「冥王来訪」の感想


 
コメント
マブラブ世界観について突っ込み質問があります

1、もし幕府がいれば、廃藩置県ができますが?
2、カサブランカ会談にて、無条件降伏を要求する、大日本帝国の五摂家と連合国軍の協定とするつもりますが?
3、大日本帝国の五摂家はソビエトを満州国の工業と武装てくれ、大日本帝国の官兵たちは日本へ撤退させてのことに交換する協定の可能性がありますが?
4、アメリカはドイツへの原子爆弾投下すれば、アメリカとソビエトは分割占領のことが成し遂げたつもりますが? 
作者からの返信
作者からの返信
 
>幕藩体制のような元枢府に廃藩置県を実施できたか
これは非常に難しいと思いますよ。

歴代の幕府という機関はけっして日本全土に影響力を及ぼす機関ではなかったためです。
鎌倉幕府の実際の支配地域は関東近辺でしたし、室町幕府に至っては京都の周囲だけを維持するのみでした。
江戸幕府は時代劇や漫画などの創作を見ていると日本全土に命令を出しているように感じますが、ほとんどは藩や代官所などの地方自治の強い組織でした。

 急速な中央集権化は明治維新によってなされ、今の制度の大本は大正末期に完成します。
ただ世界大戦をはさみましたので、本当の意味での大都市圏と地方の格差が低減されたのは1970年代に入って以降ですね。
 
マブラヴ世界は天皇の影響力が江戸時代並みに弱いか、それ以下なので、中央集権化をどれほど進められたか疑問です。
アンリミテッドであった活火山の噴火から避難しない住民などを見ると、史実の日本より地方への統制が弱いのかもしれません。

>五摂家と連合国軍の協定
五摂家に関する扱いは史実の天皇に対する態度と同じとみてよいでしょう。
ただ2001年の段階で五摂家の各家ごとに独立警備小隊を配置し、その数は20近くありますから、何かしらの秘密協定はあったでしょうね。
(冥夜につけられた警備小隊の番号は第19独立警備小隊です。そのため20あるものと考えて、考察しました)

>五摂家はソ連に満洲を渡して、関東軍を撤退させる
これはありうると思います。
史実の首相であった近衛文麿は周囲に親ソ容共の人士を置いていましたし、ソ連への仲介工作を盛んにした人物でもあります。
またソ連側も近衛のことを重要視し、子息の近衛文隆をシベリア抑留しています。
しかし日本側はソ連の要求通りには動かず、また子息の近衛文隆もKGBの誘いに乗りませんでした。
文隆公は1956年にソ連からの帰国を待つ直前に不審死し、悲劇の一生を終えます。

 その辺の経緯は西木 正明著『夢顔さんによろしく ―最後の貴公子・近衛文隆の生涯』と、V.A.アリハンゲルスキー『プリンス近衛殺人事件』(露語からの訳書、原題『シベリアの原爆』)に詳しく書かれています。


>米国の原爆投下でドイツの分割占領政策に影響が出たか
考えられるのはソ連軍が史実より早くベルリン近郊まで迫ったと言う事です。
史実では原子爆弾投下の目標は戦争終結のためではなくソ連への牽制のためにすでに降伏を打診していた日本に落とされました。
広島、長崎の後は、8月19日に東京に落とされる計画があったことは機密指定を解除した資料で明らかになっています。
トルーマン大統領は東京への原爆投下を憂い、駐米英国大使にそのことを相談するほどでした。

あとは地方都市に落とされてもNSDAP政権が日本政府の様に降伏を選ばなかったか、連合国側が受け入れなかったかのどちらかでしょうね。

史実では広島の原爆投下の前から、これ以上の無用の犠牲を避けるため、日本政府は玉音放送を計画し、8月に入ると秘密裏に昭和天皇の詔勅を録音します。
8月15日の放送にこぎつけるまではいろいろな混乱がありましたがその経緯はここでは省きます。

そういう事を勘案すると、ベルリンに2発の原爆が落とされて、ソ連軍は進撃を停止したことが考えられますし、NSDAP政権は原爆で外交交渉を進める首脳が吹き飛んだ可能性もあります。

(別な資料ですとマブラヴ世界ではドイツに原爆が4発投下されたことになっています)