183章 日本の 雅(みやび)は世界の文化のモデルになると信也は思う
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余裕のある性格を、
私は『雅』と考えます。
そこには相手を思いやる『哀れ心』があります。
上から下を見るときの『哀れみ』ではなく、
相手も 自分も やがて 消えていく 身だというという 諦念が潜んでいるのです。
相手の自分の主張の違いを、どちらが正しいかと ギシギシすり合わせ、
せめぎ合うのではなく、余裕を置いておく。
わからないものを、わからないまま残しておく。<中略>
このような考え方は、現代においては なかなか 難しく、近代的な合理主義、
科学的な視線で見れば、好い 加減で 怠慢、事なかれ主義に見えてしまいます。
けれど平安の世では、それが可能でした。
なぜかと言えば、人間が知りえないことが たくさんあったからです。
怨霊、生き霊、呪詛、穢れなど、
目に見えない恐怖がたくさんあり、夜の闇でさえ 濃く 深く、
人間にとっては魑魅魍魎が蠢く世界でした。」
信也は、「すげえ、文字だ」と思いながら、ネットで、魑魅魍魎 を 調べる。
「魑魅魍魎とは、人間に害悪をもたらす化け物という意味のこと。
英語では demon や evil spirit などと表現される。
魑魅魍魎の語源は、自然界に潜む妖気や霊気から生まれる邪悪な霊である。
魑魅の語源は山の化け物や山の神であり、
魍魎の語源は川や沼に住む水の化け物や水の神である。」と ある。
この 本では 高樹さんは 「貴種流離が日本 芸術を作った」
というタイトルで、こう 語る。
「業平は権力や地位より、歌に生きることを選びます。権力を得られなかったから
歌と女性に向かったのでは、なく自らの意思で そうしました。
権力の危うさを知っていたからです。
この貴種流離が、日本特有の芸術を作った。日本の美意識を清らかなものにした。
万物にあられを感得し、生々流転、無常を世のことわりと認識し、
水の流れに 人の世を 悟った。
このように書いてみると、権力から 離れることで 美を発見した
鴨長明や西行、良寛さんや松尾芭蕉まで浮かんできます。
業平が そのトップランナーであったと考えても、大きくは間違っていないでしょう。
<中略>
業平は恋の成就に失敗し、挫折感の中で『自らを用なき者』と知ります。
この失意を経て、一段と高い歌人にステップアップしたと思われます。
つまり 挫折こそ 大きな恵みになったわけです。
そもそも 権力や地位やお金で女性を得たい、とする恋心は、
どんなに本気であっても打算が混じっています。
けれど 業平の恋は、相手が身分が高く、人生を賭けなければ 手が出せません
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