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新しいお父さん

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第三章


第三章

 それからも夏実の考えは変わらなかった。だがそれでも美代子と元治は再婚した。だが夏実は彼を父とは呼ばなかった。『田所さん』とあえて姓で呼ぶのであった。名前を書く時も自分の姓は久保で通していた。母が再婚したので姓が変わっているのだが彼女はそれでもそれを貫いていたのである。
「行って来ます」
 憮然とした態度で学校に向かう毎日だ。前の家に三人で住むことになったが元治に対する態度も美代子に対する態度もツンケンしたものであった。彼女はそうして不満を露わにしていた。
「やっぱり。認めていないんですね」
 元治は家を出る夏実を見送って溜息をついた。
「夏実さんは。僕のことを」
「今だけですよ」
 美代子はそう言って肩を落とす元治を慰めた。そして肩にそっと手をやる。彼の太った大きな肩に美代子の温もりが伝わってきた。
「ですからね」
「はい」
 その美代子の温もりに頷いた。
「頑張ってみます」
「私もいますから」
 二人は夏実が何時かわかってくれると思っていた。だが夏実はあくまで二人を認めない。そんな日々が暫く続いた。
 夏実の態度は相変わらずであった。不機嫌を露わにして二人に対していた。それでも二人は待っていたのだ。夏実が心を開いて、二人のことを認めてくれることを。
 だがその日は来る筈がない、夏実はそう確信していた。あくまで二人のことを認めようとしなかったのだ。
「冗談じゃないわよ」
 彼女は言う。そして思う。
「何であんな人、お父さんって呼ばなきゃいけないのよ」
 この考えは変わらなかった。変えるつもりもなかった。
「お母さんも。何がいいんだか」
 それは必然的に母への不満になる。
「何時か後悔するに決まってるんだから。結婚しなきゃよかったって」
 彼女は元治の何もかもを否定していた。だからこう考えていたのだ。今彼女はそんなことを考えながら学校から帰っていた。丁度信号に差し掛かってきていた。周りでは車の走る音、そして喧騒が聞こえている。だが彼女はそんなものは耳に入っていなかった。ただ今の両親に対する不満をブツブツと考えていただけであった。
 何も耳に入らず、何も目には入っていなかった。それが彼女の過ちであった。
「あっ、危ない!」
「えっ!?」
 振り向いた時にはもう遅かった。トラックが前に突っ込んできていた。そこから先は覚えていない。ただ遠くなっていく記憶に何か人が驚き、狼狽する声が聞こえるだけであった。夏実は深い闇に落ちていった。
 気が着いたのは白い病室の中だった。彼女が目を開けるとそこに美代子がいた。
「目を覚まされました」
「よかった・・・・・・」
 美代子は夏実を見てほっと安堵の息を漏らしていた。
「どうなるかって思ったわ、本当に」
「お母さん」
 見れば彼女はベッドの中にいた。起き上がろうとすると身体に鈍い痛みが走る。それのせいで起き上がることができなかった。
「痛っ」
「まだ動いちゃ駄目よ」
 美代子はそんな夏実に声をかけてきた。
「まだ。安静にしないと」
「私、どうしたの!?確か」
 トラックが前に来たのは覚えている。だがそれからは。けれどおおよそのことはわかった。
「事故ね」
「そうよ」
 美代子は答えた。
「貴女、トラックにはねられたのよ」
「そう」
 やはりそうであった。それで納得がいった。
「それで。ここに担ぎ込まれたのね」
「ええ」
 やはりそうであった。美代子の言葉を聞いてそれがわかった。
「あんな大きなトラックにはねられて。よく大丈夫だったわね」
 自分でもそれが不思議だった。身体の感じでは何処もある。目も見えているし耳も聞こえる。手足の感触もちゃんとあった。身体はかなり痛むがそれでも無事なことは無事であった。
「血が。凄かったのよ」
「血が」
「そうよ。それで本当に危なかったんだから」
「そうだったの」
「しかも病院でA型の血が足りなくて。どうしようかと思ったけれど」
「何かあったの?それで」
「お父さんがね」
「お父さんって」
 誰のことかすぐにわかった。元治のことだ。
「輸血してくれたのよ。血液型が同じだったから」
「そう」
 夏実はそれを聞いて自分の心の中で何かが動くのを感じていた。
「随分輸血したわ。お父さんの方が大丈夫かって思う位。それでも」
「輸血してくれたのね」
「ええ」
 美代子は頷いた。
「自分は大丈夫だからって。それで」
「そうだったの。私の為に」
 その話を聞いていると自然に俯いてしまった。
「それで今私の中にあの人の血が流れているのね」
「そうよ」
 美代子はまた頷いた。その表情からは何も心は読めない。
「あの人も。随分やつれたけど」
「それで私が助かったの」
 心の中に感慨が深まっていく。
「あの人のおかげで」
「お父さんがいなかったら。今頃は」
「そうよね」
 顔には出ないが感情が昂ぶっていく。
「私なんかの為に」
「当然じゃない」
 美代子はそんな夏実に言った。
「当然って?」
「だって親子だから」
「親子・・・・・・」
「そうよ」
 そしてまた言った。
「親が子供を助けるのは当然でしょ。それに」
「それに?」
「お父さんはね、真っ先に夏実のところに駆けつけたのよ」
「私のところに?」
「そうよ。そして」
「輸血してくれたのね」
「ええ」
 その言葉にこくりと頷いた。
「それで。貴女は助かったの」
「あの人のおかげで」
「これでわかったでしょう?私が何故お父さんと再婚したか」
「・・・・・・・・・」 
 それには答えなかった。いや、答えられなかった。母の言葉を沈黙して聞くことになった。
「確かにね、前のお父さんと比べて顔はよくないわ」
 それは認めた。
「外見だって野暮ったいし。鈍いわよ。けどね」
「心、よね」
「そう、前にも言ったけれど」
 あの時は頭から否定したことであった。けれど今はそれはとても出来なかった。出来る筈がなかった。

 
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