た。彼女を見て。やはり、私たちの前に立つそれは。私に似た。瓜二つの。
 浮かぶ記憶は、連なる何か。それは、鎖、鎖、繋がった。そう、私たちは。一つの鎖。あの場所に繋がれ、私たち自身もまた、互いに繋がった。朧で、断片的で。最早、崩れ落ちた後の記憶。カケラとなってしまった記憶が、記憶が、蘇って。

 奥底から刺すように痛み喚く頭を抑え。抑えながらも、目の前に立つ彼女を睨み。彼女は敵。向けられた悪意。壊さなければ壊される。睨みながらも、彼女のことを。蘇った記憶の欠片を。もっと知りたいと。全て教えて欲しいと。願い、願ってしまって。

 アンデッドの群を運んできた機械が、器用に。二本のアームで体を支え、そのキャタピラでホームへ這い上がる。リティは、二丁の拳銃を構えたまま。対峙する敵は、只。ニヤニヤと笑い、笑うだけで。
 このまま行動を起こさなくても。よろめくアンデッド達は私たちに襲い掛かるだろう。二体の機体も、また。死体の群を掴むように、躊躇い無く。私たちを握りつぶすことだろう、と。
 その前に。彼女へと、言葉を投げる。

「少しだけ、聞いておきたい」
「止まりな、リフトバイス」

 異形の少女が、機械を止める。二つのそれは、リフトバイス、と言うらしい。

「手短にね。別に、あんた等がゾンビに引き裂かれながらでもいいなら、ゆっくりでも構わないけどさ」

 愉快そうに笑う。私の顔で笑う、少女へ。

「あなたは、何? ……私と、何か関係があるの」

 短く。問う。問えば、彼女は。

 愉しそうに。より、顔を。笑みを、歪ませて。

「私は……キメラって呼ばれてる。高度な自我を与えられたネクロマンサー様の創造物の一つ――」

 サヴァントだよ、マトお姉様。と。彼女は。彼女は、嘲り。そう、言って。
 その言葉に。込められた意味を理解することさえ出来ないまま。飲み込むことも、出来ないままの、私は。

 私目掛けて走り出す、リフトバイスの駆動音。アンデッド達の呻き声。そして、彼女の。キメラの。狂ったような笑い声に。

 混乱する頭。理解が追いつけず。只々、頭の中で。音が、音が、溢れ返り。私の考えを邪魔するように。私の体を縛るように。敵の立てる音、笑う声、嗤う声――


 声を。私の体に纏わり付いて這い回る。音を、声を。背後、鳴り響いた一つの銃声。聞き慣れた。何度も聞いた。

 彼女の音が全て、全てを。掻き消して。

「……マト」

 声は、静かに。再び。地下の空気を震わせ響く、無数の音の中でも尚、はっきりと。

「行こう。……大丈夫だから」

 言葉は、優しく。恐怖も無く。怒りも無く。只々、静かで。優しくて。

「……うん。大丈夫。後ろ、任せるね」

 迫り来る亡者の群。振り向いたところで、彼女の。リティの姿は、もう。群がるアンデッドの壁に阻まれ見ることすらも叶わないだろう。
 此処に居る彼等、群がる彼等の服装は。破れ、汚れ、襤褸となってはいるものの、リティの服装とよく似ていて。生前の彼女と関係が在るのかも知れない。アンデッド達を解体することで、心を痛めることになるかもしれない、と。しかし、今は。
 迫り来る異形、私を姉、と、呼んだ。私にそっくりの少女。深い意味など無いかもしれない。顔も、また。単なる、造物主の嫌がらせかも知れない。けれど。

 胸のざわつき。私に巣食う蟲の蠢きだけではない。この、不快な感覚。それでいて決して、手放したくない。手放すわけにはいかない。近付く。私の記憶の鍵を。鍵を、求めて。

 手を伸ばした。私へと群がった。死者の群れを、壁を、強引に引き剥がし、打ち破り。キメラの元へと、地面を蹴る。
 が。

「邪魔っ……」

 私の行く手を阻み。アームを振り上げ迫る、二体のリフトバイス。鉄の腕は予想以上に長く、回避するには近すぎて。咄嗟に腕で体を庇えば。
 今にも。私へとその鉄腕を振り下ろそうとしていたそれが、その装甲が。轟音と共に撃ち貫かれ、一瞬、止まり。

 銃弾を撃ち出した彼女へ。礼を言う暇さえなく、その、拉げた装甲板、巨体。アームの下を掻い潜るように。二体目のそれから逃れるように。姿勢を低くして、跳び。もう一体の鉄塊、私を狙って振り下ろされたアームが、勢い余って。銃弾を受けたリフトバイスを凹ませる音、音と共に。
 損傷は激しく。火花の散る音、不自然な振動。壊れかけの機体、覆う鉄板へと。私の爪を。深く、深く、突き立て、裂いて、引き抜いて。
 完全に、動きを止めた。一体のリフトバイスから跳び退き、体を離し。離すと共に、地に足を着けると共に。視界から消えたキメラの姿を。探せば。

 天井、乾いた音。咄嗟に、足を着いたばかりの地を蹴り。蹴ったばかりのその床を、彼女の。鋭く長い爪が抉った。

「余所見ばっかりして。もっと私に構ってよ」

 愉しむように。愉快げに。彼女の声、鳴り響く銃声と肉の散る音、機械の爆発音、炎の輝き。照らされた彼女の顔は、やはり。
 今にも。耳まで避けてしまいそうなほどに喜悦に歪んだ、私の顔で。

「お前は、私の何なの……ッ!」

 爪を振るえど、その笑みは崩れず、避けられて。他のアンデッドよりも高度な自我、知能。私たちのそれと変わらないそれは。戦い難くて仕方が無い、と。私の首を抉りに掛かった、その爪を。腕で庇い、弾いて。裂けた皮膚から跳ねた血も、僅か。再生し続ける体は、その爪を深くまで通すことを拒み。
 キメラと共に。殆ど同時に。私の背後、振り下ろされた鉄の腕。リフトバイスのその腕から……威力は、馬鹿に出来ないものの。緩慢な動作。武装も少なく、恐らく。元々戦闘用に作られたものではないのだろう……灰色の床、血に濡れた床を叩き砕く、それから逃れ。

「酷いなぁ。この顔を忘れた? お前の顔なのに」

 彼女の言葉。亡者の呻き。機械の音。小規模な爆発音。リティは無事だろうかと、胸に爪を立てた不安を、聞こえた銃声、その音を以て掻き消して。リフトバイスから逃れると共に距離を取ったキメラへと向かい、跳び。彼女のその、戯言と共に。半ば握りつぶすように、その腹を抉り。

「戯言を……ッ」
「何が戯言さ。正真正銘、お前の顔だよ」

 飛び散る血。しかし。
 やはり、浮かぶのは、笑――

「っ……」

 脇腹、硬い衝撃、押しつぶされたように。胸に、空気が詰まり。彼女の笑みは、視界から外れ。
 硬い、硬い柱へと。体が叩きつけられて。叩きつけられたその時になって、それが。背後から。リフトバイスの一撃を受けたからだと、理解して。
 理解したときには。もう。打ち飛ばされた私を追った、その異形。虫の足、絡みつくように、捕われ、二本の腕、傷付いた体の自由を奪われ。


「お前は終わり。お前は居なくなる。これで、私が――」


 白い明かり。逆光。私の上、馬乗りに。腕を振り上げる、彼女の顔は。影に呑まれて、呑まれても。
 窺える表情。それは、今までの。狂気に駆られた笑顔とは異なる。何処か、安堵の浮かんだ――

 そして。その、顔のまま。彼女の腹に、大穴。貫いても尚、柱を穿った。その銃弾が。撃ち貫いて。

「――あ……?」

 笑みは。驚愕に変わり。また、憤怒の表情へ。叫び声、言葉、聞き取れず。全身、赤に塗れ、塗れても尚、振り上げた腕。振り下ろそうとするその腕を。


 私の腕、第三の腕。鋭利な爪を以て、切り落とした。


「あ……ッ……あああ、ああああああああッ!」

 慟哭。風穴、腕を落とされ。私を壊さんとした、直前。浮かんだ安堵は、怒り狂い。歪み。今にも泣き出しそうな彼女、彼女を。
 体を、蹴り飛ばし。私は。立ち上がり、見下ろして。

「何、何で、クソが、何で、もう少しで、クソ、死ね、死ねよ、クソッ!!」

 虫の足、よろめきながら。立ち上がる彼女は、私の背よりも頭一つ低く。止め処無く溢れ出す涙を、血と、塵に塗れた床へ。瓦礫の上に落としながらも。
 彼女は。震えるその尾。備えた鋭い針を、私へ向けて。

「……もう、止」
「煩いッ!」

 彼女の戦意は消えず。寧ろ、先より強い敵意と共に。私へと、その。歪んだ体、歪められた体。備えた武器を、武器を向けて。
 これ以上リティを一人にしたくない。これ以上キメラを傷付けたくない。そして、彼女に真実を問い詰めたい。しかし。
 戦いは、終わらず。湧き上がり、止めることの出来ない焦りに駆られる。駆られる私の、耳に届いた。

 何かの音。トンネルの奥。重く硬い、複数の何かが地面を叩く――奇妙な足音。その、近付く足音を聞いて。

「何……援軍……?」

 キメラは、私の呟きを拾い。彼女もまた、近付くその、音に気付いて。しかし。
 その顔に浮かぶのは。困惑のそれで。

 私と、キメラと。数体、残り。死に切らなかった残骸が地面を覆った。その肉の絨毯を半ば、掻き分けるように私に近付く、リティも。一つ残ったリフトバイスまでもがまた、静かに。
 近付く音、反響。不気味な足音。その主の、姿を隠した闇を見詰める。

「……マト」

 不安げな声、視線を交し。
 暗い、暗い。只管に続き、線路を飲み込む深い闇、湛えたトンネル、その奥から。
 薄明かりの中へと這い出す、複数の鉄足。鉄足の運ぶ鉄の箱。その上に乗った、白いガスマスク、奇妙な防護服を纏った。二体のアンデッドは。ホームへと降り立ち。

「マッドガッサー……なんで……なんで処理班が……まだ、終わってなんか……」

 青褪める顔。現れたアンデッド、その姿を見て。腕を失くし、腹を撃ち抜かれ。うろたえる姿は。
 最早、怪物のそれではない。只の。一人の少女の姿で。

「あ……そうだ、援軍だ、そうだろう、おい、何とか言えよ! おいッ! クソッ! 聞こえてんだろうが! こっちに来るな、来るなよッ!」

 マッドガッサー。そう、呼ばれたアンデッドの内、一体が。リティの周りに群がっていたアンデッド達。彼等、彼女等へと向けて。腕に備えたノズルを向けて。

 吐き出された。白い煙、白い霧。無機質な白い明かりの下、淡々と。只々、無感情に。死体の群へと吹き掛ければ。

 崩れ落ちていく。崩れ落ちていく、亡者達。僅かに呻き、苦しむ素振りを見せながら。先までは確かに繋がっていた。部品を落とし、只の、只の肉へと戻り。

「……マト、気をつけて。あのガス」

 皆までは言わず。触れたアンデッドの体を分解するガス。彼女の言った、処理班、とは。きっと、不要な死体を処理する為の……
 もう一体のマッドガッサー。その、ノズルが。白いノズルが。遂に、此方へと向けられて。

「避けて!」

 彼女の声。つい、先ほど。投げ付けられたアンデッドの群れを避けた時と丁度、同じように。二人、同時に跳び退いて。
 違うのは。

「あっ……」

 激しく損傷し。よろめいた、少女。キメラが一人、ノズルの向く先。取り残されたこと――

 耳を劈く絶叫は。ノズルからそれが、白い霧が噴出される直前に。そして、その、彼女の声に。死体の群を処理した時のそれと同じように、淡々と。
 私たちは既に、そのガスの届く範囲から離れてしまっているというのに。吹き掛けられた白いガス。死体を。粘菌を。アンデッドの肉体を壊死させ、分解し、解体する、そのガスを彼女、キメラへと向けて吐き出し続けて。

「どうして……目的は、初めから、私たちじゃない……?」

 彼女の足が。彼女の体が。徐々に崩れ、徐々に落ち。造兵として作られたそれよりも遥かに強靭な彼女の体、しかし、それでも。少しずつ、確実に。蝕み、分解し、崩し。対する彼女は、血塗れの床その上をもがき、転がるばかりで。

「あ、あああああ……やめ、なんで、なんで、やめろ、嫌、なんで……」

 もがく、もがく、その姿。崩れ落ちる身体。恐怖に歪んだ顔。目が、合い。

 伝わるのは。誰かの悪意に焼かれながらも、私たちと同じように。生を求めた。最早、敵対者として彼女を見れず。憎しみなど湧かず。只々、憐憫、これ以上。傷付く姿を見たくない――

「やめ……」

 彼女を、助けようと。助けたいと。駆け寄ろうと。
 した、刹那。並び立つ私と、リティの間。走る、一本の光の線。一筋の赤い、光の線が。宙に浮かび。


 多量の粘菌、噴出した赤。マッドガッサーの不恰好な体を貫き、そのまま、切り落とした。


「全員止まれ。キメラは私が回収する。処理班は残りのアンデッドを解体し次第拠点へ帰還せよ」

 振り向くより先に。声と共に、音も無く。唐突過ぎる出現、何時現れたのか。私と、リティの間、中空に浮かび、移動する。機械の塊が進み出て。
 跳び退き、私は、爪を。彼女は銃を向け。向けれど。

「止まれと言った。戦闘の中断を求める」

 機械の塊……いや。離れてみれば、それは。体の大半を機械に置き換えた、少女で。人間としての原型を留めるのは、上半身のみ。その表情も、また。感情の一つさえ読み取れない。
 そんな、彼女は。恐れることも。敵意を向けることも無く。只、私たちへと淡々と告げ。赤い光によって切断され、床に転がったマッドガッサーへ、もう一体のそれがガスを吹き掛け溶かす音にさえ意識を向けず。そのまま、伏したキメラの元へと降り立って。

「キメラは完全には解体されていない。間に合ったようだ。今回収する、安心していい」

 誰へ。話し掛けているのか。彼女の目の前に横たわったキメラではない。誰かへの通信、僅かに。本の、僅かに。彼女の声も、柔らかく。キメラの体……腕を失い。随分と小さくなったその体を抱き上げ、浮上する。

「……私は、まだ……」
「運搬用リフトバイスと、雑兵以下のアンデッドしか与えられず。その上、交戦中にも限らず処分されようとした。その時点で察するべき」

 彼女の腕の中。キメラは、沈黙して。

「帰還する。処理班、リフトバイスは私へ続け」
「待――」

 投げ掛けた言葉は。彼女の耳に届いただろう。が。
 彼女はやはり。音も立てずに、中空を滑り、線路の上へと飛び去って。

 再び。動き始めたリフトバイス。鉄の箱の上へと乗り込んだ一体のマッドガッサー。来たときと同じように、あの、音を響かせ進む、それを引き連れ。

 私の制止など。聞くことさえなく。取り残された私達を置き去りに。闇へと消えた。




  
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